セフレ従者は逃げだしました
ライリーは逃げ出した。
深夜の日付の変わる頃。夜闇に紛れて、勤め先であるお屋敷から逃げ出したのだ。
事の起こりはライリーの主人であるローレンスが正式に爵位を継承し、めでたくウィットフォード伯爵となったことから始まった。金の髪に青い瞳で背もすらりと高いローレンスは文句なく美しい。地位も、金もある、麗しき若い伯爵の誕生だ。その事実はとてもめでたく、ライリーとしても非常に喜ばしく思っていた。
ライリーは従者だ。主人の出世は自分の利益になる。だからローレンスがウィットフォード伯爵になったことそのものは大変に嬉しいことなのだ。普通ならそこで止まるのだが、ライリーとローレンスは特殊な関係にあった。
「このままじゃ僕、大変なことになる」
ライリーは焦ったようにつぶやきながら、屋敷と森との境目に隠しておいた黒馬へ最低限の荷物を載せた。今宵は月のない夜だ。闇に包まれた世界はまるで異界のよう。ライリーは全身をブルリと震わせた。だがこんなことで怯んでいる場合ではない。
「逃げなきゃダメだ」
ライリーは黒馬にまたがると一路、故郷目指して走り出す。夜は暗くて走りにくいが、道は知っているから迷子になどならない。それにライリーは魔法で作った小さな明かり玉を浮かべているから、自分の周囲くらいは見えている。怖くなんてない。このままウィットフォード伯爵邸に残っているほうが恐ろしい。
「早く村へ戻らなくちゃ。ご主人さまから……。ローレンスさまから逃げないと。今ですら爛れた関係なのに、執事になんてなったら、とんでもないことになる」
ライリーはローレンスのセフレだ。従者であるライリーにとって、そうなったことはとても自然なことのように思えた。美しいローレンスが、茶色の髪に茶色の瞳で普通の容姿の自分になぜ興味を持ったのか? そこについてはライリーは不思議に思っていたが、彼の疑問に関係なく痩せっぽちの面白みのない体を、ローレンスは抱いた。
従者という立場上、断るという選択肢はなかったし、嬉しい気持ちがあったのも事実だ。
けれど。よこしまな想いを主人に抱いているわけではない。断じて違う。
「ローレンスさまにも婚約者がいるし、僕にだってベラがいる」
屋敷では抱かれる立場であるライリーだが、故郷には婚約者がいた。
ライリーは幼く見えるが、今年で21歳になる。ベラは20歳。あまり待たせすぎるのはよくない。だというのに。
「ローレンスさまから僕の立場に関しての話を明日したいと言われた。おそらく従者から執事見習いへ昇進するという話だろう。いずれ執事に……ああ、ダメだ。今でさえ暇があれば抱かれるという、爛れた生活をしているというのに。執事になんてなったら……」
どれだけ爛れた生活になってしまうのか?
ライリーはブルリと震えた。これは期待のせいではない。断じて違う。
「後戻りできなくなる前に、実家へ帰ろう」
ライリーは少しでも早く生まれ故郷に戻るため馬を急がせた。明かり玉には隠匿の魔法もかかっている。明かり玉の光が届く範囲にいれば、他人に見えることはない。
「このままローレンスさまから離れるんだ」
辞表は、使用人部屋として割り振られた部屋の机の上に置いてきた。
不手際はないはずだ。
「直接会ってお別れの挨拶をしたかったけれど……それだと、またなし崩しになっちゃうから……」
胸をよぎっていく、ちょっとした切なさは気のせいだ。ライリーは頭を軽く左右に振ると、夜通し馬を駆って故郷を目指した。
月明りすらない真っ暗な夜を駆け抜けて、朝日が赤く空を染め始めたころ、ライリーは生まれ故郷の村へと着いた。
◇◇◇
ライリーが異変を感じたのは、故郷の様子が見えるあたりまで来たときだ。一晩中馬を走らせていたから、体は疲れているし、腰や尻はもちろん痛い。だが幻を見るほどの異常はないはずだ。
「……あれ? 村の入り口って、あんな感じだっけ?」
ライリーは黒馬の上で茫然とつぶやいた。
村を後にしたのは13歳の春。それから7年が過ぎた。王都にある屋敷へ親族が訪ねてくることはあっても、村へ戻ることは許されなかったライリーだが、この変化は意外だ。
「村じゃなくて町じゃん。都市への入り口みたい」
