第三話 『あ、怪しげな錬金術師の一人や二人、怖くなんてないのである!?』 その四
ガルフ・コルテス。そう名乗った老戦士は首を揺らして肩を回す。気だるそうに伸びをする、目を覚ましたばかりの猫さんみたいだな。ホーリーはそんなことを考えていた。
考えた後で、猫さんに失礼だったかもしれないと考えた。猫神好きのホーリーのなかでは、老戦士よりも猫さんの方が尊ぶべき存在であったようだ。
リエルは緊張もしていたし、警戒もしていた。この脱力した老戦士が宿す力量の一端を、幼い彼女はその才能で悟ることが出来る。
高齢な人間族だ。
スピードは、私の三分の一。
筋力も、私の方が強い可能性が高い。
魔力は10対1以上の差があるし……。
……そうだ。
……それでも。
おそらく、私はこの老人に苦戦をするだろう。接近戦をしたくない。すべきではない。すれば……負ける。
ガルフ・コルテスはストレッチした首をリエルに向けて、肩をすくめる。
「……そう警戒せんでもええ。ワシはお嬢ちゃんズの仲間だぜ?……あのゴーレムを倒すのに協力したことは分かるだろう?」
「―――ハッ!!」
そのとき、ホーリー・マルードは一つの可能性に気がついていた。リエルもガルフ・コルテスも、釣り上げられたばかりの魚のように、ビクン!と跳ねた彼女に視線と注意を誘導される。
本来ならば……お互いを探るように警戒すべきであったのだが。悪意と警戒心が全くない少女の反応に、優れた戦士たちの感性は引きつけられる。緊張感が消されて、戦士としての心構えが崩された。
老戦士は苦笑する。ワシの修行もまだ足りんのかよ?……小娘の痙攣一つに反応しちまうとはな―――あの小娘は、どうでもいい。あっちではない。あっちじゃないんだ。よく見ておくべき者は……。
「貴方!!も、もしかして!?」
「……お嬢ちゃん、ワシのことを知っているのか?」
……一部の傭兵になら知られているだろうが、こんな凡庸な嬢ちゃんに?……ねえだろ?
「知らないっすけど!」
「知らないのか?」
「うん。知らない。でも……も、もしかして、貴方は……っ」
ホーリーはゆっくりとガルフに近づいてくる。ガルフは対応に困る。少女ににじり寄られるのは久しぶりだ。酒場の踊り子をカウントしなければだが……。
しかし、この嬢ちゃん、やけに目をキラキラと輝かせているな?……経験上、分かる。この子はアホな子だ―――。
「―――もしかして!!貴方って、私の『召喚獣』的な存在なんですか!?」
……ああ。悪い予感ってのは、戦場以外でも、よく当たるもんだ。
顔面の顔を引きつらせてしまう。苦笑している?……いや、それ以上に、ネガティブな意味を持つ表情だった。ドン引きしていた。だが、老いた彼のやさしさは、アホな娘に対してだって、やさしい。せめて苦笑してやろうとして、表情は固まっていた。
「追い詰められたあの時、私の潜在能力的なモノが覚醒し!!この老人型の『召喚獣』を未知なる世界から呼び寄せたのかもしれないっす!!」
「……嬢ちゃん、面白い小説の読み過ぎだよ―――」
「―――え?こ、このジイサン、ホーリーの術が呼んだ存在なのか!?」
……困ったことに、アホは一人じゃなかったらしい。ガルフは困惑する。エルフの宝石眼を持つ、最強の魔術師の『卵』は……少々、アホのようだった。
……鍛え甲斐がありそうな子だ。いや、子たちか……。
「そうかもしれないっす。私、ついに、そういった力に目覚めてしまった気がするっす。アレ、きっと、私の『召喚獣』っす」
「た、たしかに。あんな強い老人など、この世の存在であるようには、と、とても思えぬな……っ。『召喚獣』……ふむ。ホーリーよ……なんと希有な才能の持ち主なのだ……っ」
どちらのお嬢ちゃんたちも、真剣な表情なのが笑えない。
ガルフは、この状況が続き、己が『召喚獣』とやらではないことを説明したい衝動に駆られていた。
「……いいかい、嬢ちゃんたち。ワシは、そういうモノじゃない。さっきも言っただろ?ただの老いた傭兵、ガルフ・コルテスおじいちゃんだよ」
「……ええ!?私の『召喚獣』じゃないっすか!?」
「ああ。違う。裁判所とか王さまに召喚されたことはあるけどね」
「神秘の世界からやって来ては!?」
「しないよ。さっきまで『パガール』の広場で、ハトにエサをやりながら、酒を呑んでいたシニアな傭兵だぞ?」
「……が、ガッカリっす……っ」
ガッカリされてもガルフ・コルテスは傷つかなかった。長い傭兵人生が、彼の心を幾度となく深い傷を負わせてきたからだ。
仲間の裏切り、戦友の死、家庭の崩壊、義理の息子は自分の教育が間違っていたことを証明するかのように変態野郎だった。
傷だらけの老兵の心は、ホーリー・マルードにガッカリされたところで傷一つ入らない。
「……う、うむ。生身の傭兵なのだな?」
「生身以外の傭兵を見たことあるのかい、エルフの嬢ちゃん」
「いいや。傭兵とか、ほとんど見たことないし―――」
―――エルフの弓姫はあわてて自分の口元を隠していた。ガルフは、悟る。このエルフの嬢ちゃんは里から出て来て、長くないらしい。そもそも、王族のエルフが護衛もつけずに里の外に出るのかよ?……しかも、こんな弱い嬢ちゃんを引き連れて……?
