閑話~数巳視点『晴れた休みの過ごし方』
今回は数巳視点です。糖度ゼロですみません。
はっきり言おう。
「何をやっても、身が入らない……」
それが、今日の俺の姿だ。
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隔週で通うビジネス英会話のレッスンは、少人数制。
今日は講師と俺ともう一人の生徒の田中さんの三人だけだった。
講師に細かい発音や表現をチェックしてもらったり、言い回しを教えてもらったりしている。
普段は、予習もしていくし、やる気を持ってのぞむから、積極的に質問もできる。
……でも、今日の俺は何度が詰まっていて、どうも調子がのらないままレッスン終了。
……正直、情けない。
レッスンを終えてビルを出る時に、田中さんが、
「どうしたの、東条さん。今日は不調かぁ~」
と声をかけてくれた。
田中さんは、貿易会社に勤めている。
学生時代にバックパッカーで海外を渡り歩いて身に付けた英語は、生き延びるためのもので、かなり荒く、日本語でいえば方言の寄せ集めのような状態、だったそうで。
なんとか通じるものの、対等に渡り合える英語を話したいとのことで、レッスンに通いはじめた……とレッスン最初の自己紹介で話していた。
赤と金のまだらに染めている短髪に、耳にはピアスがいくつもついている。
アロハ柄の甚平をこの秋の季節にきている時点で、かなり風変りな外見ともいえるが、以前、耳のピアスの数を「すごい数ですね。痛くありませんでしたか?」とたずねたら、
「ヘソにもついてんの!ヘソのが、けっこう痛かった!」
と、シャツをまくりあげてみせてくれた、なんというかざっくばらんな男性だ。
年齢不詳。
たぶん、40代くらいだとおもうが、正直よくわからない。
今日の冴えない俺を気にしてくれたのか、俺と歩調を合わせながら顔をのぞきこんでくる。
「なになになに~悩みか~?俺に相談しようぜ!俺に!」
……興味シンシンという表情にしか見えませんが。
「いえ、別に悩んでいるわけではないんで。ちょっと気が散ってるというか」
「はいはい、ほらほら、うまい定食屋、知ってるから!行こう行こうぜ~」
「え……あまり食欲な……」
「ほら、行くだろ?食えなきゃ、茶漬けにしろ」
「は、い……?」
俺はあんまり誰かのペースにのせられることはないのだが、今日はもうなんだかイロイロ自暴自棄で。
……理紗がオフ会に出かけてるし、夜まで予定ないし。
こう思ったら、
「あ、じゃ、行きます」
と返事していた。
*****
「あ、うまい」
一口食べて、そのトンカツがすごくうまいと思った。
さっくりした衣、柔らかいが肉汁を包んで歯ごたえもちゃんと残っている豚肉。
「だろ~!調子のらねえときは、ちゃんと食っとくもんだよ。うまいもんをな。気分、変わるだろ。」
ニカッと笑って、田中さんもどんどんたいらげていく。
昼からけっこうなトンカツ定食は、胃に重くなるんじゃと思ったが、田中さんのススメにしたがって正解だったかもしれない。
もぐもぐと食べていると、
「一度さぁ~、東条さんともメシ一緒に食いたいなぁと思ってたんだよ」
と、田中さんが言った。
「英会話一緒になって、もう一年以上になるだろ?レッスンであいさつだけっていうのも、ま、重くなくていいんだけど、俺は、一緒にメシ食ったり飲んだりするのも、大切だと思ってるわけ」
「はぁ」
「でも、東条さんガードかたいし!」
「え、いや、ガードって……」
……そんなオンナを口説くんじゃないんだから……。
と、内心つっこみ入れつつも、口にはださない。
「あ、俺、恋愛対象はオンナだけだけどさ!」
「……」
「でも、なんか人とのやりとりって、もっとワイワイがやがややりたいんだよね~。って、うっとうしくて、迷惑な話だよな!!!」
と言って笑ってる。
自分で自分に突っ込みいれないでください、と心の中でつぶやく。
「ほら」
「え?」
田中さんはビール瓶の口を俺にむけてきた。
「グラス、だせよ。下戸ならすすめねぇけどよ」
「……一杯だけ……。いただきます」
一瞬、昼間からビールもなぁ……とは思った。
暑い夏ってわけじゃない。
秋の、こんな空の高い空気の澄んだ日はコーヒーのほうが似合うだろって思う。
でも、なんか、こころのモヤっとした部分が、田中さんのすすめるビールを欲していた。
******
最初はしぶしぶだったはずなのに――……。
結局、いつのまにか、たったグラスいっぱいのビールで、田中さんに理紗とのことを話していた。
スマフォでネット小説に向かってる理紗に嫉妬したこと。
今日のオフ会も、ほんとは……行ってほしくなかったこと。
……俺、こんなに素直な性格じゃないし!
……何、悩める男子中学生みたいな悩み相談してんだ!!
……しかも、日曜の真昼間の定食屋で!!!
