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手書きの履歴書は人なりや

作者: jin

最近のニュースで履歴書の話があった。

履歴書は恐ろしくも便利な物だ。人の数十年かかった人生をわずか数行で表し、場合によってはその内容で人間としての格を決める。それが全てだというように。

だがこれも必要なことだと理解できる。少なくとも出身校の入学における難易度で努力できる人間かどうかが分かるし、資格の有無で即戦力たりえるかも分かる。逆に空白が多ければその程度の人間と思われても仕方がない。


履歴書は手書きか否か、という話はここのところ何度か目にするようになった。某分厚い芸人が呟いて再燃しているようだが、何年もの間見て見ぬふりをされ続け、今後十年ほどは続くであろう問題だ。

そもそも履歴書には何が求められているのか。どの学校を何年で卒業し、どの会社でどれ程の地位までのし上がり、有用な資格を所持しているか、そういったことだろう。もちろん志望動機などもあるだろうが、それら全ては文章として見ることができればよいものばかりだ。手書きを求めるには少々無理がある。

世間では手書きの履歴書からその人が見えるという。実際に筆跡によって性格が分かる技術もあるし、そもそも上手い下手で大雑把に分類することはできる。採用担当者が判断できるかは別として。


私は履歴書が印刷物でも構わないと考えている。少なくとも手書きよりは遥かに見やすいし、管理も手軽になるはずだ。就職活動する側も余分な時間を取られずに済むし、失敗して捨てられる分の紙を考えるとエコにも繋がる。

どうしても筆跡で人物を見たいというなら、面接の場で書かせればいい。話以外をしてはならないという決まりもないだろう。なんなら筆と半紙を用意すれば、教養の粋を垣間見える。筆跡診断をしたいのならば、何大学の何学部卒業や免許取得という文面よりも、性格が見やすいものを書かせて手本と見比べればいい。「永遠」などと書かせて、この払いはどうだ、この跳ねはどうだと調べるほうが効率的だろう。


誰もが通った道だからと先人は言う。手書きの大変さも、就職活動には必要なものであると。

正直なところ私には理解できない。先人の苦労を同じように味わえなど、その礎の上に立つ若者を潰すことに他ならないはずだ。先を見据えるなら、別の場所で苦労させるほうが利益にもつながるだろう。


そして残念なことに、古い価値観が力を持つ時代である以上、手書きは当然の苦労と切って捨てられる。

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