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6.二人の距離感


 レオナルドが自分の気持ちを吐き出してくれたあの日から、彼はみるみるうちに元気になっていった。


 回復食も自ら進んで食べるようになり、今ではすっかり普通の食事を取れるようになっている。おかげで髪や肌の艶も随分と良くなった。顔色や瞳にも生気が戻ってきている。


 しかし、不眠はまだ続いているため、寝る前にはリラックス効果のあるお茶を飲ませたり、症状が酷い時は薬を処方したりしている。


 レオナルドはしきりに執務をしたがったが、リズベットが一日にやっていい時間を厳しく制限していた。ここで無理をして、また調子が悪くなっては元も子もないからだ。これまで寝込んでいた分を取り戻したい気持ちもわかるが、そこはリズベットが譲らなかった。


 そして、体力が戻ってからは、日中に少しずつ外に出るようになった。そこからより一層回復していき、今では剣の素振りができるほど元気になっている。


 彼が剣を握るのは終戦以来だ。体が相当鈍ってしまっているのか、最初の方はうまく剣が振れず、もどかしそうにしていた。しかし、毎日のように剣を振るううちに、勘を取り戻している様子だった。


 今日も今日とて、レオナルドは屋敷の庭で素振りをしていた。彼が外に出る時、リズベットは決まって付き添っている。


 レオナルドの剣さばきは美しく、堂々とした姿はまさに英雄そのものだった。ここに魔法が加われば、彼に勝てる者などそうそういないだろう。


(でも、魔法が使えるようになるのは、まだまだ先になりそうね……)


 レオナルドは、魔力暴走を起こしたあの一件以来、一度も魔法を使えていない。再び魔力暴走を起こしてしまうのではと恐れているせいだ。


 いずれは魔法を使う訓練もしていく必要があるのだが、今はまだその段階にないとリズベットは判断している。


 彼にとって魔法はトラウマそのものだ。


 無理に訓練を進めれば、再び心が壊れてしまう可能性もある。こればかりは慎重に進めていく必要があるだろう。


「殿下、そろそろ中に入りましょう。風が冷たくなってきました。お体に障ります」


 リズベットが声をかけると、レオナルドは汗を(ぬぐ)いながら剣を鞘に収め、こちらに歩み寄ってきた。しかし目の前まで来たところで、彼は鋭い視線を屋敷の二階あたりへと向けた。


「どうかされましたか? 殿下」


 不思議に思いリズベットが尋ねると、レオナルドはすぐにこちらに視線を戻してくる。この時すでに、瞳の鋭さは消えていた。


「……いや、なんでもない。それより、リズベット。前々から言おうと思っていたんだが、殿下はやめてくれ。俺のような人間に、そんな敬称は不要だ」


(うーん、拗らせてるわね……)


 彼は時々こうして、自分を卑下するようなことを言う。多くの人々を殺めてしまった責任を重く受け止めているからなのだろうが、もう少し自信を取り戻してくれたらと思うときが多々あるのだ。


 でもこれは、信頼関係を深めるチャンスかもしれない。リズベットはそう捉え直し、こんな提案をしてみた。


「そうですね……では、親しみを込めて、レオ様とお呼びしてもよろしいですか?」

「…………」


 返ってきたのは見事な沈黙だった。レオナルドは唖然とした様子でこちらを見ている。


(しまった……! 調子に乗りすぎた!?)


 ここ数ヶ月でだいぶ打ち解けたので忘れかけていたが、相手はこの国の王太子だ。これは完全に距離の詰め方を間違えてしまった。


 リズベットは心の中で冷や汗をダラダラ流しながら、慌てて謝罪した。


「申し訳ございません、流石に失礼が過ぎました。今のは忘れてください!」


 勢いに任せて一気にそう言うと、レオナルドは何がおかしかったのか楽しそうにクスクスと笑い出した。


 最近、彼の笑顔をよく見るようになったが、流石は王族。笑い方ひとつとっても気品に溢れ、絵画のように美しいといつも思っている。


「いや、構わない。様も付けなくていい」

「それは流石に、周囲の目がありますので」

「わかった。では俺も、リズと呼んでいいか?」

「ええっ!?」


 レオナルドのまさかの言葉に、リズベットは変な声を上げてしまった。いま自分の顔を鏡で見たら、相当な間抜け面をしていることだろう。


「だめか?」

「い、いえ! 滅相もございません」


 そう言って懸命に首を横に振ると、レオナルドはまたクスクスと笑っていた。そして、程なくして笑いを収めると、彼はそのスラリと伸びた美しい指でリズベットの乱れた髪を掬い、耳にかけてくれた。


「ではリズ。部屋へ戻ろう」


 彼の穏やかな声からも、その柔らかい表情からも、こちらを気に入ってくれていることが伝わってくる。


(これは……間違えたかしら……)


 リズベットがこの屋敷にいるのは、あくまでレオナルドが「生きる気力を取り戻し、魔法を再び使えるようになるまで」だ。いずれいなくなる身で、あまり距離を縮めすぎるのも良くない気がしてきた。


(適切な距離感……うん、医者と患者の適切な距離感を保ちましょう)


 リズベットは、心の中で自分にそう言い聞かせるのだった。



* * *



 数日後、リズベットは屋敷からそう遠くない林の中を散策していた。


 屋敷に来てすぐの頃、このあたりに薬草の群生地を見つけたので、それ以降こうして時々摘みに来ているのだ。


 薬草は街に行けばもちろん手に入るのだが、屋敷は小高い丘の上にあるため、いかんせん街までが少し遠い。自生している薬草を摘めば、わざわざ丘を下りる必要もないし、タダだし、一石二鳥なのである。身近で手に入るなら、それに越したことはない。


「よしっ! 今日も豊作!」


 カゴにたんまり入った薬草を眺めると、思わずニンマリと笑みがこぼれる。早く屋敷に戻って薬草の処理をしようと立ち上がった時、がさりと茂みから音がした。


 音の方を振り返って、リズベットは硬直する。


(熊……!!)


