『本心』(数巳視点)
第一話エピローグから、2か月くらいたった東条夫妻の休日の一コマ。
数巳視点です。
結婚して二年半。
3か月前に分譲マンションを購入して引っ越した。
妻の理紗と、シングルベッドかダブルベッドでもめたり、俺が理紗の行動を大誤解して浮気かと思ってしまったり…と波はあったけれど。
でも、その波が穏やかになった今は……たぶん、つきあってきた時以上に俺と理紗は熱い仲なんじゃないかと思っている。
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「…んっっっ。ちょっとまって、数巳。もう駄目だよぉ」
「…もうちょっと我慢して」
「ふぅっ。んっ」
悶えて甘い声をだす理紗を、俺はやんわりもみほぐす。
「ほら、背中はもう終わり。後は鎖骨まわりをさするだけだよ。こちら向いて」
俺がぐったりしている理紗の肩を持ち上げて向きをかえてあげると、とろんとした瞳でみあげてくる。
「数巳…手加減してよぉ」
「だぁめ。シングルベッドで肩こりしちゃうって言ったの理紗だろう?俺がちゃんともみほぐしてあげる」
鎖骨のあたりをやさしくさすると、ふぅぅと息を抜いた。
……今は、お互い仕事が休みの土曜日の気だるげな午後。
俺も理紗も、別にやましいことをしているわけじゃない。
Tシャツに綿パンというホームウェアとはいえ、お互い服を着ているし。
場所はリビングのソファだし。
単にシングルベッドで二人で寝ると肩こりする…と訴える理紗をマッサージしているだけなんだけど。
マッサージが終わり、血行がよくなったのかほんのりと桃色になった理紗の頬は。
……すごくおいしそうで。
ちょっと下心を混ぜつつ手を伸ばそうと思った…その瞬間。
理紗はゴロンと寝がえりをうつ。
俺はとっさに、理紗へ伸ばしかけてた右手を引っ込めた。
何も気づかない理紗は、のんきにうつ伏せになりながら、ちょっとこちらを見上げた。
「ん~やっぱり…大きなベッドを買いなおそうかなぁ。。。」
理紗の黒々とした瞳は純粋で。
俺は自分の中にわき起こりつつあった下心を見抜かれそうで、なんとなく居心地が悪い。
「そう?俺はもうシングルで二人で寝るの、なれちゃったけど」
理紗の視線を避けるように、足元に座った。
理紗はまた突っ伏しながら言う。
「…私は、慣れない…。というか、体力がもたないかも」
それが本当にちょっとダルそうだったから、心配になった。
「たしかに、理紗にはつらいのかもしれないな」
そう答えながら、俺は頭の中で予定外の出費になるがダブルベッド(もしくはそれ以上のゆったりサイズでも可?)に買い替える方向がいいのかもなぁと考え始めた。
そもそも今の引っ越しを機に新調したシングルベッドは、単体使用を基本としたデザインだったらしく、並べても足の部分が邪魔をして完全にくっつかない。
つまり並べても足先がはまってしまうくらいの隙間ができてしまうのだ。
だからくっつけて並べてダブルベッドのように使用するということもできず、小さめのサイドテーブルをはさんでシングルを二つ並べている。
その「シングルを並べている」ということが少し前に、俺と理紗の間をすこし波だたせる原因にもなったわけだが。
お互いの誤解のようなものが消えた今は、引っ越し以前にダブルベッドで寝ていたように、シングルに二人で並んで寝るようになった。
だが、この「シングルに二人」という状況は、ねぞうの悪い理紗にとったら身体が縮こまって肩がこるらしい。
しかも狭い空間に理紗とぴったりと寄り添って毎晩寝ていると、俺の方もついつい理紗の体を求めることも多くなってしまって…抑制が効きにくくて…結果、理紗の体力が消耗してしまうのだった。
「まだ、凝りはほぐれない?」
俺は、そっと理紗の背中をさする。
服ごしに伝わる体温。
さっき、ゆっくりマッサージしたから、身体は冷えていないようだ。
「だいぶラクになったんだけどね。背中から肩にかけては、やっぱり張ってるかなぁ」
理紗はぼそぼそと言って、うつ伏せのままクッションを抱きかかえている。
ソファにうつ伏せになっている理紗。
体力消耗している理紗を見ると「すまない」という気持ちにもなってくる。
ダブルベッドに買いなおしたら、少しはラクになるんだろうか。
すくなくとも今よりは広くなるから、もうちょっと寝がえりはうちやすくなるだろう。
…だが、俺が理紗を求めることが減るとは…正直、思えなかった。
なんと声をかけたらいいんだろう…と思っていると。
理紗がぽつりと言った。
「…数巳、なんか前と違う気がする…。もっと、性的なこと…淡泊だと思ってたのに」
……。
…突然何を言うんだか、この人は…。
「なんていうか…結婚して二年半になって、すごく意外な面を見たというか…引っ越して何か変わったのかなぁ?会社の人がね。引っ越すと夜が熱くなるよ~みたいなこと言ってたんだけど。本当だったんだねぇ」
理紗は無邪気に笑っている。
うつ伏せのままだから、その顔は見えないけれども、声でわかる。
……無邪気な理紗。
俺は苦笑するしかない。
たしかに理紗にとって、俺は「変わったよう」に見えるのかもしれない。
理紗を執拗に求め、熱い言葉を注ぐ。
