出海家、クリスマスの思い出
クリスマス直前の、日曜日。出海家は今、ケイタとカリンのクリスマスプレゼントの品定めに、ショッピングモールの玩具売り場に来ていた。
「サンタさんにお願いするプレゼント、決まったの?」
お母さんが二人に尋ねる。小学二年生の長男ケイタは、少々挙動不審な動きでお目当ての物を手に取る。
「俺はね、このカード。二年生の中でめちゃくちゃ流行ってるんだ」
ケイタの選んだのは、四十枚をワンセットのデッキにして一対一で戦うトレーディングカードだった。
「フーン、最近はこんなのが流行ってるのか」とは、お父さんの台詞。男の収拾癖を理解している彼は、息子の希望に口添えをする。
「だったらこの専用のコレクションブックレットとか、シュリンクとか有った方がいいんじゃない?」
その話を聞いていたケイタは、驚きたじろいでいた。
ケイタは優しい子だ。そして欲があまり無い。
例えば、「好きなお菓子持っておいで」と言うと、彼は一つしか持ってこない。そこで、「それだけでいいの?」と聞くと、「えっ? もう一個いいの?」と答えるような子だ。
だからこの時も、複数のプレゼントなんて、という驚きで滝汗を流していた。
それに対して、小学一年生の妹ときたら。
「カリンは? サンタさんにお願いする物決まった?」
ブース一面、目の覚めるようなピンクに染まった女の子向け玩具売り場。そこに、まるでかの世紀末覇者の如く腕組みをして、仁王立ちしているおだんご頭の幼女がいた。
ピンクのロック調セーターに、鈍色を基調とした、フリル付きゴシックミニスカート。そしてラメ入りの白いオーバーニーに、フリンジ付きの黒のブーツ。おだんごを作る為に、髪を引っ張り上げ過ぎて、つり目が鋭い。
彼女こそ、出海家の問題児、カリンである。彼女が通路の真ん中で唸っているせいで、他の客はわざわざ通りを迂回していく。カリンは、先のお父さんの質問に、あちらこちらに目をやりながら答えた。
「ん~~~、コレが欲しいんだけど、アレも良いんだよね~。
でぇ、コレも欲しいなあ」
カリンは、家族の間でだけだと信じたいのだが、欲望に素直だ。
例えば「好きなお菓子持っておいで」と言うと、「うわぁーい、やったー」と、なんとも可愛らしい声をあげるのだが。しばらくしても戻って来ないから気になってお菓子売り場を覗きに行く。
すると、お菓子コーナー専用カゴに、飴やらチョコやらザクザク放り込み、片手にはポテチの大袋を握りしめているのだ。
戦闘機乗りならエースパイロット、狩猟民族なら頭領、そんな所だろう。ポテチの大袋も、なんとなく耳を掴まれた兎のように見えてしまう。
兄のケイタとは大違いである。
そんなだから、色々と面倒な娘なのだが、父はそんなカリンが愛おしかった。
「カリン。サンタさんは皆の所に行かなくちゃならないから、一人だけ沢山貰うことは出来ないよ」
お父さんがそう諭すと、幼女は首を九十度に傾け、更に唸りだした。
「う~ん、ん~、じゃあコレにする」
ようやく決まったソレは、「ビーズでお絵かきセット」なるものだった。
二人のプレゼントが決まった所で、両親は手筈通りの行動にでる。
「さてと、お母さんはちょっと自分の買い物があるから、お父さんとおやつでも食べようか」
二人同時に、しかし妹の方が声高に、「んー!」と叫んだ。
その後、買い物担当の母が車に巧妙にプレゼントを隠し、合流した後、晩御飯の食材等を買い、帰途につくのだった。
◆◇
明けて翌日、月曜日。
「お父さん、お帰りー!」
階段の上から、景気の良い声で父を出迎えるカリン。この時一家は、まだキャビネットタイプのアパートの二階に住んでいた。玄関のドアを開けると、二階に直通の階段があるのだ。
玄関で靴を脱ぎ、階段を上がっていくお父さん。後三段という所まで上がった時、カリンが父の胸に飛び込み、首に腕を巻きつけてきた。
「お父さんお仕事のニオイがするぅ。くっさ~」
「ならくっ付くな」
「イヤー」
最上段から自分の首に絡みついてくる娘に、お前の危機管理能力はどうなっているんだ、と頭の中で突っ込む。
しかし、何の恐れも疑惑も抱かず、全幅の信頼を寄せてダイビングしてくるカリンに、父は顔を綻ばせ、「ああ、この為に頑張ってるんだ」と目を細めながら喜びを噛みしめるのだった。
◆◇
その日の夕食は、父のお説教タイムだった。カリンが最近、ピアノの練習をサボっているというのである。
「カリンがピアノ習いたいって言ったんだろ? だったらおウチでも練習しなきゃ、上手になれないぞ」
「忙しくて出来ない」
