第1章17話:死地からの目覚め
目が覚めると真っ白な天井が視界に映った。
俺以外誰もいないのではないかと思うくらい、とても静かで物音はほとんど聞こえてこない。
外は完全に日が暮れて夜となっており、満月が高く輝いていた。
俺の体は白いベッドに寝かされて、白い掛け布団のように覆われている。
少なくとも寮の部屋でもない初めての場所の見慣れない光景に、俺はここが死んだ時に召される天国なのではないかと錯覚する。
しかしそんな俺の考えは、聞き覚えのある中性的な声ではっきりと切り替わった。
「ダイゴ! 目が覚めたんだね! よかった!」
その涙ぐんでいる声で俺を呼びかけているのはリンペイだった。
リンペイの様子を確認すると、彼は目に涙を浮かべていたがすぐに涙を拭い、オレンジっぽい肌は真っ赤になっている。
「ずっと目を覚まさないから、心配だったんだよ。もう体は大丈夫かい」
「あ、ああ、大丈夫だが。ところでここは」
俺は上半身を起こして辺りを見渡そうとするが、ふいに背中の方に激痛が走ったので、思わず呻き声を漏らして苦痛を我慢する。
痛みのある方を触ってみると腹部の辺りが包帯でグルグルに巻かれていた。
「うっ……」
「ほ、本当に、大丈夫かい!? もう少し安静にした方がいい」
「ああ。そうさせてもらう」
俺は再び掛け布団を被って横になる。
そしてさっきの質問の続きをリンペイに尋ねた。
「ここは医務室だよ。リーベカメラード学園のね。それに今は放課後からかなり時間が経って、誰もいない。ユリちゃんが君とカナエさんが中庭でベンチの上で気を失っているのを見つけたんだ。でも君がひどいけがだったものだから、慌てて僕とルナさんを引き連れてここまで来たというわけさ」
「そうか……」
「授業を終わっても君達は戻ってこないし、昼休みにもご飯を食べに来ない。本当に探したんだよ。それでずっと探していたら、ユリちゃんが陽が完全に暮れてしまって、誰もいなくなった中庭で君達が気を失っていたっていうんだ。僕も明るいうちにしっかり確認したはずなのに」
リンペイが理由を聞きたげな素振りをしてきた。
怪我の理由、中庭で気を失っていた理由、そもそも今までどこへ行っていたのか。
すべてはノテレクに関係がしていた。
「ノテレク……」
俺はぽつんと呟いた。
「ん? 何か言ったのかい」
「あの中庭を抜けた、小屋の中へ行ったんだ。ノテレクについていくように」
「小屋? ノテレクってあの教師の? 一体どういうことなんだい」
俺自身が先ほど起こったことをうまく整理できていないので、断片的な情報を与えていたずらにリンペイを混乱させてしまう。
「君の言っている小屋って、もしかしてあの立ち入り禁止の?」
「ああ」
「そこにノテレク先生が入っていって、君達は後をついていったと」
「ああ」
「それでその先には、一体何があったかわかるかい」
「小屋の中に地下室が、広大な迷宮が」
リンペイが相槌も打たずに真剣な表情で俺の言葉の続きを待つ。
「迷宮の奥底の広場で、ノテレクの正体を見たんだ。あいつはスケルトン。俺達と同じ魔物なんだ。そいつが中央の台座で何かをしていた」
「ノテレクも、魔物……」
リンペイの息をのむ音が聞こえた。
「それであいつは俺達を襲い掛かって殺そうとしたんだ。魔導解放もした。後ろの傷はその時のものだ。そして絶体絶命の時、何か光に包まれて気が付いたら」
「ここにいたと」
俺は黙って頷いた。
すべてがあっという間で、窓の方向から柔らかい月光が差し込む。
「そうだ、カナエは!?」
「カナエさんなら、隣だよ。幸いどこも怪我はない」
「そうか。よかった。この時の傷はカナエをかばってできたものなんだ。無事ならいい」
俺はほっと胸を撫でおろして安心する。
ベッドの間を区切るカーテンをリンペイが開けると、気を失って眠っているカナエと黙々と看病をしているルナがいた。
俺が起き上がるとその音に気づいたのかルナがこちらへ振り向き、俺と目が合ってしまい、気まずい時間が流れてしまう。
「少し話は聞かせてもらった」
ルナがそう言うと、すぐにカナエの方へ向き直り看病を再開する。
「カナエのことは、すまん」
俺は咄嗟に謝罪の言葉が出てしまうが、ルナは聞いているのか聞いていないのかわからない。
「俺がついていながら、こんなことになるなんて」
「ああ、カナエはさっきからずっと浅い呼吸を繰り返して、眠ったままだ。そして体温も冷たくなっている。貴様がついていながらな」
