第1章10話:優しきオーク
窓から差し込まれる眩しい日差しで俺は目覚める。
洞窟の中で過ごしていた時は全然違う、目覚め方に不愉快さとともに懐かしさを思い出した。
「おはよう、リンペイ。さっさと行くぞ」
「おはよう、ダイゴ」
俺は制服へ着替えてカバンを持って部屋を出て、眠そうに目を掻いているリンペイとともに登校する。
リーベカメラード学園には多数の女性生徒が登校しており、同じ方面に進んでいる俺達に向けて奇異な目を注いでいた。
俺達は気にせずリンペイとともに雑談をしながら門をくぐり、教室の中へ入っていく。
教室の中は異様にざわついており、生徒の皆が俺達の顔を見て何かこそこそと会話をしていた。
「ちょっと、あんた達、さっさと座りなさい。話があるわ」
口を開いたのは俺の席の後ろに座っているカナエだ。
青い髪をいじりながら頬杖をついて俺達を睨みつけている。
リンペイの隣に座っているユリは、何か落ち着かないという風にそわそわして両手を膝に置き、こちらに視線を合わせようとしない。
俺達はカナエに言われるまでもなく席について、カナエの方向を面倒くさそうに見た。
「話ってなんだ。登校早々に説教か?」
「そんなつもりはないわよ。ただ聞きたいことがあるの」
「聞きたいことだと?」
カナエは俺の問いに対して左手を伸ばして俺の隣の席を指さした。
整然とされた席はルナのものであり、まだそこには誰も着席されていない。
「まだ、ルナが来ていないのよ」
「登校が遅いんじゃないのか。寝坊したとか」
「そんなわけないわ! ルナはいつも誰よりも早く教室について、掃除しているの。あいつはずっとそうだったわ。だから遅れるなんてありえないの。でも一度だけあったの」
カナエの机を叩く音が教室に鳴り響いた。
「きゃっ!」
前に座っているユリが驚いた声を上げる。
「ルナが左腕を骨折した日よ。その数日前は村を襲うオークの討伐の依頼を受けた日だった。いつも華麗に魔物を成敗するルナからすればなんてこともない依頼よ」
俺は黙ってカナエの話に耳を傾けた。
「それが大怪我をして戻ってきたの。とても悔しそうにね」
カナエは俺の目をじっと見つめる。
「その時と状況が似ているのよ。あんた達とルナが一緒にいるところも見た。関わっていないなんて言わせないわよ」
「あー、そのことかあれは……」
俺が正直に話そうとするとリンペイが会話に割り込んでくる。
「ちょっと、ちょっと。それって言いがかりじゃないかい?」
「言いがかり? そうとしか考えられないって言ってるのよ!」
カナエがリンペイの方向に顔を向けて強い口調で言う。
「きっとあんた達があれからルナをどこかへ連れ込んで乱暴にしたのよ。ルナだって二人係りじゃどうにもならないわ」
「あまりにも話が飛躍しすぎだよ。そもそも僕達がルナさんを痛めつけて何の得があるんだい。僕達の立場が危うくなるだけじゃないか」
「そんなこと関係ないわよ。あんた達は魔物、あたし達は人間なの。考え方や道徳が違うなんてわかりきっていることでしょう。ルナに怪我をさせるなんてなんでもないことよ」
リンペイが必死になだめようとするが、カナエは聞く耳を持たずまくしたてる。
教室はさらにざわめきはじめ、生徒達が俺達に聞こえないよう耳打ちをし始めた。
「うーん。なんて言ったら信じてもらえるかな。怪我をしたのは事実だけどさ、それは事故なんだよ」
「事故?」
リンペイが頭を掻きながらその時のことを説明しようとすると、カナエが不審そうに聞き返した。
おそらく俺が頭突きをして気絶させたんじゃなくて、事故ということにするつもりなのだろう。
そのような嘘は本来好きではないのだが、この教室に漂うルナが欠席することの異様さを察した。
ルナが俺にやられてしまったという事実は、彼女にとっても屈辱のため隠していた方が都合がいいだろうからあえて俺は黙っていた。
「そう。事故さ。ルナさんは僕達に学校を案内し、武道館について説明した後舞台へ下りた時に、誤って階段を踏み外したんだ。その時に頭を打ったってことなんだ」
「階段をね……ルナがそんなドジを踏むとは思えないんだけど」
カナエはなおを信じてくれないようだ。
なおもリンペイはハッタリを続ける。
「ああ、信じてもらわなくても構わないよ。だけど君達がいくら言おうが、僕の言っていることは正しいはずだよ。なんなら登校した時にルナさんに聞いてみるといいよ」
