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第1章16話:迷宮の闇

 小屋の中は狭く、ルナの言葉通り様々な薬品や鉱物が横の棚に並べられていた。

 ノテレクの姿はどこにもないのが不思議である。

 どこかへ隠れているのだろうか、それとも。


 陳列している薬品や鉱物の下には名称の書かれた札が貼られており、どれも俺にはピンとくるものがないが、授業で使うにしてもサンプル程度の量や大きさであることは明確だ。


「なぁ、カナエはこの棚にあるのを見て、なんか凄さとかわかったりするのか」

「当たり前でしょ。例えばあんたの傍にある、その黄色い鉱物はオリハルコンっていう鉱物は、とっても硬くて貴重なものなの。あんたのバカ力でも砕くことはできないし、逆にあんたの体がボロボロになるわよ」

「こんな石、簡単に砕けそうだがな」


 俺はその黄色い拳サイズの石を見て呟いた。


「あまりオリハルコンを舐めない方がいいわ。ある高名な騎士が魔導解放をもってしても砕くことができなかったらしいわ」

「そんなすごいものを武器に使ったりはしないのか」

「まぁ、おとぎ話に出てくる剣とかはオリハルコン製って書かれてあるけど、そんなもの作ろうとしたらいくらお金や労力がかかるかわからないわ。そもそもそのオリハルコン自体が滅多に見つからないわけだし。せいぜい武器の一部に組み込むくらいしかできないわよ」


 他にもいろいろなものがあるので聞けば教えてもらえるだろうが、今はそれどころではない。

 カナエを連れて帰ろうとして、前を行くカナエの腕を引っ張ろうと手を場した時、あっとカナエが声を上げて指さした。


「おい、どうしたんだよ。やっと帰る気になったのか」

「違うわよ。これ」


 カナエが指さした先は床が取り外されており、深い闇が広がっている穴があった。

 石でできた階段があり奥へと続いているようで、奥底にはぼうっとした灯りのようなものが付いているようだ。


「きっとお宝はこの下よ。貴重な道具だけなはずがないとは思ったけど、まさかこんなものがあるなんて」


 カナエが後ろを振り返って目を輝かせてこちらを見つめている。

 もう次の言葉に何を言うのかは既に予想済みだ。


「ねぇ、行きましょうよ。せっかくここまで来たんだし。あんたも気になるんじゃないの。あたしは気になって仕方がないわ。学園の秘密を二人で暴きに行くわよ。今ここで行かないと一生眠れなくなるわ!」


 カナエの興奮はピークに達しており、今すぐにでも地下に向かって駆け下りそうな雰囲気であった。


「断ったら?」

「……あんた、もしかして、こんなか弱い女の子を放っておいて帰るっていうの? 考えられないわ。あんたそんなでかい体してんのに、なんでそんなに弱気なのよ」

「はぁ。何言っても聞いてくれない感じだな。わかったが、慎重に行くぞ。おそらくこの先にノテレクも先に進んでいるはずだ。それにこの先に何があるのかもわからない」


 『調和のトパーズ』が眠っていることが真実であるとすれば、安置されているのはこの先だろう。

 そしてノテレクの狙いがそれであることも、あの異常な警戒といいなんとなくだがわかってきた。


 決して止めに行くわけではない。

 ただ人間の至宝である『調和のトパーズ』がどういうものか気になったのだ。

 それにカナエ一人で行かせてしまった時に、もしもがあった時に魔導の行使ができない以上、自分を守る術があの実戦経験に乏しい剣技でしかない。

 当の本人はそんなこと一切顧みていないため尚更危険であり、この深い闇の中で何かが起きた時のためにお守りとして俺が必要なのは言うまでもないだろう。


 俺達は階段を踏み外さないように一歩ずつ慎重に下りて行った。

 薄暗くなっていき、次第に外からの光もなくなっていく地下を不安になりながら潜っていく。


「これ、いつまで続いてるのよ」


 カナエの不安そうな声が漆黒の闇に響く。

 長い階段を下りるとそこは平坦な通路に繋がっていた。


 一定間隔に置いてある壁の燭台に灯りが灯っており、道を照らしていく。

 おそらくは先行しているノテレクが付けていっているのであろう。


 俺は階段の傍に輝いている不思議な幾何学模様を見て指差してカナエに尋ねた。

 その模様は見たことがありそうで、見たことがないものなのでカナエなら何か知っていると思ったのだ。


「ああ、それね。それは脱出用の魔導よ」

「脱出用?」

「そう。脱出魔導は、指定した距離までであれば魔導を行使する者はここまで一瞬で戻ってこられるの。距離が長ければ長いほど使用する魔力も比例して上がっていくわ。魔導の特殊な使い方の例ね」

