第二話 『ど、道中一人だからといって、さ、さみしくなんてないのである!?』 その一
第二話 『ど、道中一人だからといって、さ、さみしくなんてないのである!?』
「リエルさまー!!」
「行ってらっしゃーい!!」
「お気をつけてー!!」
森のエルフたちの声に見送られて、リエル・ハーヴェルは里から旅立つのであった。
「うむ!!皆も達者で暮らせ!!人間族の侵略者には、気をつけるのだぞ!!」
「お姉さま、必ずや、お戻りくださーい!!」
「ああ!アルカよ、母上を守れ!!いい弓姫となれよ!!」
「はい!!必ずや、お姉さまの不在を、アルカがカバーしまーす!!」
……うむ。いい覚悟である。リエルはうなずく。そして、迷いを振り切るために、里の者たちに後ろ姿を見送られながら―――南をにらむ。そして、風のように早く走り始めた。
ブーツの底で土を蹴り、リエルの体は軽やかに加速する。このまま。このまま、ずっと里の者たちの声を聴いていれば、『聖なる復讐の戦士』は銀色の後ろ髪を引かれて、戻りたくなってしまう。
未練を断ち切ろう。
いつか、戻って来るために。
今は、今は、全身全霊をただ前に進ませるためだけに使うのであった―――。
風と共にリエルは隠れ里を飛び出していた。オーガルルの霊木たちが放つ霧も、森のエルフの感覚の前では迷いの効果は失われる。
リエルは森の中をくねくねと何度も曲がる蛇のような道を、足跡を残さぬ秘密の歩法で走り抜けていく……。
そうだ。足跡を『外』の連中に追跡されぬようにだ。森のエルフは勇敢な種族であるが、それゆえに……今はヨソとの戦に明け暮れている場合ではない。
あまりにも数が減ってしまっている。
今は、力を蓄えながら、身を守る時期なのだ。誰にも、森のエルフの隠れ里の存在を知られてはならない。
だからこそ、リエルは足跡を残さぬようにしながら、生まれ育った森を走り去るのであった。
……霧の立ち込めた森を抜けると。朝の太陽が世界を赤く染めている。森を囲むアルルガ山脈の連なりが見えた。帝国軍も赤毛の男も、あの険しい山を越えて、里にやって来たというのか……。
ファリス帝国の、侵略者どもの強い領土的野心。若いリエルには、それがどれほど強大な欲望なのかが理解できなかった。
だが、山をも越える野望が、かつて自分の故郷を襲ったことは思い知らされる。朝陽を浴びて、赤く染まるアルルガの山々を見上げながら、リエルは気合いを入れ直す。
その愛らしいほほを、小さな手で叩く!
「……気合いを入れるのだぞ、リエル・ハーヴェル。『聖なる復讐の戦士』として、私は故郷を旅立った。一人でも、ひ、一人でも……さ、さみしくなど、なーい!!」
アルルガ山脈が、リエルの叫びをやまびこさせた。なーい!!なーい!!なーい!!リエルは自分の声は、やまびこでさえも美しいことに、ちょっとした感動を覚える。
森のエルフの王族は、自意識が過剰なのである。まあ、彼女の声はたしかに美しい声をしていたのだが……。
やまびこが消え去るころ。リエルは再び走り始めていた。アルルガの連なりを越えて、南へと向かうために。
地図は何度も読んできたから、それなりに頭の中には入っている。森が近くにあれば、水も獣の肉も、キノコさんだって手に入れることが出来る。やはり、基本は森を伝うように走りたい。
だが、そのためにもアルルガ山脈を越える必要がある。アルルガ山脈は2000メートル級の山が連なっている。それなりに険しい、森のエルフたちの天然の『城塞』である。
エルフ族以外が近づくことは、滅多とない。
あまり得るモノはない場所だ―――それは、リエルにとっても同じ。あの山道において得られるモノはない。むしろ、落石や崖からの転落。そして、そこそこいるモンスターたち……危険しかなかった。
「さっさと、山など越えてしまうのだ!」
そう判断していた。だから、早朝から旅立っている。夜間にモンスターが出る山。そんなところで眠るのは、15才の美少女エルフの美意識が許さない!