ライリーが後にしたはずの村は、そこにはなかった。村と外界とを隔てていたのは、周囲にちらりほらりと生えていた弱弱しく細い木々ではなかっただろうか? なぜか今は立派な壁がある。こんな壁があれば、野獣が村を襲うこともないだろう。
「でも門番がいる感じではないな? 出入口の柵が開閉できるタイプだから、夜だけ閉める感じか」
ライリーは馬から降りると、黒馬の手綱を引きながら村の中へと入っていった。
「なんだか……村の中も様子が違うような……」
ライリーが育った村は貧しかった。
だからウィットフォード伯爵家を初めて見たときには、その豪華さにびっくり仰天したものだ。
「なんだか……あの時と同じくらい、びっくりなんだが……」
ライリーは茶色の瞳がはまった大きな目を見開いてぱちくりさせた。見覚えのある道を辿って実家を目指せば、そこにあったのは大きな家だ。吹けば飛ぶような小屋が実家だったはずなのに。ライリーは周囲をキョロキョロ見回した。でも懐かしのボロ屋はどこにもない。
「え? なんで?」
だからライリーの口から思わず間抜けな声が出ても仕方ない。
ライリーの記憶にある実家は、家というよりも小屋だ。 ウィットフォード伯爵家の馬小屋のほうが立派かもしれない、と思う程度の家だった。はずだ。なのに目の前には、二階建ての大きな家がある。しかも窓にはガラスがはまっていた。ガラスは高価だ。貴族の屋敷でもない普通の、というか普通よりもかなり貧しいライリーの実家にガラスがはまっているのは不自然である。
「どうなっているんだ? 7年程度で、そんなに経済状態って変わるもんなの?」
戸惑う彼の背中で、懐かしい声が響いた。
「え……ライリー?」
「ライリー? お前なの?」
低くて少しかすれた父の声に続いて、記憶通りの母の声が響いた。
「あ……」
ライリーが振り返ると、懐かしい2人の姿があった。
「父さん、母さん……」
その2人が両親であるというのは、すぐにわかった。だがちょっとだけ違和感がある。
野良仕事をしてきた帰りにしては、服が綺麗すぎませんかね?
◇◇◇
「ただいま。父さん、母さん」
僕は挨拶もそこそこに、両親の体をそれぞれに抱きしめた。
どうにも様子がおかしいが、久しぶりに会えたのは嬉しいからスキンシップをとってみる。
「まぁ、あらあら。いつまで経っても子どもなんだから」
「ははは。ライリーは大人になっても変わらないな」
抱きしめた両親は口々に僕の子どもっぽさに突っ込みを入れているけれど、僕は自分を知っている。
僕の体は大人の爛れた関係を知ってしまったのです、お父さん、お母さん!
絶対言えない秘密だから墓までもっていくけれど、事実は変わらない。これは知られてはいけない秘密だ。ローレンスの名誉が傷付いてしまう。僕の恥にもなるし、他人に知られちゃダメだ。特にベラには絶対に知られてはいけない。
朝早いけど、ベラのことを思い出したら会いたくなっちゃったな。婚約はしてるし仕送りはしていたけど。会うのはウィットフォード伯爵家へ来たとき以来だから……4年ぶりだ。どうしてもベラの顔を見たくなって、僕は両親から体を離した。
「僕、ベラの所へ行ってくるね」
「あ、ちょっと待って」
「ライリー、ベラは……」
母さんと父さんが焦って止めているけど、気付かないふりして踵を返すと僕は走り出す。朝早すぎる訪問は礼儀としてはどうなんだろう、と従者勤めの長い僕は思ったけれど、子どもの頃は朝一番の突撃なんてしょっちゅうしていた。ましてやベラは僕の婚約者なんだから、遠慮はいらないだろう。荷物を載せた黒馬は、父さんにお任せだ。僕は両親が何かガチャガチャ言っているのを背中で感じながら、ベラの家まで一気に走った。
……のだが。
これは一体、どういうことだ?
「あ、ライリー。久しぶり~」
朝一番で訪問したのは悪かったけど、ベラの様子がどうにもおかしい。
長い赤毛を後ろでひとつにくくり、赤い瞳のはまった目に柔らかな笑みを浮かべるベラは相変わらず可愛い。細身で巨乳なところも4年前と変わらないが、腹が大きいのはどういうことなんだろうか。何よりもベラの後ろでヘラヘラ笑っている金髪野郎は誰なんだ?
