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脱走兵と幼女  作者: 後川
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第九話 良い寒さ 悪い寒さ

 少女はもう一度スープを掬って口に運び、それを咀嚼しながら何やら思案している。

 そして口の中のものを飲み込むと、男の方へ向き直り、言う。

 「くにのそと……にげる……ほかのくに……すむ、か?」

 ……亡命、と言いたいのだろうか。男は首を振る。

 「いんや、そうじゃない。ただ、何となくだ」

 明確な目的があったわけではない。ただ、基地に戻るのが嫌だっただけ。65キロもあるし。

 ――例え基地が近かったとしても、行ってはいなかっただろうが。

 思えば、酷い戦いだった。展開したばかりで防空能力も低い歩兵主体の部隊であったのに、まともな移動手段のある直近の基地は65キロ後ろ。援軍は来ず、周囲の前線基地は早々に壊滅。

 勝利はない、逃げることも叶わないただ自分をすり減らしていくような戦場。

 「……わたし……ウリューナ……にげる……ここ、いる」

 「……パパ、さがす……いま」

 少女はようやく男の質問に答えた。

 ウリューナから逃げてきて父親を捜している。……合っているのだろうか。

 少女のブリタス語はあまりに稚拙だし、男もウリューナ語がほとんどわからない。

 二人の間にコミュニケーションが成立していること自体、奇跡と言ってよかった。

 「******!!」

 ドアが乱暴に開けられるのと同時、ウリューナ語かそれに近い地域のものだと思われる言葉を叫びながら、サナトラの軍服を着た兵士が店内に押し入る。

 当然、三人全員が兵士の方を向く。男は驚き、店主は不愉快そうで、少女は無表情だった。

 男は、兵士に気付かれないように突撃銃の安全装置を外した。

 「******!!」

 どうやら兵士の目的は、当然ながらウリューナの軍服を着て装備満載の男だ。

 とはいえ、男はウリューナ語が話せない。兵士が何を叫んでいるのかも分からなかった。

 仕方ない、と銃のグリップを固く握る。

 「****、******」

 少女が兵士に話しかけた。何かを説明しているようだ。

 少女は先ほどのブリタス語を喋っていた時と打って変わって流暢なウリューナ語で喋り、十秒程で説明を終わらせた。

 兵士は幾分か落ち着いて、どうするべきかを思案している様子。

 男は少女に訊ねる。

 「何て言ったんだ?」

 「……おまえ、ウリューナ、に……サナトラ……から、すむ」

 先ほどあれだけ流暢に喋っていたとは思えないほど、少女はゆっくりと、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。

