第2章12話:力の高揚
顔面に蹴りを直撃して、吹き飛んだ俺はよろよろと立ち上がり、カナエと会話していたレイカを睨みつける。
俺の視線を感じたのか、レイカが一瞥してきた。
「まだだぜ。まだ、俺は負けちゃいねえ」
「なかなかのガッツだね。でも、これ以上はやめた方がいいと思うよ」
「うるせえ。俺は負けるわけにはいかねえんだ。勝って、勝って、勝ち続ける」
俺の唸りにも似た叫びを聞いて、レイカはやれやれと肩を竦めた。
「わかったでしょ。それが、君の弱点なんだよ。その貪欲に勝利を求める欲望。そして敗北への恐怖。その思いが君を強くするが、君を縛り付けるんだよ」
「何を言ってやがる。御託は俺を打ち負かしてからにしやがれ」
「これが最後の警告だよ。それ以上、その力を解放しない方がいい」
「さっきは自分の妹の本気を出せと言ったわりには、俺には警告だと? 俺に負けるのが怖いのか?」
勝利を追い求めることが何が悪い。
人間の本質的な欲求に従うのは道理だろう。
見た目はオークでも、心は人間、つまり欲望もまた人間のものだ。
色欲や食欲、それ以上に俺に渦巻く、勝つことへの執着。
俺の中に目覚める野生そのもの、獰猛な本性が覚醒する。
懐にしまい込んでいた輝石――『調和のトパーズ』が俺の欲求へ呼応するように力強く輝き始めた。
『調和のトパーズ』を取り出し強く握ると、蹴られた頬の痛みが消えていき、体の奥底から凄まじい力が体内を駆け巡り迸っていく。
あの時のような声は聞こえないが、俺自身の誇りを守るために、力を授けてくれたというのだろうか。
「うぉおおおおっ! これだ! これなら……!」
咆哮とともに光に包まれた後、凄まじい衝撃波を放ってレイカの前に現れた俺には、何かが脈動している奇妙な籠手を身に着けていた。
心臓の鼓動のように脈打つ籠手は、手全体を覆っており、ボクシングのグローブのようだった。
絶え間なく脈動する籠手を触ると、柔らかいものかと思いきや思いのほか硬い。
それはただのグローブの感触にしては固すぎるし、かといって武具のような無機質なものではない。
まるで別の生き物の筋肉を身に着けているような。
「ふぅ。再開といこうぜ。こっからが俺の本気だ。あんたも本気出さねえと、ただじゃすまねえぞ」
「使っちゃったね。 ……これ以上は、特訓じゃないよ。教育的、指導だね」
レイカの声の調子が極端に下がり、抜刀後に見せる冷徹な響きが聞こえた。
警告を無視したことによる憐れむような視線を感じ、俺はなんだか屈辱を感じる。
元々の力では敵わないから無敵に力に頼るのか、何が何でも勝ちたいからその力を行使するのか、敗北を受け入れたくないから強い力に依存するのか。
無数の問いかけが頭の中に反響し、俺の思考を支配し、問いかけてくる言葉すべてが倒せという命令へと変容していく
その命令に従うようにますます力がみなぎり、呼応するように籠手の脈動がさらに激しくなる。
もはやレイカの冷徹な声に俺は臆することはなかった。
「少し本気を出してあげよう。君には、刀で戦ってあげる。もちろん殺すつもりはないよ。でも、君は直に知ることになる。今まで隠して、背けている何かにね。だからもし、直面しても逃げないで。それが今回の指導なんだから」
一拍置いて抑揚のない声が続く。
「君が負けても、恥じゃないんだ。『絶刀・流転四季』」
「あんた……随分と余裕そうだな」
「余裕そうじゃないんだ。余裕そのものだよ」
レイカは鞘の形をした青い石を取り出して、刀を生成した。
凍えるような冷気が刀身から伝わってくる。
ここからはレイカも力を発揮するということで面白い戦いになるのだろうが、俺はその戦いを純粋に楽しむというよりは別の方へ意識がいっていた。
敗北が当たり前かのような発言。
舐められたものだ。
その挑発じみた発言が更なる闘争本能への引き金となった。