「これは一体……」
戸惑いながら言う僕に、ベラはとても嬉しそうな表情を浮かべた。
「ウフフ。ライリーのご主人さま、ウィットフォード伯爵さまって良い方よね」
「……え?」
困惑する僕を、さらに戸惑わせるようなことをベラが言う。
「ライリーとの婚約解消は、ちょっと寂しかったけど……。村にもたっぷり寄付をしてくれたし、わたしたちの結婚祝いのご祝儀も弾んでくださったのよ。それに、この子の出産祝いも用意してくださるみたい」
ベラは愛しそうに自分の腹を撫でている。
……ん? ちょっと待て。僕との婚約を解消? そんな話、僕は聞いてないぞ。
「あ、ウィットフォード伯爵さま。おはようございます」
は? ウィットフォード伯爵さまって、ローレンス?
僕の後ろに主人であるローレンス・ウィットフォード伯爵が立っているらしい。気配を感じる。なんだかすさまじい圧を感じる。僕は怖くて振り返ることが出来ない。そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、ローレンスのさわやかな声が響く。
「やあ。おはよう。ベラ、子どもは順調そうだね」
「はい。ありがとうございます、ウィットフォード伯爵さま。結婚祝いで家も直しましたし、ご寄付で村の設備も整ってきましたので快適に過ごしています」
「それはよかった」
マジでどうなってんの? ベラとローレンスの話は理解できるようで理解できない。ベラが僕意外の誰かと結婚した? その相手っていうのは、ベラの横でヘラヘラしている金髪野郎なんだろうけど……。え? 僕聞いてないよ? どういうこと? 僕って当事者じゃないの? という戸惑いは、尻すぼみに消えていく。それよりももっと大きな問題が、僕の後ろに立っている。後ろにローレンスの気配を感じながら、僕は冷や汗をダラダラと流した。
なぜ? なんで?
疑問がぐるぐると僕のなかに渦巻くけれど、いま僕はなんだかとってもマズイ状況に置かれているような気がするんだ。
気のせいだよね?
だよね、だよね、そうだよね。
僕はちっとも悪くない。
婚約者のいる故郷に戻ってきただけだもの。
その婚約は解消されて、元婚約者は結婚していてお腹に子どももいるようだけど。
……え? どういうこと?
ローレンスが結婚祝いを出したなら、僕とベラの婚約が解消されたことも、ベラが別の人と結婚したことも、知っていたはずだよね? でもでもでも。僕、そんなこと聞いてないけど?
僕はチラッと後ろを見た。するとローレンスの心底怒っているけど笑みで隠しています、みたいな目と視線が合ってしまい、僕は慌てて正面に向き直った。
え? ココは僕が怒られるんじゃなくて、怒っていいところじゃないの?
ああ、だけど背中に感じる圧が強くて、怖くて振り返ることも出来ない気弱な僕。だから僕はダメダメなんだ。でもねー、これは……アレだよ。主従関係ゆえの……あ。だけど僕、辞表も書いたし。ローレンスはもう僕の主人じゃない。そうだよ。僕とローレンスは、もう無関係。そうじゃないか。そうでなければ、この逃走劇は意味がない。などと思っていると足元が地面と離れた。
え? どういうこと? なんだか僕、ローレンスの肩に担がれたみたいなんだけど?
「じゃ、また。元気な子どもを産んでね」
「はい、頑張ります」
ローレンスの言葉にベラとその夫がハハハと陽気に笑っている気配を尻に感じる。
ねぇ、見えているなら僕のこと助けようとか思わない?
僕はローレンスの肩に担がれて、揺れる視界へ逆さまに映るベラ夫婦の姿を見ながら、どこかへと運ばれたのだった。
◇◇◇
僕の顔はローレンスの背中側で、足は彼の左胸のあたりでゆらゆらと左右に揺れている。だけどローレンスが無言だから、僕も無言だ。彼がどんな気持ちで僕を肩に担いでいるかなんて知らない。
問答無用で肩に担ぐなんて勝手だな。
僕は辞表を書いたから、ローレンスの使用人じゃないのに。
こんな勝手が許されるはずはないんだっ!
……そのはずだ。怒っていいのは僕だよ。そうだよ、僕は身勝手なローレンスのことを怒っていいんだ。仕事を辞めたら僕とローレンスは無関係のはず。……あれ? この村の領主って、誰だっけ?