「……リンペイさんの言っていることは本当です」
か細く消え入りそうなほど小さい声が聞こえて俺達の間で一瞬時が止まる。
その声の方向を見ると、顔を俯かせて震えているユリの姿があった。
「な、な、中庭でぼーっとしている時に、武道館の中がこっそり見えたんです。だ、だから気になって覗き見したら……」
ユリはまるで絞り上げるように頑張って声を上げ、緊張しながらリンペイの嘘の説明に真実味を加えようとする。
俺達二人が言うのと、このクラスの同じ班員の同級生に言うのとでは信憑性が違う。
「ふーん。あんたもそう言うのね」
カナエが頬杖をついて怪しいものを見るように、俯いて目を合わせようとしないユリの方へ顔を向ける。
「……まぁ、俺は決してあいつに対して二人係りで乱暴にしたわけじゃねえ。そんなこと、そもそも俺も好きじゃねえしよ」
事実ルナの方から仕掛けてきた戦いで返り討ちにしただけなのだ。
「ふぅん。あんた達がそういうなら、そういうこと、なんでしょうね。わかったわよ」
カナエは表面上は納得しているようだが、態度から全く俺達の言葉を信じていないという感じが直に伝わってくる。
カナエの方もルナに負けず劣らず魔物に対して強い不信感を持っているのだろう。
授業の始まるを告げる鐘の音が鳴り響き、先ほどまでざわついていた教室が水を打ったように静まり返る。
すると扉から前回担当した別の教師が大股で入ってきた。
「げっ……」
カナエが後ろからとても嫌そうな声を漏らした。
俺と似たような大柄で頭は角刈り、目が大きく睨まれると思わず竦んでしまいそうな怖さのあるが、清潔感のある大人の男性である。
「これから授業を始める。それでは礼を」
しんと静まり返った教室を教師の低い声が、刃で空間を切り裂くように響いた。
「ルナは本日休みか。仕方ない。見慣れない顔をしている。そこのでかいの、お前がやれ」
屈強な肉体の教師がルナの隣に座る俺の顔を見て指名した。
俺はしばらく無言で反応しなかったが、後ろからカナエが必死に俺の肩を叩いて小声で囁く。
「あんた何してんのよ。あの教師を無視して目をつけられると、何するかわからないわよ。それにこっちにも、とばっちりがあるんだから。ああ、もう最悪よ。あんたが来て、さらにバルカまで来るなんて」
バルカと呼ばれる屈強な男性の教師の顔を見ると、目玉は俺からそらさず俺の方を見ていたが、その目元はとても引くついていた。
確かに迷惑をかけるわけにはいかないと思い、その怒りの兆候を感じ取って俺は大きな声で礼をする。
「起立! 礼!」
そして一斉に全員が「よろしくお願いします」と頭を下げた。
一か八かで人間世界の風習でやってみたが、思いのほか上手くいって俺は着席すると一安心する。
だが張りつめたような緊張感は緩むどころか、ますます息苦しくなるような空気で充満していた。
授業は『種族文化学』
人間と言う種族と多種多様の魔物の文化を、人間の観点より分析したものである。
バルカの言葉に耳を傾け、黒板に書かれる内容を必死でメモを取る――授業の内容は頭に入らないほどに。
たまにバルカが生徒を指名して質問に答えさせようとするが、その時の生徒の怯えた表情と震えた声は、まるで異形の者と対峙する人間。
心当たりのある顔、オークキングである俺と出会った無力な人間のその顔だ。
だがバルカは魔物ではなく、教師と言う身分の人間なのだ。
人間のあのような表情は魔物だけでなく人間に対しても見せるものであると、授業以上に種族について知った気になってしまう。
永遠ともいえるような張りつめた空気はふとした瞬間、終了を告げる鐘の音で打ち切られ、礼を済ませた後バルカはこちらに目もくれず教室を立ち去った。
授業が終わるや否や、全員が嵐が去ったように安堵の息を漏らす。
後ろのカナエは深く一息をついており、前方のユリはまだ指が震えておりカーディガンの胸を押さえていた。
ユリもこの授業に関しては寝ていることはなく、真剣に取り組んでいたのであろう。
リンペイはというとマイペースと言うか、さっきの授業のノートを見返して復習している。
バルカの授業を終えて、その後に続く骸骨のようにやせ細った担任教師の、やる気のなさそうな生物の授業を終えると俺はけのびをする。