ネットの恋愛小説にはまったという理紗にかこつけて、歯のうくようなセリフを言って、身理紗と体も心も密着させるようにとり囲む俺。
……引っ越し前の穏やかで淡泊な夫とは違うだろう。
でも、実は逆だ。
……解放されたんだ。
今まで、抑えてきていたのだから。
……その抑制は、それは引っ越し前後のお互いのすれ違いより、ずっとずっと前からのことだ。
つまり、俺と理紗が初めてセックスして以降ということ。
露骨に言ってしまえば、回数も体位も攻め方も…抑えてきた。
俺は理紗に対してできるだけ穏やかにやさしく、精いっぱいの抑制をもっての ぞんできたのだ。
理紗が慣れてなかったから。
性のそういうアレコレに。
男性とのやりとりに慣れない理紗が好むであろう…穏やかな紳士でいたかった。
5年前に出会って、つきあっていくうちに、理紗が性に関して少々夢見がちで奥手であることがわかった。
当時すでに理紗が愛しくて仕方がなかった俺の中には、割り切れないような想いが存在するようになった。
理紗を傷つけたくない…無理に快楽を引き出しても理紗の気持ちがおいつかないだろう…という、理紗への愛情と。
同時に、俺が理紗に欲情をぶつけることで、理紗に引かれたくない…怖がられたくない、嫌われたくない…という臆病さと。
それらがないまぜになったもの…やさしさと凶暴さと、慈しみたい気持ちと苛めて泣かせてみたい気持ちと、ドロドロと混じり合うもの…があった。
…それらを理紗にぶつけるのは怖かった。
反面、そういう見せたくないような自分を見せたとしても…好きでいて欲しい…という望みもあって。
整理つかない気持ちが、理紗に対してあった。
守りたくてカッコつけたくて、愛したくて嫌われたくなくて。
だからこそ、結婚したら、俺は「理紗との時間」だけはあるんだから、ゆっくり進めていけばいいと思っていた。
……そしたら、今度は本性を出すタイミングを失って。
臆病でいるうちに。
……理紗を見失って、浮気を疑うところまでいってしまった。
「俺は、淡泊じゃないよ」
理紗の背中をさすっていた手を、理紗の首筋に添わせる。
ビクッと震える理紗の体。
「理紗が欲しいんだ。いろんな理紗を見たいと思ってる」
俺の言葉にも、そのままうつ伏せになったままの理紗。
たぶん、真っ赤になってる。
もっと甘いセリフを吐いてる男がたくさん登場するらしい『恋愛小説』を読んでいるくせに。
俺のこの可愛い人は、どんな顔してそんな夢見る小説にうっとりはまってるんだか…。
俺が言いたい沢山の『甘くてエロくていじわるでやさしくて愛がある言葉』…を。
他の男の他のセリフで、浴びるように読んではまって、そして、俺をほうっておいたんだと思うと。
いろいろ我慢してきた俺としては。
ちょっと泣かせてみたいという気持ちにもなってしまう。
ほら、うつ伏せになったまま俺を見ないなんて駄目だ。
……俺の言葉を聞いて。
俺は理紗にかぶさるようにして、首筋にふっと息をかける。
「んっっ」
「首筋、よわいね。それから、ここ…」
俺は手を理紗の身体にそわせながら、腰につたわせて撫で上げる。
「…っ」
ピクピクと震える理紗。
「服越しなのに、ねぇ?」
あえて、明るく聞く。
意地悪に。
「も、うっ!数巳っっ」
「ん?」
うつ伏せのままの理紗の抗議に、俺は理紗の体をこちらに向けさせる。
見えた。
交差する理紗の黒い瞳と俺の視線。
理紗の表情は、ちょっと眉をよせた、怒ってるみたいな顔。
……機嫌なおして、ね?
そんな気持ちをこめて、眉間のしわにキスをする。
流れるように、額に、耳に。頬に。
「数巳。ほんとに、もうっ。いやじゃないけど、恥ずかしいよ。昼間なのに」
俺の下で、理紗は抗議の声。
「キスくらい、昼間でもするでしょ」
と俺はあやすようにいって、隙をついて理紗のくちびるにチュッとする。
「そりゃ、そういうお国柄のところだけでしょっ。もうっ数巳っ」
「はいはい。じゃあ、東条さんちのリビング、今からキスの国。」
「そ~ん~な~国、ありませんから~っ!」
押しかえす理紗の腕を取る。
華奢な手首の内側にキス。
順に腕をさかのぼりながらキスを続けていく。
じたばたする理紗の腕の内側のやわらかい部分にいきあたり、そこをちょっと強めに吸う。
小さな花弁が、一枚。
腕の内側にほのかに落ちる。
……どうだ、文字上の男には、キスマークはつけられないだろう?
理紗の心に刻まれた……小説上のたくさんのカッコイイ言葉、紳士的な魅力、オンナを悪者から守りきる強さ....なにもかも小説の中のキャラにはかなわない。
でも、俺は生きているから。
抱きしめる腕の力を抑えることもできれば、どこまでも力を込めて抱き締めることもできる。
俺は決して淡泊でもないし、そんなに穏やかでもないし、独占欲も強い。
そういう自分をどうやって理紗に見せていったらいいか…わからないことは、まだまだたくさんだけど。
……もう、解き放たれたから。
「理紗。ダブルベッド、買いに行こうか。」
俺がキスマークをつけた腕を引きながら、そう誘った。
すると。
理紗は、こくん、と頷いて。
「そうだね、行こう」
と返事して、俺に寄り添って立ちあがってくれたのだった。




