第2章2話:真冬の向日葵
「と、いうことでみんなの担任になった、レイカだよっ! 呼び方はなんでもいいんだけど、せっかくなら先生って呼ばれたいなぁ……ってそうだ。えーと、まだまだ新任でわからないことだらけだけど、私はみんなよりいろいろ経験してるの。だからきっとなんとかなるから、みんなよろしくねっ!」
俺達より年下かと思ってしまうくらい元気な声で、レイカと名乗る俺の新しい担任は俺達に向かって自己紹介する。
教室ではその自己紹介を聞く前よりざわめていたが、その奇特な性格によるどよめきというか、そのレイカによる様々な噂によるものだった。
やれ千体以上の魔物の群れと対峙して無傷で生還したことや、幼少期より特異な魔力の持ち主で史上最年少で魔導解放ができただの、伝説上の魔物であるドラゴンを旅先で倒しただの、単身で悪党のアジトに潜り込んで幾度となく壊滅させただの、噂話のため誇張されているかもしれないがその逸話は多種多様だ。
そんな何やらすごい有名人のレイカ先生は、女子生徒から洪水のように押し寄せる無数の質問に対して、高いテンションを維持したまま楽しそうに答えていた。
「はぁ……最悪だわ」
背後でカナエが頬杖を突きながら面倒くさそうに呟く。
その憂鬱そうな顔は元気な姉に比べてひどく対照的であった。
「何が不満なんだよ。せっかく姉が来たんだろ。姉妹揃って騒がしそうだがな」
「何が騒がしいよ……お姉ちゃんが来てくれたのは、普通の姉妹ならいいことなんでしょうね。あいにくあたし達はそういうのじゃないの。優秀すぎる姉を持ったから」
「え、そんなにカナエさんのお姉さんってすごいんですか」
前の席のユリが顔を突き出して興味津々そうに話に割り込んでくる。
「あんた、何も知らないのね。それじゃ、『真冬の向日葵』って聞いたことある?」
「いいえ、きいたことありません」
「でしょうね。お姉ちゃんは剣の達人で、その実力は世界中の騎士の中で最強と呼ばれる、『オリハルコンリッター』の称号を得ているの。様々な武勲を上げている騎士や実力があるが無名の剣士を全員やっつけてね。冷徹に数多の敵を倒してきた研ぎ澄まされた刀剣と、あそこにいるお姉ちゃんの普段の底抜けに明るい性格ってギャップがあると思わない? だから極寒の冬のように容赦のない剣技と、底抜けに明るい性格を太陽のように花を咲かす向日葵になぞらえて、『真冬の向日葵』って言われてるの」
「へー。それで、そんな大層な名前のついているお前の姉貴はつえーのかよ。どうも噂を聞いてみてもいまいち信用できねえ」
「貴様、物を知らないのにもほどがあるぞ。まず彼女に勝てる人間など一握りもいないだろう」
「人間なら、か。ということは魔物の俺なら多少なりとも勝ち目はあるということか」
「うぬぼれるな。魔物の退治ならなおさら専門分野だ。何をどう立ち回ればいいか、戦い方が体中に染みついているんだぞ。それこそ赤子の手をひねるよりも容易いに決まっている」
「やってみなきゃわかんねーと思うがな」
「バカ者め。怪我をしても知らんぞ。私達が束になっても勝てるかわからいんだぞ」
ルナの諫めるような言葉に対して俺は内心うずうずしていた。
耳に聞こえる噂話が本当なら、学園長のあの言葉が嘘偽りないのなら、俺は胸の鼓動の高鳴りを抑えられないから。
より強くなるためには越えなければならない、と。
弱きを助ける優しさには誰にも負けない強さが備わっていなければならない。
最低限自分の身くらいは自分で守る必要があるのだ。
「とても強い方なんですね。ちょっとびっくりです。それにしても先生の年齢っておいくつなんでしょう。私達と近いように思えますけど」
「あー、それね。よく聞かれ……」
「それについては私が答えるねっ!」
「うわぁ! びっくりしました」
ユリの問いかけにカナエが答えようとする前に、俺達の近くから快活な声が響く。
声のする方向へ一斉に振り向くとユリとルナの間にレイカがうずうずした表情で立っていた。
早く話したくてたまらないという風に体をうずうずとさせている。