先ほどのバルカの緊張感のある授業と比べると、眠くなるような退屈な授業であり、ノートを取ることもそこそこにした。
隣で気持ちよさそうに寝ているユリの隣の、リンペイはまじめに授業の内容を聞いているため試験が近くなったら聞くことにしよう。
「おし、飯だぞ。リンペイさっさと食堂へ行こうぜ」
「やれやれ。君は本当に食い意地だけは立派だね」
「こっちは腹が減ってペコペコなんだ。リンペイみたいに小食じゃなくて、俺は腹を満たすほど食わないと満足しねえんだ」
「オーク特有の食い意地ってやつだね」
「悪いか?」
「いーや、全然。むしろ昨日のあんな肉だけで満足しているとは思っていなかったら安心したよ」
昼休みへ入り俺はリンペイを昼食へ誘うとリンペイは頷いた。
その脇で小柄な姿でもじもじといているユリが小さな学生かばんを持ちながらこちらを見ている。
「やぁ、ユリちゃん。どうしたんだい」
「あ、あの、わ、私も」
リンペイの呼びかけにユリが声を震わせながら答えた。
昨日俺達の部屋にいた時は特に緊張した風ではなかったが、場所が教室に移りそこに多数の生徒がいるとなると状況が変わるのであろう。
「一緒にご飯ってことかい? 大賛成だよ。ダイゴもいいよね」
「ああ、俺は飯が食えればそれでいい。それにせっかくなら多い方がいいしな」
「やった。ありがとうございます。リンペイさん、ダイゴさん」
俺が肯定するとユリは満面の笑みで喜んでいるようであった。
「だったらカナエさんも一緒に呼ぶのはどうだい」
俺は様子を伺おうと振り返ってカナエの方を見る。
カナエは会話に気づいていたのか、睨みつけるように俺の方を見ていた。
「おあいにく様。あたしはあなた達に混ざるつもりはないわ。なんで嘘つき魔物と乱暴な魔物とちんちくりんと一緒にご飯を食べないといけないのよ。そんなことになったらご飯まで美味しくなくなるわ」
腕を組んで突っぱねた態度を取られたので、俺は肩をすくめてリンペイの方を見た。
カナエは立ち上がり俺達から背を向けてカバンを持ち、どこのグループに交じることもなくそそくさと教室から出ていく。
「これは難しそうだね。それじゃ三人で食べに行こう。昼休みが終わらないうちにね」
「そうですね。この時間ですと食堂は混んできますので、できるだけ早い方はいいですね」
俺達はユリの助言に従って駆け足気味に食堂のある一階へと駆け下りて行く。
食堂は昨日のルナの学校案内の時のような閑散とした様子ではなく、昼時のため大繁盛していた。
トレーを持って食事を心待ちにしながら、友達との会話で盛り上がる生徒ばかりである。
俺達は辺りを見渡してちょうど三人が座れそうな席を見つけた。
円形のテーブルのそばには背もたれのない固定椅子である。
とりあえずそこに荷物を置いて食事にありつこうとユリに尋ねた。
「どうやって料理をもらう仕組みなんだ。手持ちの金は入学前に少し稼いだ分しかない」
俺は入学前に種族を偽って荷物を運ぶなどの、昔懐かしい力仕事を空いた時間を見つけては従事していた。
言葉を解せない他のオークではまず仕事すらさせてもらえず、かといって長期間仲間のオークを放置しておくとあとあと何か厄介事をなす恐れがあるため、住処と人里を往復する生活を送っていたのだ。
その際の食事はいつもの住処で予め焼いた肉を木箱に入れた弁当であった。
「えーっとね。食堂の係りの人に声をかけて注文すると、料理名が書かれたお札がもらえます。それで料理が出来上がるとそのお札が微かに光るので、それを交換する仕組みです。お代は注文の時に払ってください」
ユリの説明で俺はフードコートを思い出した。
あそこも料理が出来上がると音を鳴らしたりして伝える方式だ。
かなりハイテクだなと俺は思わず苦笑してしまう。
「へぇ、すごい力だね。それもカナエさんの言っていた魔導なのかな」
「そうですね。と言っても戦いに使うほど強力なものでもなくて、使い捨てのため非常に微力なものなんですけどね」
「なるほどね。さすが人間界の技術だ。僕達もそういうのを取り入れたいところだね。きっと生活が豊かになる」
「ええ、そうですね」
俺はリンペイとユリの会話を聞きながら、腹の虫を押し殺していた。
いい匂いが鼻孔を刺激するので、さっきより活動が盛んなのだ。
「まぁ、その辺にしてさっさと飯でも食おうぜ」
俺が少し苛立った感じで切り出して立ち上がった。
