第1章9話:意外な来訪者
ルナの学校案内と再戦が終わることにはすでに日が傾いていており、夕焼けが校舎を照らし俺達はその日差しを受けながら帰路へつく。
俺達が住むことになる寮は学園からほどなく歩いたところにある。
設備は一般的であり風呂やトイレ、調理用の釜、他にも就寝用のベッドなど一通りそろっていた。
俺はとりあえず荷物をまだ片づけを済ませていない自室に置いて、隣にあるリンペイの部屋へと入っていく。
「入るぞ」
リンペイの部屋は整然としており、ベッドや棚などがきれいに配置されていた。
本棚や勉強用の机もしっかり用意されており、これからリーベカメラード学園で勉学に励んでいくという姿勢を俺も見習わないといけない。
リンペイはしきりに新聞のような物を集中して読んでいる。
下手に声をかけるわけにはいかないので、静かにしていると部屋に長い沈黙が続いた。
沈黙の理由はそれだけではないだろうが……
リンペイが新聞を読み終えると口を開く。
「やぁ、ダイゴ」
「やっぱり、さっきのことを気にしているのか」
リンペイの声にはさほど元気が感じられなかった。
「まぁ、仕方ないと言えば仕方ないよね。彼女のことを思えば、優しくするだけがいい結果に転ぶとは限らないんだ」
リンペイはどことなく寂しそうに言った。
リンペイの中でも人間と仲良くしたいという意識があるのだろう。
俺とルナ、オークと人間、魔物と人間、同じ環境に住まうのであれば仲良くして平和に過ごしたいと願うは当然なのだ。
「俺だってああいうこと言うのは辛い。だがあの件に関して俺達から手を差し伸べるのはきっとダメなことなんだろう」
長い沈黙が部屋を包んだ。
「ねぇ、やっぱり僕達は人間のことをもっと勉強する必要があるよ。僕もまだまだだけど、やっぱりそれを学ばないことには始まりもしないと思う」
リンペイが意を決して重い口を開いて、俺に向けて先ほど読んでいた新聞を軽く投げつけた。
そしてその新聞に目を通していく。
「こういうことはあまり得意ではないんだがな……どれどれ、『ニルヴァーナ』……」
俺はぼやいた後リンペイから渡された新聞に目をやる。
一面には大きく『魔物集団・ニルヴァーナ、また人間を襲撃。負傷者数名』と書かれており、事件の詳細が書かれていた。
複数の種族が織りなす魔物の一隊が早朝に貴族が移動する馬車を襲撃し、計画的かつ狡猾な手段で人間を攻撃したという内容だ。
現場に駆け付けた人間が現場を取り押さえようとしたが、すでに『ニルヴァーナ』の構成員は痕跡すら残さず立ち去ったらしい。
「嘆かわしいことだよ。僕らと同じ魔物が徒党を組み、人間達を襲撃して犠牲者を出しているんだ。本当に、本当に嘆かわしい」
リンペイはとても残念そうにため息を漏らし、窓の外の風景を眺めていた。
「魔物集団による、人間の襲撃……こんな物騒なことが起きるようじゃ、そりゃ、俺達のことを危ないと思われるのは無理がない。それにしても一体何が目的なんだ」
「目的、か……それがわかれば苦労しないよ。全て変わってしまったんだ。あの時から」
リンペイが意味深なことを悲しい声色で呟いたので、俺は眉をひそめて尋ねようとした時、扉を小さく叩く音が聞こえた。
「おや。誰かが僕達の元へ訪れたようだよ。ダイゴちょっと見てきてくれないか」
「もしかしてまた、ルナか? 怪我をしたとは言え、俺達の元を訪れる可能性は確かにあり得るが……今度こそ、怒鳴りつけるか」
俺はベッドから立ち上がって、ノックされた扉へ近づき威嚇するような凶悪な顔つきをして、声に最大限のドスを効かせて扉を開く。
「一体何の用だ。今度は怪我じゃすまな……」
そこにいたのは黒のボブカットの少女――ユリがとても怯えた顔で立ちすくんでいた。
ユリは制服ではなくラインの入ったパーカーを着て、ショートパンツを履きふくよかな太ももをのぞかせていた。
手にはいい匂いのする小さなバスケットを持っている。