 とは言え、見た目はまだ十歳ほどの少女が、ここまでゲルマス語を喋れるのはむしろ流暢だと言える方なのか、と男は気付く。

 少女の説明からして、男はサナトラからの移民だからウリューナ語を喋れない、と言ったのだろうか。

 それなら、男がウリューナの軍服を着ているのにウリューナ語を喋れない理由が、かなり無理はあるが一応説明がつく。

 「***、******」

 兵士が話す。男ではなく、少女に向かって。

 すると、少女は男の方に顔を向けて言う。

 「おれに、ついてこい」

 ああ、通訳をしているのか。

 「……わかった」

 男は荷物を持って、店を出ようとする兵士の後に続く。

 「***、*****?」

 兵士が、少女に訊ねる。少女は答える。

 「******」

 ドアに手を掛けた兵士が、足を止めた。

 「***、******。……*****?」

 少女が今度は通訳をした。

 「ひがしの……ところ、……みんな、しんだ……はず」

 「******」

 「なかまが、……かくにん……した」

 「****?」

 「……おまえは、」

 ―――だれだ?――

 男の握っている突撃銃が火を噴く。

 7.62ミリ弾による十数発の連射を至近距離から食らい、兵士の残骸はドアを開きながらどたりと前のめりに倒れ込んだ。

 男は尻餅をつく。銃の反動もまた、男にとって実感のないものであったからだ。これでは、まともに敵を狙うのは難しいだろう。

 だが、男にとって今気にするべきはそんなことではなかった。

 また、人を殺した。

 例え二年間「殺し殺され」を見続けたと言っても、それは自分で殺すのとはわけが違う。

 こみ上げる吐き気を堪えながら、男は少女を見る。十歳ほどの子供にとって人が目の前で撃ち殺されるというのは相当に恐ろしいことのはずだ。

 それを心配するくらいの良心は男にも残っていた。

 しかし、少女は平然としている。まるで、それが至極当然のことであるかのように。

 だがもう一人はそうもいかなかった。ガチャリと重い音が響く。

 「面倒を起こすなと言ったはずだが?」

 その手には装飾が一切ないシンプルで古めかしい散弾銃。その十二番口径の銃口が男を睨め付ける。

 男は手に抱えている突撃銃を構えようとはしなかった。構えたとして、撃つ前に撃たれるのは目に見えていたからだ。

 「……申し訳ない」

 男は精一杯謝罪の態度をとって見せる。店主はため息を吐き、銃を降ろす。

 怒りは消えていないが、我慢しているようだった。「エディ」がウリューナ系の顔立ちだったなら店主は躊躇いなく引き金を引いただろう。

 「まあ、今のは……仕方なくは……ないが。……どうせ死んだのはウリューナ野郎だ、むしろスカッとしたぜ!」

 その顔は全く清々しそうではなく、むしろ苦々しげだ。

 そしてその場にはウリューナ人である少女もいることに気付いて店主はもう一度ため息を吐く。

 「……いや、すまん。忘れてくれ」

 少女は全く気にしている様子ではないが。

 男は黙ってカウンターに金を置いた。本来の料金より多めの、現在男が出せる限界の値段。

 「……すまねえ」

 男はもう一度謝罪し、店を出る。何故か少女も男の後を追って店を出ていく。

 「……次来ることがあったら、そん時は全部食えよ」

 背中に投げかけられたその声に、店を出る間際に男は軽く頭を下げた。

 ―――恐らくそんな機会はない。どちらもそう思っていた。

 外に出ると、凍るような冷気が肌を刺す。冬は盛りを過ぎたばかり、まだ春の気配は遠い。

 しかし、その冷気は男の鎖骨辺りに残る吐き気をすぅっと押し下げてくれた。

 白い息を吐きながら男は腕の中の突撃銃をぎゅっと握る。金属製の銃身に木製ストックのそれは、既に冷たくなりつつある。

 「……!」

 背後に気配を感じて振り返ると、先ほどの少女が立っていた。

 「連れはいないのか」

 酷く薄い、見ている方が寒くなるような服装の少女は、それでも一切震えることなく寒風に吹かれている。

 「……ついてくるのか」

 少女は頷く。しばしの沈黙の後、男は自分の着ていた軍服の上着を少女に羽織らせた。サイズが成人男性用なのでぶかぶかである。

 体温が急激に奪われ始め、男は身震いする。少女はまた不思議そうな顔をしていた。

 「あー……、リャンディッシュだっけか?」

 「ラーンドゥイシュ」

 男はため息を吐く。澄んだ空気が僅かに白む。

 「じゃあ、俺の名前は……」

 そこで言葉に詰まる。身体は「エディ」のものだからエディと名乗るべきなのか。

 前世の時の名前は好きではない。かといってこのままエディなのも味気ないし身体の元々の持ち主である甘ったれのクソガキと同じ名前なのも何だか癪だ。

 前世の名前をもじったのが良いか。しかし男のネーミングセンスはないどころかマイナスに振っているので、慎重に考える必要がある。

 「あー、それじゃあ……」

 突如、サイレンの音が男の言葉を遮り、冬の空に響き渡った。


こんな感じで話し区切るの多いですね、自分。

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