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濡れ手にダイヤ 問題編

 『マニアックス』は、ありとあらゆるマニアたちが集う同好会である。

 骨董、古書、絵画、レコード、宝石、ペット……その他もろもろのマニアが寄り集まって、好き放題に自分の得意ジャンルの話と自慢をするという、非常に趣味の悪い会合を月に一回のペースで開いていた。

 その道を極めつくしたマニアたちが、目を輝かせて自分以外には解らないような濃い話をしゃべるのだから、会話が成立するわけがない。

 ある人が愛犬を自慢すれば、その隣である人がダイヤの指輪を見せびらかし、またある人がレコードのウンチクを語ったりと、早朝の魚市場も真っ青の騒々しさである。

 しかし会員たちは月に一度の集まりをなによりも楽しみにしていた。

 なんといっても、好きな話を好きなだけ語れるのである。

 普段は家族に白い目で見られ、友人にも理解されない話を、ここでは誰はばかることもなく思う存分に語れるのだ。


 会の主催者を務めているのは斉藤さいとう和人かずとだった。彼は元をたどれば貴族に通じるという名家の出で、骨董、古書、絵画、音楽、宝石……ありあまる金に物を言わせ、古今東西ありとあらゆる趣味にかぶれていた。

 八方美人というと聞こえは悪いが、あらゆる趣味に広く浅く通じた彼は、会員の尊敬と羨望を集めていた。いや、正確に言うならば、彼の膨大なコレクションに尊敬と羨望が集中しているのだ。

 月に一度の会合で、彼は様々なジャンルの蒐集物の中から、とっておきの逸品を公開するのを恒例としていた。

 趣味の合う仲間と会える以上に、彼のコレクション目当てでやってくる人々も多かったに違いない。


 そんな毒にも薬にもならないはずのサークル活動で、事件は起こった。



 「こちらが"ロシアの奇蹟"です」斉藤和人がガラスケースにかけられた布を取り払うと、一同から歓声が上がった。

 強化ガラスの中で燦然と輝くのは、大人の拳大もあるダイヤ。天井の照明を映し返し、まばゆく複雑な色彩を放っていた。

 「んまーーっ! なんて美しいんでしょう!!」絶叫したのは宝石マニアの篠田しのだ明子あきこ。お盆のように丸い顔の中の、皿のように大きな目を見開いて、まばたきもせずにダイヤを凝視している。

 「これはなんと素晴らしい。ジョゼフィーヌちゃんの瞳に勝るとも劣りません」胸に抱いた愛犬の頭をなでながら、トップブリーダーの須永すなが武夫たけおもうなずく。

 「この宝石を見ていると、ドヴォルザークの"新世界より"が自然に頭の中に流れ出します」音楽愛好家の瀬島せじま竜太郎りゅうたろうが口ひげをしごきつつ、目を細めた。

 「まさに"ロシアの奇蹟"。自然が生んだ一つの奇蹟ですね。この美しさは山水画の美にも通じます」絵画コレクターの早田そうだ源治げんじはルーペを取りだして、熱心に宝石を観察する。

 「これ、いくらするんだ?」探偵の龍造寺りゅうぞうじさとるはツバを音立てて飲み込み、つぶやいた。

 驚きと賞賛の声を浴びて、斉藤和人は満面の笑みを浮かべていた。コレクターにとって、自慢の品を褒められることはこの上ない喜びである。

 と、そのとき。

 「ちょっとなにするザマスか!!」半径5キロ圏内の生物の鼓膜を傷つけそうな、甲高い叫び声が放たれた。

 「なんザマスかこの男は! さては痴漢ザマスね!」声の主は宝石マニアの篠田である。ダイヤに目を奪われいつからそこにいたのか解らないが、ガラスケースの横に立っていた大男に腕をつかまれ、悲鳴を上げつづけている。

 「それともアタクシの耳にはめられた時価300万のエメラルドイヤリングが目当てザマスか! 強盗よ! 痴漢および強盗の現行犯よ!」

 「篠田さん落ち着いてください。彼は警備員です」

 「警備員……?」

 「"ロシアの奇蹟"を守るために雇ったんです」

 警備員は無表情で敬礼してみせた。

 「わざわざ雇わなくても私がいるのに」むすっとした顔で龍造寺探偵が言う。

 「大神さんの代わりに龍造寺さんが来られると事前に知っていたら、もちろん警備員なんて雇いませんでしたよ」斉藤は如才なく言った。

 そうだろうそうだろうと龍造寺は満足してうなずく。


 そもそもこの会合に招かれていたのは、龍造寺ではなく助手の大神おおがみ涼子りょうこであった。ところが彼女は急の発熱で欠席することになり、暇を持てあましていた龍造寺が代打で顔を出していたのだ。もちろん貧乏探偵の彼がなにかのコレクターであるはずもなく、手ぶらである。明らかに場違いだが、そんなことを気にかける神経など持ち合わせていない龍造寺であった。


 「いつものように、隣のラウンジにささやかなお食事を用意してあります。どうぞお召し上がりください」金持ちに似合わず気の回る斉藤が、一同を招く。食事をし、雑談をする部屋は、コレクションルームとは別に設けてある。鑑賞と食事を同時に行えば効率が良さそうなものだが、そんなケチな部屋の使い方をしないのが大富豪というものである。

 岩のような無表情の警備員を残し、一同は"ロシアの奇蹟"をなごりおしそうに振り返りながら、部屋を後にした。



 キャビア、トリフュ、フォアグラ、名前しか聞いたことのない食材を前に、龍造寺は助手の発熱を神に感謝していた。大神涼子には無断の出席である。彼女が事務所に忘れていった、この会合のお知らせを目にして、こっそりと出席しているのだ。見たこともない料理と宝の数々を目の前にして、むざむざと見逃す龍造寺ではなかった。

