グラッパグラスと銀時計〜熊蜂〜
亀更新です。
午後八時半、北海道の十二月の頭には雪は多少なりとも必ず積もる。足場が困難な事はないが、みぞれ状の道は歩きにくい。
札幌の中央区、街から住宅街にかけての中間地点にその店はある。
少しでもビルから離れると必ず緑が見えるようなこの街ではそんなに珍しくはない木々に囲まれた店だ。白い漆喰とレンガが使われた壁には、季節のせいで枯れてはいるがアイビーがゆるくをつたい、グレーとワインレッドが混じり合った屋根。クラシックな造りなのか煙突があり、コニファーが美しく植えられている。モダンクラシックな外灯の下には店の名前が書かれており、立て看板にはオープンとラストオーダーの時間が書かれていた。どうやらもうお客は取らないらしい。
今日は火曜日、師走とはいえお客さんは全員帰ってしまった。ここのお店、「西洋料理店 Bouquet di rose」のオーナーシェフは従業員に掃除をするよう言い渡し、コックコートを脱ぎバールカウンターでマネージャーと向かい合った。
オーナーの名前は東風 月花。なかなか風流な名前の女料理人である。尖ったあごに程よい厚さの唇。細めの眉には切れ長な目と、長い睫毛。つんとした鼻にロングの黒髪を首後ろで結んだ、キツい印象をうけやすい顔立ちだ。
それに加え月花は背が女性にしては高く、172㎝はある。そんな月花の向いにいるマネージャー、夏橋 彦志郎はふわふわな栗色の髪に水色の瞳をした優しげな男で、月花と対した変わらない身長で頭を抱えていた。
「オーナー、明日のディナータイムなんですけど、どうやら前にお断りした雑誌記者の方が予約していて…」
「お客様としてきている様子ならごく普通のお客様としてのサービスを、記者としてなら叩き出せ。」
「あっさり言いますね、わかりました。」
なかなか男前な答えを出した月花にやれやれと肩を落として彦志朗は今日の残高を計算する為、レジに向かうとチリンチリンというドアベルが鳴った。
店に入って来たのはひょろりと背が高く、ダークグレーのロングコートを着て同色のボルサリーノハットを被った男だった。
「お客様申し訳ございません、当店はもう閉店時間でして…」
「いいじゃないか、ちょっとだけ体を温めるだけだよ。」
新人アルバイトの子の模範解答の様な声を無視し、男は革靴を鳴らしながら中に入っていく。
「あぁ、住吉くん。その方はいいんだよ。いらっしゃいませ。」
「よくない、閉店時間だ。帰れ狐、私は時間外労働はしない。他の子も無理だ。」
アルカイックスマイルをしながら男を歓迎する彦志朗と、不機嫌に眉を寄せ男を睨みつける月花。この二人を面白そうに見ながら男は帽子をとり、今だ火がついている暖炉側のテーブル席に座った。
「まぁ、まぁ、いいじゃないか。彦志朗君もこう言ってるし。いいグラッパが手に入ったんだ。肴はいいから飲もうよ。」
「ここは私が考案した料理を出す所で、貴方の自宅じゃないんだが?」
「オーナー、皆仕事を終わらせたようですし、私も後は残高計算したら帰ります。確か新しく購入したグラッパグラスがあるじゃないですか。」
ねぇ?と彦志朗に笑みを向けられた月花は、眉間の皺を深め軽く睨みつけた後ため息をもらし男の向かいの席に座った。
男は笑みを深め、コートと帽子を脱いだ。
やや長めな黒髪をオールバックにし、一筆書きしたような糸目で、ダークスーツを来た様は漫画に出てきそうな中国人系マフィアか主人公を惑わす道化師系キャラクターにしか見えない。男性らしい骨張っていても長い指で、グラッパのボトルネックを挟んでいた。
「仕事の都合でフェレンツェに行ってね、近くのエノテカで買ったんだよ。」
