人間は考える足である 問題編
あなたは仙人を信じますか?
俗界を離れ、霞を食し、術を用いて奇蹟を起こす。
現代の仙人、天野晴天。
あなたは奇蹟を目の当たりにする――。
*
「いまどきこんな番組、どこの誰が見るんですか」ADの今井雄太は毒を吐いた。
「なにが仙人だか。馬鹿らしい。せめて藤岡隊長と対決するならまだしも、現代の仙人の生活に密着したドキュメンタリーなんて、誰も見やしませんよ」
「うるさい。そんなことは解ってる」カメラマンの宇野幸介も叫んだ。
「俺だって北海道くんだりまで来て、こんなくだらない番組撮りたくねえよ」
「ちょっと黙っててくれない」リポーターの江本絵里も負けじと怒鳴った。
「落ち着いて化粧もできないじゃないの」
「こんな誰も見ない番組で化粧したってしかたないでしょうに」ADの今井はさらに毒を吐く。
「そうだそうだ。アンタや仙人を撮るぐらいなら、野ウサギかエゾシカでも撮ったほうがよほど視聴率になる」カメラマンの宇野もさらに叫んだ。
「なんですって。もう一度言ってみなさい」リポーターの江本は怒鳴りながら手にした化粧筆を折った。
「申し訳ありません……」仙人の弟子の奥田は部屋の隅でうなだれた。
「お師匠のせいで、せっかくお越しいただいた皆様にご迷惑をおかけして……」
奥田はしくしくと泣きだす。それでなんとなく場は白け、怒鳴り合いもやんでしまった。
そもそも無茶な取材なのだ。
取材班はたったの3名。音響・照明はもちろんのこと、メイクすら帯同せず、市販のビデオカメラで撮影を強行させたのはディレクターの指示である。
といっても「ありのままの仙人を撮るために余分なものは必要ない」という彼の論理はこじつけで、単に取材費をケチっただけだろう。
節約は結構だが、必要最低限以下の人数で取材に臨んだ3人にはいい迷惑である。撮影は1泊2日の強行軍で、明日の昼には飛行機に飛び乗り、東京にトンボ返りしなくてはならない。北海道まで来ておきながら、ラーメンもカニも食べる暇がないのだ。
奥田、奥田と猫でも呼ぶような声が聞こえてきた。
奥田は正座したままの姿勢で飛び上がり、あわてて駆けだしていった。師匠の天野晴天に呼ばれたのである。
「いよいよ夜の儀式が始まるみたいですね」ADの今井がつまらなそうに言った。
「やれやれ、それじゃ行くか」カメラマンの宇野が重い腰を上げる。
「ちょっと待ってよ。まだ化粧が終わって」
「いいからそのまま行け」リポーターの江本の腕をつかみ、宇野はむりやり歩かせる。
「化粧なんてどうでもいいっての。ちゃちゃっと撮って、ちゃちゃっと終わらせるぞ」
*
山奥の朽ちかけた古寺に、現代の仙人はいた。
文明から切り離された秘境で、彼は日々修行に明け暮れていた。
朝と夜の2回、もはや拝むべき仏像すらない、がらんどうの堂内で、彼はただ無心に坐禅を組むのである。
なぜ坐禅を組むのか? それは誰にも解らない。
ただひとつ言えることは、彼の目にはおそらく、我々のような凡人には見ることのかなわない、神聖なる何物かが映っていること――ただそれだけである。
*
「本当に坐禅を組んでいるところは撮らなくていいんですか?」
「別にいいっての。ただジジイが座ってるだけだろ。そんな画、誰も見たがらないさ」
夜の修行のため、雪の降りしきる中、ひとりで歩いていった天野晴天の後ろ姿を撮っただけで、カメラマンの宇野はそそくさと室内に引き返してしまったのだ。リポーターの江本にいたっては、化粧をしたのに画面にすら出なかった。
「でも本当にいいんですかね。これじゃ、雪についた仙人の足跡を撮りに来ただけみたいじゃないですか」
「それでいいんだよそれで」宇野は簡単に請け合う。
「しっ。ちょっと黙ってて。……仙人の裸足の足跡が、雪の中にぽつりぽつりと刻まれていく様は、神々しいまでに美しかった。その足跡はまるで、下界を離れ天井へと旅立つ、天使の背中から抜け落つ羽根のようだった……」
大学時代は文学部だったという江本が、即興で作ったナレーションを吹き込んだ。それで今日の撮影は終わりである。
「まるで学生映画ですね」今井があくびをしながらぼやいた。
「おい、学生映画に失礼だろ」宇野は身もフタもないことを言う。
「まったくなにが仙人だか。ただの裸足健康法じゃないか」
現代の仙人こと天野晴天は、極寒の北海道にもかかわらず裸足で生活していた。
「仙人たるもの自然のあるがままの姿で日々を生きるべきだ」と主張し、なにを思ったのか靴を「現代人の堕落の象徴」と目の敵にしているのだ。
なにも履かず、足の裏で雪を踏みしめ、土を感じ自然と一体化することこそ、人間の本来あるべき姿――そんな理屈である。
だが、現代の仙人の言葉を待つまでもなく、裸足健康法なんてものは珍しくもなんともない。
しかも、それを主張する仙人が沖縄出身で、わざわざ北海道に移住したと聞けば、自慢の裸足も、アピール色の濃さを勘ぐりたくもなるというものだ。
「裸足で暮らせば健康になれますなんて、そんなこと100年前から誰かが言ってるだろ。そんなことをいまさら偉そうに言われてもしかたないだろ」
「たしかにこの雪の中を裸足で歩くのはすごいけど、だからってわざわざ雪国に越してこなくったっていいですよね」カーテンを開いて窓の外を眺めながら、今井は言う。