 「ところで、龍造寺さんはなんのマニアなんですか」トップブリーダーの須永が痛い質問をしてきた。さすがに料理の並んだこの場まで愛犬をつれてきてはいなかったが、そのせいで愛犬のいない須永は、一見してなんのマニアだか全く解らない。

 「あの大神さんの代役なのですから、相当なマニアなんでしょうね」

 「いやあ、はははははは」期待のこもった視線に冷や汗をかきつつ、龍造寺はワインを一気飲みした。そもそも大神がなんのマニアなのかすら、彼は知らなかった。しがない貧乏探偵の助手をしているが、実は大神涼子は素封家の一人娘で、資産は龍造寺とはケタ違いなのだ。そんな彼女がなぜ龍造寺のもとで働いているのか――それはまた、別の物語である。

 「私は……その、なんと言いますかな。そう、事件のマニアです」龍造寺はしどろもどろに言う。

 「ほう、事件ですか」音楽愛好家の瀬島が目を細めた。

 「世間を揺るがせた事件にまつわる品々を集めているということですかな。それは興味深い」

 「い、いや。品々というか、事件そのものというか……」

 「解った。事件の捜査資料を集めているんですね」絵画コレクターの早田源治が早合点して言った。

 「それはすごい。警察とコネがなければ、そんなものは集められませんよ。ここだけの話、誰とコネがあるんですか」

 「実は……捜査一課の刑事と」龍造寺は幼なじみの我那覇がなはの顔を思い浮かべながら言う。

 一同から感嘆の声が上がった。やはり大神さんのお知り合いはすごいと、斉藤和人が言った。

 大神君はなんのマニアなんだろう。龍造寺が尋ねかけた、そのとき。


 明かりがふっと消えた。


 「停電ザマス! 停電ザマス!」龍造寺には一切興味がないらしく、料理を腹に詰め込むのに専念していた篠田が叫んだ。

 「篠田さん落ち着いてください。すぐに予備電源を入れてきます」主の斉藤はさすがに動揺せずになだめる。

 「ジョゼフィーヌちゃん、怖くないよ。すぐ明るくなるよ」須永が部屋の隅でケージに入れられた愛犬に呼びかける。

 「こうして暗闇の中で目を閉じていると、ショパンの月光が聞こえてくるようですね」瀬島が自分の世界にひたる。

 「墨を流したような暗闇とは、よく言ったものです。これでは私のルーペも意味がありません」早田が当たり前のことを大仰に言う。

 「ハズレのない闇鍋というのも乙だな」龍造寺は停電前と変わらぬペースで、手探りで料理を食べ続けている。

 そんなのんきな混乱が10分もつづいたろうか。

 突如として、隣室からガラスの砕ける音が響いた。

 「なんだ、今のは」

 「なにか割れましたよ」

 「コレクションルームの方だったみたいですが……」

 「明かりをつけに行った斉藤さんでしょうか」

 「痛てて。こりゃ食い物じゃなくて皿だ」

 口々に騒ぐが、約一名を除き、暗闇でキャラの立っていないため誰の言葉だか判別がつかなかった。


 明かりがつく。


 一同はたがいの顔を見回し、無事を確認すると笑みを浮かべた。

 「お待たせしました。突然の停電でご迷惑を……」戻ってきた斉藤がお詫びの声を止める。

 彼の視線をたどると、開け放たれたコレクションルームへのドアが目に入った。

 食事前には固く閉ざされていたはずのドアが。

 「まさか」斉藤が駆けだし、一同もあとを追った。


 最悪の事態が起きていた。

 ガラスケースは粉々に砕け、その前には警備員が倒れ、"ロシアの奇蹟"は消えていた。



 「調べたところ、停電はこの付近一帯で起きており、何者かによる細工はないと思われます」警部補・我那覇がなは修平しゅうへいは平家ガニのような顔をしかめて言った。

 「警備員は首を絞められて殺されていました。それも不可解なことに……」我那覇は言葉を切り、ぎょろりとした目で一同を見わたす。

 「失礼ですが、警備員の首にさわった方はいませんか」

 とんでもないと全員が首を横に振った。

 もちろん、倒れた彼をゆすったり抱き起こしたりはしたが、わざわざ絞められた跡の残る首にふれた者などいない。それもよりによって――。

 「では、なぜ被害者の首はあんなにぐっしょりと濡れているのですか」

 我那覇の質問に答えられる者はいなかった。

 絞殺された警備員の首は、ぐっしょりと濡れていた。

 首全体から、きっちりと着込んだスーツの襟元まで、はた目にも解るくらい、びしょ濡れだった。

 「表現は悪いですが、まるで巨大な舌にでもからみつかれたようです」我那覇はいっそう顔をしかめる。襲われたのが美少女ならその手のマニアもいるだろうが、警備員はごつい中年男性である。触手に襲われる彼を想像しても、B級SF映画のワンシーンとしか思えない。

 「なぜ濡れていたのかはともかく、彼が何者かの手によって首を絞められていたことは間違いありません」

 「手で直接絞めたのか」意外そうに龍造寺がつぶやいた。

 「ああ。ロープやヒモを使ったんじゃない。絞殺ではなく扼殺だ。標本にして飾りたくなるような、はっきりとした指紋が採れるだろう。――さて、そこで」我那覇はぞんざいな口ぶりを改め「みなさんにお願いがあります。まことに失礼なことだとは思いますが、事件解決のために指紋を採らせてはいただけませんか。それに念のため、身体検査も受けていただけると大変助かるのですが……」


 しかし指紋は関係者の誰とも一致せず、どこからも"ロシアの奇蹟"は発見されなかった。

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