第1章1話:編入生はオーク
俺は誰にも理解されることはなかった。
些細なことで誤解は誤解を呼び、それは軋轢となって互いを遮る分厚い壁となる。
俺は壁の向こうを理解したいのに、おそらく向こうもそう思っているに違いない。
その壁の先へたどり着き、そして互いに手を握るために俺は必死にもがく。
よじ登るのか、迂回するのか、人の手を借りるのか、それとも叩き潰すのか。
静けさを保つ教室に緊張の糸が張り巡らされている。
俺はそんなことお構いなしと言わんばかり、巨体を揺らしてずんずんと歩き黒板の前まで達した。
前々から制服というのはひどく息苦しいものだと思ったが、特注サイズとは言え今の体に合っているとは思えない。
普段来ていた上半身裸とおいラフな格好が恋しくなり、窓の外の青い空を眺めていた。
せめてこのブレザーくらいは脱いでシャツだけになりたいと考えた時、感情的な声が響く。
「き、き、貴様は! この間の! 忘れたとは言わせん」
見ると金髪ポニーテイルをした凛々しい顔つきの女が立ち上がって俺に向かって指をさす。
シャツの上の黄色いネクタイはきれいに結われており、黒いブレザーにしっかりとボタンがしめられていた。
チェック柄のスカートを履き、黒いニーソックスが健康的な太ももを強調している。
その指先はわなわなと震ており、顔の方を見ると怪我をしたのか頬にはガーゼが張られていた。
「おいおい。あんたとどこかで会ったか? それに俺とが? あんたみたいな女がこんな俺と何かあっちゃいけねえよ」
「君も人が悪いね。そんな白々しい嘘、むしろ逆効果だよ。もっと堂々と行けばいいんじゃないか」
俺の隣にいる子供と見間違うほど小さい魔物が俺の顔を見上げてクスクスと笑う。
その小さな魔物の身長は俺の三分の二ほどの大きさで、皮膚は肌色というよりは少しオレンジっぽい。
目は細く顔も整っているが、ずる賢そうな内面が外面へと露わになっている。
そんな彼の中でも鼻の高さが目を引いた。
「うるせーな。俺はここに勉強しに来たんだ。暴れるつもりはねえし、喧嘩を売るつもりもねえ。できることならこの姿を隠して静かに済ませたかったんだがな」
「はいはい。そもそも君の無駄にでかい体で静かにできたら幸せっただね。隠し通せたかどうかは知らないけどさ」
俺は一つ咳払いをして周りを見渡した。
なるほどやはり俺達以外はパッと見で人間と言うのがよくわかる。
そして教室中の性別が女性であるということもはっきりとした。
「……あっ」
黒いボブカットのおとなしそうな女が俺と目が合うと、俺が怖いのか急いで視線をそらす。
大きく丸い目を持つ幼い印象を与える女は、小柄なことも相まっていかにも地味で目立たない姿である。
ブレザーの代わりにベージュのカーディガンを着ており、胸につけてある青色のリボンが可愛らしい。
「ふーん。なんか変なやつが入ってきたわねー」
制服を着崩しリボンカチューシャを身に着けた、青い長髪の女が生意気そうに頬杖を突きながら、切れ長な目で俺を睨みつけてきたので、俺はなんだかその目つきが気に入らず睨みつけ返した。
青い髪の女はそれまでの二人と比べて、制服を着崩しておりシャツのボタンをいくつか外しており、赤いネクタイもルーズに垂らしている。
極端に短くしているスカートに黒いタイツの足がすらっと伸びていた。
「貴様、覚えておけよ」
そしてあの金髪の怪我をした女については、今は見るのをやめておこう。
「それじゃ、さっさと自己紹介を」
面倒くさそうな様子で痩せこけた顔の教師が俺に指示をする。
「俺はダイゴ。うすうす気づいていると思うが人間じゃなくてオークだ。地元じゃオークキングなんて呼ばれてる。それで俺はここに勉強をしに来た。喧嘩をしに来たわけじゃねえ。ここであんたらの技術や文化を知りたいって謙虚な気持ちで来ているんだ。今後ともよろしくな」
オークと言う言葉に教室がざわめき始める。
元人間だった頃と比べて体が無駄にでかく豚鼻で厳つい顔つきは変わっていなかったが、毛むくじゃらになり鋭利な歯が生えて完全にオークとなっていた。
この姿になってしばらく経つが、もう随分と慣れてきている。
というかずっと前から冗談でオークと呼ばれていたら、まさか本物のオークになってしまうなんて夢にも思うはずないのだ。
まずオークとなった俺がなぜ学校へ行くことになったのか、それにはある理由がある。
俺は自分の身がオークとなってから不満は溜めながら、薄暗い洞窟で仲間を引き連れて生活をしていた。
元人間の俺は他の一般オークよりずば抜けて賢く仲間思いであったため、オークを引き連れてその群れの頂点になるのも造作でもないのだ。
食う寝る暴れるがオークの三大要素と言って過言でもない。
というかオークの言葉はほとんど鳴き声や呻き声であり、たまに公用語を混ぜて使うくらいの言語能力しかない。
正確に仲間同士に言葉を伝え的確な指示を出して、加えて村や街から装備の調達を行い暮らしを豊かにしてきた俺はいつしかオークの中でも尊敬されるようになっていた。
木の枝や石の武器から、銅や鉄の存在を知った時のオークの顔と言ったら、アホ面なのは変わらないが何か喜んでいるように見えるのが印象的だったもんだ。
今までのオークは狩猟と略奪だけが生活の糧であったが、略奪することを禁止とし代わりに木の実の採取を覚えさせ、狩りもただ狩るのではなく効率よく狩るために罠や作戦などを立案していく。