風になったまま、素早く山道を駆け上っていた。人間族や短い脚のドワーフ族ならば、リエルのような走り方では30分もつづかない。しかし、森のエルフ族でも最強の戦士であるリエルには、2時間走りつづけたところで、まったくもって問題は無かった。
2000メートルの山、その中腹までを一気に駆け上り、リエルは最初の休憩を取ることにした。寒いから、汗一つもかいていない。そして、呼吸の一つも乱すことはない。天才的な才能を、鍛錬で磨いた結果である。
森のエルフ族における、現役最強の戦士!!……その称号に偽りはない。それでも、体への酷使は避けるべきであった。
ちょっとしたケガも避けなければいけない。
なにせ、自分は一人なのだ。フォローしてくれるエルフさんは一人もいない。森のエルフは、森に入るときも基本的には二人一組で行動する。昨日のリエルとアルカがそうであったように。
一人。
訓練で、慣れようとした。
いや、慣れてはいる。
一人で動き、一人で戦う。影を踏み、死角を走り、獲物を射抜き、斬りつける。狩人と暗殺者の戦い方を、リエルは身につけている。一人でも戦えるようにと、特訓で鍛えたからだ。
しかし。
しかし、特訓の日以外は……いつも、二人一組で行動しておったものなあ。
リエルは、ふう、とため息を吐いた。さみしさが心にやって来ている。隠れ里があるであろう東の方角を向き、あの深い森を見下ろす。オーガルルの葉っぱが、魔法の霧を放ってくれるおかげで、里はちゃんと隠れている。
森のエルフの翡翠眼の力を使っても、隠れた里は見つからない。だが、感じ取ることは可能である。
……見えぬが、感じ取れる。それで、十分だ。隠れているのは、良いコトだ。侵略者どもに見つかることもなかろう……。
それでも。
見たくなっている。
出発して3時間しか経っていないのに、この有り様であった。森のエルフたちは寄り添うように暮らすからだろうか……。
そうかもしれない。『聖なる復讐の戦士』は、外の世界の好奇心を抱いてもいるが、故郷からその身を離すことの辛さも噛みしめている。
「知らぬ場所を歩くのは、好きだ。好きだが……今は、そうか―――共に歩く者がおらぬのか」
……たしかに。見つけたくなった。
あの赤毛を、見つけたい。
「うむ。なればこそ、南へと向かおう。あの赤毛は南に向かった。ずいぶんと昔のことになるが、アレだけ目立つ暴れん坊のことだ。何やら物騒な事件を起こしていそうだ。占いでは、死んでおらぬようだしな」
殺したって、死ぬような男ではないか。あの獣よりも獣な赤毛の野蛮人が。
リエルはふたたび山道を登り始めた。
2000メートルの山の山頂を目指すわけではない。乗り越えれば良いだけだ。地図通りのルートを歩けば、それで良い。まあ、地図というものは、なかなか読みにくいけれども……。
リエルは地図を広げて見る。
山道は、曲がりくねっているようだし、実際にその通りだ。アルカの書いたアドバイスによると、鷹のような岩が目印。それを向かって左に進むと、いいカンジらしですよ!!と書かれてある。
いいカンジ?
……感覚的な言葉過ぎて、何がどうイイのかはリエルにだって分からない。だが、いいカンジらしいのなら、進むべきだろう。
鷹の形の岩が……イマイチ分からないが、山道の数は少ない。道順に歩き、変な形の岩があれば、そこを左側に進んでみようか―――。
―――そう考えながら、地図を荷物入れにしまった直後であった。リエルの長いエルフ耳が反応する。自然の静寂に潜む、その『異質な音』を探り当てて、ぴょんと小さく動いていた。
それは一種の楽器の音。ポンポコポンポコという、どこかマヌケで原始的な音だった。リエルは理解している。
「小鬼どもがいるのだな」
そう。モンスターがいる。
『徘徊する小鬼/ゴブリン』。そう呼ばれるモンスターの『集落』が、この近くにはあるようだ。そいつらがマヌケな音楽を楽しんでいる……。
放置するか……?
それも良さそうだ。ヤツらを30匹殺すのは容易い。だが、矢が勿体ない。リエルは無視することにした。しばらく山道を歩き……旅人の落とした『荷物』を見つけるまでは。