俺は怒りをぶつけるかのようにレイカの元まで駆け抜けていき、挨拶代わりの様に勢いよく拳をぶっ放す。
今度は交わすのではなく、凍った刀身で受け止めたようだが、不思議なこと折れるどころか刃が欠けるようなこともない。
並みの鉄製の武器ならひしゃげてもおかしくない威力なため、俺はある確信をした。
あの刀もまた、とてつもない力を秘めているということを。
本気を出すという言葉はあながち間違いじゃないということを。
「あんたの涼し気な表情、いつまでもつか。わりぃが、俺は負けるつもりなんてねえからな。あんたを倒すつもりでやる」
「わかってるよ。それくらい。だから君は、その力に手を染めたんだから。魔物と人間、相反するその力を、調和することを。でも今の君は……」
レイカはそう言うと俺の視界から一瞬にて消え去った。
もちろん逃げたわけじゃない。
夜の闇に紛れて俺に対して奇襲を仕掛けるつもりだろう。
こうなった場合は状況を冷静に整理し、それに適した判断を下すのも無力であり、直感にて相手の行動を予測し、対処するいわゆる『読み』を駆使する必要がある。
かっこよく言ったものはいいものの、要は運任せであるため本来なら避けたいところだったが、俺は内心ほくそ笑む。
実力差のある相手だと、むしろ不確定要素を押しつけた方が強いのだ。
力ずくで打倒せない以上、百戦錬磨の相手を倒す方法とは、相手の想定を越えることに尽きる。
見えない以上どう攻めてくるかを考える必要があった。
視界から消えて奇襲をかけるならどこにするか、カナエにしたように俺の背後へと回り込むのか、大きく跳躍して襲撃するか。
氷の足場を使えばあらゆる場所を選ぶことができ、選択肢はほとんど無限にある。
レイカは同じことを繰り返すほど甘い相手ではないだろう。
そして突拍子もないことを行ってくるに違いないと仮定すれば、おのずと方法は絞られる。
思考を張り巡らせたその瞬間、俺の足元が急速に冷えていき、視線を下ろすと地面に氷が張っていた。
しかし俺は驚愕の表情を見せるどころか、こういうことをしてくるだろうという読み通りに事が運び、にやりと笑う。
氷に足が固定される前に素早く後ろに跳躍。
すぐさま氷の床から刀を振り上げながら飛び立つレイカが現れた。
しかしレイカの刀は俺の体を捉えるどころか空を切ってしまう。
俺はすぐさま無防備に飛翔するレイカに近づき、思いっきり振りかぶり渾身の拳をぶつける。
「隙ありだ! 食らいな! 『万象破砕』ッ!」
その刹那何かが破裂するような気持ちの良い軽い音が響き、強烈な閃光が拳から放たれる。
「最っ高の感触だ……!」
「ぐぅううああああっ!!!」
生物を纏ったような籠手は、クッションとして拳にかかる衝撃を和らげ、表面には硬質化された突起状が形成されたためかベアナックル以上の破壊力を叩きだす。
そのためレイカの腹を殴った拳からは、圧倒的な力を体感でき、痛みを感じることもなく凄まじい威力の一撃を加えたという手ごたえを感じていた。
「ぐぅうううっ!! はぁ……くぅ……うっ……!」
生身の体で受ければ立つこともできない威力のはずだが、鍛えられていたのか、それともクリーンヒットから反れたのかわからない。
吹き飛ばされたレイカは立ち上がって、口の中の血を吐き出し、ひどく荒い呼吸をしながら、余裕そうな表情を捨て去って俺の方を睨みつける。
「ははは。まだ立てるか。正直、人間なら死んでもおかしくねえ威力のはずだ。それでこそだ。それでこそ倒しがいがある!」
「……外すとは。下からの襲撃は初めて見せたのに」
「あいにく、奇襲なんてのは大体三つに絞られるんだよ。ありがちな攻撃ってやつだ。それは背後の一撃、上空の強襲、そして足元からの一閃だ。そのどれも相手の防御を崩すことができるからな。間違っても正面から攻めてくるはずがねえ。かといって同じことをしてくるとは思えなかったからな。カナエには背後から、さっきの戦いでは上空から、だとすれば次はわかるよな」