「ダ、ダイゴさん!? す、す、すみません! ごめんなさい、ごめんなさい。きゅ、急に入って来て……」
ユリは俺の顔を見て開口一番に謝罪を連呼する。
俺は凶悪な表情からあまり変わらないかもしれないが普段の表情に戻した。
「あれ、ユリちゃんじゃん。どうしたんだい。いきなり僕の部屋に押し掛けてきて。ダイゴ、彼女が怯えているようだ。ちょっと離れよう」
リンペイの指示に従って俺は先ほど座っていたベッドの上に戻る。
ユリは心配そうにできるだけ足跡を立てないように、慎重に部屋に入ってきた。
「リンペイさん……あ、あ、あの。今日から一緒の班員ってことで、そ、その、少しでも仲良くなりたくて……」
そう言いながら恥ずかしそうに顔を下に向けて、手に持っているバスケットをリンペイに差し出す。
「それで、リンペイ君達が、私と同じ寮って知ったから……」
「へぇ。お近づきのしるしってことかな。ありがたく受け取っておくよ」
リンペイがバスケットを開ける先ほどから漂っていた甘い香りが部屋中に充満した。
俺はその香りをじっくり嗅いで、その心地よさの陰に見え隠れする懐かしさのようなものを感じる。
「……クッキーか」
「ご、ご存知なんですね」
俺はその甘い匂いの正体の名称について呟き、それを聞いたユリはまだ緊張している様子だ。
そして中身を確認するとそこには個性的な形の小麦色に焼き菓子が、可愛らしい布の下地の上に並べられていた。
まじまじとクッキーを見つめていると、リンペイが不思議そうに声をかけてくる。
「さっきの食堂で思ったけど、ダイゴって食事に妙に興味を示すよね。さっきのステーキっていう肉の食べ物についてもだ。料理の内容を聞いた限りだと、肉ばかり食べる君からしたら既に飽き飽きしたようなものかなと思った」
「俺達の肉はそんな上品なものじゃねえ。狩りで得た肉を焼いただけだ。料理なんて言うのもおこがましい」
「ははは。確かに僕達の食べるものを料理なんて言えないね。少なくともこれとは違う」
リンペイは楽しそうに冗談を言いながら、ユリからもらったクッキーを口に入れて咀嚼する。
俺も同じようにクッキーをつまんで口に運んだ。
「うめぇ……」
サクサクという生地を砕く気持ちの良い食感の後に、砂糖の甘みが口の中に広がる。
転生してから食べてきたものが本当になんだったのかと考える暇もなく、俺は次々とクッキーを口に入れると、あっという間にユリのクッキーはなくなった。
リンペイが数枚食べる頃には全て平らげてしまったようで、ユリはその食べっぷりを見て口を開けてぽかんとしている。
「ははは。少しは僕の分も残してくれよ。いくらおいしいからってさ」
「仕方ねえだろ。美味いものは、美味いんだ」
リンペイがおかしそうに笑い、俺は口元のクッキーのクズを舌で舐めとる。
にわかに笑い声がした。
ユリが俺達二人を見て、くすくすと楽しそうに笑っていたのだ。
口元を手に当てて顔を小さく歪めて、短い黒髪を揺らしている。
「初めて笑ったな、あんた」
俺が声をかけてもユリは笑いを止めなかった。
「だって、ダイゴさんとリンペイさんが面白いんですよ。それにこんなに美味しいって言ってくれるのも初めてで嬉しいんです」
ユリの方は緊張が完全に解けたのか、屈託のない笑顔を俺達に見せる。
その姿を見て俺はなぜか急に安心した。
今まで俺とリンペイ以外に打ち解ける班員がいないと思っていたからだろうか。
「でも君の言う通り、仲良くなるきっかけになったんじゃないかい。だってこいつは誰がどう見ても怖いし。実際みんなから距離置かれてるしさ」
「ああ、誰が見たって俺のことを怖がるだろうよ」
「ははは。だからそれがダメなんだって」
リンペイは俺の方を指さして困ったような顔をするので、俺はわざと怖い顔をしてさらに低い声で答えると、部屋全体が明るい笑い声で満ちる。
「それにしても美味いクッキーだ」