……ワケありか。
隠したいのなら、隠しておけばいいだろう。ガルフはやさしかった。リエルを怒らせることに得はないと考えているからだ。
ガルフには野心がある。
……リエルの才能を、自分の傭兵団に組み込みたいのだ。そうなれば、彼は理想の戦力を構成することが出来る……その確信を、老いた傭兵は抱いている。ここまで才能のカタマリみたいなエルフを見たのは、何十年ぶりか分からない……。
……いや。
となりに才能が全く無さそうな、凡庸な人間族の娘がいるからかもしれないが……。
ガルフは、ホーリーを見ていると、ゴクリと唾を飲み込んでいた。こんな才能の欠片も無さそうな便利屋を見るのも、果たして何十年ぶりなのか……っ。
悪い意味での驚愕であった。
……他人の人生に介入することを良しとはしない哲学を、ガルフは持っていた。ヒトは好きなことをして生きるべきだし、その結果、不幸になろうが幸福になろうが、死んでしまおうが、自己責任である。
そんな自由な哲学を彼は持っている。しかし、それでも、老いた心が獲得した慈悲の心が告げるのだ。
―――嬢ちゃんは、向いていない。『マイコラ市の便利屋』ってのは、命がけの仕事もさせられるんだぜ?……危険なダンジョンに潜ることも、危ない土地に調査隊として派遣されることだってある。そのときに、こういう嬢ちゃんあたりが荷物持ちに選ばれる。
才無き者はチャンスに飛びつき、命を落とす。
……世の中には、説明するのが難しいけども。『失敗しないといけない仕事』ってのが存在する。『マイコラ市の便利屋』のギルド章を首につけた嬢ちゃんは、そんな仕事の生け贄に丁度よさそうだ……。
ガルフ・コルテスは世慣れし過ぎて、多くの事を知っている。社会の表はもちろん、裏側さえも知っている。
かつて、『マイコラ市の便利屋』は、ある貴族から任務を受けた。貴族の所有している領地に、商人たちのギルドが、新たな街道を作りたがっていたし、貴族もその事業に賛成していた。
貴族は、その街道を通す予定の森に……便利屋たちによる調査隊を送った。その森にはモンスターがどれだけいて、開発事業にどんな影響が出るのかを調べるために。
だが。それは建前に過ぎず、貴族とギルド長の『真の目的』は別にあった。調査隊には全滅してもらう予定であったのである。調査隊を貴族の部下が殺して、その死体を獣に食い荒らさせた……。
モンスターに襲われて、殺されたように見せかけたのである。
そうすることで?……貴族は、商人たちと交渉した。自分の土地は大変危険であるために、街道のための土地を安く提供してもいい。先祖伝来守り続けた土地だが、荒らしてしまっていたようだ。
公明正大であるべき貴族としては、そんな土地を高値で売却することは誇りに反する行いである。先祖の購入金額よりも安い値で、庶民に売り渡すことは伝統に反しているが―――致し方ない。
ああ、モンスターは我が騎士団が責任をもって、必ずや討伐しよう……安全は保証するが、この土地の値は安くするほかあるまいな。
……その貴族は、街道を領地に引き込みたかったのだ。貴族法に反してでも、安く土地を提供しても構わない。街道さえくれば、その周辺の土地の値は上がる。そうすれば、土地を商人たちに貸し与え、店を作らせることも可能だった。
そうなれば、莫大な税収も手にすることが出来るわけだから。
……他の貴族の土地に、その街道が作られる可能性もあった。そんな可能性を消すために、貴族は『マイコラ市の便利屋ギルド』に依頼していたのである。『殺してもいい調査隊を派遣してくれ』。
……ガルフは、その件に関わっていた騎士の一人から、真相を聞かされたことがあるのだ。その騎士は騎士道に反した自分を恥じた。本来なら主である貴族を討つべきなのが騎士道の本懐。盲目的な主従関係ではない。
騎士道とは、正義のためになら主君さえ斬る道なのである。
そうすることが出来なかった彼は、己を恥じて騎士を引退し、死に場所を求めて傭兵となった挙げ句にガルフと戦った。ガルフは、自分の手により致命傷を負った騎士の懺悔を帯びた告白を聞いたことがあるのだ―――。
『マイコラ市の便利屋ギルド』は、善良な面もあるが―――裏の顔も持っているのだ。これほど才能の無い少女なら……『死なせてしまっても勿体なくない』。
世間慣れして、社会の闇を知り尽くす傭兵、『白獅子ガルフ・コルテス』は……そのマヌケな少女の職業選択について文句を言いたくて仕方がなくなっていた。
自分の傭兵団に是が非でも勧誘したいほどの才能、リエルを前にしても、老人の慈悲の心が騒いでいる。
それほどまでに。
ホーリー・マルードには才能というものを感じることが、ガルフ・コルテスをもってしても出来なかったのである―――だが、さっさと便利屋ギルドを辞めておけというアドバイスをするよりも先に、彼にはすべきことが出来ていた……。
「あっちだ!!」
「あのゴーレムを、追いかけるんだ!!」
「今回こそ、盗まれてたまるかよ!!」
若い事件団員の声が聞こえてくる。ガルフは、しなければならないことがある。この嬢ちゃんたちを、『変な事件』に関わらせるべきではないのだ。
「……嬢ちゃんたち。こっちの茂み隠れるぞ。じゃないと、ワシら全員、逮捕されてしまう可能性がある」
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