新婚旅行??
思いつきの新婚旅行発言から一週間後。
なぜか騎士団長から快く10日間もの休みをもらえたアレスティードは、領地へ向かう魔法導体車の中で、サイーシャと向かい合って座っていた。
国都から領地までは魔法導体車に乗って8時間強かかる。つまり、導体車の中で嫌でもサイーシャと向き合うことになるのだ。もちろん、サイーシャの侍女ナタリアとアレスティードの侍従であるカイザも同乗してはいるが。
それにしても、無言、無言である。アレスティードは全く何を話せばいいのかわからない。この七日間も旅行のためのあれやこれやで準備に走り回っていたら、ほとんどサイーシャと話す時間が作れなかった。
いや、夜は同じ寝室で寝ているのだから時間はないことはなかったのだが、寝室では緊張にまみれたアレスティードが全く話せなかった。同じベッドに入っているだけでどきどきして全く眠れない。かねて打ち合わせていたように、サイーシャが寝入ったところで自分の部屋に行き、明け方夫婦の寝室に戻るという生活を繰り返していた。
が、実はこの行動はサイーシャにばれていたのだ。一度、明け方早く目が覚めてしまったサイーシャは、隣にアレスティードがいないことに気がついた。その時は(早く起きられたのかしら)としか思わなかったのだが、その日以降も気をつけてみていたところ夜中に夫婦の寝室を抜け出していることがわかったのだ。
サイーシャは、
(やはり同じ部屋で寝たくはないのだわ)
と思いこみ、アレスティードに大変申し訳なく思っていた。何しろこちらの希望を丸のみしてもらっている状態である。実を言えばサイーシャは、ここまでアレスティードが自分の要求を丸のみしてくれるとは思っていなかった。だめもとでかけてみた脅しがここまでうまくいくとは、サイーシャにとっても想定外だったのである。
だからアレスティードに対して申し訳ないという気持ちは大きく持っていた。自分の本来の望みもこのままいけば叶いそうな状況であるから、できるだけアレスティードに不快な思いをさせたくない、とサイーシャは強く思っていた。
何より、思っていたよりもアレスティードは付き合いやすい青年だった。庭で毒づくという公爵令息としてはどうかという悪癖は持っていたが、もともと優秀な人物ではあるし、結婚式のあれこれをアレスティードと色々話していたことはサイーシャにとっても楽しい経験だった。アレスティードは遠慮のない物言いはするが、一度納得をすれば後からぐちぐち文句を言うようなことはしなかった。
そっとアレスティードの方を伺ってみれば、眉に深く皺を刻んで難しい顔をしている。実はどうにかいい話題がないかと苦吟している顔なのだが、サイーシャは(私のために行きたくもない旅行に我慢して行ってくださっているのだわ)と思っている。
だから自分はできるだけアレスティードと接触したり話したりしない方がいいと思い込んでいるのだ。
そうとも知らず、アレスティードはサイーシャを目の前にして冷や汗が出て止まらない。話したいし親交を深めたいと思っているのだが、まずもって何から話していいのかわからない。旅装のサイーシャは、装飾の少ない実用的なワンピースを着ているのだが、それは全体的にほっそりしているサイーシャによく似合っていた。サイーシャは胸が大きいことが悩みなのだが、胸の大きさを目立たせないドレープを多くとったデザインで、本人も好きなワンピースだった。
シンプルなワンピースもかわいいな、と思って見つめていたのだが、ふとサイーシャと目が合ってしまい、(む、胸を見てたと思われてたらどうしよう)と考えてしまい(実は見ていた)、やや挙動不審になってしまった。