「それじゃ使っている奴は、もしもに備えてこんなものを置いているってことなのか」

「そういうことね。おそらくノテレクよ。でもこの光り方を見るに、結構な距離を進んでいて、魔力も消耗しているはず」


 カナエがその模様に触れながら首を傾げる。

 微かな灯りだけが頼りの漆黒の通路に、ノテレクは何を目指して進んでいるのだろうか。

 『調和のトパーズ』がそれほどまでに欲しいのだろうか。

 俺達は遠くにいるであろうノテレクに気づかれないよう慎重に、暗い通路を進んでいく。


 石畳の廊下は歩くたびに鋭い足音が響き渡るので、ノテレクが警戒している場合は気づかれる恐れがあった。

 そのためそれまでの歩みよりも一層遅く、そしてできるだけ足音を立てないよう忍び足で進んだ。

 通路には無数の曲がり角や行き止まりがいくつかあり、行き止まりに出会った際はその度に引き返したりした。


「ひぃ!? なにこれ!」


 カナエがとある行き止まりで小さく叫んだ。

 その視線の先には白骨化した死体があり、傍には無数の槍や矢が転がっていたり突き刺さっている。


 地下は複雑に入り組んだ侵入者を拒んだ迷宮になっていたのだ。

 そしてその侵入者を阻む罠もまた設置されていたのであろうか。


 ふとカナエが俺の袖を引っ張る。

 俺はカナエの方を見るが特に何もなく、不安そうに脇を見ている顔が灯りに照らされていた。

 俺は気にせず迷宮を進んでいく。


「心配するな。何かあったら俺がなんとかする」


 不安を紛らせるためか、自己暗示をかけるまじないかどっちともとれる、あいまいな言葉をカナエにそっと投げかける。


「……あんたに守られるほど、足手まといじゃないわよ。自分の身くらいは自分で守るわ」

「そうかよ。頼もしいことで」


 俺はカナエのぶっきら棒な言い方に、思わず肩をすくめるのであった。

 俺に顔を合わせようとしないカナエの顔が、燭台に灯された光のせいか少し赤くなっているように見える。


 出口がわからず彷徨っていると、床に転がっている白骨化した骸骨に触れてしまい、からんと軽い音が響いた。 

 ノテレクに気づかれたのではないかと俺は冷や汗を流し、一旦その場で立ち止まる。


 しかしそれは杞憂であり、ノテレクがこちらに向かってくるようなことはなかったので、俺はほっと胸をなでおろして再び歩き始めた。


「ねぇ、どれだけ歩けばいいのよ」


 カナエの言う通りどれだけこの迷宮を歩いたのだろうか。

 もう随分な距離を歩いたのだが、等間隔に置かれた代り映えのない燭台の灯りが、いつまでも同じ光景を俺達に見せていた。

 もしかしたら迷っているのではないか、と言う懸念が頭をよぎる。

 ここにある骨となった死体も、罠にはめられた者もいるが、餓えてこうなってしまったのではないかと考えてしまう。


「あたし達もこんなところで、何も食べられなくなって死んじゃうのかな」

「バカなことを言うな。こんなところで死んでたまるか」


 カナエが不安な心境を吐露するが、俺はそれを認めたくないという風に即座に言い返した。

 しかしながら出口のあてがないのは確かであり、このままでは倒れてしまう可能性も十分ある。

 不安が去来する中、奥から何かが弾ける音が響いた。


「何の音だ?」

「とりあえず何か、あるのかもしれないわ。行くわよ」

「ああ、今は少しでも手掛かりが欲しかったところだ。たとえあのノテレクでも、今はそれを頼りに動いた方がいい」


 俺達はその音がする方向を聞きながら迷宮を駆けていく。

 音は一度鳴り響いてはしばらく収まり静かになるが、また同じような破裂音か違う鈍い打撃音が聞こえてきた。


 そしてその音のする方へやっとのことで確認できる位置まで到達した。

 すでに息も絶え絶えであり休憩を兼ねて、俺達は外にいた時と同じように壁に隠れて覗き込んだ。


