濡れ手にダイヤ 解決編
「所長! どうして勝手に出席するんですか!」
背中にかけられた声に龍造寺悟は首をすくめた。彼が母親の次に頭の上がらない、助手の大神涼子の声だった。
「い、いや大神君。これはだな、つまり」
「もう。私が出られないからって勝手に……」怒鳴った拍子に頭をふらつかせ、大神はへなへなとイスに座り込んだ。まだ風邪は治っていないらしい。
「大神君、大丈夫かね」
「心配いりません。事件が起きたと聞いて、あわててやってきたんです。早く解決させましょう」肩に置かれた龍造寺の手を払い、大神は不機嫌そうに言う。
「さっさと解決してさっさと帰ってさっさと寝たいんです」
「……今日の君はなんだかキャラが違うね」
「熱でぼうっとしてそれどころじゃないんです。電話で我那覇さんから事情は聞きました。あとは任せてください」
発言は強気だが、熱で目の焦点は定まらず、非常に頼りない。
それでも大神は気丈に立ち上がると、壁に寄りかかりながら推理を始めた。
「この事件を解く鍵は動機です。誰が“ロシアの奇蹟”を欲しがっていたか、それを考えればおのずと謎は解けます。この“マニアックス”には様々なマニアが集まりますが、宝石に目がないのは2人切りです。そう、斉藤さんと篠田さんですね。そしてもちろん斉藤さんには動機がありません。“ロシアの奇蹟”は彼の所有物であり、盗む必要はありません。また大富豪の彼は、盗まれたと偽って保険金をせしめることもないでしょう。すると犯人は――」
「んまあっ! このアタクシを犯人呼ばわりするザマスかっ!」篠田が絶叫した。
「それなら証拠を出しなさい証拠を! なんの証拠があるザマスかっ!?」
篠田の金切り声が頭に響くのだろう、大神はこめかみをおさえて苦しむ。
「し、証拠はありません。でもあらゆる材料があなたが犯人だと指し示しています。たとえば、私はその場にいませんでしたが、事件が起きたとき、あなたは不思議なことに、その金切り声を上げなかったはずです」
「あっ」龍造寺は気がついた。停電の最中、ガラスの割れる音が響いても一人だけ全く声を発しない人物がいた。それも、停電になった際には最も騒がしく叫んでいた人物だ。
突然ガラスの割れる音が響いたのに、あの彼女が騒がないわけがない。
「どうして人一倍騒がしいあなたが、ガラスが割れたときに一言もしゃべらなかったのですか。ガラスが割れるのを知っていたから、自分でガラスを割ったから、騒ぐ必要がなかったのですか。それとも――騒ぎたくても騒げなかったからですか」
「な、なにを言ってるのか解らないザマス」篠田は気圧されたように身を引いた。動揺したのではなく、大神の熱に浮かされた視線が怖かったのかも知れない。
「それじゃあ、決定的な証拠をお見せしましょう」大神はハンドバッグを開き、中から青く光る宝石を取りだした。
「これは世界最大のサファイア"ブルガリアの輝き"です」
「まぁ……なんて美しいんザマしょ」告発されていることも忘れ、篠田はうっとりと目を細める。
「"ロシアの奇跡"ほどの価値はありませんが、それでも世界有数の宝石の一つでしょう。――これを拾った方に差し上げます」
そう言うと大神は"ブルガリアの輝き"を窓の外にぶん投げた。
次の瞬間。
篠田の口が大きく開き、中からずぞぞぞぞぞぞぞぞと手が飛び出した。
篠田の口から出た第三の手はものすごい勢いで窓の外へと伸び、宝石をつかみ取った。その手は喉から伸びたせいで、唾液でぬらぬら光っていた。
誰もが呆気にとられる中、大神涼子は高熱で揺れる目で言った。
「これでお解りですね。篠田さん、喉から手が出るほど“ロシアの奇蹟”が欲しかったのは、あなただけです」