「ご、ごめんなさい。そうですよね。お腹空いてますよね」
「いいんだよ、ユリちゃん。気にしなくて。お腹が空いたらいつもあんな感じなんだ」
俺はリンペイを睨むと、リンペイは少しおどけた感じのけぞって見せた。
食堂の受付を見ると様々なメニューが並んでいる。
オーソドックスな肉と野菜と汁と米の定食のような物から、バスケット一杯のパン、単品としてシチューやグラタンなどに加えて昨日ルナが言っていたステーキまである。
その多種多様なメニューを見ながら考えるが、今はとりあえず量と価格を両立したいと考えたので日替わり定食を注文する。
「おやまぁ。そんなでかい子が入ってくるなんて、もしかして新任の先生かい」
「いいえ、最近こちらに編入したばかりで」
「なんだって、うちの生徒かい。うちも変わったものだねぇ。よし、だったら育ち盛りだ。うんとお食べ」
食堂のおばさんが友好的に俺に話しかけてきたので、俺も精一杯無礼にならないように返答して料金を支払う。
そしてユリの言う通りお札を渡されたので、俺はぎこちない笑顔でそれを受け取った。
席に戻りほどなくするとお札が光りだす。
まだリンペイとユリは戻っていないようだが、俺は空腹を抑えきれず再び食堂の元へと向かう。
俺が番号札をもって交換すると俺は目を疑った。
一切れが大きなサイズの焼き豚と大きく盛られた野菜、そして皿に一杯に盛られたご飯がトレーの上に置かれていたのだ。
「さぁ、あんたが今の食べ盛りだ。これでも食べてうんと大きくなりよ。あたしにもあんたみたいな子が元気に働いているんだよ」
「……おばさん、ありがとう」
俺は胸から湧き出そうになる熱い感情を必死にこらえて受け取った。
空腹のせいか、人間的な食べ物のせいか、もしくはおばさんの優しさのせいか。
複雑に入り混じった感情のまま席に戻って、おばさんから出された食事をむさぼるように食べ始めた。
「おい、ダイゴ」
隣に座るリンペイから色とりどりの野菜が盛られたサラダを、フォークで口に運びながら声をかけられる。
「ここは、人間の世界だぞ。手で食べるなんて、なんてはしたないんだ。フォークとスプーンくらい使えるだろ」
「……すまん」
俺は素手でその料理を食べていることに今更気づいた。
顔を赤くしてトレーの脇に置いてあるフォークを使ってご飯を食べ、そして焼き豚を口に入れてじっくり咀嚼して味わう。
「ふふふ。面白いですね、ダイゴさん」
ユリが小さなハンバーガーを手に持ちながら微笑む。
「腹が減っていたんだ。それにめちゃくちゃ美味い。こんなの味わえるなんて幸せだ」
「そんなに美味しそうに食べられると、作った人もきっと幸せですよ。最初は怖い人かと思いましたけど、優しい人なんですね」
俺は食堂のおばさんの方へ目を向けると、おばさんも俺の方を見ており満足そうに頷いていた。
「でも、どうして優しいなんて思ったんだい。普通怖がったりするもんじゃないのかい」
リンペイが口の中で野菜をシャキシャキと噛みながら尋ねる。
「だって私のクッキーもあれだけ美味しいって言ってくれたんです。初めて言われたのも嬉しいんですけど、あんな正直で純粋に言う人が悪いわけないじゃないですか」
『優しい人』か、俺は照れくさいその言葉を何度も頭の中で繰り返し、今まで感じたことのない爽やかな風が胸を通り抜ける。
「いいやつなのは間違いないよ。まぁちょっと頭が足りなくて、考えるよりも体が先に出てしまって、力加減もわからないってのが玉に瑕だけどね」
「まぁこいつの言う通り、俺はバカで乱暴なところがある。優しいなんてのは無縁だ。いつカッとなるかわからねえし」
リンペイの冗談で現実から引き戻されて、俺は自嘲気味に笑い、サラダを口いっぱいに頬張る。
優しくて頭がいいのなら、あの時ルナを力一杯に殴って怪我をさせることなんてなかったのだ。
だがああいう状況になってしまうと、どうしても体が言うことを効かなくなる。
「そんな優しい人に一言、言わせてください。私達クラスメートに乱暴を振るうなんてダメですよ」
ユリが険しい顔になって俺に忠告した。
「まぁ、その件については悪かった。薄々感づいちゃいると思うが、どうあれ俺がルナを怪我させた。反省はしている」
あのとき俺達をかばってくれたユリはやはり気づいていたのだ。
ルナが休みの理由に俺達が直接的に絡んでいることを。
「今度は何とか抑える。そう頑張る」