 そこは狭い迷宮とは違う大きな広場で、中央には台座が置かれており、ノテレクの後姿がそこに見えた。

 様々な姿――人間や魔物など統一性のない像が台座を取り囲むように配置されており、互いが互いの像を見つめておりその視線の先へ腕を伸ばしている。

 ノテレクの背中は小刻みに震えており、表情が見えないためどういう心情かわからないが、時折舌打ちをしているため相当苛立っているようだ、


「……してだ、……して、‥…かく……来たというのに……」


 そう言って強く叩きガシャンと何かが割れる音が響いた。

 近くで聞くとその音の大きさに思わず驚き、俺達は石畳の上を足で引き摺って後ろに退いてしまう。


「誰だ! さっきからこそこそしていた者は!?」


 その音に気づいて反応したのか、ノテレクが大きなエコーがかった声で叫んでこちらを振り向く。

 俺はその声に一切反応を示さないようにして息を殺して、下を向いてじっとこちらの興味が削がれるのを待とうとする。


「きゃぁっ!」


 しかし予想以上に動揺していたカナエがノテレクの音に反応したのか、尻餅をついて小さな声を上げる。

 怯えたカナエの視線の先を見て物陰に隠れている俺は驚愕した。


 灯りに照らされたノテレクの痩せこけた顔が、既に人間のような肉付きはなく髑髏そのものになっていたのだ。

 ノテレクの奥底の瞳が妖しく金色に輝き、骨を震動させながら声を出している。


 ノテレクは少しずつ歩み寄りながら尻餅をついて恐怖に震えているカナエに話しかけた。


「お前、どうしてここにいる。ここは立ち入り禁止のはずだ」

「あ、あ、あんたって……」


 怯えた表情のカナエは慌てて太ももに巻いてあるベルトから短剣を抜こうとするが、手が震えるあまりそれを落としてしまう。


 ノテレクはその様子を見て愉快そうに骨を震わせて笑う。

 歯と歯が噛みあうカチカチっという音がした。


「そうか、この姿を見て怯えているのか。カカカッ。そうだ。お前にこの姿を見せるのは初めてか」

「あんたって、もしかして……」

「そうだ。私はスケルトン。魔物だ。わけあってこの姿をしていたがな。それにしても人間の擬態とは疲れる。魔力に加えて人間の血肉も必要だとわな」


 カナエが急いでしゃがんで落としてしまった短剣を拾おうとするが、ノテレクはそのカナエの腹をブーツで勢いよく蹴った。

 腹を蹴られたカナエは少し吹っ飛び、石畳の上を痛みで転がる。


 その表情は苦悶と恐怖の表情を浮かべており、歯を食いしばってその痛みに呻き声を漏らさぬようにしていた。


「こそこそかぎ回るとは。この姿を見られた以上は、消えてもらうしかない。せっかく自由な姿で調査しているというのに」


 ノクテルがカナエを踏み、乱暴に蹴ったりした後、頭部に向かって手をかざす。

 その掌から紫色の光が生成され眩く明滅しながら大きくなっていく。


 これ以上は危険であると感じた俺は恐怖を我慢し、ノテレクの蛮行を止めるべく駆けだして、光りが放たれる前にその髑髏の頭をぶん殴った。


「教師が生徒にかける言葉じゃないなぁ?」

「まだ、いたのか」


 ノテレクは吹き飛んだが両足でしっかり踏みとどまって、殴られた箇所を押さえて俺の方向へその妖しい金色の瞳をこちらに向ける。

 頭が吹き飛んでもおかしくない力で殴ったはずだが、あまり痛そうな素振りを見せていないのが意外だった。

 普通なら最低限気絶してもおかしくはない。


「頑丈そうな、骸骨だ」

「お前は、あの新入生か。こいつと一緒で私の跡をつけた来たのか」

「ああ、おかげさまでこんなところまで来れた。それにあんたの正体もわかった」

「黙っていれば、よかったものの。ならば生かしてはおけない。だが数的にはこちらが不利。まずは……」