カイザはそんな主人を見つめながら(なんか言えよ~、とりあえず服装でも褒めろよ~)という光線を出していたのだが、全くアレスティードには届いていない。仕方がないのでカイザは口火を切った。
「奥様、カラエン領地に行かれるのは初めてですか?」
「ええ、お話には伺っているのだけど。商業的にもとても栄えていると聞いておりますわ」
カイザはにっこり笑って話を続けた。
「そうなんですよ!領都では、カラエン地方の伝統模様を元にした様々な特産物があります。ぜひ見ていただきたいですねえ。ね、アレス様。アレス様が出資している商会もあるんですよ」
サイーシャは目を輝かせた。
「あら、アレスティード様が出資活動などもなさっているとは存じ上げませんでしたわ!よろしかったら詳しくお話を聞かせていただけますか?」
その反応を見て、カイザは(よし、俺いい仕事をした)と満足していたが、急に話が降られてアレスティードは慌てた。さらに言うなら(‥お願いしたのに、アレスとは呼んでくれないのか‥)と思って落ち込んだ。
だが珍しくサイーシャは期待を込めてこちらを見ている。何だ。何の話だったか‥ああ、出資、出資した商会か。
「あー、幼いころ領地で仲良く仲良くしていた子どもが、伝統模様を染める染物屋の息子で‥次男だったから跡は継げないが、染物にはかかわっていきたいということだったんで商会立ち上げの時の資金を出したんだ」
「まあ、そうなんですね。立ち上げ資金は何割ほどお出しになりましたの?」
アレスティードは考えた。正直儲からなくてもいいと思って言われるがままに金を渡したきりだったので、詳しい数字などは覚えていなかった。幼少時によく遊んでもらったお礼、くらいに考えて出資したのだ。
「いや、何割かは覚えていない。乞われたままの金額を出した」
その返答を聞いて、サイーシャの顔が暗くなった。低い声でまた問い返される。
「‥それでは資金回収のめどはいつごろにしていらっしゃいますの?」
「‥いや、特に考えては‥いなかったが‥」
ここに来て、アレスティードは思い出した。サイーシャは婚約式をやらない代わりにその費用を投資に当てたいと父親に言っていた娘だ。投資行動にはそれなりの考えを持っているはずである。
アレスティードは、自分の発言が失敗であったことを知った。サイーシャの目の輝きは見る見るうちに失われていったからだ。
「‥アレスティード様のご出資は、ご友人への餞別のようなものでしたのね。‥事情も存じ上げないのに根掘り葉掘り伺ったりして、申し訳ありませんでした」
静かにそう言って、サイ―シャは窓の外に視線をやった。
導体車の中には、何とも言えない空気が流れている。このまま黙っていたのでは、何の発展もない。アレスティードは勇気を振り絞って話し出した。
「‥サ、シャ、は、卒業前に、経営に関する論文が、高く評価されたと聞いている。‥俺は不見識で申し訳ないが、よかったらその内容などをお聞かせ願えないだろうか?」
カイザは、話題はともあれサイーシャを愛称で呼び、自分から話を切り出した主人に拍手を送りたい気持ちだった。祈るようにサイーシャの方を見つめる。
サイーシャは困ったような笑顔を浮かべて言った。
「‥アレスティード様。詳しいお話をご存じではないようなのでお話しますけど‥あの論文、私が書いたことにはなっていないんです」
「は?」
アレスティードは間抜けな返事をした。いや、確かにサイーシャの論文が評価され、それで卒業生総代になったのだと聞いたが。
サイーシャは苦笑しながら言葉を続けた。
