『ひまわり(下)』(数巳視点)
ひまわり、最終です。
二人の間に落ちる、沈黙。
傷ついた目を俺に向け、少し唇をひらきかけ何を言いかけて…また閉じる、理紗の赤い唇。
頭の中で広がる映像。
……夏の熱い日差し。半そでの学生服の高校生。ひまわりが満開の花壇。
……ジリジリと照りつく中、花壇の手入れをする二人。
……『ひまわりが好きだ』というオンナ…理紗。
……その言葉を受け止める、男。
映像が広がり、俺は確信する。
男なら、絶対、この理紗の赤い唇を、視界にいれた筈だ。
俺の中でイライラが絶頂にたっする。
頭では警告音がなっている……だめだ、おいつめるな、いっちゃだめだ…っ!
「……キスしたの?」
「え?」
一瞬、何を言われたのかわからないような表情をして、俺を見上げる理紗。
「花壇の手入れ…してたんだろう?夏休み、ほとんど人がいないような学校で」
「……」
「男子高校生が好きな彼女と二人っきりでいて、意識しないはずがないだろう?」
「……っ」
理紗は、俺を見上げる目の中に羞恥と怒りをふくませた。
でも、それが逆に俺の中に確信を落とす。
「…やっぱり、したんだ?」
「…か、ずみ」
頬を紅潮させる理紗。視線は怒りを増したものになっている。
性に奥手の理紗。
俺と初めてセックスしたとき、処女だったから。その男とセックスしたとは思ってない。
そもそも、舌をからませるキスだってヘタな理紗だったから、その「先輩」ととは、きっと触れるか触れないかのキスどまりだったとも思う。
でも、逆にそれが俺を完全に苛立たせる。
俺が知らない世界を抱えていて、しかもそれが過去でなく、「ひまわり」という形で今も息づいて、そしてたったいまこの瞬間も、ベランダで花咲く時間をまっている存在があることを。
反面、俺にはわかる気がする。
理紗の性分なら、もらったタネが育ち、花が咲き、タネを実らせたら…また育てるだろう。
律儀というか…なんというか。
恋は終わっても。
恋とはまた別のところで、ひまわりを育てる楽しみ、咲かせる喜び…が理紗の中に根付いたら…。
何かにはまり、何かに熱中する理紗のことだ。しかももったいない精神が旺盛で、捨てるのをなんでもおしがる理紗ならば。
また「咲かせる」タネを、咲かせないまま終わらせられないだろう。
(今はベランダだから、タネを選別して、2,3本しか育てられないしても…だ。)
それにしても、だ。
「いまもまだ、そうやって『先輩』のひまわりを育て続けているんだね…。」
俺の口は、理紗をいたぶるように責めてしまう。
穏やかに。
真綿で首をしめるように。
やきもち……じゃすまない、明らかな嫉妬がどんどんあふれてくる。
……理紗の中に横たわる、思い出にを汚してはないないと感じながら、止められない。
そのとき、理紗はぽつりと言った。
「別れたよ、ちゃんと。それで…ずっと時間がたって、先輩のことなんて忘れて、数巳に夢中になった」
「……」
「ひまわりは夏になったら育ててたけど…。種の出どころなんて…ずっと数巳とつきあってて、忘れてたよ」
こちらも見つめて言う理紗に、どきっとした。
そういう風に理紗に素直に言われてしまうと、自分が今、心を染めてしまった嫉妬の炎が、幼稚でバカバカしいものに思えてくる。
……ごめん、あやまらないと…
俺は、口をひらきかけた…。
そのとき。
「でも…そうだね。最近、思いだしたんだ。今、引っ越しの荷づめしてるでしょ?10年前…先輩の進学のための引っ越しの荷物整理したなぁって。泣いて泣いて…ひまわりの小さな種を育てるのが、私にとって想いのこめた必死さだったころ、あったなって。」
「……」
俺は言葉が継げない。
理紗は、続けた。
「数巳に夢中になって、結婚してもちろん平穏で幸せだけど…。もし、あの時、ケータイがあって、先輩と連絡とれてたら、また違った人生あったのかもしれないね」
理紗の……反撃。
俺は絶句する。
「まぁ…ぜえんぶ、昔のことだよ。今は仕事もあるし、数巳との生活も楽しいし、恵まれてると思ってるんだ」
フォローにならない、理紗のほほ笑みと言葉。
俺は今更、何も言えなかった。
理紗の思い出を汚すような言い方をしたことをあやまることも。
理紗の昔に戻りたがるような…ケータイがあれば、人生違ってた…?