 ノテレクがしゃがみ込んで地面に手を触れると、幾何学模様が浮き出て輝き始める。

 すると地面が揺れて石畳に亀裂が入り、そこから木の根のような物が這い出て逃げる隙を与えず俺の足を絡み取った。


「くっ。なんだこれ!」


 俺は必死で足に絡みつく根から抜け出そうとするが、思った以上に力が強く、両手を使ってこじ開けようとしても抜け出すのに時間がかかりそうだった。

 ノテレクはそんな俺を尻目にして、倒れたまま身をよじって必死で短剣を手に入れようとするカナエに手をかざす。


「まずは戦力的に弱った者から狙うのが定石だ。それにお前は魔導解放を使える。ならば尚更先に葬り去る必要がある。オーク、お前はその次だ」

「い、いやよ……そんな。や、やめて……」


 ノテレクの傍に幾何学模様が宙に浮き出ており、カナエが涙をぽろぽろと落としながら恐怖に引きつった顔でその模様を見つめている。

 逃げることもできず、恐ろしさに体が硬直しているようだった。


「せめて苦しまず、叩き潰してやろう」

「い、いやあああぁぁ!!」


 幾何学模様から人間の上半身サイズの土の塊が何かの拳のような形で射出され、カナエは迫りくるその土の塊に向かって絶叫する。


「諦めるな! 言っただろ。俺が何とかするってな」


 俺は何とかその絡みついていた根を火事場のバカ力とも言うべき驚異的な筋力で、強引にこじ開けて何とか動けない状態から脱した。

 そしてすぐにカナエのもとに駆け付けて、その射出された土の拳の前に立ちふさがる。


「え、あ、あんた」

「こういうのはな、こうするのが一番いいんだよ」


 迫りくる土の拳に向かって俺は勢いをつけてこちらも拳をぶつけた。

 土の拳は大きな衝撃音とともに砕けていってその場で土塊となるが、土煙がもくもくと上がってしまう。

 天井は高いが煙が散っていくのには時間がかかりそうだ。

 周りは土煙に覆われてしまっているので俺とカナエは思わずせき込んだ。


「ごほっ、ごほっ。ねぇ、あいつはどこへ行ったの?」

「ごほっ。わからねえが、まだ終わりじゃないのはなんとなくわかる」


 濃い土煙のせいで視界がとても悪いので、カナエを抱えて抜け出すために、カナエに手を伸ばそうとした直後。


「おとなしくしていればよかったものを……かえって好都合だがな」


 ノテレクの声がしたが、土煙のせいでどこにいるのか正確にはわからない。

 するとどこかに見覚えのある赤い幾何学模様が、浮き出ているのを見つける。

 それはカナエが放った火球に似たものであり、俺はノテレクが行おうとしていることが危険であることを直感的に察した。


「こいつはまずい!」


 俺は慌ててカナエを連れ出して、全速力でその土埃の中から抜け出した。

 背後では爆発が巻き起こり、俺達はその衝撃で吹き飛んだ。


「ぐぉおおおおお!」

「きゃぁあああああ!」


 幸い爆発での大きな怪我はなかったが、吹き飛んで転んだことで片腕を強く打ち擦りむいた。


「いてて、カナエ、大丈夫か?」

「え、ええ、あたしは……大丈夫」


 カナエは俺の手を借りて腹を抑えながら立ち上がる。

 振り返ると爆発は一時的なものですでに止んでおり、先ほど空中を舞っていた土煙も少なくなって視界は開けていた。


 奥にはノテレクが腕を組んで不満そうにこちらの様子を伺っていた。


「チッ。あのまま、死ねばよかったものの。しぶとい奴らめ」

「……生徒のことを何とも思っていないようだが」

「生徒のことだと? 笑わせるな。私は教師になったつもりなぞ、まったくないのだからな」


 ノテレクは顔面が髑髏のため、まるで表情の変化を見せないまま当然のように言い放つ。

 カナエがキッとした鋭い目つきでノテレクを睨みつけるが、ノテレクは依然として俺達を見下したままだ。

 だが俺とカナエが負傷しているものの、ノテレクの方からこれ以上の攻撃の意志が見えない。