って、頭のどっかで突っ込みいれてるのに、駄目だった。
田中さんのすすめたビールに何か自白剤でもはいってたんじゃ?と思うくらい、俺の口は動いていた。
「……俺、心せまいんだなって思って。しかも、妻が自分の知らない世界に出かけたぐらいで、今日のレッスンも調子のらないし……。今、なんか自分の弱さにほとほとあきれてるっていうか……」
俺がため息ついて、話をきると。
田中さんは、ニヤッと笑い言った。
「おまえ……趣味、ねぇだろ」
「……」
田中さんの言葉に、俺は、返事ができない。
「もちろん、自分のパートナーがさ、ケイタイばっかいじってたら気になるし、しかもそこに隠しごととか出てきたら疑うってのはわかるよ。ま、はっきりいえばイイ気はしねぇよな」
「……」
「でも、何をしてるかわかって、相手もちゃんと話してくれても、それでも寂しいってのは、おまえが何もねぇからなんじゃない?」
「何も、ない……」
俺のつぶやく返事に、田中さんは「あ、ちがうか」とつぶやいて、こちらをじっとみて言った。
「いや、おまえの趣味がある意味『理紗ちゃんと一緒にいること』なんじゃね?」
「……」
「ま、仕事と家庭とどっちも大事にしてるっていやぁ、聞こえはかっこいいけどよ~」
田中さんは、店員が持ってきてくれた食後の熱いお茶をすすりつつ。
「でも、そんなんでガキができたら、それこそおまえは仕事と奥さんとこどもだけになっちまって。でも、こどもはいつか巣立つし、仕事は退職する日がくるだろうし。そんとき、奥さんについてまわるしかおまえの世界がなかったら…どうすんの?」
……理紗がいなかったら?
……ひとりだったら?
「理紗ちゃんを大事にすることも大切だろうけど、おまえ自身の世界とか友達とかもいるんじゃね?仕事以外のつながりで。」
「……」
「まぁ、パートナーと共通の趣味でもいいとも思うけどさ、とにかく、『理紗ちゃん』と仕事以外の世界をちょっとでも持ったら方がいいんじゃないかと、俺は思うけどね~」
田中さんの話は、すごく的を射ていた。
社会にでて、平日は仕事、休日は恋人とデートや学生時代の友人と飲みに行く…というくらいの予定の中で、俺の世界は回っていた。
仕事の延長上で、英会話レッスンをいれたけれど、田中さんはじめ、他の生徒ともあいさつぐらいで交流を広げる気はなかった。
恋人が妻になり…。親戚づきあいが以前より増えたくらい。
でも、理紗は違った。
仕事もして、俺とも過ごして、友人もいるけれど、ネット小説という理紗自身がはまる「世界」を持っていったわけで。
今日、まさにその広げた世界を、「オフ会」という形でまた一歩広げに出かけたわけで。
……おれ、どっか「おいてけぼり」の気分、あったのかな。
俺が黙ったまま、考え込んでいると、
「まぁ、難しい顔しないで。そっ、たまには俺とこうやってメシでも食いにいこう!」
「はぁ」
「おまえ、いっつも『家で待ってくれてる人がいるんで』って顔をして、そそくさ帰っちまうだろ~。ま、仕方ねぇけどさ、新婚だったし。」
そんなに俺、そそくさ帰ってたかな。
まぁ、たしかに一年以上レッスンにかよってて、日常のあいさつだけだったもんな。
「でも、らぶらぶな恋人時代じゃあるまいし、そろそろ夫婦で見つめ合うばっかりじゃくさ、顔あげて周囲とのつながりも見てみろよ」
「なんだか田中さんて……」
「ん?説教じじいって?」
田中さんは、ニヤっと笑う。
「いや、そんなことは……」
と俺がうまく言葉を続けずにいると、
「ま、実際、おれ「じーちゃん」だから!小学生の孫いるし!」
「えっ……」
「はははは~っ!知らなかったか~!!」
なんだか想像つかない。
アロハ柄の甚平を着て、ピアスじゃらじゃらつけて、孫をあやしてるのか。
というより、結婚してたのか――……っていくつなんだ?
俺が唖然としていると、
「ま、さっきも言ったけど、俺にほれても駄目だぞ!」
「ほれません……」
「ははは~!」
とにかく、腹もいっぱいになって、しゃべって飲んで。
俺はいつのまにか、笑ってた。
身が入らなかった、レッスンの時が嘘のように。
そして、……俺は自然と口にだしていた。
「田中さん、いつかウチに昼メシ食べに来てくださいよ」
「おう?」
「理紗も俺も、けっこう料理、好きなんです。理紗を紹介します」
「ほほ~っ!いいね~~!」
理紗もきっと、この明るい田中さんとの会話を楽しむだろう。
日曜の昼下がりからビールでもいいじゃないか。
もし良かったら、田中さんのご家族もお誘いして……。
俺の心の中にあたたかいものが流れてくるのを感じた。
会計を終えて、店を出る。「払う」といったが、結局田中さんがおごってくれた。
相変わらず良い天気だ。
「今日は、誘ってくださってありがとうございます。ごちそうまで……」
「ん~?ははは!俺も楽しかったぞ!」
豪快に笑う田中さんの目尻の皺が、とても柔らく思えた。
「じゃあな!」
田中さんの背に一礼して、姿がみえなくなってから、俺はもう一度空を仰いだ。
……理紗、楽しんでるかな?
きっと、楽しんでるだろう。
家に帰ったら、きっと笑顔で話してくれるに違いない。
……さあて、俺も午後からを楽しもう!何をしよう?
明るい気持ちで、一歩を踏み出したのだった。