いくら気分が昂って、破砕の衝動に駆られても、不思議なことに戦闘への思考だけは妙にクリアだった。
そのあまりにも極端な思考から、戦うために生まれ、そして殲滅するという使命を全うする戦闘狂になっているような気分だ。
「なるほど。それまでの情報と直感だけで、看破したということね。読み切ったとしても、そこまで自分を信じるなんて難しいことよ。背後に飛び退くという動きは、足元からの強襲以外、すべての攻撃をもらうことになるのだから」
「自分を信じなくて、何を信じるっていうんだ。いや、むしろ、俺しか信じられねえんだ。この力を手に入れてからは、なおさらな」
レイカが俺の発言に眉をひそめる。
俺はこの圧倒的かつ破壊的な力に高揚していた。
まるで森羅万象を粉砕できる力を手にして、何にも恐れることのない悪魔になったように。
「ひとつだけ質問していい? 君が今日の夕方の模擬戦で学んだことってある?」
「あ? 学んだことだ? ああ、俺がいれば勝てるってことだ。残念だが、俺の足を引っ張る奴がいたようだがな。始めっからこの力を使っておけばよかったぜ。だったらあの三人まとめて、完膚なきまでぶん殴れたのによ」
暴力的な力を手にした昂りが濁流の様に押し寄せて、俺の中にかろうじて残っていた良心や理性を押し流し、代わりに本能と欲求のみが残っていた。
ふと俺の体から薄暗い禍々しい靄のようなものが立ち込めていることに気付く。
「……最低。何言ってんのよあんた……その牙、その目つき。さっきとはまるで別人みたい」
脇からカナエが信じられないという顔で侮蔑するように吐き捨てる。
「ねえ、それが本当のあんただっていうの!? 凶悪な魔物こそが、あんたの本性だっていうの! あたし達と一緒にいたあんたは嘘だっていうの!? 何とか言いなさいよ!」
喚き叫ぶカナエを俺は一切気にせず目の前のレイカへと見据えて、ご馳走を見つけた獣のような笑みを浮かべる。
「それに、もうやめてよ。これ以上は、特訓でも指導でもないわ。殺し合いよ。なんでこんなことになるのよ……お姉ちゃんも、ほら……」
泣きそうになっているカナエが寄る辺を必死に探すようにふらふらと、レイカの元へと向かっていく。
「お姉ちゃん、もうやめようよ。これ以上はもう、どっちかが死ぬだけ。そんなことは、あたし、耐えられない」
「悪いけど、もう止められないの。彼は、人と魔を調和する力を制御できずに、暴走しているの。あのままだと、本当の邪悪な魔物と化してしまう」
「お姉ちゃん、どういうことなのさっきから、人と魔だとか、調和だとか……それに邪悪な魔物って……そんな! あいつは……あいつはダイゴじゃなくなるってこと!? もう、わけがわからないわよ」
「そんなことは私がさせない。目を覚まさせてあげるから心配しないで。でも問題はその代償を、あの子が耐えられるかどうか」
代償だと?
二人の話を聞きながら、俺が何を支払うというのだ、思わず鼻で笑ってしまう。
「あとで、ゆっくり話してあげるから。私を信じてくれる?」
「……でもお姉ちゃん無理だけはしないでね」
「約束するわ」
二人はぎゅっと抱きしめ合う。
俺にはそれが今生の別れのように映った。
見上げた姉妹愛だが、今はあの姉を殺すことができれば、それでいい。
そもそもあの妹は本気を出すまでもない上に、眼中にもない。
「やっとやる気になったか?」
「ええ、君を止めるためにね」
「はははっ! 俺を止めるか! やってみせろ。あんたを倒し、俺は最強になる。誰にも負けない、完全無欠の勝者へ!」
俺はにやりと笑って、目の前の獲物――レイカを見据えた。
もう一度、もう一度『万象破砕』をぶつけたい。
今度は立ち上がれないほど強烈な力で。
再び拳から伝わる恍惚的な快感を全身で浴びたい。
勝利の愉悦をもう一度。
敗北など、頭の片隅のどこにもなく、暴力的な濁流が押し流していた。