「どうした。俺達に消えてもらうといったわりにはこれで終わりなのか」

「クソガキが、舐めた口を……敢えて手加減してやったんだぞ。後悔するなよ」


 俺が手をくいっと曲げて挑発すると、ノテレクは身を屈めて掌を地面に触れさせて叫ぶ。

 すると地面から巨大な幾何学模様が浮かび上がり俺達の足元までに拡大していく。


「そ、そんな! まさか、こいつも!」

「そのまさかだ! 私に恐れおののけ! 魔導解放!」


 カナエの時と同等かそれ以上の衝撃波が俺達に襲い掛かる。

 俺達も身を屈めてその衝撃波に吹き飛ばされないよう収まるまで必死に持ちこたえた。


「深淵の奥底に眠りし者よ、亡魂となりて彷徨う者よ、底知れぬ永遠の闇へ誘う者よ、彼の者を恐怖へと満たす力を。汝の名はシェオル。我に力を与え給え!」


 ノテレクの周りに禍々しい紫色の空気が集まっていき、それらが体の中へと入っていく。

 そして瞳の色が一瞬消えて意識がなくなったかと思うと、今度は紫色の光りを灯して両手を広げて高らかに笑いだした。


「クックック、ハーハッハッハッハ。気持ちが良いものだな。魔力が高ぶる瞬間と言うのは。そしてその力を行使できる瞬間がな!」


 ノテレクが俺達に向かって手をかざして幾何学模様が浮かび上がっていく、以前使っていたよりも輝きが眩しく、そして大きいものであった。

 その幾何学模様はさらに大きさを増していき、次第に俺の大きさにまで膨らんでいく。


「ヒーッヒッヒッヒッヒ。せっかくなら確実に葬ってやる。さぁ、どうしてくれようか。どっちから始末してほしい? お前達に選ぶ権利などないがな!」

「こいつ。狂ってやがる……」


 狂った笑いが広場にこだましている。

 カナエがその様子を見て恐怖で顔が引きつっていた。


「に、逃げるわよ。あんなのと相手にしたら勝てるはずがないわ」


 俺とカナエはノテレクに背を向けて逃げ出して、出口へと向かう。

 だが出口は瓦礫で崩れており塞がれていた。


「簡単にここから出られると思うなよ。もっと楽しめ! せっかく私が魔力を増幅させてるんだ。しっかり受け止めてくれよ」


 ノテレクは巨大な幾何学模様の拡大を一旦中断し、すぐさま紫の光弾を出口へ放って俺達の逃げ道を塞いだ。

 俺達はひどく困窮した。

 逃げ道を失った以上、生き残るには禍々しく凶悪な力を纏っているノテレクを倒すしかない。

 カナエの時とはわけが違う強烈なノテレクの力と、負傷している俺の体、そして傷つきまだ魔導を放つことのできないカナエ。


「ど、どうしよう。逃げ道が……」

「こいつはまずいぞ。あいつを倒して安全を確保しない限り抜け出すことは難しそうだ」

「勝てる見込みなんて、あるの?」

「あるわけないだろ。だが……ん? あれを見ろ」


 辺りを見渡していた俺は塞がれた出口の上の方を指さした。

 そこは人がやっと通れる大きさの穴がかろうじて空いており、瓦礫を伝って上ることで到達できそうだ。


「お前はあそこを通って逃げろ。その間、俺が時間を稼ぐ。そしてこのことをリンペイに伝えてほしい。俺の信頼している友の力が必要なんだ」

「何言ってんのよ、あんた。あたしが逃げても、あんたはどうなるのよ。それにこれはあたしが言い出したことなのに、あんたを放り出すなんてできるわけないじゃない」

「だが、今ここであいつに立ち向かっても魔導を使えないようじゃ、勝てる見込みがないどころか、足を引っ張るだけだ」

「あ、足を引っ張るって……」


 カナエは悔しそうに口をつぐみ、拳を強く握ってうなだれている。


「俺のことなんて気にするな。俺達オークの間では、同胞を大切にする、犠牲はできるだけ出さない。この二つを掟としている。頭が悪く言葉が通じなくても、仲間としてやっていけるのはこの掟があるからだ」


