あと1つ
唐突な不知火の異変に面食らい、棒立ちのままで奴を見下ろす俺…
レフリーが不知火に声を飛ばす。
「どうした不知火!?着地ミスであろうが、立てんのならダウンを取るぞっ!!」
「ぬう…不要っ!」
答えながら立ち上がろうとする不知火だが明らかにおかしい。
片膝を両手で押すようにして、プルプル震えながらようやく立ち上がったんや…
「やれるか不知火っ!?」
「愚問っ!!」
前に立つレフリーを払い退け、俺の前で構えを取ると不知火は…
「見苦しい様を見せてしまったな…さあ続きを始めよう…」
そう言うんやけども、息は切れて脂汗も止まってへん。
誰の目にも異常に映ってるはずや…
「本当にやれるかっ!?再開してええんやなっ!?」
レフリーが改めて訊くが
「くどいっ!!」
そう答えて構えたまま俺をじっと見つめとる。
諦めたように首を小さく横に振ったレフリーが、手を振り下ろしながら叫んだ。
「ファイッ!!」
戸惑いながら俺も構え直すけど、不知火はフットワークを踏むでも無く、ベタ足のまま俺の動きを目で追うだけ…
持ち味の素早さや身軽さはどした?
もしかしたらこれは演技で、俺を誘う為の罠なんか?そんな事が頭を過った。がっ!
罠やったら罠やったで構へんっ!
こっちから仕掛ければ判る事っちゃ!!
そう思い直した俺は左ジャブを連打してみた。
コレは顔の前に差し出された両手で呆気なく払い落とされる…
ならばと間髪入れずに左ローへ移行。
コレも右足の脛で難なくカットされた…
でも本来の不知火なら、カットすらせずに腰を引いてかわしてたはずや。
やはり奴の身に異変が起こっとるんは間違いない…
俺はカットされた左足をそのまま深く踏み込んで、奴の身体を正面から薙ぎ払うような右ミドルをブチ込んでやった!
不知火が太い息の束を吐き出しながら、身体を〝くの字〟に曲げるっ!
俺はすかさずタックルで追撃すると、拍子抜けするほど簡単にマウントを取る事が出来てしもた。
そこで俺は、肩固めに入るふりをして奴の耳元に顔を近付けると…
「アンタ…やっぱ何処か怪我してんだろ?せやったら無理せんと棄権した方がええんちゃうか?」
そう小声で囁いた。
すると奴も俺の頭部を抱え、抵抗するふりをしながら俺に答える…
「フフ…やはり誤魔化せぬか…だが拙者にとって棄権などは武人の恥…敗れるならば闘いの中こそが誉れよ…不惑殿…嫌な役回りをさせてすまぬが、きっちりと拙者に引導を渡してはくれまいか?」
「ア、アンタ…最初からそのつもりで…?」
「フッ…お喋りはここまでだ…介錯しかと頼んだぞ不惑殿よ…」
それだけ言うと不知火は、抱えていた俺の頭部を解放した…
俺は複雑な心境やったけど、奴の心意気に応える為にも〝八百長試合〟にする訳にはいかんっ!
ここからは本気で仕留めに行くのが自分のやるべき事やと理解した。
肩固めを極めるのを諦め再びマウントの体勢に戻ると、奴の道着の左襟を右手で掴む。
そのまま右手前腕を不知火の喉元に押し付けながら、左手で右襟を交差させる様に締め上げたっ!
そう…〝送り襟締め〟や!
俺の気持ちが解ってるんやろうな…不知火も締めの隙間に手を捩じ込もうとしたり本気で抵抗する。せやけど技を解く事が出来へんと悟ったら今度はロープへのエスケープ狙いに移行した。
必死で手を伸ばすけど、一番近いロープまでの距離でも30cmはある。
もっとも奴の足はロープに当たってるんやけど、この大会のルールで〝ロープエスケープは手でロープを掴んだ時のみ有効〟ってのがあるんで、これはエスケープとは認められない。
苦悶の表情で動こうとする不知火やけど、きっちりハマった締めは意思とは関係無く抵抗力を奪っていく…
みるみる力と血の気を失う不知火…
そして…殆んどロープへ近付く事も無く、不知火の意識は消え去ったんや…
直ぐにレフリーが俺の身体を突き飛ばし、そのままゴングを要請した。
打ち鳴らされたゴングの中、セコンドの居ない不知火へ大会スタッフが駆け寄る。
呼吸を楽にする為に奴の道着をはだけると、そこに居た誰もが固唾を飲んだ…
腹部に巻かれたサラシ…そこは信じられへん程に赤く染まってたんや…
直ぐ様ドクターが呼び込まれ、サラシにハサミが入れられる。
そして傷口を見たドクターがすっとんきょうな声を挙げた。
「な、なんじゃい!コ、コレはっ!?」
すると意識の戻った不知火が静かに笑った…
「しょ、少々…ヘマをしでかしましてな…ムエタイ戦…で…肋骨を折られていたらしいのだが…ウォームアップ中に…折れた骨が突き出て来よった…まったくもって不覚この上無い…」
するとドクター…険しい顔で不知火を睨みながら
「こぉのアホゥがっ!解放骨折した状態で試合する奴がおるかいっ!!当然このまま病院に直行して貰うが、よもや文句など言わんじゃろうなっ!?」
一喝された不知火は力無く頷き…
「御意…お医者殿の仰せの通りに…」
そう答えると俺に顔を向け、目を閉じながら小さく会釈をして見せた。
不知火の言いたい事は直ぐに解った。
〝介錯かたじけない…感謝いたす〟
奴の言い方を真似るならばこんな感じやろな。
担架で運び出される不知火に頭を下げながら見送った俺…
せやけど感傷に浸っとる暇はあらへんっ!
あと1つ!
あと1つで優勝や!!
いや…あと1つで〝アイツ〟との約束に手が届くんやっ!!
顔を上げ、天井を見上げた俺の目には…
照明ライトよりも〝アイツ〟の顔の方が眩しく浮かび上がってたんや。