「……ダイゴさんって、なんでもそう言うんですか?」
ユリが少し疑りかかった風に恐る恐る尋ねた。
「ああ、こいつは食ったものはなんでもうまいって言うよ。試しにとびきり不味いものでも用意してやりなよ。きっと満足そうな顔で美味い答えてくれる」
「あのなぁ、変な食生活なのは認めるが、俺だってうまいとまずいの区別はつくぞ」
俺がわざと不機嫌そうな表情で答えるとまた朗らかな笑い声が響く。
「そんな俺だから言う。ユリのクッキーは美味いぞ。もっと食いたいくらいだ」
俺が正直に感想を述べると、ユリの顔は照れたように少し赤くなる。
「なんか、そんなに言われるの初めてで……ありがとうございます」
「でも気をつけなよ、ユリちゃん。こいつは何を言うかわからないからね。褒めたつもりでもバカにすることがあるからさ」
「何言いやがる。まぁ、いろいろ不可抗力ってやつだよ」
頭を掻きながら弁解すると、ふとルナとカナエの顔が思い浮かぶ。
あいつらともこんな風に打ち解けられたらと思うが、カナエとルナは難しそう、いや無理かもしれない、という可能性が頭をよぎった。
「ところでさ、ユリちゃんは他にもどんな料理を作れるんだい」
「えーと、他にもケーキとかも作れます」
「へぇ、ケーキね。僕、食べたことないんだよ。美味しそうな絵を本で見たことがあるくらいでさ」
「だったら次持ってきますよ。食材を集めるのが大変ですけど」
ユリが嬉しそうに返事をする。
クッキーもいいが、ケーキを食べられるとなると俺の方もさらに期待が高まっていく。
「それでは次はケーキを持っていきますね。明日も学校ですし、これくらいで。楽しかったです」
「こちらこそ。素敵なクッキーをありがとう」
ユリは空になったバスケットを持って出ていこうとするところ俺が声をかける。
「なぁ、もし手伝ってほしいことがあったら気軽に言えよ」
「……ダイゴさん、ありがとうございます。その時はお声をかけますね。また明日」
ユリはにこやかに笑って、扉を丁寧に閉める間際に軽く手を振った後、部屋から出ていった。
「なぁ、君に料理なんてできるのかい。包丁は持ったことある? かき混ぜるって意味わかる?」
「言いたい放題だな。まぁやってみればわかることもあるんじゃねえか」
俺は暗くなった外の風景に目をやり、母親の手伝いで貧乏な家にしては奮発して、ケーキ作りをしたことを思い出した。
その時のケーキの味はとても甘く、その時の辛い家庭の事情を忘れさせてくれたのだ。
「まぁ、この辺でお開きにしよう。僕達も明日は学校さ。ちょっとは予習した方がいいんじゃないかい」
「……あまり勉強は得意じゃないが、ついていけないと大変だしな。運動なら得意なんだがなぁ」
勉強のこととなるとどうしても憂鬱になってしまう。
「だったらわからないことがあったら聞いてくれてもいいよ」
「お、本当か? だったら……」
「なんでいきなり聞くのさ。少しは自分で考えなよ」
リンペイは俺のいきなりな申し出に笑いながら断る。
俺の方も質問なんて何一つ考えてきていない。
その後も他愛のない会話を続け、俺はリンペイに「またな」とだけ挨拶して部屋から出た。
結局勉強はしないですぐにベッドの上に寝転がり、しばらくすると腹の虫が情けない音で鳴き始める。
クッキーしか食べていないので、別の物を食べたいという欲求が渦巻くが食べるものなんてこの部屋にはないのだ。
寮の中に何かあったのかもしれないが、今更下に降りて探索する元気もなかった。
仕方なく眠りにつくまでベッドで横になる。
ふと窓の外を見ると遠くには月に照らされた黒い影が宙に浮いて飛んでいた。
紫色に光る筋を軌跡として描きながら優雅に飛んでいる姿は幻想的だ。
正体について考えるが貧困な発想な俺は、鳥か何かだろうと早々に回答を出して、すぐに窓から目を反らす。
そして天井を向いたまま目を瞑り、空腹を押し殺して、明日に疲れを残さまいと深い眠りへと落ちていくのだった。