「サイーシャ、という女性名では受け付けていただけなかったらしくて。担当の教授が気を利かせてサイーシュ、という男性名で提出して下さって初めて受け付けていただけたんです。ですから正式には私の論文にはなっていないんです」
「‥だが、その論文を書かれたのはサシャなんだろう?なぜそんなことに‥」
サイーシャは寂しそうな顔で笑った。
「‥アレスティード様。学院を思い出してくださいませ。女性の先生方、何人おられました?またその担当教科は何でしたか?」
アレスティードは言われて素直に考えてみた。
「女性の先生は三人でしたね。マナーと、ダンスと音楽‥」
あ、と小さな声を出してアレスティードは口をつぐんだ。サイーシャは困ったように笑って言った。
「‥おわかりでしょう?今の世の中は、働く女性や学問の研究を行う女性を積極的には求めてはいません。ですから女性名では論文が受け付けられないのです」
アレスティードは驚いていた。自分が男であるがために、こんなにもアンバランスな状態で社会が回っていることに全く気がついていなかったのだ。確かに貴族社会は男社会である。女性に求められるのは、家の求めるがままに嫁ぎ、社交の腕や子どもを産み育てること、技術としてはそれこそマナーや音楽、ダンス、刺繍の腕くらいである。
「‥サシャ。私は、本当に不見識だった。だが、今サシャの言葉を聞いて色々な事に気づくことができた。‥ありがとう」
素直な心の動きから出た言葉は滑らかに紡がれ、アレスティードの口からサイーシャへと伝わった。
サイーシャは温かい気持ちになった。論文を書いた時、出した時、返された時の気持ちが、いま報われたような気がして嬉しくなった。少し滲みそうになる涙をこらえながら、アレスティードに礼を言った。
「ありがとうございます、何だか少し報われたような気がいたしましたわ、アレスティード様」
「アレス」
「え?」
ぶっきらぼうにアレスティードは続けた。
「アレスだ。そう呼んでくれ、サシャ」
「‥はい‥アレス様」
アレスと呼べ、と言って窓の外を眺めているアレスティードの耳は真っ赤だった。それを見て、サイーシャは(私を気遣って言ってくださっているんだわ)とその優しさに感謝していた。
一方、アレスティードはサイーシャを取り巻く環境に憤る気持ちと、アレスと呼んでほしいと何とかまた言えたことで容量いっぱいとなり、まともにサイーシャの顔が見られない状態になっていた。
その後、カイザとナタリアの活躍もあり、何とかぽつぽつと話題が続き、息苦しくない程度の雰囲気が保たれたまま、領地へ到着した。
大きな湖のほとりにある別荘は、部屋数こそ多くはないが亡き母の好みでかわいらしい装飾の多い屋敷だった。いつも家番をしてくれている老夫婦が、臨時の使用人とともに出迎えてくれた。
「ぼっちゃま、奥様、ようこそお越しくださいました。行き届かない面もあるかとは思いますが、精一杯お仕えさせていただきます」
「ありがとうローラン、身体の調子はどうだ?あまり無理はするなよ。後、坊ちゃまはやめてくれ。俺も、け、結婚したのだし‥」
ローランは皺のある顔をほころばせた。
「確かにそうですなあ。若旦那様とお呼びしなければなりますまい。奥様、若旦那様をよろしくお願い致します」
サイーシャはにっこり微笑んだ。優しそうなこの家番の老人に好意を持った。
「サイーシャです。私もよろしくお願い致しますね。お世話になります」
ローランは一礼して案内に立った。
「ではお二人のお部屋へご案内します」
ローランともう一人の男の使用人が荷物を持って歩き始めた。
そこでアレスティードは気づいた。まずい。この屋敷は部屋数が少ないしこれから案内されるのは寝室が一つで居室が二つの部屋だ。‥つまり、夜中に避難するベッドがない!