連絡を密にとりあえていたら…
……それは、その先輩と続いていけた……と、いうこと?
別れてしまった後に、理紗と先輩がよりを戻さなかったのは、人生に接点がなかったからだけかもしれない…。
もし、接点があったら?
今、もし再会があったら…?
・・・・・・・・・
俺は、洗濯ものを干しながら、ベランダのすみにおいてある空のプランターを横目でみて、数か月前の自分の姿を思い出して苦笑した。
そうだ、あの疑いから…だったんだ。
ケータイをずっといじる理紗への、俺の疑いのまなざしの根底。
たずねることで掘り返して、何かが再燃してしまうことへの恐れ。
理紗の心をつかめきれなくなってる自分がいたんだ…。
……今は、そんなことないけど。
振りかえると、隣で理紗が洗濯バサミでシーツを干している。
新しいマンションのベランダは広くて、二人で干していても余裕がある。
共働きで週末にまとめて洗濯する分も多いから、広いベランダはとてもありがたかった。
俺は理紗に声をかける。
「昨夜はネット小説読まなかったんだ?」
「……数巳が読ませてくれなかったんじゃない。もう、わざとそういうの聞かないでよっ」
頬を染めて答える、理紗。
そりゃまあ、金曜の夜は特に力が入るものだから。
俺はちょっと笑いながら、声をかける。
「そう?終わった後に読んでくれてもいいのに?」
「……そんな力、残ってないよ」
ベッドがようやくダブルベッドになったというのに、結局、週末には理紗の体力はかなり消耗されることにかわりはないようだ。
でも、理紗の肩こりは軽減されている。
「ひまわり、種、いっぱい取れたね」
俺はそっと聞く。
「うん。引っ越しで、プランターをうまく運べるか不安だったけど、さすが引っ越し屋さん、ちゃんと運んでくれたから、大丈夫だったよ」
以前の……引っ越す前のひまわりに関する冷たい会話なんて、理紗の中には大して残ってないのだろう。
俺がちょっといつになく意地悪を言ったくらいに受け止めてるのかもしれない。
「たくさんのタネって、どうしてんの?」
俺は不思議に思ってたずねた。
すると、理紗は、
「実家にいたころは、ハムスターを飼ってて食べてくれたの。今は、岬さんが家でハムスターを飼ってるからもらってくれてるよ。本来は餌用のタネをあげるべきなんだけどね。すぐ食べちゃうくらいの量だから」
と、シーツのしわを伸ばしながら答える。
「ふ~ん」
と、答えると……理紗が何かつぶやいた。
ちょうと風がふき、うまく聞き取れなかった。
「なに?」
「数巳は…イヤじゃない?」
「え?」
「ひまわり…タネ、新しいの買った方がいいかな?」
おずおずと見上げてくる理紗。
……気にしてたのか。
申し訳ないような、俺のことを気にしてくれていて、少しうれしいような。
でも、自分の器の小ささを表しているようでもあって。
俺はちょっと考えて言った。
「10年つづいてきた命だし。また咲かせてよ…。」
……信じてるから。
俺は言葉にならない部分を、心に刻んで理紗を見つめる。
「…うん」
これからも、嫉妬も悩みもあるかもしれないけれど。
理紗を信じている。
信じようと、していく。
それでももし、心の小さい俺は。
もし理紗の気持ちを疑ってしまうなら……話し合っていけばいい。
「ベランダ広くなったし、今年は多めに植えられるかもしれないな」
俺が言うと、理紗はほほ笑んだ。
可愛い、赤くちいさな唇が目にはいる。
……
俺は今干したばかりのシーツの陰にかくれるように理紗をひきよせながら、そっとその唇にキスを落としたのだった。
ラストは本編より後、番外編『本心』より後になっています。