「お、お姉ちゃん!?」
「おー! 私の可愛い妹のカナちゃんよ。久しぶりだねっ! 実家以来からかな。最後に帰ったのが何年前かわかんないけどね」
「一昨年の年末に帰ってきたでしょ。『オリハルコンリッター』になってから任務で遠いところへ行っても、できるだけ帰って来てるって。でも一緒にゆっくりする時間なんてなかったけど」
「あっはっはー、ごめんごめん。どうもこの『オリハルコンリッター』の任務が忙しくて。頼み事や調査で引っ張りだこでさぁ」
ため息交じりにカナエが答えると、レイカは頭を掻きながら朗らかに笑う。
「任務って嘘ばっかり……空白の任務報告書が届いているか知らない癖に」
「カナちゃん、どうしたの。さっきぶつぶつ呟いていたのに」
「なんでもないわよ。それにここじゃ、姉妹というよりは教師と生徒って関係でしょ。だから先生て呼ばせてもらうわ!」
「うーん。いざ先生って言われるとなると、実感ないなぁ。しかも言われるのが実の妹のカナちゃんだと思うと、尚更ピンとこないね。なんたって先生だよっ。先生って。うーん、いざ先生かぁ」
レイカは首を傾げて、先生と言う言葉を自分の体になじませるように繰り返し唱える。
一方のカナエはひどく不機嫌そうにしており、自分の姉をとても邪険に扱い、早くこの場から去ってほしそうに見えた。
「あ、そうだ。先生とカナちゃんの姉妹の話だよね」
「え、そ、そうですけど」
「うんうん。素直だね。気になることはジャンジャン説明していいよ。でも体重やスリーサイズとかはやめてねっ。先生にも答えられないこともあるから」
食い気味に詰め寄るレイカにユリは圧倒されており、普段以上におどおどとしていた。
体重のことくらいいいんじゃないかと思ってしまうが、場の空気的に聞き出すことは難しそうだ。
別に知られたことで極端に軽くない限り戦闘では不利にならないし、むしろ重い方が殴り合いで有利なのに、話さないとなると別の事情があるのだろうか。
「それじゃ質問のことだけど、逆に聞いた方が楽しいよねっ。それじゃレイカ先生は何歳に見えるでしょーか? 早速行ってみよーっ。先に質問してくれた、えーっと」
「あ、私、ユリっていいます」
「あー、君がユリちょんかぁ。うんうん。名簿で確認したよ。手先がとっても器用なんだよね」
「あ、あ、はい。そうです。すみません。それくらいしか取柄がなくて……」
「そんな落ち込むことじゃないよっ! 確かに居眠りが多くて、テストでは赤点ばかりって聞くけど、そういうのは少しずつ直していけばいいの」
高く持ち上げてから勢いよく叩き落すような言葉を、レイカはためらいなくユリに向けて放ち、ユリはその言葉を受けて力なく誤魔化すような笑いをした。
「それじゃ、ユリちょん。先生は何歳に見えますかっ?」
「あ、えーっと。私達が17歳だから、20歳くらいですか?」
「うーん、ぶっぶーっ! ちょっと若すぎるかなー? それじゃ、次。そこの背の小さい君っ!」
レイカはそう言って隣のリンペイの方向へ顔を向けた。
「僕の番だね」
リンペイは顎に手を当てながら全身をまじまじと観察し、カナエの方と見比べながら思案している。
白いスーツの胸元で強調される豊満な胸や、肉付きのいい両足、言動や性格は幼そうだがどこか大人びている顔と、ぱっちりと開いているがどこか哀愁漂う垂れ目。
はっきり言って何歳か見当がつかない。
「そういえば、君は何て名前なの」
「それじゃ逆に質問していいですか。そのさっき言っていた名簿から判断して、僕を誰だと思いますか」
リンペイが顔を見上げていたずらっぽく尋ねると、レイカは少しきょとんとした顔をした後に一瞬だけ口元を歪ませた。
「逆に質問されっちゃったかー。リンペイ君でしょ。リンリン。君達は有名なんだから、わざわざ聞く必要もなかったね」
「あははは。リンリンか、まるで動物みたいで可愛らしいですね。まぁ、ゴブリンの編入生は世にも珍しいですから。それに加えて人語も解して、この社会に溶け込もうとしているんだから、珍しいを通り越してもはや狂人だと思いますよ。いや、狂ゴブリンかな」