ちょっと不安になりながら彼の肩の上で揺れていると、ローレンスは僕の知らない建物の前で止まった。逆さまだから、位置関係もよく分からない。というか、村はあちこち手が入れられていて、知らない建物がたくさん出来ていた。久しぶりだから村人の顔もよく分からない。同級生は大人になっているから顔が変わっているし、知り合いっぽい人と目があってもヤバいものを見たかのようにサッと視線を外されてしまう。おいこら誰か僕を助けろよ! と思っているうちにココへと着いてしまったのだ。
どうにか逃げられないかなー、と思いながら、僕はローレンス越しに建物をまじまじと見てみた。だけど誰かの屋敷なのか、何かの施設なのかさっぱりわからない。逆さまだし、村の様子はだいぶ変わっているから、そのせいで分からないだけかもしれないが。僕の生まれ故郷なのに、ローレンスのほうが僕より詳しいような気がしてきて、さらに腹が立ってきた。なんなんだよっ。
ローレンスが僕の気持ちを読んだように言う。
「ココはわたしたちの家だ」
「ふぇ?」
僕は間抜けな声をあげた。
わたしたちの家?
ウィットフォード伯爵家の別邸っていう意味かな?
僕はウィットフォード伯爵家の領地を頭で思い返してみた。記憶が確かなら、この村は領地ではないはずだ。僕の疑問を察したのか、ローレンスが説明する。
「この村の元の領主と領地の交換をした。いまこの村はウィットフォード伯爵家の領地だ。だから領主はわたしだ」
「えっ⁉ そんな話は初耳ですよ⁉」
なにがどうなってるのか、さっぱりわからない。
いくら僕がぽけぇ~としたタイプだからって、生まれ故郷が領地になれば気付くよ?
「そりゃお前には内緒で進めていたからな」
「なんでっ⁉」
僕は仰け反りながら抗議の声を上げた。そして背中が攣って悲鳴をあげた。
「いたたっ」
一晩馬を走らせたあと、担がれたまま仰け反るのは危険だ。
「大丈夫か?」
「誰のせいだと思っているんですかっ⁉ そもそも、なんで内緒にしようと思ったんですかっ」
ローレンスが心配そうに聞くので僕は突っ込んだ。
するとなぜかローレンスが照れた様子で答える。
「ん、ま、あれだ。サプライズというやつだ」
「こんな心臓に悪いサプライズ、要りませんっ!」
まったく!
妙にコソコソしているから、何かと思えばこういうことだったのか!
ローレンスがウィットフォード伯爵になった後、妙によそよそしくなったから、ついに婚約者と結婚か⁉ と思ってたのに違ってた。そっちも心に来るけど、こっちの衝撃もかなりのものだ。
「心臓止まるかと思った!」
「はははっ、それは悪かったな、ライリー」
ローレンスは笑ってるけど、僕にとっては笑い事じゃない。
セフレを解消されて新婚夫婦を側で見るのは辛すぎる。セフレのまま抱きつぶされて、仲睦まじい新婚夫婦を側で見ているのは惨めすぎる。そう思って逃げ出したのに。ローレンスが結婚したら、セフレであっても、なくても、側にするのは辛すぎて逃げてきたのに。領主になられてしまったら、故郷へ帰ってきても逃げられない。
村を出てどこか別の町に住む? でもベラは他の男と結婚してしまった。
僕はひとりきりで知らない町に住むことができるだろうか?
ぽけぇ~としているから、無理かもしれないし。ひとりきりが寂しくて死んでしまうかもしれない。
いや、ぽけぇ~としているから、かえって平気かも……。
などと僕が一人考えていると、ローレンスは「さて、中を案内するとするか」と言いながら、僕を肩に担いだまま建物のなかへと入っていった。
◇◇◇
建物は公共施設にしては少し小さくて、個人の家としては少し大きかった。入り口を入ってすぐの部屋は、応接室のようだ。ローレンスは毛足の長い絨毯の上に僕を下すと、室内を見回しながら満足気な笑みを浮かべた。
「王都の屋敷ほど大きくはないが、2人で過ごすなら、このくらいのほうがいいだろう」
「……2人で過ごす?」
貴族女性というのは、身支度ひとつとっても手間がかかるものだ。
奥さまと2人きりというのは変だな? あ、ここなら僕が手伝いに来られるから?
でも女性のお世話は男性従者がするものではない。僕は眉間に皺を寄せながら聞いた。
「誰と過ごすおつもりですか? ローレンスさま」
「もちろんお前とだよ、ライリー」
ぽかんとする僕の前で、ローレンスがキラキラとした笑みを浮かべている。
僕とローレンスが、この家で過ごす?
