第2章10話:夜中、空き地にて
人気のない暗い夜道をカナエについていく。
月明かりと星の瞬きだけが微かに夜を照らし、夜目で慣れてきたとはいえ視界は依然としてぼんやりとしていた。
学園から離れた俺達の寮からも遠ざかり、陽が高いころには賑わっていたが、今や営業時間外の商店などの建物の群れを抜け、街の外で流れる川に沿って進んでいく。
静かにせせらぐ川の音に耳を澄ませ、ふと視線を落とすと、闇を思わせる水面に無数の星々が反射していた。
それからしばらく歩き続け、無人の小屋はがまばらに並び空き地が目立つ場所へとたどり着く。
廃墟と言うよりはまだ開発途中の土地のように思え、その小屋の中を覗くと机や椅子が置かれたり書類が積まれていたり、と人が出入りしている痕跡が見られた。
小屋に囲まれたひと際開かれた場所に、大きく手を振ってこちらへと招こうとしている影が見える。
カナエは駆け足になってその影へと近づき、俺もそれに合わせるように小走りになった。
「よーし、カナちゃん。来てくれたようだね。座学で伝えたりするのもいいけど、特訓するにはまずは実戦が一番ってね。ここなら静かだし、誰もいないから丁度いいんだ。ってあれ、ダイゴっちも呼んだっけ?」
影の正体、レイカは模擬戦の時と同じような目のやりどころに困る大胆な着物のような衣装を身に纏っている。
「あたしが呼んだの。ごめんね。あたしだけに特訓したかったと思うんだけど、こいつにも見てもらおうと思って」
「うんうん。私と一対一でやるよりも、誰かに見られている方が緊張感があって身に入るしねっ。やるだけじゃわからないことも、客観的に見ればわかることもあるんだよ」
レイカが俺の方を一瞥する。
「それにダイゴっちがいるのは好都合だねっ。直接実力を測るいい機会だよ。カナちゃんをやっつけて、ルナちんも吹っ飛ばして、ノテレクをも打倒したその実力をね」
「実力を見てもらうのはいいが、手加減すると痛い目見るぜ。俺はどうしても全力を出してしまうんだからな」
「そうだね。お互い、怪我に気を付けようー」
レイカの気の抜けた返事にやる気満々の調子が狂ってしまう。
能天気でどこか緊張感のないレイカの眼鏡の奥の垂れ目には、普段は見せない底知れぬ冷徹な瞳が宿っているのだ。
「そういえばルナちんや他のリンリンに、ユリちょんもいないね。ま、いっか。ルナちんは一人で解決できることじゃないし、リンリンとユリちょんは後日にしっかり見るし」
どこか納得して頷いたレイカはカナエへ向きなおす。
カナエは察して、太ももに巻き付いているベルトから伸縮性のある短剣を手に取った後、それを伸ばして長剣へと姿を変える。
一方でレイカは武器を持つ様子もなく丸腰であり、獣を退治するときに見せた鞘のような形の青い石は取り出さない。
「まずは、カナちゃんから。少し距離を取ってから、好きなタイミングでかかって来てねっ。シュートの魔導でもなんでも使っていいよ。ここは広いし、誰もいないから安心してね。もし万が一小屋に当たってたら……その時はその時だねっ」
俺は観戦のために二人から離れたところまで移動し、小屋にもたれかかりながら、夜目を凝らして向こうで繰り広げられる戦いを追うことにする。
先に仕掛けたのはカナエだった。
悠々と構えて先手を待っているレイカへ、カナエは魔導陣を展開し氷の刃を次々と生成し発射していく。
一直線に放たれた氷の刃は難なく交わされ、続いて放たれた刃も同様に回避された。
だがこれは当てることが目的ではないことが、ダイゴにははっきりとわかる。
カナエは氷の刃を放つことでレイカを動かしており、つまりけん制して相手の行動を封じて誘導しているのだ。
レイカがサイドステップで氷の刃を避けて、着地した時、カナエが一気に間合いを詰めて勝負を仕掛ける。
「シュートの魔導に関しては、まぁ合格点かな。いくつか課題点があるけど、接近戦を狙っていたならタイミングもばっちりだねっ」
「お姉ちゃん! ペラペラしゃべっている、場合じゃ、ないでしょ!」
剣先の間合いへと詰まったカナエが斬りかかるが、余裕そうに講釈を垂れていたレイカに鮮やかに回避される。
空ぶってもカナエは構わず剣を切り上げながら前進、続いて薙ぎ払って横や奥に交わすレイカに追随していく。
しかしカナエがいくら攻勢を仕掛けても、レイカは涼しい顔で掠りもしない。
「剣の振り自体は遅くはない。かといって筋が悪いわけでもない。カナちゃんの攻撃は一見、隙が無い連携の様に見える。でもね、そうじゃないんだよ」