ルナは冷たい言葉で返答する。
「そんなこと言う必要があるかい!? まだ根に持っているとでも?」
リンペイが身を乗り出して思わず噛みつくような物言いをする。
「だが、カナエならきっと一人でもついていっただろう。その時はきっと、こんな姿じゃなかったはずだ」
沈黙が流れる。
おそらく単体でノテレクの正体を見てしまったら、その場でノテレクによって消滅させられ痕跡を消されていただろう。
「貴様がいたおかげで、無事に戻ってこれた。理屈はわからないがな」
「ああ、俺の方もなぜかは見当がつかない」
「だが貴様が守ってくれたことは、その背中を見て察した。そしてその通りだった。そのことには礼を言わせてもらう」
ルナはどこか素っ気ない言い方だった。
「この包帯を巻いたのは、ルナさんなんだ。君の重い体を起こして、傷の手当てを並行しながらね。そして医務室をこっそり開けたのもね」
「そうなのか」
俺は包帯をじっくり見て、腹をさする。
強く固く縛られているのを感じた。
「こいつは借りができてしまったな」
「貴様に借りを作ったつもりなぞない。私が貴様に包帯を巻いたのは緊急事態だったからだ。医務室を開けたのも、カナエのために風紀委員長用の見回りの鍵を使っただけだ」
俺が半分茶化したように話しかけると、ルナは俺達の方には目もくれずカナエの手当てをしている。
後姿のため表情を伺うことはできない。
金髪のポニーテイルが揺れている姿が見えるだけだ。
しばらく俺が体を休めていると医務室に小さなノックの音が響き渡る。
扉が開くと暗くなった廊下から、バスケットを持ったボブカットの少女、ユリが医務室の中へと入っていく。
ユリも目が覚めた俺の様子に気が付いたらしく、駆け寄ってきた。
「ダイゴさん!? 目が覚めたんですね。よかった。本当に」
「まぁ、まだ体は少し痛むがな」
ユリが俺の元へと近づいて感極まったのか、大きな目から大粒の涙を零してはハンカチで拭い、鼻が垂れてはすすっていた。
「おいおい。泣くほどのことか? 無事に帰ってこれたんだ」
「無事だから泣いているんです。嬉しいから、戻って来てくれたから」
「大袈裟だな……」
ユリの過剰ともいえる反応に俺はやれやれと肩をすくめた。
「そういえば、何か持ってきたんだっけ」
「そうです。皆さんでこれ、食べましょう」
リンペイの問いかけでユリははっとして、目元をごしごしと拭いて、バスケットの中から赤いリンゴを取り出した。
「リンゴは栄養豊富なんですよ。こういう時にこそ食べるべきです」
「そういえば、久しぶりだなリンゴなんて食べるのは」
「そうだね。食べる機会なんて滅多になかったからね。市場で買い物なんてたまにしかしないし」
療養中にリンゴを食べるというのはどこの世界も同じようだ。
ユリが小さな果物ナイフを手に取って、丁寧に皮を剥いて食べやすいサイズへとカットしていく。
そして一口大となったリンゴを受け取り、口に放り込んでじっくりと咀嚼する。
久しぶりに何かを口にしたかと思ったが、昼食を抜いて今現在が夜になっているとはいえ、時間経過の空腹と言うよりも疲れによるものだった。
口の中に甘みが広がって体内を駆け巡り、疲労が取り除かれるのを感じる。
「泣けるほどうまいな」
俺は口にリンゴを頬張ったまましみじみと呟いた。
「もう。ダイゴさんの方こそ、大袈裟じゃないですか」
「しょうがないだろ。腹が減っていたし、体もへとへとなんだ」
ユリが口に手を当ててボブヘア―を揺らしながら可笑しそうに笑う。
リンペイもつられて笑って、その一切れのリンゴを手に取って口に放り込んだ。
「泣けるほどなんてことは言わないけど、十分美味しいね。ちょっといただけるかな?」
リンペイはそう言って皿に盛られたカットされたリンゴをいくつか掴んで、それらを別の皿に盛り合わせてカナエの近くの棚にそっと置いた。
ルナは静かに置かれた皿に気づいて、リンペイの方へ見やる。
「手当てばかりしても疲れるだけだよ。たまには休憩もした方がいい。リンゴ置いておくよ。もちろんカナエさんの分もある」
「……なぜ、そこまでする。何度も魔物と剣を交わらせた関係だぞ。そこまで気をかける必要がないだろう」
ルナが言い終わると下唇を噛んでリンペイの行為を断ろうとする。
「違うね。これはダイゴの分の借りだよ」
「だから借りなど作ったつもりはないと言っているだろう」
「ダイゴにはそう思わなくても、僕からのお礼って意味さ。僕の大事な友達を手当てしてくれたんだ」