どうやって安眠を確保しようか悩んでいるうちに部屋についてしまった。大きめの居室の方に案内されると窓が開け放ってあり、眼下に美しい湖面が広がっているのが見えた。
サイーシャは「わあ!」と声を上げて湖面の輝きを見つめている。嬉しそうなその様子をちらりと見て、ここに連れてきてよかった、とアレスティードは思った。
「では。お食事の支度ができたらお知らせに上がります。こちらでお寛ぎくださいませ」
ローランはお茶の入ったお盆をローテーブルに置いて一礼し、部屋を辞した。
カイザとナタリアはそれぞれ使用人と今後の滞在の打ち合わせをしており、今はいない。正真正銘の二人きりである。
アレスティードは窓の外を見つめたまま、横にいるサイーシャの顔が見れない。話しかけようと思うが、また唇が張り付いたようになって言葉が出てこない。
そんなアレスティードに気づいて、サイーシャははっとこちらを見て声をかけてきた。
「あの‥アレスティ‥アレス様」
「‥何だ」
内心愛称呼びに浮かれながらも、努めて平静を装ってアレスティードは返事をした。サイーシャは切り出そうかどうしようか迷っていたようだったが、意を決したように話し始めた。
「あの、今夜は私隣の部屋のソファで休みます」
「は?‥なぜ、そんなことを」
「アレス様、毎晩ご自分のお部屋でお休みになっておられますよね」
アレスティードは驚いてまた固まった。‥まさかばれているとは思っていなかったのだ。サイーシャは言葉を続けた。
「あの、やはり私のようなものがお側にいると、安心してお休みにはなれませんわよね?‥ここはベッドが一つしかないようですし、アレス様より私のほうが背も小さいのでソファに寝るのに適していると思うんです、だから」
「そんなことは、しなくていい!」
思わず出てしまった大きい声に、サイーシャは驚いてアレスティードの顔を見た。
アレスティードは、この七日あまりずっと色々ともやもや考えていたせいでもう頭は爆発寸前だった。好意を持っている女性に、こんなふうに拒絶の言葉を繰り返しかけられるのがこれほどまでに辛いとは思っていなかった。アレスティードは、もう心の中にたまった感情を我慢することができなくなっていた。
「あ、あなたが一緒に寝るの嫌なら俺がソファで寝る。‥俺が別の部屋で寝ていたのは‥あなたと一緒だと、き、緊張して眠れないからだ!」
「‥‥緊張‥?」
全くその訳がわからない、という顔でサイーシャがじっと見つめてくる。アレスティードは自分の顔がどんどん赤くなるのを感じていたが、言葉の勢いはもう止まらなかった。
「そうだ、緊張する!俺は‥あなたが好きだから」
「‥私を、好き‥?アレス、様が‥?」
思いもしていなかった、というサイーシャの顔が目に入る。それでもアレスティードの目にはサイーシャはとてもかわいらしく映って、思わずアレスティードは身体が動いてしまった。
サイーシャの正面に向き直り、二歩近づいてそのほっそりした身体を抱きしめた。装飾の少ないワンピースは、よりサイーシャの体温をアレスティードに感じさせる。そしてサイーシャの身体は柔らかく、とてもいい匂いがした。サイーシャのつややかな黒髪にアレスティードは顔をうずめた。
サイーシャは、思いもよらない事態になってがっちりと固まってしまっている。家族以外の男性に、このように抱擁されたのは初めてのことでどうしていいやらわからない。
アレスティードは言った。
「‥最初に会った時は、なんていう女だと思ったんだ」
「‥でしょうね‥」
思わずサイーシャは返事を返す。アレスティードはサイーシャをぎゅっと抱きしめたまま言葉を続ける。
「‥でも‥色々話したり、打ち合わせを、している時‥遠慮のないあなたの物言いや、あの‥笑顔、が、‥俺は好きになっていた、ようだ‥。だから、横にあなたが寝ていると、その‥ドキドキしてしまって眠れない」
サイーシャは何といえばいいのかわからず、ただ抱きしめられるがままになっていた。
「一年、で離縁と言われたが‥俺は離縁したくない。‥俺の事を、好きにはなれない、だろうか‥?あー‥俺がサシャの好きなタイプではないことは知っているが、教えてもらって、その、好きなタイプになれるよう、努力する‥」
サイーシャの顔を見るのが、返事を聞くのが怖い。だからサイーシャの身体を腕の中から離すことができなかった。
サイーシャは、そっと腕を伸ばしてアレスティードの胸を押した。仕方なくアレスティードはサイーシャの身体を離す。その顔を見つめれば、瞳に涙を滲ませていた。
「アレス様は、お心が真っ直ぐで‥お優しいですね。こんな、脅しをかけるような女に、そんな気持ちを持ってくださるなんて‥」
サイーシャは、指で目元を拭った。そして、一つ息をついてからアレスティードの顔を見上げた。
「アレス様、私がアレス様と結婚したかったのは‥フォンティール様に憧れていたからなんです」
いつもお読みいただきありがとうございます。
下の☆評価、いいね、ブックマーク等いただけると励みになります。よろしかったらお願い致します。
やはり反応をいただけるととてもうれしいです(^^)頑張ります!