レイカは薙ぎ払いの反動を生かしたカナエの後ろ回し蹴りを奥に避けて、次のジャンプしながらの斬りかかりを横へ軸をずらすように交わし、続けざまに放たれる切り上げを見るまでもなくいなして、がら空きになったカナエの腹に蹴りを打ち込んだ。
容赦のない一撃にカナエは吹っ飛ぶが、腹を抑えながらなんとか着地する。
呼吸を荒くしたまま顔を上げてレイカを睨みつけるカナエ。
「ぐっ……はぁ……はぁ……」
「剣の技術は確かに私が最後に見た時よりも向上しているね。……でもそれだけなの。カナちゃんの悪い癖は治っていないんだよっ」
「はぁ、はぁ……何なのよ。悪い癖って。でもあたしだって変わったの。絶対にお姉ちゃんに一泡吹かせるって決めたんだから!」
カナエの足元に大きな魔導陣が浮かび上がり、衝撃波が縁の外に向かってまるで侵入を拒むように放たれていく。
むきになって魔導解放を使うつもりだろうが、レイカは止めるようなことをせずその様子を観察する。
しばらくは魔導が使えなくなる魔導解放を用いても勝ちたいのだろう。
その何が何でも勝ちたいという気持ちはとてもよくわかる。
そんな時は周りも、後先も、何も考えられないものなのだ。
「その心意気はいいねっ。魔導解放を使うのも、想定済みだよ。さぁ、カナちゃんの全力を、お姉ちゃんにぶつけてきなさーい!」
仰々しい物言いでレイカが両手を広げて待ち構える。
刀へと形成する青い石を取り出す素振りもなく、先ほど通り武器もなしに立ち向かうのだろう。
身体能力が大幅に向上し、魔導の質も上がり、長剣は大剣となりリーチも伸びるため、魔物の肉体ではなく生身の人間では分が悪い。
いくらオリハルコンリッターという圧倒的な強さをもってしても、そこばかしは覆らないだろうと俺は想像した。
「我の呼びかけに応えよ。極寒の奥底に眠る者よ、先見えぬ吹雪から出づる者よ、氷河の上を闊歩する者よ、我が剣を凍てつきの大剣へとせしめよ! 汝の名はグラシエル! 我に力を与え給え!」
詠唱を終えてより強い衝撃波を放ち終えると、カナエの両手には身の丈より大きく無骨な氷の大剣が握られていた。
距離をとっても強い冷気が肌に刺さり、この特訓におけるレイカへの意志も同時に伝わる。
「お姉ちゃん、本気で行くわよ!」
宣言とともに一直線にレイカへと突っ込んでいくカナエだったが、今度は瞬発力や速さが段違いに変わっている。
勢いつけて一足飛んだだけでカナエの間合いとなり、勢いよく氷の大剣を叩きつけた。
レイカには掠りもしなかったが、叩きつけた先に大きな氷塊が砕けて辺りに飛散する。
反撃しようにも宙に舞った細かく砕けた氷塊が邪魔なため、一歩飛び退いて間合いを取ろうとするが、身体能力が向上したカナエの猛攻は止まらない。
レイカはなおも徹底して回避を継続していた。
大きな剣に振り回されているようだったが、リーチと範囲を生かした攻めで、リーチに劣るレイカを圧倒していく。
大ぶりなため隙があるように見えたが、当たってしまったら大きく吹き飛ばされてしまいそうな大剣の圧力には、迂闊に手を出しにくいだろう。
俺がカナエの大剣を受け止めた時は、それこそ決死の思いだったのだから。
だがレイカの場合はどうも違うようだった。
「こんだけ、振り回して! どうして、当たらないの!? このっ!」
「そう、闇雲に振り回すだけじゃ、私には当たらないんだよ。そこ。その断ち切りの後の動きは、横薙ぎ、だね」
焦るカナエをよそに、レイカはとても涼し気で、まるで動きを見透かしているように、水平に薙ぎ払う大剣の下をくぐって懐に潜り込んだ。
あまりに一瞬のことで、理解するまで時間がかかった。
気づけば大きく空ぶったことで隙が生じて、大剣を握っているカナエの手は、レイカの蹴りに払われて大剣を落としてしまう。
剣を放したカナエは悪あがきとばかりにレイカに向かって拳を振りかぶるが、またしてもレイカの姿が消えた。
「え、どこなの!?」
「前よりかは、強くなっているよ。でもね、使い方がまだまだなんだ」
「嘘っ!?」
レイカの声がしたのはカナエの背後、反撃を読み切り闇に紛れて一瞬にして安全で無防備な位置を取っていたのだ。
カナエが振り返った頃には既に遅い。
足を払われて態勢を崩してしまい、レイカの夜空を切り裂くような鋭い蹴り上げが直撃し、カナエは高く舞い上がってしまう。
高く飛飛ばされた、無防備に落下して地面に激突しそうなところを、レイカはフライボールをキャッチするように余裕で抱きかかえた。
汗一つかいていないレイカの圧勝だ。
魔導解放をせずとも、圧倒する戦闘技術に、俺は舌を巻き、体の震えを感じずにいられなかった。