「包帯を巻いたり、怪我の手当ては私の方が慣れているだけだ。早く対処するとなると、適任者の方が率先して動いた方がいい」
「君の言う通りだね。ただ困った時は、お互い様じゃないかい? 友達を助け合うのは理屈じゃないと思うんだ」
リンペイにそこまで言われてルナはついに心が折れたのか、一口のリンゴを摘まんで口に入れた。
「すまないな」
ルナが一言ぽつんと漏らすと、すぐに熱そうな手拭いでカナエの体を拭き始める。
そのカナエの体を拭いているルナの手は力強く感じられ、ルナの細い目が放つ眼差しはカナエが気を取り戻すのを願っているようだった。
俺達が黙ってその様子を見守ってからしばらくすると、ルナが何かに気づいたのか細い目を見開く。
「カナエ! 目が覚めたのか!?」
「う……ん……ここは? ルナ、どうしたの」
カナエがか細い声でルナに尋ねて、起き上がって辺りを見渡す。
そして何かに気づいたのか、暗い表情がぱぁっと明るい表情へと変わった。
「医務室だ。ずっと眠っていたんだ」
「そう。でもなぜかとても安心したの。無事にここにいるってことがね」
感傷に浸るカナエが再び口を開いて、おそるおそるルナに話しかける。
「ねぇ。ルナ。またあたしを叱るの?」
「当たり前だ。何度叱っても、何度注意しても言うことを聞かないんだ」
「ごめん」
そしてルナがカナエに抱き着き、優しく背中に腕を回した。
押し殺していた感情が溢れ出たように、感情を剥き出しにしてルナが訴えている。
「ごめんで済むものか! どれだけ……どれだけ、心配したか。このまま君が目を覚まさないと思ったんだぞ」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
カナエが何度もルナに対して謝罪をする。
その様子から本当に申し訳ないという気持ちがこちらにむ伝わってくる。
「君は大事な幼馴染なんだ。かけがえのない、大事な大事な私の友達なんだ。失いたくなんかない」
「あたしもそうよ。だから、ごめんなさい」
カナエも抱き着いてるルナの背中に腕を回して、優しく背中を摩っている。
「ダイゴから君達がノテレクに襲われたと聞いていたんだ。よく無事で戻ってきてくれた」
ルナの発したノテレクと言う言葉にカナエが反応して、俺の方へ切れ長の目で視線を配らせた。
「そうよ。ノテレクは!? あいつはどこへ行っちゃったのよ。足元にあいつの魔導陣が描かれて、それで闇の魔導で殺されかけたのに」
「それは俺もわからない。ただ、俺達が無事である以上、あのまま消滅したってのは考えにくい」
俺は首を横に振って答えた。
だがこれから起きることで確実なことが一つだけある。
「もしあいつが今度俺達を見つけることがあれば、形振り構わず全力で殺しに来るだろう」
「えっ。ダイゴさんとカナエさんが、ノテレク先生に襲われた? いったいどういうことなんです」
事情を知らないユリがぽかんとして尋ねる。
ノテレクが姿を偽って学園に潜入したことは、自衛の術を持っているリンペイやルナに知ってもいい情報ではあるが、のんびりしているユリを巻き込むかどうかは考えものであった。
俺が言いあぐねてリンペイに指示を仰ぐと、リンペイが「うん」と頷いてユリに事情を説明し始めた。
よくよく考えるともし下手に誤魔化そうとしてもいずれボロが出るのは間違いないし、その時に何も事情を知らないのに巻き込まれてしまうのはユリにとっても納得がいかないだろう。
そして何より、このことはこの場にいる班員に共有すべきことなのだろう、と判断したのだろうか。
事情を聴いたユリは信じられないという顔で、俺達に何度も確認するが、それが事実であると俺は否定しなかった。
誰であってそんな事実は衝撃的だ。
まさか教師である人物が魔物であり、生徒の命を躊躇なく奪う残忍な人物だなんてことは想像できるはずもない。
「口封じのために殺すだなんて、普通じゃないですよ。魔物であることを知られることがよほど危険だったのでしょうか」
「その点はそこまで大事なことじゃないと思うんだ。おそらく問題はあの時にノテレクが『何をしていたか』なんだと思う」
俺はルナの顔を横目でちらりと見ると、ずっと俯いて黙って考え事をしているようだった。
『調和のトパーズ』関連であると見て間違いなさそうだ。
冗談の様な噂を真に受けてノテレクは潜入したのか、それとも事前に分かったうえで行為に及んでいるのかは定かではない。
