第二話 『ど、道中ひとりだからといって、さ、さみしくなんてないのである!?』 その三
マヌケに響くゴブリンどもの太鼓の音。それを頼りに、森のエルフの弓姫は音を消して走った。野草を煮込む苦そうなにおいが風に混じっていることに、リエルの鼻は気がついた。
「ふむ。煮込み料理にするらしいな」
悪神の生け贄と小鬼どもの昼ゴハンは、マヌケの雑草煮込みのようである。
助けてやるべきだ。悪神の下僕どもを繁栄させるつもりもリエルにはない。そもそも、故郷の近くで、ゴブリンが繁殖するなんてことも屈辱だ。
……以前は、この山脈にも見張りを立てていたというのに。帝国に攻められてからは、隠れ里に森のエルフたちは引っ込んでいる。
ここにモンスターがいることは、森のエルフが衰退してしまったことの証でもある。その事実に気がつくと、リエルの表情は険しくなった。
モンスターどもを襲う理由が、また一つ増えたのだ。矢をムダにするかもしれないが、まあ、それはそれで…………いや。戦いよりも、人命優先であるべきか。
―――作戦の優先順位を守るべし、ですぞ?
師匠でもある、じいや。あの偉大なる老戦士のくれた言葉が、記憶の海から浮上して、彼女の言葉に助言をくれる。そうだ。確実に何かを成功させたくば、それだけに意識を集中させるべきである……。
マヌケの命を優先する。それを心に決めたリエルは、ゴツゴツとした岩場を走り抜けていった。
ゴブリンの叩く太鼓の音が強くなる……崖が見えた。そして、崖の下にゴブリンたちは集落を作っているようだ。音はそこから聞こえてくる。見張りは、いない。
弓を構えた。そして、身を低くしてリエルは崖に向かう。見張りを見つけたら、すぐに矢を放つ覚悟だった。しかし、ゴブリンたちは悪神への祈りの時間なのか、見張りを立ててはいなかった。
……不用心な小鬼どもだな。
……つまり、この土地には、あんな小鬼どもが警戒しなければならない勢力がいない。帝国はこの土地には近寄っていないのか。
そんなことを考えながら、リエルは崖の下をのぞき込む。
ゴブリンどもの集落は、それなりに栄えているようだった。木を寄せ集めて作ったような原始的な家屋が、5つほど見える。家畜も飼っているようだ。ニワトリたちが、そこらをうろついている……。
「……むう。我々の領地に、勝手に村を作ろうとしているのか……許せんな。だが、今は……マヌケを探すか。食べられてしまう前に……」
その集落を探る。ゴブリンたちは西の方に集まっている。集落の西には大きな岩があった。
そこで……あれは、ゴブリンの長老だろうか?……ヨボヨボのゴブリンが大きな岩の前で、ギャーギャーと何かをわめき散らし、太鼓叩きのゴブリンたちは、彼?の叫びに合わせるように太鼓をポンポコ叩いている。
そして、その連中の背後には岩へ向かって座る、20匹ほどのゴブリンどもがいた。ゴブリンどもは、空に両手を突き上げたり、その小さな体を折り曲げて、地面に額をつけたりしていた。
悪神に祈りを捧げている―――ようだ。リエルにはそう見えた。真実はゴブリンにしか分からない。彼らの文化に沿った、大切なイベントではあるようだが。
小鬼どもの文化には興味がない。リエルはその悪しきものかもしれない謎の儀式から目を離して、小鬼どもに捕らえられているであろうマヌケな女を捜す。
マヌケ女を見つけることは難しくなかった。
彼女は……その人間族の少女は、ゴブリンどもの後ろにいる。小さな悪神の信者どもの後ろに、四つの脚を縄で縛られたイノシシがあった。彼女はそこ供物と共に、並べられていた。
イノシシは死んでいる。でも、少女は生きていた。
もがいているから生存を確認することは容易い。思ったより元気そうだ。イノシシは罠にかけて仕留めたのだろう。さほど大きなイノシシではないが、小鬼からすれば体の大きさは倍以上。戦って狩ることは出来ない。
罠を使う知性はあるようだな。
そして、足跡から獲物を追跡することぐらいはしそうだ。まあ、知れた数。戦って仕留めることも難しいことではない―――だが。
……人間族か。
捕らえられている少女は、人間族である。
アレは、帝国の人間族なのだろうか?……それ以外にも、人間族はいるのだろうが……。
当然ながら、リエルは人間族に対して、良いイメージを持っていない。侵略者のイメージだった。
中には素晴らしい人物もいるのだろう。あの赤毛はエルフにやさしかった。そうだ、エルフにだって悪人がいるように、種族で善悪を判断することは出来ない。しかし、人間族は……敵なのだぞ?……それを、わざわざ助けてやるのか……?