「もちろん王都の屋敷が主な住居になるけれど、里帰りした時に泊まる場所が必要だろう? 親御さんの家でもいいが、毎回では気を遣う。このあたりにはよい宿もないし、屋敷を建ててしまったほうが早いと思って用意した」
「え? 何のために?」
どうもローレンスの言うことは理解に苦しむ。
そもそもローレンスはどんな交通手段で村まで来たのだろうか。
「僕は夜通し馬を駆ってついさっき到着したのに、ローレンスさまは先回りしてましたよね? まさか僕を監視でもしていたのですか? それに何を使ってココまで来たのですか?」
僕は胡乱な目でローレンスを見た。ローレンスは満面の笑みで機嫌よく答える。
「ああ。ドラゴンに乗ってきた」
「ドラゴン⁉」
僕は思わず素っ頓狂で間抜けな声を上げた。
この国ではドラゴンに乗ることができる。しかしドラゴンの扱いは難しくて、わが国には王国騎士団所有のドラゴンしかいない。だからドラゴンを借りるとなると――――。
「高かったが、緊急事態だから借りた。わたしはドラゴンに乗る訓練を受けたことがあるし、今日乗ってきたドラゴンとは仲良しなのだ」
ローレンスは得意げに胸を張った。いやそこで胸を張られても!
「ドラゴンを借りるって! 一生に一度、あるかないかの大事の時にすることでしょ⁉」
「お前が消えたのは、一生に一度あるかないかの大事だっ!」
ローレンスはキッパリと言った。
え⁉ そんな大事だったの?
僕はポカンとしてローレンスを見た。彼はコホンと小さくわざとらしい咳をひとつして。そして言葉を続けた。
「そもそも我が家所有の馬に、所在地の分かる魔法陣が刻まれているのは、ライリーも知っているだろう?」
「あ……」
そうだった。
ウィットフォード伯爵家の所有物なのだから、どこにいるのかすぐ分かる魔法がかけられていて当然だ。
「お前は『隠匿の魔法』が得意だから、馬も隠せると考えたのだろうが……」
あぁ、そうだ。僕は『隠匿の魔法』が馬にかかった魔法陣も無効にしてくれることを期待したのだ。無理だったけれど。
「そういう間抜けなところも可愛いが、そうまでして逃げ出そうとしているのかと感じたら、わたしだってちょっとくらいは傷付く」
「……」
ちょっとかよっ。と突っ込みたかったが、後が怖いからやめておく。
「そもそもライリーが行ける場所といえば、生まれ故郷の村くらいだ。何の情報もなくても、そのくらいわたしにも分かる」
「……」
色々バレている。嫌になるくらいバレている。……なら、逃げたセフレ従者くらい、見逃してくれたらいいじゃないか。そのくらいの情けは持てよ、伯爵さま。なのにコイツときたら、大枚はたいてドラゴンに乗ってまでしてこの村へ先回りした。
「なぜそこまでして、僕を追ってくるんですかっ⁉」
「だってライリー」
ローレンスの秀麗な眉が情けなくへにょりと下がる。
「花嫁に逃げられた男が、花嫁を必死に追いかけるのなんて、当たり前だろう?」
「花嫁⁉ なんで僕が花嫁なんですかっ⁉」
僕はびっくり仰天して大声を出した。僕は男だ。アンタは何度も抱いたんだから知ってるだろ? 男は花嫁なんかにはなれない。そもそも平民が伯爵さまの花嫁になんてなれっこないのに。ましてや男が花嫁になんてなれるわけない。
それは事実以外の何物でもないと思うのだが、ローレンスは驚いたように唇を引き結び目を大きく見開いて僕を見ている。
「なんでだよ? なんでそんな顔して僕を見るんだ、ローレンス。 僕はあなたのセフレでしょ? 花嫁なんかじゃない。ただのセフレだ。それに僕も、ローレンスも、男じゃないか。どれだけ愛し合ったって、爛れた関係以上のものは得られない。僕は彼の子どもを産むことなんてできない。伯爵さまには跡継ぎが必要だろ? だから僕は————」
僕は気持ちをぶちまけた。なのにローレンスは表情を花が開くように優しい笑みで染めていく。
なんだよ、その反応。まるで僕のことを愛しているみたいじゃないか。
「子どものことを気にしているなら心配ない。優秀な人物を親戚筋から見つけて養子にするから」
「養子? 実子でなくていいの?」
ローレンスが子どもを欲しがっていたのは知っていた。
愛情深いのに愛に飢えていた人だ。
両親はそれぞれに自分自身のことにしか興味がなく、優秀なローレンスを放置した。
愛を注げば注ぐだけ返してくれる人なのに。
|ローレンスの両親《ウィットフォード伯爵夫妻》は彼を無視した。
なのに彼は、僕に優しい笑みを向けて言うのだ。
「構わないさ。むしろ養子のほうが、政略においては有利だよ。我が子に伯爵位を継がせたい親戚筋なんて、探さなくても出てくるし。わたしはお前と一緒に生きるため、必死になって仕事をしたんだ。誰にも文句は言わせない」
なんだろう?