「君も変わった性格してるねー。特に君達の班は変わり者ばかり集められているけど、君は特に頭が切れるって聞いているよ。勉強も得意でいろいろなことを知っているってねっ」
「いろいろ勉強しないとトラブルばかり起こしてしまうものでね。特に僕達のような魔物はね」
リンペイは軽く俺に向かって目配せしてきた。
思い当たる節は確かにある。
俺の無思慮な発言や行動で喧嘩やトラブルの原因になるっているのは事実だ。
「それじゃ、先生の年齢だね。第一印象で言うと、僕達の一個上、18歳かな? でもこれは若すぎるんでしたよね」
「そんなに若く見てくれたの、嬉しいっ! みんなの一個上のお姉さんなんて! そうだ、これからは私のこと、お姉ちゃんって呼んでいいよっ!」
「いや、それはちょっと。妹さんがいる前で、お姉さんと呼ぶのはちょっと抵抗があります」
リンペイがレイカの申し出を苦笑い気味に断るが、レイカは快活に笑いおおらかに受け流す。
お姉ちゃんと言う呼び方をするのはどうも恥ずかしいからそれでよかった。
「それじゃ気を取り直していってみようー。先生は何歳でしょう?」
「って、俺か。ルナに聞かなくていいのかよ」
レイカがふいに俺へ指差して回答を求められ、答えるつもりなどほとんどなかったため、順番をルナになすりつけようとする。
「ルナちんはカナちゃんの幼馴染だし、私のこと良く知っているから、クイズにならないからね」
「そのルナちんって言い方やめていただけませんか。あの頃のように私は幼くありません。いずれ人を導き、悪を討つ、立派な騎士へ……」
「えーっ!? だってまだまだルナちんじゃーん。ルナちんは確かに立派になったけど、まだまだなんだもの」
変なあだ名をつけられているのはルナも例外ではないようなので、ついからかってみたくなる。
「よかったじゃねえか。立派って言われてよ。なぁ、ルナちん?」
「……貴様、あとで覚えておけよ。今度は殺してやる」
ルナのきっとした鋭い目つきに睨みつけられて、俺はおどけた風にのけぞって見せる。
「さぁ、ダイゴっち。君の率直な感想を聞かせてっ!」
事情が事情故か、俺の名前は既に把握済みのようだ。
レイカにとっては要人になるのだから当然か。
「あー、先生の年齢か。そうだな」
俺は仕方なく答えようと、どこに焦点を絞ることもなくぼーっとレイカを見つめる。
何歳なのかなんてロクに考えたこともなく、特に女性となんて関わりを持ったことがほとんどなかったため見当がつかなかった。
せいぜい母親か、バイトをしていた頃のパートのおばさんか……
そうだ、と転生前の記憶を引き出して、中学の美人の先生のことを思い出した。
レイカに似た短髪で大人びた雰囲気と、思春期の学生には刺激の強いフェロモンを放っていた女性だ。
ささやかながらその先生に片思いをした甘酸っぱい記憶すらも一緒に思い出してしまう。
それで噂で先生の年齢を聞いたことがある、おそらくそれと近いだろうと見当をつける。。
「貴様、失礼なことを言うんじゃないぞ」
「わかってる。適当なこと言うつもりはない」
ルナの小言に挟まれたのち、俺は一しきり唸った後口を開く。
「30歳ぐらいか?」
俺が何気なく口にした途端、場が一瞬にして凍り付き賑やかな雰囲気が固まった。
「お、おい! 貴様、少しは考えてから話せ! どうしてそんな命を捨てるようなことを平然と話せるんだ」
「考えてないってのはなんだ。これでも俺なりに考えてたんだぞ」
「だったら、貴様の頭というのは……」
俺とルナが口論を始めようとした時、春の陽気に注がれて温かかった教室が涼しくなっていく。
そして気温は急速に下がっていき真冬の様な凄まじい冷気をレイカの方から感じた。
レイカの方へ視線をやると、薄っすらと霜のようなものが降っている。
「……い、いやー、あははは。ちょ、ちょっと、せ、せ、先生びっくりしちゃったかなぁ」
レイカは口では笑っているが、顔が引きつっている。
何か嫌なことでもあったのだろうか、と俺は首を傾げた。
「ちょっと、あんたそれは言い過ぎよ」