「なんだか、わざと寒いところで暮らして、注目を集めてるみたいで」
「それが目的に決まってるでしょ」江本の答えはすげない。
「全部アピールよアピール。昼間にやってた読経だって聞いた? よく聞いたらアーメンとか混じってたわ」
「ひょっとするとお堂の中じゃ、寒くて靴を履いてるかも知れませんよ。宇野さん、撮ってきたらスクープになるんじゃないですか」
「なってたまるか。“現代の仙人は実は靴を履いていた!!” だからなんなんだよ。どこの誰が見るんだそんな番組」
「申し訳ありません……」奥田がめそめそと泣き始めた。
「お師匠がいたらないばかりに、皆様にご迷惑をおかけして……」
あの仙人の弟子とは思えないほど、彼は気弱だった。いつもなにかにびくびくと怯えていて、天野晴天にも、いいようにこきつかわれていた。
彼がどうして仙人の弟子になったのか、そのドキュメンタリーを撮ったほうがよほど面白いのではと、宇野は思う。
「……そろそろ寝るか」奥田の泣き声でまた場が白けたので、宇野が言った。夜更かししたところで、この廃寺には酒もなければテレビもない。さっさと寝てしまうに限る。
3人は寺のあちこちで毛布にくるまり、東京に帰れる明日になるのを待った。
そしてその夜に、事件は起こったのである。
*
「宇野さん、宇野さん」肩を揺すられて、カメラマンの宇野は目を覚ました。
「なんだ。こんな朝早くに」腕時計を見るとまだ7時である。
「それが、様子が変なんです」
「寺に誰もいないのよ」
「誰もいない? 奥田さんも裸足の大将もか」まるで山下清か芦屋雁之介のような言いざまである。
「仙人はお堂から戻ってるみたいなんですけど、でもどこにもいないんです」
「それより奥田さんがいないのがおかしいわ」
「まあ落ち着け」宇野はタバコをくわえると、2人に案内されて寺の中を探し回った。
しかし彼らの言うとおり、寺には誰の姿もなかった。出かけるとも聞いていないのに、師弟の姿がそろって見えないのは不審である。
「仙人は戻ってると言ったな。なんでそれが解る」
「足跡があるんですよ。お堂から戻ってきた足跡が」
見に行くとたしかに雪道に、お堂から寺に向かって点々と付けられた裸足の足跡があった。足跡はとても大きいもので、大柄の仙人のものと思われる。
「おかしいな。どうして寺には誰もいないんだ」
「あのお堂の中じゃないかしら」リポーターの江本が言った。
「なんであんな所に2人して閉じこもってるんだ」
「知らないわよ。でも山を降りたんじゃないのなら、探してないのはあそこだけじゃない」
「だがそれにしては足跡がおかしい」
足跡は指の形がはっきりと判別でき、つい最近に付けられたものに見えた。もしお堂に誰かがいるのならば、お堂から寺への帰り道の足跡だけがあるのは腑に落ちない。
「ともかく行ってみましょうよ。ここでああだこうだ言っていてもしかたない」ADの今井が言った。
そして3人はお堂で奇怪なものを発見する。
お堂の中には、仙人がいた。
ただし、物言わぬ死体として。
それも、両足を失って。
「……これはどういうことだ」宇野は火の点いたままのタバコを口から落とし呆然とつぶやいた。
「死んで……ますよね」今井は自分の目が信じられないと言うように何度もまばたきをした。
「まるで足だけが……逃げていったみたい」江本は文系らしさを発揮した。
「おい今井、足拓だ。足拓を出せ」我に返った宇野が叫んだ。
昨日の昼、仙人の足の裏に墨を塗りたくり、魚拓ならぬ足拓を採っていた。
“これが裸足の仙人の足だ!”と紹介するつもりで、いかに他に紹介することもなかったかがよく解る。
だがそれが思わぬところで役に立った。足拓は表につけられた足跡と、ぴたりと一致したのである。
「間違いない。これは仙人の足跡だ」
「ど、どういうことですか。まさか、仙人の足だけが、とことこ歩いて逃げだしていったとでも?」
「そんな馬鹿な」宇野は吐き捨てる。
「ここはいつからアダムスファミリーの家になったんだ? それにあれは足じゃない。手だ。ハンドくんだ」
「こんなときにふざけないで」江本がヒステリックに叫んだ。
「そんなことよりもっと不思議なことがあるわ。――犯人はどこへ行ったのよ」
ADとカメラマンは顔を見合わせた。
リポーターの言うとおりである。どこにも犯人の姿がないのだ。
外の足跡はひとつきり。お堂から外へ向かう、殺された仙人の足跡だけである。仮に雪が降っている間に、犯人が仙人の足を切って持ち逃げしたとすれば、犯人の足跡はなくなる。しかしそれでは、雪がやんだ後に仙人の足跡がつかない。
仙人が雪がやんだ後に出ていったと考えると、それでは仙人の死体がお堂に残っていることがありえない。
ならば犯人の足跡がないのは、まだお堂のどこかに潜んでいて、逃げだしていないのか――と思っても、狭い堂内には取材班の3人の他に、誰の姿もない。
そもそもそれでは、仙人の足跡が雪の上に残っていることに、なんらの説明もつかないのだ。
「こりゃあ大変なことになったぞ……」口ではそう言いつつも、宇野の顔は「これで視聴率を取れる番組が作れる」とらんらんと輝き始めていた。