それでも元来の性質である略奪をするものは多く、そのたびに人間から狙われ危険に晒された同胞のオークを俺は体を張って守って逃がしていた。
そのように俺はオークたちより信頼を得て、お山の大将となっていたが、いつまでもこんな薄暗い洞窟にはいたくない。
食料を保存してもすぐにカビが生え、ネズミのかじった痕ができ、いつまでもじめじめしていて気分が悪い。
いい加減俺達も外の世界でのびのびと過ごしたいと思い、仲の良いゴブリン族を呼んで方針を決めたかった。
外の世界における魔物の立場は人間に退治されるだけの存在で、その力関係ゆえにオークを始め魔物は人里離れた洞窟に引きこもりを余儀なくされている。
一部の魔物は――ゴブリンを例として、姿を隠してうまく人間生活に馴染めているのもいるが、少なくともオークにそのような理性や知性は備わっていない。
伝令のオークに指示を飛ばし、ほどなくすると数体のゴブリン達が俺達の洞穴に入ってきた。
「急に呼び出してどういう要件だい、ダイゴ。僕は次の冬に備えてゴブリン達に木の実の収穫を指示していたところなんだ。まだまだ僕の目で検品しないと虫が巣食った木の実や、よくわからない見るからに怪しいキノコを持ってくるものでね。少しずつ精度が高まってるけどまだまだだね」
「忙しいところわざわざすまないな、リンペイ。大事な話があるんだが、相談に乗ってくれねえか」
「まぁいいけど。いつも君は急だね。少しは僕の方の事情も鑑みてほしいよ。なんだかんだ言って僕も君と似たような立場で、ゴブリン達を統括するトップなんだし」
おしゃべりなオレンジ色の肌のゴブリンのリンペイが椅子に座る。
一般的なゴブリンは緑色の肌をしており、現に彼の周りに立ち武器を持って護衛しているゴブリンは緑色であった。
リンペイが言うにはこの特徴的な肌の色故に特別視され、加えて人語を解す知能も持っているため、今では俺と同様に実力を示すことで群れの頂点になったようだ。
人間の様な肌に嫌悪感を覚えられたりや、人の言葉を話せることで群れからはじき出されたらしく結構苦労していたらしい。
ゴブリンからみればそうであっても、俺としては人間のように接してくれるリンペイは、話の通じて相談のできるありがたい存在ではあるが。
「それで、大事な話ってなんだい。手短に頼むよ。こんなじめじめなところにいると僕も気分が悪いよ。せっかくの髪の毛もすぐダメになってしまう」
「そのくるくる天然パーマはいつもだろう。俺達の住処のせいにするんじゃねえ」
俺達は楽しそうに談笑した後、本題へと入る。
「そうか、君もついに外に出たいと思うようになったんだね! その言葉を待っていたんだよ。今後もこんなところで話し合いだなんて僕の方もごめんさ」
リンペイが強く手を打って喜ぶと、洞窟内に響いて住んでいた蝙蝠たちが一斉に飛び立つ。
「まぁ、そういうわけで、今後俺が何をすべきか教えてほしい。特にあんたのノウハウが必要なんだ。食べられる木の実について学んで、あいつらに教えてもすぐに狩りや盗みに走ってしまう。俺はやめろって口を酸っぱくしているんだけどな。今のまま少し外へ出るとすぐに自警団や騎士団に追われてしまう。そのたびに俺が追いかけて守るのも大変なんだぜ」
「それは君達民族特有の問題だ。いかんともしがたい、本能のようなもの。我々ゴブリンはある程度聞き覚えはいいから、単独行動はしないようになっている。イノシシみたいに突っ込むのはナンセンスだからね。だから君達が外に順応するには根本を変えるしかない」
「根本を変えるって? どういうことだ」
「君たちは腕っぷしが強いけど、人間達からのイメージは暴れん坊さ。だが使い方を誤らなければいい働き手になるのさ。いいかい、その人間たちからの認識を改める必要があるんだ。オーク達は略奪者じゃなくて、家を建てたり重いものも運んでくれる善良な魔物としてね」
しばらく沈黙が続き、天井から水の雫がごつごつした床に零れ落ちる。
俺はその沈黙に耐えられず思わず口を開いた。
「……どうすればいいんだ。俺達オークが人間に馴染めると思うのか。言葉も通じない、覚える頭があるのかもわからないんだぞ」
「だから君の出番じゃないか」
リンペイは口元にやけさせて俺の肩へ手を伸ばす。
「君の知能は人間くらいはある。少なくとも僕と同様に人語を話せるんだ。これほどの人と魔物の橋渡しの適任者はいない。だからね」
ポンと手を叩き衝撃的な提案をする。
「僕達が人間の学校へ行こう。学校と言うものは学ぶ者であれば何も拒まないと聞く。そこで彼らと対話を重ねて、僕たちと言う生き物を知ってもらう。その間でそれぞれの文化の勉強をして、仲間達に伝えるんだ。わからなくても感じてきたもの教えれば伝わるはずだよ」
俺はしばらく考え込んで深く頷いた。
「なるほど。めちゃくちゃな計画で学校に行くっていうのが乗り気になれねえが、同胞のためだ。それくらいなら我慢してやる」
「ああ、そうするのがいい。僕も一緒について行くよ。君が心配だし、確かめたいこともあるしね」
俺がリンペイと握手をして互いの友情を確かめ合うと、外から一体のオークが慌てて俺に慌てて報告する。
呻き声とたまに単語を挟むだけで何を言っているかわからないが、不思議と言わんとしていることはわかった。
どうやらリンペイとは別に、誰か招かれざる客が来ているようだ。