「そんなワケないだろ。学校から帰って宿題やって、明日の準備。
その後たった十五分の練習時間がとれないか?」
小悪魔カリンは、たっぷり三秒溜めてから、大袈裟に首を縦に振って頷いた。なんてふてぶてしい態度。母も思わず口を挟む。
「堂々と嘘をついちゃいけません。そう言えば今日ね、カリンに言われたの」
カリンに向けた言葉は、途中からその対象を夫に代えていた。
妻によると、今朝学校に出発する時に、カリンに「お母さん、昨日荷物一個降ろしてないことな~い?」と言われたらしい。
普段は買い物の内容など気にもしないし、買い物袋も持ってもくれないのに、昨日に限ってチェックしていたらしい。なんと目敏いオンナであろうか。
「ちゃんと良い子にしてないと、サンタさんは来てくれないぞ」
父はこの時期にのみ通用する、魔法の言葉を娘にかける。だがカリンは強気だ。
「もらえるもーんだ、フン!」
両親は思わず顔を見合わせた。
『コイツ、気付いてる?』
『どうかしら。車の中のアレがもしかして、と思ってるのかも』
以心伝心。十年も寄り添っていると、この位の事はアイコンタクトで簡単に意思疎通が出来る。少し探りを入れてみる。
「ブラックサンタって知ってるか? 嘘ばっかり吐く悪い子の所にやってきて、お仕置きしていくんだぞ」
普通の小学一年生ならば、ここでビビりの一つも入る筈なのだが。カリンは逆に此方の真偽を確かめるように親の目をジィっと見詰める。
「ブラックサンタって、ホントにいるのかなあ?」
どうやら半信半疑らしい。いや、声のトーンからすれば、彼女が居ない方に賭けているのが分かる。
『効いてないな』
『ええ、ケイタは素直で良い子なのに』
実はカリンの隣で夕食のシチューを食べながら、ケイタは内心ビビっていた。素直なのだ。だからこの後の母の台詞に、ケイタは身を正し良い子でいようと心の中で誓うのだが、図太い神経の持ち主である妹は違った。
「カリンがどう思っていようと、サンタさんは見てるんだからね」
「でもプレゼントはもらえるもん!」
そこで父はキレた。といっても、荒事に及ぶワケではない。
「分かった。サンタさんが来る来ないは関係ない。
カリンがピアノの練習するまで、お父さんとは絶交だ」
この父の決意表明にも、カリンは動じない。お父さんはカリンの事がイチバン(・・・・)大好きだもん。絶交なんて絶対ムリムリ~、とタカをくくっていた。
だけども、この場でこれ以上反抗しても自分に利益は無いと踏んだのか、大人しくシチューを食べ尽くしてキッチンに洗い物を運んだ後、子ども部屋に行ってしまった。
「はあ~、なんであんなに強情なのかしら」
「絶交しちゃった、どうしよう」
母は娘の性格を案じているのに、その横で父は己が下した課題に思い悩んでいた。母は二つの意味で溜め息を吐くのだった。
◆◇
翌日、火曜日。今年のクリスマスは日曜日である。今日も当たり前に仕事をこなした父が、普段通りに帰宅する。
「お父さん、おっ帰り~!」
これまたいつも通りに、カリンが最上段で景気の良い声で出迎える。だが今日のお父さんは違った。
愛娘の挨拶に返答せず、一段一段階段を上がっていく。そして、ギリギリ飛びかかられない(・・・・・・・・)四段目で立ち止まる。
「ピアノの練習は?」
したのか、という問い。絶交中の父にとって、許される最低限の台詞だった。
「したよー」
父は見詰める。娘の瞳を。そして見逃さなかった。目が泳いだのを。カリンに抱き付かれないように、手荷物を盾に階段を上がりきる。そして兄に問う。
「ケイタ、カリンはピアノの練習した?」
「……んーん、俺は見てないよ」
僅かに返答に詰まったのは、カリンに味方しろと言われていたからに違いない。だがケイタの中で、親に嘘を吐く罪悪感がそうさせなかった。
それでも俺は見てない(・・・・・・)と言う辺り、カリンにも気を使ったのだろう。やはりケイタは良い子なのである。
「お母さんは?」
見たか、という省略。食事の支度の手を止め、カリンの手書きの紙切れを夫に手渡した。内容は以下。
『おかあさん
まゆちゃんとあそぶやくそくしたから
いつてくるね。5じになたらかえります。
ピアのれんしゆしたよ
かりんより』
黙ってこれを見せたという事は、嘘だという事である。以心伝心で、その位の事は分かるのだ。それを裏付けるように、お母さんが状況証拠を並べる。
「ピアノの上に敷いてある布を触った形跡は無かったわよ。
コンセントも刺さってなかったし」
