もう1つの控え室
とうとうこの日が来てしまった…
この俺、虎池 竜雄のデビュー戦。
待ち遠しかったはずのこの日だけど、まるで雨雲みたいに近付くにつれ俺を陰鬱な気分にさせた…
普段は冷静キャラみたいな立ち位置にされてるけど、俺だって人間…そりゃ緊張だってするさ。
ましてや相手は入門テストをトップ通過した寺野、更には第1試合だからな…緊張するなってのが土台無理な話。
寺野と俺はその名前から〝ティラノ〟と〝トリケラ〟なんて呼ばれる様になり、今回の試合だって恐竜対決なんて一部では騒がれてるけど、酷い喩えだと思わないか?肉食恐竜vs草食恐竜の時点で結果は御察しだよな…
あ、やべ…色々考えてたら吐きそうになってきた…
「ちょ…虎池さん、顔が真っ青っスよ…大丈夫っスか?」
声を掛けてくれたのは控え室が一緒のモリスエ。
こいつは第2試合で勇とぶつかる事になってる。
「ん、あぁ…少しばかり緊張してな…でも大丈夫!腹はくくったよ!!」
「緊張っスか?虎池さんがっスか?いつもクールでマシンみたいなのにっスか?マジっスか!?」
「〝っスか?〟が多いっ!!…ったく。そりゃ俺だって緊張くらいはするさ。しかしそれに比べたらお前は緊張が微塵も感じられないな?」
「緊張ねぇ…正直、緊張する意味が解らないっス。だって俺達は、この日を目指してキッツイ練習に耐えて来たんスよ?ドキドキよりもワクワクしなきゃ勿体ないっスよ!」
「!!」
衝撃だった。
緊張と期待を表す時〝ドキドキワクワク〟と一括りで使われる様に、この2つは同居してるのが当然と思っていたが、モリスエの中ではワクワクしか住んでいないらしい…
同期では1番年下のモリスエ…
普段はいいように使われてる小動物みたいに無害なコイツが…
〝スか?スか?〟ばっか言って、東京スカパラダイスオーケストラ以上に〝スカ〟なコイツが…
今日のデビュー戦に於いては緊張が0で期待が100という事実。
もう1度言おう…衝撃だった。
「ん…どしたんスか?そんなにマジマジ見つめて…俺の顔に何かついてるっスか?」
「いや…何でも無い。何でも無いが…気が楽にはなった、ありがとな」
「??…訳がわかんないっスが…楽になったんなら良かったっス♪」
「ん!」
そうだよな…確かにそうだよなっ!
コイツの言う通りだわ。
苦しい練習にもシゴキにも耐えて来たのはこの日を……スポットライトを浴びてプロレスラーを名乗る資格を得る、この日を迎える為だもんなっ!
かと言って俺は、ドキドキを0に出来るほど毛深い心臓を持ってる訳じゃあ無い…
だからせめてドキドキ30、ワクワク70くらいの気持ちで挑むとするかっ!
決意を固めた俺に、首を傾げたモリスエが言う…
「しかしアレっスよねぇ…」
「ん?アレって何だ?」
「いや…虎池さんて、いつまで経っても関西弁にならないっスよねぇ…謎っスわ」
「な、謎っ!?それほどっ!?」
「ええ。それほどっス。関西弁を舐めてはダメっス!大概の人間は1週間滞在しただけでも関西弁に侵されるっス!それほどに関西弁の侵食性は強いっス!なのに虎池さんは…ハッ!も、もしかして…め、免疫っスか!?免疫を持ってるんスかっ!?」
「…ゾンビ映画の観すぎだバカ。てか、そう言うお前も全然関西弁じゃ無えだろうがよ?
もしかして免疫っスか♪」
「そうっス!免疫っス!!」
「あ、あぁ…そう…」
そこまで真剣なドヤ顔されたら何も言えん…
控え室の時計に目をやると、出番が近付いていた。
リングシューズの紐を締め直し、全身を叩いて気合いを入れる。
そして立ち上がった俺の背中にモリスエの声がぶつかった。
「俺達は当然ガウンを羽織る事も許されて無いっス…タイツもシューズも黒、一切の個性を許されて無い地味な存在っス…」
「……」
「ただし…それは今だけの話っス!ここから俺達のスターへの道が始まるっス!第1試合で虎池さんがその道を拓くっス!スター第1号になるチャンスっス!!」
その熱量に苦笑いしか浮かばないが…
「わかったわかった…ちゃんと役目は果たして来る。会場を熱気で包んでお前らに繋ぐからよ…ちゃんと見ててくれ…いや!見とってやぁ♪」
「出たっスね!関東人独特の下手くそな関西弁っス!!」
「ハハハ!うっせぇよ!じゃあな!!」
再び背を向けて花道の〝そで〟に向かう。
そんな俺の背に又もモリスエの声が届いていた。
「スターっス!星っスよ!お星様になるっスよ~っ!!」
耐えようと思った…
でも、どうしても我慢ならなかった…
気付いた時には振り返り、指を差しながらモリスエへと唾を飛ばしていた…
「お星様になるは意味が変わって来る!縁起悪いから2度と言うな!!」