カナエが俺の袖を引っ張ってから耳打ちする。
「ん、なんだよ」
「あんたの一言のせいで、お姉ちゃんが動揺しちゃって、氷の魔導が漏れちゃっているじゃない。あたりの気温もあっという間に真冬よ」
「ああ、だからこんなにも冷えるのか。姉も氷を使うのか」
「そうよ。一族代々氷の魔導の名手なの。その中でお姉ちゃんは歴史を紐解いても特に優秀で、魔力の貯蔵量も段違いなの。だけど動揺したりすると、ああやって魔力が漏れちゃってあっという間に凍っちゃうのよ。もう最悪よ。最悪!」
カナエの説明を聞いて、現在の凍えるような寒さはレイカが原因であることがわかった。
ブレザーを着ていても肌に刺さるように寒さのため、腕を摩って体を温めようとする。
レイカの足元には氷が薄く張っており、緩やかにこちらの方へ広がってきている。
「いやいや、先生、落ち着いてください。ダイゴの言っていることについて僕が補足しますよ」
「ど、ど、どういうこと?」
ひどく動揺しているレイカにリンペイがなだめるように話しかける。
口元がニヤついておりあいつなり何か考えがあるのだろうか。
「いいですか、先生。ダイゴの言った30歳ぐらいというのは、オリハルコンリッターの先生の熟練者の経歴と、僕達とそん色のない若さ、そのちょうど中間としてダイゴが考え抜いて出した答えなんですよ」
「どういうこと?」
「つまり、先生の見た目の話をさせてもらうと、まだまだ若くて僕達と変わらないんじゃないかってことですよ」
「ダイゴっち、そうなの?」
レイカが俺の顔を覗き込み懇願するような目で見ている。
俺達より大人にはとてもじゃないが見えず、俺は思わず頭を掻いてしまう。
「あー、というか……」
「そうなんですよ。先生」
俺の言葉を遮ってリンペイがにこやかな表情で同意する。
「おい、リンペイ、どういうことだ。俺はそういうつもりで言ったんじゃ」
「ダイゴはちょっと黙ってて。君が話すとややこしくなるんだ」
リンペイに問い詰めるように小声で言っても、リンペイは即座に拒否した。
「ということで、ダイゴの言葉足らずな答えが、誤解を招いてしまったみたいで、すみません」
「あ、ははは。い、いいのよ。いいのよ。そ、そういうことなら、せ、先生ぜーんぜん気にしてないし」
まだ動揺していたが、さっきより冷気は収まってきている。
カナエとルナが一先ず安堵したところで、長い鐘の音が鳴り、ホームルームの終了を告げた。
「いっけない! 次の授業に行かなきゃ! まだ準備も何もしてないのにぃ! まっずい……どうしよう……。でも、まぁいいや! なんとかなるよねっ! みんな、それじゃあねー」
レイカははっと我に返り、少しだけ不安な感情を漏らしたが、すぐに前向きな自分に切り替え、足早に教室を出ていく。
「行っちゃいましたね……」
「ああ、行っちゃったね」
「まだまだわからないことばかりですけど、とても元気な先生ってのはわかりました。いてるだけで楽しくなりそうな」
「……それだけわかれば十分よ」
カナエが廊下の外を眺めながらぽつりとつぶやいた。
すると再び教室の外から騒がしい足音が聞こえ、勢いよくドアが開かれる。
俺達は何事かと一斉にドアの方向へ視線を向けると、そこには体からぼんやりと湯気を立ち上らせ、息をぜえぜえと吐いているレイカがいた。
「はぁはぁ……そうだ、ダイゴっち達に、言うことを忘れたんだ」
「一体何なんだ……」
俺は心の底からそう思ってしまい、思わず口からもれてしまった。
「君達五人は、今日の放課後、武道館へ、集合っ! 遅刻厳禁! わかったっ!? それじゃあねっ!」
レイカが俺達向けの連絡事項を早口で叫ぶと、再び教室を慌てて出ていった。
「あ、あの……また行っちゃいましたね。結局年齢を聞いていませんのに」
ユリは慌ただしく走り去っていくレイカの背中を見つめながらぽつりと呟いた。
新担任との初めての出会いは、文字通り吹雪としか思えないほど強烈だったが、それでもそんなレイカを憎めないのは俺達を平等に接してくれる太陽の様な明るさがあるからだろうか。