 俺はだからと付け加えて、うなだれているカナエの肩を優しく叩く。


「同胞を見捨てることは、オークとして許せないんだ。あんたは安心して逃げろ。俺なら食い止めるくらいならできる」

「でもそれって……」

「もうお話は終わりか? 二人で思いついた辞世の句を聞かせてくれよ。面白ければ死者として生きることを許可してやろう。ヒッヒッヒッヒ」


 気色の悪い笑い声とともにノテレクが急かしてくる。

 もはやノテレクにとってはこれは戦いでも何でもなく、圧倒的な戦術の差で相手を蹂躙する虐殺なのだろう。

 生殺与奪の権利はほとんどノテレクが握っているのは間違いないのだ。


「早く行け! そしてリンペイに伝えてくれ」

「……わかったわ」


 俺が怒鳴ってカナエに指示すると、カナエは瓦礫に手を伸ばしていき少しずつ上っていく。

 奇妙な笑いを繰り返しているノテレクに向かって、俺は両腕を構えていつでも動けるように軽い跳躍を行う。


「さぁ、来な。ラウンド開始だ」


 ノテレクからすると俺への迎撃に集中させ、カナエに的を絞らせないように、俺は敢えて挑発した。

 魔導解放を簡単に発動させた辺り、思ったより感情的で行動を起こすのだろう。

 案の定ノテレクは俺の顔に不敵な笑みを浮かべて見ていた。

 両手には紫色の光を纏っており、手の先には幾何学模様が絶え間なく回転している。


「戦う気になったか。勇気は褒めてやるが、それは無謀というんだ。おとなしく死ね!」


 両掌をこちらに向けると、すぐに無数の光弾が俺めがけて発射された。

 速度も速く威力も高いのは言うまでもないので、受け止めるのではなく回避を優先する。

 幸い玉の軌道が非常に読みやすく、俺に向かって十分引き寄せた後、ダッシュして回避行動をとれば避けることができた。


「そんな狙いじゃ当たらねえぞ。今までビビったやつを打ち抜くのは慣れていても、動く的へははじめてか?」

「ちょこまかと、小賢しい奴め」


 ノテレクの攻撃はさらに苛烈を極めた。

 光弾のサイズは掌のような大きさから人の顔面ほどになり、放たれる数や発射速度も向上したのは言うまでない。


 俺が交わした先での光弾は地面や壁にぶつかると、それをえぐりながら弾け散った。

 交わしながら反撃に転じる機会をうかがっていたが、思いの外弾幕が濃いため、近づくことさえままならず一方的に逃げ回っているだけだ。


「さっきの威勢のよさはどこへいった? 私に少しも近づけてはいないじゃないか」

「くっ……」


 俺はふとカナエのいた方向を見た。

 カナエは重い体を引き摺って懸命に上っており、もうすぐ抜け出すことのできる隙間に到達しそうなところ、


「あっ!」


 足を踏み外して滑落しそうなところではあったが、何とか伸ばした手でぶらさがっていた。

 しかし瓦礫の足場の一部が崩れて落ちるパラパラという音がする。


 ノテレクが紫の瞳を輝かせて音のした方向を見て、掌をかざして幾何学模様を生成していく。


「面白いことを考えたぞ! こうなったら、さぁどうする? 私が無防備になる瞬間だぞ。よかったな!」


 俺はノテレクの愉快そうな言葉ではっとした。

 あいつは今とんでもないことを考えている。


「やめろ!」


 そして俺が冷静に対応策を考えるより先に、体はカナエの元に駆けだした。

 勢い放たれた紫の凶弾がカナエに届く前に俺は身を呈して背中で庇う。


「ぐぅぅうあああぁぁぁ!」

「ダ、ダイゴ!? 大丈夫!?!」


 背中に鉛玉のような重たい衝撃を受けると、直後その部分を抉るような激痛が襲い掛かる。

 その激痛に耐えようと歯を食いしばって苦悶の表情をするが、ついに膝をついてしまう。

 カナエがぶら下がるのをやめて、俺に駆け寄って抱きしめる形で、俺の撃たれた背中を震えた手でさすっている。


「……ひどい、痕。ざらざらしている」

「はぁ……はぁ……」


 俺はカナエに答えることはできず、痛みを食いしばって呼吸を整えている。


「あんたの、背中って、こんなに大きかったのね」

「はぁ……はぁ……俺の、ことはいい。さっさと逃げろ……」

「ごめん。もうこうなっちゃったもの」

「はぁ……今からでも、はぁ……間に合う……だろ」

「もう、無理よ。足場も、何も。ないの」


 カナエの表情は絶望しきっており、俺に必死に謝り、胸に小さな顔をうずめる。


「ごめん。本当にごめん……あたしが、無茶言って飛び出したから、あんたが、こんなことに……」

「……だが、俺がこんなことに、なっても。俺は女一人、逃がすことさえ、できなかった。情けねえよ」

「情けなくなんかない! あんたは。必死にあたしを、守ってくれた。見た目は魔物でお世辞にもかっこよくない豚鼻だし、性格も乱暴で愛想もない。そもそもあたし達と一緒にいるなんておかしいはずなのに。それなのに、それなのに……」