出海家にあるのは、正確には電子ピアノである。そしてコンセント云々とは、カリンはいつも『やりっ放し』なのだ。つまりコンセントが刺さってない=やってないとなるのだ。
お母さんの告げ口を聞いて、カリンはバツの悪い顔でリビングの入り口に立っていた。
「なんでそんなすぐにバレる嘘を吐くんだ」
それだけ言って、父は風呂場へと行ってしまうのだった。今日も絶交かあ、シクシク、背中がそうやって泣いていた。
◆◇
夕食後。ソファでくつろぐお父さんに近寄るカリン。いつもは、お父さんの股座が彼女の指定席なのだ。だが今は絶賛絶交中。
その雰囲気を察してか、風呂上がりでシャンプーのいい香りを放つ幼女は、お父さんの隣にちょこんと座った。
彼女は、既にオンナとしての処世術を身に付け始めていた。末恐ろしいものである。
だがお父さんは、愛娘が隣に座るや否やスッと立ち上がり、ラグマットの上に移動した。暖房はリビングにしか入ってない。誰も今はここから出たくないのだ。
すぐにカリンがラグマットに移動してきた。そしてお父さんにピタリとくっ付いて座る。だが父は、ググッとカリンを押して距離を空けた。またすぐに、磁石のようにくっ付くカリンを、ググッと押して突き放す。
何度かそれを繰り返した後、カリンは諦めて子ども部屋に足早に去っていった。この期に及んで涙一つ見せない、強情な娘である。
そして父は……悶死寸前でラグマットの上をのた打ち回っていた。
◆◇
翌日、水曜日。とうとう、カリンからの朝の挨拶が無かった。言葉を交わす事もなく、父はいつもの時間に家を出て行く。最早その背中は泣くを通り越して、煤けていた。
仕事中、父は携帯電話を取り出し、小考の後、何もしないまましまう、という事を何度か繰り返した。妻にメールを送ろうかどうか迷っていたのだ。
結局、メールはしないまま終業し、父は伏し目がちに帰宅するのだった。
◆◇
玄関のドアの前に立つ父は、天に祈っていた。
「今日こそはカリンと仲直りできますように」
天の神さまはきっと、『そこはピアノの練習してますように、だろ』と突っ込みたかったに違いない。全く、本末転倒なお父さんである。
玄関の鍵を開けてドアを開く。階段の灯りを点けると、ひょこっとカリンが顔を覗かせた。父は生唾を飲んだ。
「お父さん、おっ帰り~!」
父は直感する。だが無表情は崩さず、階段を上がっていく。そして三段目で立ち止まる。
「ピアノの練習は?」
「したした~!」
「……本当に?」
「ん~!」
返事に混じり気はないし、目も泳いではいない。直感は確信に変わる。
「んじゃまあ……」
右手を差し出して愛娘に告げる。
「絶交、解消」
小さいけれどあったかい手が、父の手を握る。お父さんの顔筋は早くもしゃくしゃだ。
「たー!」
カリンがお父さん目掛けてダイヴ。背筋をフルに使って二十キロ弱の体重を受け止める。ああ、コレコレ、と父は頭の中で垂涎してデレデレしてしまう。
カリンを首にぶら下げたままリビングに行くと、いつものようにお母さんが夕食の準備に追われていた。油鍋の中にコロッケを沈めながら、チラリと旦那を見て呟いた。
「もう仲直りしたの」
二人同時に「んー!」と返事があったのに対して、旦那に向けた言葉を返す。
「もう、どれだけ寂しかったの」
「もう限界だったよ~、辛過ぎる二日間だったー」
父は携帯を取り出し、未送信メールを妻に見せた。
『もう無理だぁ~!
もし今日も練習してな
かったら、俺死んじゃ
うよ!
だからお母さんから練
習するように仕向けて
くれないか?頼むよ
(T_T) 』
お母さんはただ一言「バッカじゃない」と言って、コロッケを次々と揚げていく。サニーレタスを敷いた大皿に揚げたてコロッケを乗せ、プチトマトを散りばめる。緑と赤の色彩が、季節感を盛り上げる。
もうすぐクリスマス。ケーキは生チョコデコレーションを予約済みだ。プレゼントも用意してある。カリンとも仲直りした。ケイタは相変わらず良い子で、取り皿やお箸を並べている。
お父さんは、家族を暖かい眼差しで見つめてから、迫るクリスマスの足音に耳を澄ませるように目を閉じた。
「チュッ」
首にぶら下がったままのカリンの唇が、不意にお父さんの頬を鳴らし、湿らせた。
お返しとばかりに、お父さんが愛娘にほおずりすると、幼女はヒゲがイヤー、と騒いだ。上機嫌のお父さんはそんな事は気にも留めずに今夜のお誘いをする。
「よーし、今日はお父さんと一緒に寝るかあ」
カリンが声高にのたまう。
「お父さんの枕くさいからヤダー!」
出海家のクリスマスは、今年も賑やかに違いない。