「僕からもしっかり見ておくよ。止められるかどうかはわからないけどさ」
俺が俯き目を瞑って反省の意を示すと、ユリはうんと頷いて明るい顔に戻る。
「それならいいです。ごめんなさい。ちょっとそれだけは言っておきたかったんです。それじゃご飯を再開しましょう。せっかくのご飯が冷めてしまいます」
ユリは俺達に申し訳なさそうに頭を下げる。
あまり人前では堂々とはできないのだが、言う時は言いたいと思っているのであろうか。
さっき俺達とカナエの話し合いに割り込んだ時も、俺達を助けたい一心で言いたくて仕方がなかったのだろう。
その後黙々と俺達は自分の食事と向き合い腹を満たしていく。
久しぶりに人間のような食事を食べたことで俺は凄まじい満足感と幸福感を感じた。
昼休みもまだ時間があるため、その場で一服して時間を潰しているとリンペイが唐突に口を開いた。
「それにしてもあのバルカって教師は怖いな。こいつほどじゃないけど睨まれただけで体に寒気が走ったよ」
「俺がいつそんな寒気をさせたっていうんだ」
リンペイは俺の言葉を気にせず話を続ける。
「おっかねえ教師だよ。はっきり言ってただものじゃないね。そもそもあいつは元教師なのかな。それとも人間でもないんじゃないのかい」
リンペイが冗談っぽく言っているが、それに答える側のユリは口元を指差し視線を上の方に移しており、言葉に困っているような表情だった。
「んー。どういう人かってのはよくわからないです。私達が入学する前から教師としていましたので。ただ」
「ただ?」
「その来歴にはいろいろと噂があるんですよ。伝説の魔物狩りの達人だったり、軍人だったり。そのどれもがあの大きな体なら納得なんですけどね。もしかしてオークだったり」
「おいおい、あんな奴俺の縄張りにもいなかったぞ。だがバルカがいたらすぐに統率がとれそうなもんだがな」
俺は傾聴に徹しようかと思ったが思わず突っ込んでしまう。
「まぁ、なかなか謎のある人物ってのは間違いなさそうだね」
リンペイがユリの言葉に納得し、俺もまた同様に深く頷いた。
あの体格と凄みは常人が得るものではなく、バルカが元軍人でこれまで幾多もの人間や魔物を滅ぼしたといわれても説得力がある。
その性質が教師として合っているかどうかは置いといて、生徒をあれだけ静かにさせたのだからある意味素質があるのであろう。
そして話はうちの担任である、骸骨のようにやせ細った男性に移る。
「うちの担任のノテレクはバルカと比べると全然違うな。どうも覇気がないし、授業にもやる気がないように見える。ユリちゃんが寝てしまうのも無理はないね」
「なんかあの声のダウナーな囁きが子守歌みたいで心地よく寝ちゃうんですよ」
ユリは舌を出して愛嬌のある笑いを浮かべた。
「ノテレク先生が一番謎が多いっていうか、リーベカメラード学園に赴任してまだひと月しか経っていないんですよ」
「へぇ」
「それでどんな先生か探ろうと話しかけても、適当にあしらわれたりする生徒が多くて、次第に近づく人もいなくなったんですよ。というか話しかけられると露骨に舌打ちしたり、嫌な態度を見せるんですよね」
「ははは。見た目通り陰険ってわけだね。おっと、これは失言だったかな」
リンペイがきょろきょろと首を振って辺りを見るが、こちらの会話に聞き耳を立てる者はいない。
むしろこの会話自体、食堂内の他の生徒の会話や笑い声でかき消されているのだろう。
生徒に交じって教師も利用しているのかもしれないが、幸いバルカの巨体やノテレクの生気のない顔も見かけない。
「まぁ、バルカほど怖くもなければ、幾分か授業は受けやすそうじゃないか。どうもバルカの授業は緊張で肩が凝ってしまうのでね」
「そうなんですよ。バルカ先生の授業を寝てしまったら、そのままあの世まで行っちゃいそうで。でもノテレク先生は安心して眠っていられますね」
「うーん。君はもっとまじめに授業を受けた方がいいよ」
「違いねえ。俺だって我慢して受けたんだしな」
「むー。ダイゴさんに言われるなんて……」
ユリが小さい顔の頬を膨らませて不満そうに言うと、俺達の中で明るい笑い声で包まれた。
いつまでもゆっくりできる時間があればと思うが、ふと時計を見るともうすぐ昼休みが終わるところだ。
また次の授業が始まるため、俺達は食器を片付け足早に階段を駆け上り教室へと向かった。