「なんだろうが、友達を助けるってのが、友達だろ」


 カナエは息も絶え絶えな俺の言葉を聞いて優しく笑った

 そして涙があふれ出したのか俺のシャツが濡れていく。


「バカ! そんな友達が死んだら悲しいに決まっているじゃない! 何言ってるのよ……死んだら。ダメに決まってるでしょ……」

「はは。女も、泣かしてしまうか。ここまでくると、オークらしい、かもな」

「だからバカなこと言わないで! こんなオークいないわよ! あんたはオークだけど、オークじゃない。あんたは、あんたは……!」


 こういう不器用なことをしないと認めてもらえないのか、と俺は改めて今回の入学当初の目的の難しさがわかった。

 もっとももうそんなことを考える必要はないのだ。


「おーい。感動のメロドラマはもう終了か? 終わったなら、二人ともまとめて撃ち殺されたいか。一人ずつなぶり殺してほしいか。特別に選ばせてやろう」


 遠くで退屈そうに尋ねるノテレクが俺達をまとめて殺すのだ。

 一度死んだとは言え、こんな形で殺されるとなると今度は怨霊として蘇るのかもしれない。

 女の涙と醜い血にまみれて殺されるのは名誉なことなのだろうか。

 答えが出たところで今更立ち上がって、立ち向かう気力もない。


「あんた、いい加減にしなさいよ。ダイゴの代わりに、あたしが相手よ! インチキ骸骨!」

「うーん。健気だ。決めた。残酷に殺してやろう。その心を全て叩き潰す。まずは、生意気な女、お前からだ」


 視界が朦朧としてきた。

 振り返るとカナエが細身の剣を拾って、魔導も何も使わずに無策にノテレクへ突っ込んでいく。

 先ほどの悲痛な宣言から察するに、必死に恐怖を押し殺して立ち向かっているのだろう。


「このっ! やあああ!」

「遅い。遅すぎるぞ。少しはまじめにやったらどうだ。抵抗するならもっと真剣にやれ」


 ノテレクはカナエをなじりながら、攻撃を交わしている一方で、足元に幾何学模様が浮かび上がり拡大していた。

 とんでもないものが来る、という直感だけ頭によぎるが、助けようにも体が言うことをきかないし、呼びかけようにも声も掠れてでてこない。


「そろそろお開きにしてやる。さぁ、深淵へとご招待しよう。どんな苦痛が待っているのかなぁ?」

「な、なによこれ……あ、足が……動かない……いや、やめて……」


 幾何学模様の中からどす黒い泥のようなものが現れた。

 そしてその泥がせり上がって身動きが取れず怯えているカナエを飲み込もうとする。


 このままではカナエがあの泥に飲み込まれて窒息してしまう。

 助けようにも意識が混濁して傷つき動けない体では、早くこちらに来るように、と手を精一杯伸ばすことしかできない。


 その時中央の台座が神々しく輝き始める。

 台座もまた泥のような物に飲み込まれていたので、防衛システムが作動したのだろうか。


「グォオッ! 何だこの光は!? 眩しい!」


 ノテレクが必死に光から目を腕で覆っている。


「もしや、魔導に反応して……!? ま、魔導が、暴走する! し、しまった。このままでは」


 ノテレクが言い終わる前に光の筋に包まれてどこかへ消え去ってしまい、どす黒い泥もまるで潮が引いていくようにそのまま溶けて消えてしまっていた。

 なおも輝きは止まずカナエを包み込んでいく。


「え、これは……きゃあああ!」


 カナエもまた叫び声とともに光の筋に包まれて消え去ってしまう。

 そして次に俺に温かい光が降り注ぐのを感じる。

 あの時ユリに連れられて中庭で出て少し昼寝した時のような、心地の良い陽光であった。


「ははは。これが最後か。案外気持ちいいかもな」


 俺が死を予感してもう抵抗するようなこともせず、潔く受け入れようと目を瞑るとと、謎の声が頭に響いた。


「……ぱれだ……り高き……子よ……我は……」


 その途切れ途切れの謎の声を聞き終える前に、俺は完全に気を失った。

 何かを訴えかけてきても、俺に答える気力はもう残されていないのだ。

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