第一話-10
岬さんと真理ちゃんにお礼を言ってレストランで別れたのが、9時すぎ。
夕飯を食べて話すなると、いつもより早いお別れ時間だった。
まだ今日が月曜日だとすると、長く引き留めるわけにもねぇ?
(岬さんのところには、小学生の息子さんもいらっしゃるわけだし)
今日は岬さんと真理ちゃんといろいろと話せて、本当にありがたかった。
でも大切なのは「今から」なんだと思うと、バッグを持つ手に力が入る。
そう、数巳と話すのは私なんだものねっ。
数巳、帰ってるかなぁ。
私が夕飯を食べて帰るというメールは、ランチタイム終了後にすぐに送っておいたんだけど、数巳がどうするかの予定は聞いてなかった。
営業職の数巳は帰社時間も先方の都合によることも多く、予想がつかない。
今日ははやめだといいなぁ。
電車を最寄駅でおりた。
先月から住み始めたマンションは、駅のすぐ近く。
駅から降りると、整備された歩道の先に、もうマンションのエントランスの照明がほのかに確認できるくらいの近さだ。
私が足早にその整備された道をマンションに向かって歩いて行くと。
……エントランスの前で、一人の人がポツンと立っていた。
エントランスからの逆光で、その人の顔はよく見えない。
でも、その姿、服装、見慣れたスーツ。私も一緒に選んだビジネスバッグ。
見間違えるはずがなかった。
「か、ずみ…」
近寄っていくと、きちんとその顔が見える。
見慣れた、茶色の穏やかな瞳も。
その穏やかさにほっとしながらも、エントランスで待ってるなんてこと今までなかったので驚きも隠せない。
「ただいま…どうしたの?あ、もしかしてメールみなかった?私、職場の人と夕飯食べて帰るってメールしたんだけど…」
私が数巳の顔を見上げると、数巳は微笑みを浮かべて、
「メールは見たよ。見たんだけど…ここで、待ってたんだ」
と答える。
「あ、もしかして!鍵なかったの?」
「鍵はあるよ」
どう見ても仕事帰りそのままのスーツ姿の数巳だし、私はわけがわからなくて、首をかしげる。
「鍵があって、どうしてここで待ってるの…?私のこと待ってたんだよねぇ?」
数巳は、少し目を伏せて、
「…ん…用は済んだから。部屋に帰ろう?」
と、言ったので、釈然としないながらも私は頷いて、彼の隣に立つ。
マンションのエレベーターのドアが開くと、二人で乗り込む。
エレベーターには、私と数巳しかいなかった。
私が部屋のある6階ボタンを押すと、静かにドアがしまった。
わずかの間、密室になる。
……突然、きゅっ…と、空いていた左手を握られた。
「えっ?」
びっくりして、左に立つ数巳を見上げる。
でも、数巳は前を向いたまま。まるで知らん顔するみたいに、落ち着いた顔で前を向いている。
私だけがあたふたしているのが、なんだか癪で、私も前をむく。
すると、私の左手を掴む数巳の右手は、指先で私の手をこじ開けるようにしてきて、指をからめてきた。
横目で数巳を確認するけれど、手以外は動いた様子はない。
もちろん、前を向いたままで…。
結局、私は数巳の手に抗えず、絡められるままに指を添わせる。
数巳の手は、いわゆる恋人つなぎといわれるような組み合わさった形で落ち着いた。
手をつないでいるだけなのに、私はどきどきしてしまう。
こういうちょっと強引なつなぎ方は、初めてだった。
さっき、岬さんと真理ちゃんに言われた「誤解」を思い出す。
『東条さんの旦那さま…絶対、誤解してると思うわ』
『だから、その誤解って何なのかわからないんですけど…』
『…浮気よ…』
『う、浮気ですかっっ。え、えぇぇ??私が浮気してるって?なんでそうなるんですかぁっ!』
『一緒に寝たがらない妻、こそこそとケータイいじってはにやにやして画面読んでる妻、抱き寄せたら突っぱねる妻…これだけそろってればぁ、やっぱり浮気を疑うと思いますぅぅ』
上がっていくエレベーターのランプをみつめながら、つないだ手のひらに意識がいく。
……数巳は、本当にそんな誤解してるのかな?
……たしかに、シングルベッドの一件があるから私がよそよそしくなった、とは思っているかもしれないけど。
沈黙のエレベーターの中、つないだ手だけはじんわりあたたかい。
『旦那さまと、ちゃんと話しあいなさいよ。素直にね』
岬さんの励ましの声が思いだされる。
……素直に。
それならまず、数巳が私をそういう「浮気している」と誤解しているのかどうかから、きちんと確かめないといけないのよね?