「だけど『ノテレクが何かをしていたということ』を僕達が深く知ってしまうと、ノテレクは僕たちに対して何をしてくるかわからない。見てしまったダイゴとカナエさんはもとより、僕達もね」
俺は思わず息をのんだ。
ノテレクが完全な証拠の隠滅を図っているとした場合、俺達が消滅した次は原因を探ろうとするリンペイ達を狙うだろう。
それも堂々とではなく、少しずつそれも痕跡を残さない方法で。
「こ、このことを他の先生に話したらどうだろうか」
ルナが提案するがリンペイは首を横に振る。
「風紀委員で教師から信頼を得ているルナさんが言っても、聞いてくれないんじゃないだろうか。傍から聞くと荒唐無稽だよ。そもそもあの小屋にはいくつかの錠が掛けられていて、教師とは言えたった一人で、勝手に立ち入ることはできないらしい。鍵をノテレクに渡している内通者がいる可能性もある」
「だったらどうすればいいのよ」
カナエが病み上がりの体で身を乗り出し声を荒げて聞く。
「そこでノテレクが今後どうするかは二つのパターンがある。一つはノテレクが姿を隠すこと。こうなると厄介だ。きっと学園そのものを転覆させる計画や戦力を整えていると思った方がいい」
「もう一つはなんなのよ」
「明日もまたいつも通りの日常を送るパターンだよ。これはあいつにとって一つの賭けだけど、ダイゴとカナエさんの安否について知れるのと、僕達の隙を見計らって仕留めることもできるからね。そしてその地下の行なっていたことにも没頭できる。短期決戦に持ち込みできるだけ波風を立てたくないのならこっちだね」
「明日以降、もしあたしやダイゴの存在に気付かれたら」
「あいつはきっと手段を選ばない。何が何でも始末するために、急いで前者のパターンを構築して皆殺しにするだろう。どれだけの時間がかかるかわからないが、あらゆるところから力を借りるだろうね。例えば、ニルヴァーナとか」
ニルヴァーナ。
先日リンペイに渡された魔物集団の総称だ。
「あの集団は、人間を支配して魔物の優位性を証明するため、人間への襲撃を行っている。リーベカメラード学園を支配することはその実力の誇示にうってつけだろう。ノテレクの収集した情報や奇襲に適した潜伏ルートを確保し、勝率を高めることができたのならきっとこの話に乗ると思うんだ」
「でも、それって簡単に連絡がつくの?」
カナエが傍にあったリンゴを手に取って食べ始める。
「魔物の中にもニルヴァーナの行為の賛成派と反対派がいるんだ。賛成派の魔物に連絡するなんて、きっとわけではないと思うよ」
「あんた達はどっちなのよ」
カナエはリンゴを飲み込み終えるとリンペイへ聞きだす。
リンペイはしばらく考えた後、はっきりと答えた。
「反対派だよ。僕達のゴブリンの群れにも属している者や、脱走した者はいない。そもそもそんな野蛮な行為をする者が、一緒に学校にいるなんておかしいじゃないか」
「俺はそんなことそもそも知らなかった。だがそんな悪意のある奴がいたら、その時はその性根を叩きなおしているはずだ」
「ということは、ニルヴァーナへの連絡手段はないと、と」
俺とリンペイのニルヴァーナに対するスタンスを話し終えると、ルナが俺とリンペイに目をやりながら口を開いた。
痛いところを鋭く突かれてしまい、俺とリンペイは思わず苦笑いをする。
俺は気まずくなって思わず視線をそらしたくなって、ユリの方へと視線を向けたが、珍しく何か考えたように蝙蝠の形の髪飾りを取り外していじっていた。
「だけどこの転覆計画は最後の手段だ。失敗が絶対に許されないし、いくら早急に対応しても時間や準備がかかる。ノテレクは当初の予定通り秘密裏で行いたいはず。だから教師に成りすましたんだ」
「と、すると。ノテレクがとってくる行動は」
「おそらく明日以降、あいつは顔を出して様子を確認する。そこから今後の方針を決めるはずだよ。賭けにはなるだろうけど、そっちの方がノテレクにとって今後取るべき選択肢が増えていく。もちろん僕達にとっても危険なのは明白だね」
「だったら私達はどうすればいいんだ」
ルナが尋ねるとリンペイは大きな口をニヤつかせて、悪戯っぽく笑い舌を少しだけ出す。
この顔をするリンペイに俺は絶大な信頼を置いている。
思いもよらぬことを思いついて発表するときはいつもこれなのだ。
「そこで聞いてほしいんだ。僕達がこれからどうすればいいのかを。そして最小限の犠牲でノテレクをやっつける方法をね」
窓の外から差し込む月明かりをバックに、陰となったリンペイの顔面がにやりと歪んだ。