桜の蕾の開くころ
六月某所
ジメジメとした暑い日の続くある日に、君は我が家に来た。グルグルと嬉しそうに喉を乗らしている今からは想像もできないくらいに警戒心と恐怖心を剥き出していた小さな命の姿を思い出す。
「もう君が来て、一年が経つねぇ」
喉の下をくるくる撫でてやれば、もっとと強請るように押付けてくる。それが愛おしくてもっと構い倒してしまう。
ふと視線を感じてチロリとそちらに目線が合わないように目を向ける。ジィ、と穴が空くほど見てくるもう一匹の同居人。ゆらゆらと揺らめかせている黒い尻尾はあからさまに彼女の不機嫌さを表していた。
「みぃちゃーん。おーいでぇ」
ハチワレの彼女の名前を一応呼んではみるけれど、案の定素直な耳が反応しただけで、そうじゃない顔はそっぽを向けられてしまう。それが随分と猫らしく、素直じゃないその態度が可愛らしい。
「愛いねぇ」
クツクツと喉を鳴らし笑う声は自分のことなのにどこか愉快そうだ。
――そうか、
もう随分と昔のことのようにも感じるが、
まだ一年しか経っていないのか。
目を閉じれば思い出す、この子たちとの出会いと、思い出を。
みいちゃんと出会ったころは秋の足音が随分遠くに行ってしまった夜のことだった。その頃は自分がまだ高校二年生だった頃だった。いつもと変わらない歩道を歩いていた時に、自分と反対側の道路の端をうろうろとさまよっている小さな塊だったみぃちゃんを拾ったんだ。捕まえたことでジタバタと暴れるその小さな体を腕に抱けば、すぐさま抗議の声が挙がる。「離せ」、と。それでもその体を離さないように抱きしめ続けていれば段々とその声も聞こえなくなっていた。それでも温かいその温度にひどく心が締め付けられたのを、今も思い出せる。なんとか家に辿り着き、あれよあれよという間に家の子になった子。里親を探したりもした。それでも、この家の子として、迎え入れた。彼女とはなんだかんだとうまくやれているんだから、自分のあの時感じた感覚もまだまだ捨てたモノじゃないな、なんて見当違いなことを思ったこともある。
それから何年か。七、八年の付き合いになるのか。
あの子の一年前の誕生月に今度はぶち猫のまさくんが来た。母が連れて帰ってきたその子は、みぃちゃんの時以上に小さい体で、どう触れたらいいものかと手を右往左往させていたのも、もういい思い出だろう。
まさくんはみぃちゃんと違って、よく鳴く子だった。その声は迎えに来なかったと言う母猫に「自分はここだよ! ここにいるよ!」と必死に居場所を教えている時にも似た声だった。この数日前に自分はこの子とは全く違う子だけれど、よく似た声を聴いていた。黒く小さい子だった。その子をなんとか保護しようと伸ばした手に怯えていたあの子は、スルスルと器用に細い枝を登っては降りてを繰り返し、時々止まっては大きい声で母猫を呼んでいた。「ここにいるよ!」そんな言葉が聞こえてきそうなほどだった。
あの子と同じような声で鳴く、新しい家族は、流れぬ涙を流しているようにも見えた。みぃちゃんの時とはまた違う胸の締め付けられ方に、勝手に涙が溢れ出た。
それでもなんとか世話を続けて、日々を重ねていけば心を開いてくれたのか。怯える姿も威嚇する姿も見なくなっていったのはとても嬉しかった。
一年経った今はそんな素振りは少しも見ない。
「かぁいいねぇ、二人とも別嬪さんだねぇ」
高校生になった弟にババ臭いと言われたのはつい最近のことだ。全く、反抗的になったら本当にかぁいくない。あの頃の可愛げのあったいじられキャラのかわいいやつはどこに家出したんだか。
「お兄ちゃんたちはめんどくさいねぇ」
そう言いながらも口角が上がっているのはあいつらが成長していることも分かっているからなのか。本人のことなのに、他人の視点のようなその回答を聞いてくれる二匹は今日も気ままに生きている。