……どうしよ。
そう思っているうちに、6階についた。
エレベーターのドアが開く。
私は咄嗟に数巳と絡めている左手を放そうとした。
けれども、まるで掴むようにして私の左手に力をこめて握り、数巳は私をひっぱった。
そしてエレベーターの外に連れ出す。
私たちが廊下に出ると同時に、またエレベーターのドアは閉まり、階下に降りていった。
「行こう」
そう言って、手をつないだまま数巳は廊下を歩いていく。
ギュッと握られた手のひらになんだか照れてしまう。
二人で、廊下を並んで歩く。
コツコツコツという小さな足音が二重に重なっている。
照明に照らされて、廊下の足元の陰が私と数巳が重なっている。
(重なってる)
……その言葉がしっくりきた。
ああ、私、この人と生きていくんだ。
恋に憧れたからって、ネット小説にうつつぬかして。
この人と……数巳と会話を「重ねること」をしていなかったんだ…。
重なり合って、生きていこうと決めたのに。
ちゃんと、話し合わなきゃっ。
そう心にギュッと力をいれたとき。
ちょうど私たちの部屋の前にたどりついた。
鍵を取り出すためか、数巳は私の手を放した。
離れた左手に風が触れて、むしょうに寂しく感じた。
……手が離れるくらいで寂しく感じるなんて…やっぱり、私。
……好きなんだ。数巳のこと。
……ずっとずっと、つないでいたいんだ。
……どうして、こんな簡単なこと忘れてたんだろ。
数巳は、さっき言っていたようにちゃんと鍵をもっていて、私の前でガチャリと鍵穴にキーをさしこんでいる。
私は彼の広い背中をみながら、声をかける。
「数巳、あのね」
「ん?」
ちょうど、ドアがあいた。
私が声をかけたので、ドアを開けながら、数巳は私の方を振り返って、「どうした?」と言葉の先をうながしてくれる。
……ちゃんと、たずねなきゃ。数巳が誤解していることを聞いて、私もちゃんと話さなきゃ。
私は、数巳の顔を見上げて、勇気を振りしぼってたずねた。
「数巳は、私が浮気してるって、思ってる?」
……数巳の瞳がわずかに見開かれた。
ドアを開けたまま、数巳は固まってしまっている。
「あの…数巳?」
再び声をかけると、数巳は今度は目を伏せるようにして顔を背けた。
「中に入ろう…まずは帰ろう?俺たちの部屋だ…」
「う、ん」
たしかに夜の廊下で立ち話はよくなかったかも。
私は、玄関にはいった。
ドアを開けてくれていた数巳も玄関にはいり、ドアを閉めてロックをかける音が部屋に響いく。
私は靴を脱ごうと、パンプスの足首のホックに手を伸ばそうとかがもうと瞬間。
……ぎゅっと後ろから、抱きつかれた。
「ちょっ、あの、か、ず…」
ぎゅうっと力を込められて、声を封じこめられたみたいに、何もいえなくなってしまう。
数巳は左の首筋に顔をうめるようにして、後ろから私の体を抱きしめている。
まるでしがみついてるみたいに。
……ど、どうしたのっっっ。手の次は、抱きつき!?
やっぱり、「浮気の誤解」とかしてないんじゃないの?。
単に単に…せっくすご無沙汰で、盛ってるだけかもしんないですっっ。
後ろから強く抱きしめられたことなんて、多分、ない。
あまりの強さに私は自分の足で支えきれなくて、ずずずっっと座り込みそうになっていく。
それに合わせるようにというか、ひきずられるようにして、私にしがみつく数巳も玄関に膝をついたようだった。
どうしたの、どうするの!?
どうしたいの??
……もしかしてもしかして、私、このまま玄関にて盛られたりするんでしょうかっっ。
乙女(妻ですが)の危機ですっっ。
玄関に、まだくつも脱いでない状態で。
膝をついた数巳にだきつかれて、私はバランスを崩し立ちあがることも身動きもできない。
息ができないくらいの抱擁って。
こういうのを言うんだ…ってそういう場合じゃなく。
私の中は疑問でいっぱいで。
でも、何を言っていいかわからなくて。
「数巳…」
と、名前を読んだ。
精いっぱいの愛情をこめて。
私の左かたに顔をうずめていた数巳は、私の呼びかけに肩を揺らす。
そして、一度息をのんでから…かすかな声でささやいた。
「…うわき…してるんだ?」
数巳の震えるような息が私の首筋にかかりゾクっとする。
一瞬そちらに気がとられたことを恥ずかしく思いつつ、今の数巳の言葉の意味を考える。
(ウワキ、シテルンダ?)
……え?
私が『私が浮気してるって、思ってる?』という質問に対して、
数巳がこういう言葉を吐くってことは。
つまりつまり…。
「私が浮気している」と思っている。
……ということ、だよね。ね?ね?
え、えぇぇっっ。
……岬さん、真理ちゃんっっっ。ビンゴだったみたいですっ。
……誤解されてましたぁぁぁっ!(泣)