……いや。
すべきことは、もう決めているじゃないか。あのマヌケな人間族の娘を、死なせるつもりはない。
作戦を考えよう。二人ならば―――そうか。ダメだな。私は、独りぼっちだった。アルカがいれば、アルカを囮にしてヤツらの気を引きつけて、私があのマヌケを救出すればいいだけだった。
ゴブリンは単純だ。見え透いていそうな罠にも引っかかる。
……作戦なんて、ほとんど使えないのか。森のエルフの作戦は、一人では使えない。ならば。技術に頼るのみだ。
リエルは崖にある急角度の道を、音を立てずに素早く駆け下りていく。太陽がまだ登り切っていない。その崖の側面を走る道は薄暗い。罠があるかを注意しながら進むが、罠はなかった。
ゴブリンたちは集落の護りを、それほど意識していないようだった。リエルには好都合である。
彼女はそのまま小鬼の集落へと侵入する。放し飼いにされているニワトリが、騒ぎ始めないかが心配ではあった。だが、ニワトリはエルフの美少女よりも、足下にいる虫を探すことに夢中のようだ。
よしよし、いいニワトリさんである。
ゴブリンたちの家畜を褒めてやりながら、リエルはそのまま縛られて暴れているマヌケに近づいていく。
そのまま一気には近寄らない。あのマヌケに騒がれたら、逃げ去ることが困難になる。だからゴブリンの小さな小屋に身を隠した。
彼女は小石をつかみ、それを縛られてもがいているマヌケな人間族の小娘に投げつける。
「むが!?」
頭に当たったが、大きな石じゃないからケガもしないだろう。金髪の小娘は涙目になりながらも、石が飛んで来た方向を見る……。
「むむぎゃう!!」
口に粗雑に作られた縄を噛まされている。だから、何を言いたいのかは聞き取れなかった。でも言いたいことは分かった。助けて!……悪神を崇拝している小鬼の群れに囚われた乙女の言いたいことは、そんなに種類がないであろう。
リエルはうなずく。
多分、助けてと言っているだろうから。
だから、彼女は唇の前に立てた人差し指を沿えるのだ。『静かにしろマヌケ』。その意味が込められた仕草である。囚われのマヌケは、金髪の生えた頭をうなずかせた。そして、沈黙と共に、その身を固めていく。
音を立てないのなら、それで良かった。リエルは影のように走る。音もなく身を低くして。囚われた人間族のもとに向かう。人間族は、となりに転がされているイノシシと同じように手脚をロープで縛られていた。
ナイフを抜いた。太ももに巻いてある革のベルトに収納されている、あの暗殺者スタイルのナイフである。リエルは逆手に握ったナイフを使い、金髪マヌケ娘の両手脚を縛っている縄を切ってやった。
金髪マヌケ娘の碧眼が、キラキラと輝くのが見えた。リエルも釣られて、笑いそうになるが―――作戦を優先すべきと判断する。翡翠色の瞳で、悪神に祈りを捧げている小鬼の群れを睨む。
警戒しながらも、小さな声を使った。
「……手足が動くか、確認しろ。走れるか……?」
「……ちょ、ちょっと痛いから、ムリかもしれないっす」
「そうか……長く拘束されていたか」
「は、はい、一晩中。あいつらのポンポコ鳴ってる太鼓の音が、もう耳から離れないレベル……」
「……膝を突いてでもいい。静かに、崖に向かえ。動いているうちに、手足が動けるようになるかもしれん」
「……りょ、了解っすよ、エルフのお嬢さま」
「……私が、高貴な血なのが分かるのか?」
「え?……いや、社交辞令で―――」
『ギャギャギャガ!?』
ゴブリンの誰かが何かを叫んでいた。リエルにも人間族の少女にも、その言語を翻訳することは出来ないのだが、意味は見当がついている。
彼女たちが気にすべきは一つ。30匹近いゴブリンたちに、その存在を知られてしまったということだ。
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