 リズベットよりも遥かに大きい巨体の熊が、そこにいた。向こうもこちらの存在に気づいているらしく、完全に視線が合っている。


(どうしよう……流石に熊との戦い方はグレイから教えてもらってないわ……)


 本能的な恐怖で体が震えそうになる。しかし、ここで慌てて逃げたらダメだ。逆に相手を興奮させてしまう。


(視線を逸らさず、音を立てず、刺激しないようゆっくりと後ずさる……)


 リズベットは生唾をゴクリと飲むと、一歩、また一歩と、熊から距離を取っていく。

 しかし何歩目か下がった時に、パキッという音がした。運の悪いことに、落ちていた枝を踏んでしまったようだ。


 それが引き金となったのか、熊は「グウゥッ!」とうめき声を上げながらこちらに駆け寄って来た。リズベットは驚きと恐怖で慌てて逃げようとしたが、足がもつれて盛大に転んでしまった。


 振り返ると、すぐそこまで熊が迫ってきている。

 

「うわぁああ! ごめんなさいっ!」


 混乱のあまりどうすることもできず、リズベットは咄嗟に両腕で顔を隠した。


(無理……死ぬ……!)


 半ば死を覚悟した時、ガキンと金属音のようなものが聞こえた。ハッとして前を見ると、青年が剣で熊の爪と牙を受け止めている光景が目に飛び込んできた。

 

 レオナルドだ。


「去れ。お前を傷つけたくはない」


 彼は言葉とともに凄まじい殺気を放った。リズベットが初めて彼と出会った時より、何倍も強い殺気だ。


 すると熊も相手が危険な存在だと悟ったのか、すぐに踵を返して林の中に帰っていった。


(殺気で熊を追い払う人、初めて見た……)


 リズベットが呆気にとられていると、レオナルドはこちらのそばに来て屈んだ。


「リズ、大丈夫か? 足から血が出ている」


 心配そうな表情の彼にそう言われ自分の足を見てみると、見事に膝から血が出ていた。先ほど転んだ時にできた擦り傷だろう。


「助けていただきありがとうございます。これくらいなら、治癒魔法で治せるので大丈夫です」


 リズベットはそう答えると、膝に手をかざして治癒魔法を施していく。魔力量の乏しい自分でも治しきれる傷で良かったと安堵しつつも、先ほどの光景を思い返すとゾッとした。彼が助けてくれなかったら、今頃は熊の餌になっていたところだ。


 そして傷の治療を終えてから、リズベットは彼に尋ね返した。


「それにしても、レオ様はどうしてここに?」

「君の姿が見当たらなかったから、エイデンに聞いたんだ。そしたらこの辺りだと」


 どうやら探させてしまったらしい。仕事の支障にならないタイミングで出てきたつもりだったのだが、何かあったのだろうか。


「そうでしたか。急ぎの用事でもございましたか?」

「いや、そうではない。この時期は熊が出ることがあるから、心配になってな」

「それは……ご心配をおかけしてすみませんでした」

 

 純粋に心配して駆けつけてくれたことに、リズベットは言いようもない感情を抱いた。嬉しくて、でもなんだか気恥ずかしくて、ソワソワする感じだ。そして、彼は本当に優しい人なのだと改めて実感する。


「君が無事ならそれでいい。次からこの場所に来る時は俺に言え。付き添う」

「いえ。レオ様を煩わせるわけには」


 リズベットがすぐに遠慮すると、レオナルドは優しく微笑みながら言葉を返してくる。


「君に怪我をされてはたまらない。俺が人生に迷った時は、一緒に悩んでくれるんだろう?」


(確かに……それは、そうなんだけれど……!)


 そんなことを言われては、無下に断ることもできなかった。その上、自分を必要としてくれていることがひしひしと伝わってきて、照れくさくて仕方がない。


 リズベットは、しっかりと見つめてくる青の瞳から逃げるように視線を逸らした。


「は、はい……では、お願いします……」

「ああ」


 レオナルドは満足げに頷くと、こちらの手を取って立ち上がらせてくれた。そして、二人並んで屋敷へと歩いていく。


 薬草が入ったカゴは、いつの間にか彼が持ってくれていた。そのさり気なさが本当に紳士的だ。


「先ほどは強い殺気を放ってすまなかった。怖くなかったか?」

「あ、はい。それは全く」


 リズベットが即答すると、レオナルドは面白がるようにクスクスと笑う。


「君は本当に不思議な人だ。熊は怖がるくせに、俺の殺気は全く恐れないんだからな」


 陶器のように滑らかな白い肌。長いまつ毛。夜空のような深く青い切れ長の瞳。薄い唇は形よく、鼻筋はスッと通っていて、美術品のように整った顔立ち。


 リズベットは彼の横顔を見上げながら、純粋に思った。


(この人の笑顔は、本当に心臓に悪い)


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