そう言うと、グラスとナフキンらを持ってきた彦志郎からナフキンを貰い、グラスに注ぐ。球と筒が繋がったような独特の形のグラッパグラスは、月花が小樽に居る知り合いの職人にお願いした物だった。
香りを楽しんでから口に含む。爽やかで、何処かマイルドな口当たりだ。
「・・・相変わらず、見る目はある。」
「口にあったて事だね、光栄だ。しかしこのグラス、見た目は凄く華奢なのに持ったらしっかりしているんだね。」
「そういうオーダーをして作ってもらったからな。」
軽く会話をしながら月花と男はグラスのグラッパを開けていく。そうしていると、バイトの子や他の従業員も仕事を終え、ポツポツ帰って行き、残りは月花と男、そして彦志郎となった。
「オーナー。」
身支度を終え、後はコートを羽織るだけとなった彦志郎が声をかける。
「私は帰らせていただきます。後をお願いします。」
「わかった、お疲れ様。」
「失礼します。それではアレックスさん、ごゆっくり。」
そう言うとにっこり笑い、店を出て行った。後はじっとりと男_ 柳原 アレックス 雪人を睨む月花がいた。
「それで?一体何の用だ?」
「厄介事を持ち込みに。」
思わず語尾にハートマークが付きそうな言い方に、月花はグラスのグラッパを一気に口に含み、眉間に皺を作りながら喉に流した。
「・・・帰るから出てけ。」
「お願いだよ、つくちゃん。多分君も気に入るよ。終わったらあげるからさ。」
思わず席を立つ月花を雪人はすかさず制し、鞄の中からは手のひら大の臙脂色の箱。
「たまたま通りかかった骨董店に置いてあってね、手に入るとは思わなかったよ。」
わくわくとした好奇心が止まらないような様子で指の関節と、指の腹で箱を開ける。
中には熊蜂のレリーフが象られた銀時計だった。
「やっぱり運命なのかな?」
「運命は既にまわっている。これは、その一つにしか過ぎない。」
そう、いつ何時だって、運命はまわっている。我々はふとした切っ掛けを機に、運命の流れを感じるだけなのだ。
「いつ何時でも、我々は運命という歩かざる得ない道筋をたどるのさ。」
変わったことなど何もない。”私は何も変わりはしない。”
「…俺は何時でも君を思っているんだけど…。」
アレックスが自分の事を「俺」と言う時が本音を話す時だと言うことも知っている。
こいつから告白を受けたのが何時だったかは正直覚えていない。私は今だに縛られ続けている奴がいるし、そういう対象としてアレックスを見れないというのもある。
再び銀時計を眺める。熊蜂は不可能を可能にする象徴であり、私がこちらの世界へ足を踏み入れた切っ掛けでもある。
「また何か動きだす気配がするからね。用心の為にあげるよ、その銀時計。”切っ掛けが強ければ強いほど使いやすいだろ?”」
「面倒だ。」
「まぁまぁ、いーじゃないの。じゃあ、私は暫くホテル暮しだからなにかあったら連絡してね。特にベッドのお誘いなら喜んでおうじ…「帰れ。」本当、つれないんだから。」
ガックリと肩を竦め、コートを翻しながらドアを開け、帰って行くアレックス。その頭にボルサリーノは無かった。
(ワザと忘れていったな、あの野郎…)
私が訪れなかったら、また来ると言う事だろう。
ぼんやりと解釈しつつ、回りを片付け着替える為に店内にある自分の事務部屋に向かう。
あいつの言うとおりなら、私は又厄介事に突っ込まれると言うことになる。
次はどのような事になるのやら。
「八百万の神の神々が住みつつも、貿易と自然が多い地元でも。私はまだ巻き込まれるのか。」
ドロリと足元に闇と影が混ざる音がする。
何処か遠くから災いの気配がする。
私は作る。”今の自分”が出来るのはそれ位なのだから。