僕の視界は滲んでいく。
「泣いているのかい? ライリーは本当に真面目なんだから」
大きくて暖かな手が僕の頬を包み込む。
「わたしも真面目にお前を愛しているけどね。お前はわたしたちの関係を『爛れた関係』としか考えていなくて『隠匿の魔法』で隠してしまいたがったけれど。わたしの妻はお前しか考えられないよ、ライリー。愛しい人」
違う、違う。
僕はただのセフレだ。
2人の間にあるのは爛れた関係だけで、他には何もないはずだ。
僕は声を出せないまま、頭をブンブンと横に振る。
「ふふ。強情なんだから。わたしはお前以外を愛せるはずはないじゃないか。まだその体に教えこまないとダメなのかい?」
セクシーな声が僕の耳元で響く。
ローレンスは何を言っているのか。
涙で視界は悪いし、嗚咽で喋ることはできないし、僕は……僕は……。
「ライリー。お前が何の憂いもなくわたしの側にいられるように、わたしがどれだけ頑張っていたか。お前は見ていただろう?」
ローレンスがどれだけ頑張ったのかは側で見ていたから知っている。
それが――――僕のためだって?
「わたしが頑張って領地経営したのも、商売を手広く始めたのも。すべてお前のためだよ、ライリー。お金を稼いだのは、お前と暮らすという『欲』を果たすためだよ。地位や名誉にこだわったのも、お前をわたしの手元に置いた時、誰にも文句を言わせないためだよ。そしてお金と力を使って、お前の生まれ故郷の村も領地に加えた。お前に好かれたくて、体も鍛えたし、見た目も磨いた。全てはお前の体と、心と、残りの人生全てを、わたしの近くに置くための努力だったのだよ。ねぇ、ライリー」
ああ。
これじゃ僕が馬鹿みたいだ。
勝手に気をまわして、勝手に傷付いて、勝手に慌てて、勝手に逃げ出しただけじゃないか。
とんだ早とちり野郎だ。
「わたしの婚約はとっくに解消されているし、相手にはふさわしい婚約者を新たに用意した。何ひとつ心配する必要はないのだよ、ライリー」
ローレンスは僕の右手をとると、床に左ひざをついてかがんだ。
「だからライリー。わたしと結婚してくれませんか?」
何を言っているんだ、この人は。
「わたしの全てを受け取ってくれませんか?」
すらりと背の高いローレンスは足も長い。
その長い脚を折って僕の足元に跪いても、美しく整った顔は僕の胸元近くにある。
「愛してるよ、ライリー。わたしの人生の、残り全てを使って、愛させてくれませんか?」
僕はセフレなんかじゃない。
ただのセフレ従者じゃない。
愛されていた。
愛されてたんだ。
あぁ、ローレンス。
僕もあなたを愛している。
涙で視界は滲みまくっていて、声も嗚咽に奪われて、まともに返事できないけれど。
僕もあなたを愛しています、ローレンス。
「ふふ。オッケーということでいいのかな」
ローレンスは僕の右手を握りながら立ち上がり、少しの間、離れた。
青い瞳が、僕の全身を舐めるように眺めているセクシーな気配がする。
そして再び僕に近付いたローレンスは、ふわりと僕をお姫さまみたいに抱き上げると、新品の匂いのする寝室へと運び入れた。
ローレンスからたっぷり愛されて、一晩中馬上にあったライリーの尻は完全に死んだ。
ライリーはあまりの恥ずかしさに『隠匿の魔法』で逃げ出そうとしたが、満面の笑みを浮かべたローレンスに阻まれて、回復するまで主人の手により手厚い看護を受けたのだった。




