自覚??
アレスティードは落ち込んだ。
これ以上ないほど落ち込んだ。
自分を脅して結婚を迫って来た女に惚れるってどういうことだ。
しかも相手は別に俺のことなんか好きでも何でもなくて、何なら嫌いなタイプって言ってたし。
そしてその当人の狙いはまさかの父親。
カラエン公である父、フォンティールは今年36歳になる。若いころは美貌の王弟として他国にもその美しさが聞こえるほどだったらしい。その容色は未だ衰えておらず、今でもご婦人方に人気だ。
十三年前に妻を亡くしてから独身を通しており、数ある縁談にも「子どもが独り立ちするまでは自分の事など考えられない」と言っていつも断っている。
領地経営の腕もあり、知識も豊富で個人で投資活動も幅広くやっており、個人資産も王家に引けを取らないくらいに増やしている。
もっとも王家に睨まれないために、利益の多くを慈善事業に寄付したり国の予算が足りないところに回したりしているようだが。
身体つきもたくましく、いまだアレスティードよりこぶし二つ分ほどはフォンティールの方が高かった。
豊かな金髪に緑の瞳。年齢を重ねた男の色気を息子でさえ感じる程である。
アレスティードはそこまで考えてまた落ち込んだ。
俺、父に勝てる要素が一つもない。
ギリ頑張れば剣の勝負なら勝てるかもしれないが、そもそも父の剣の腕を全く知らない。いや待て、何を父に張り合おうとしているんだ。
‥‥張り合える立場にもないのか、だっておれ、「どちらかと言えば嫌いなタイプ」って言われたしな。
それにしても、いつの間にサイーシャの事が好きになっていたんだろう。惹かれるような要素も出来事も何もなかった気がするのに。
アレスティードは膝の間にどんどん頭をめり込ませながら考えた。
サイーシャはいつも遠慮なく自分の思ったことをアレスティードにぶつけてきた。アレスティードが睨もうが嫌味を言おうがどこ吹く風で、いつもくすくす笑っていた。
そうか。
アレスティードは気づいた。
サイーシャの笑いは、本当に楽しそうなのだ。
何か企んでいたり自分に都合のいいようにしようと考えたりしてる、そんなうわべの笑顔ではなく。
本当に、楽しそうに笑っていた。
アレスティードを脅していた時でさえ。
女性の笑顔なんてかわいいとも美しいとも思ったことは一度たりとてなかったのに。
あの笑顔を、この半年の間俺は見続けて、無様に惚れて。
初夜と言われて莫迦みたいに緊張して、でも男として警戒もされてなくて。
そうして、初めて惚れた女は、おれの事は嫌いなタイプで、好きなのは俺の親父で。
はあああ~とため息をつく。視線の先には床しか見えない。
「アレス様?」
扉をノックするカイザの声が聞こえ、アレスティードはのろのろと立ち上がり扉を開けた。
「‥‥何だ」
カイザは俺の顔を見てぎょっとした。そそくさと扉の内に入ってきて閉め、その顔を両手でつかんだ。
「アレス様、どうしたんですか?!死ぬほど顔色悪‥‥えっ、まさか初夜で疲れ」
「違う」
そのカイザの声に全く警戒されていなかった昨夜の事が思い出され、再び落ち込む。
カイザはそんなアレスティードの背中をぽんぽんと叩いて立ち上がらせ、部屋の中のソファに座らせた。
「お食事途中でしたから、お腹空いてらっしゃるんじゃないですか?」
カイザはそう言いながら、扉を開け、廊下にあったワゴンを部屋の中に引き入れた。ワゴンの上には温かいスコーンとお茶、ポーチドエッグに厚切りのハムがのっている。気の利く侍従だな、と思いつつそれを食べた。そして、カイザに打ち明けた。
「カイザ」
「はい、何でしょう」
「俺、多分初恋」
「えええ!?‥‥奥様に、ですか?」
「うん」
カイザはにっこり笑ってアレスティードの背中をどんと叩いた。
「よかったじゃないですか!もう結婚しちゃってるんですしこれから奥様と」
「でももう失恋してる』
「‥‥はい?」
目をかっぴらいて全力のきょとん顔をかましているカイザに、アレスティードは自分が見たものを事細かく説明した。カイザは「ああ~‥」という情けない声を出した。
「旦那様、ですかぁ…まあ、確かにねえ、旦那様は男の俺から見てもかなりカッコい‥いやいやアレス様も全然負けてませんよ!若いですし!何てったって若いんですから!」
慌てて言い募るカイザの言葉に、またアレスティードは膝を抱え込んで頭をめり込ませる。
「‥‥俺、親父に勝ってるところ若さしかないんだな‥」
「そんなことありませんって!これから先もあるんですし、頑張ってみましょうよ!」
雑にバンバン背中を叩いてくるカイザに相対していると、落ち込んでいるのも莫迦らしくなってきた。
「まあ、頑張っても状況が改善するとは思えないけどな‥あ~あとカイザ、なんでもいいから夜、夫婦の部屋で寝なくてもよくなる用事知らないか」
「‥すみませんアレス様、要求されていらっしゃることの中身が掴めません」
仕方なくアレスティードは、一か月は同じベッドで眠る羽目になりそうだが昨日でさえ寝られなかった自分は、気持ちを自覚した今夜からは確実に寝られないのが確定していること、それが続けばたぶん自分は睡眠不足でぶっ倒れるであろうことを打ち明けた。
カイザはう~んと唸りつつ考えて、あ、と声を上げた。
「奥様はとても寝つきがよくていらっしゃるんですよね?じゃあ、奥様がお休みになったらご自分の部屋に戻って寝ればいいんじゃないですか?あとは私が早めに起こして差し上げますから朝ご夫婦のベッドにお戻りになればいいのでは?」
「‥カイザ!お前はやっぱり素晴らしい侍従だ!」
感謝の気持ちでカイザの手をぐっと握ると即座にカイザはその手を振り払い(失礼な奴だ)、難しい顔をした。
「アレス様、そんなことより奥様のお心をどう手に入れるか、よくよく考えないと不毛な人生が始まりますよ。諦めて愛人でも作られるなら別ですが」
「‥‥今まで恋愛のひとつもしてこなかった俺が、学院という場所も失ってどう恋愛するんだ‥」
「アレス様、ご自分で言ってて虚しくないですか」
「うるさい!」
アレスティードの新婚一日目は、これ以上ないほどの悲惨さで始まった。
午前中は悩みながらもベッドに転がっていたらいつの間にか眠ってしまっていた。お昼の時間ですよとカイザに起こされ、半分寝ぼけた頭でダイニングルームへ向かった。
ダイニングルームからは賑やかな話し声がする。‥中の光景を予想しながらアレスティードは扉を開けた。
ダイニングテーブルについて、サイーシャとフォンティールがそれは楽しそうに話をしていた。サイーシャは頬を紅潮させ、目を輝かせてフォンティールの話を聞いている。
あ、これは思ったより堪える、とアレスティードは思い、よろめきながら席に着いた。心を抉られるにしても食事は毎日の事だ。父親がいるならテーブルに着かない、なんていうことはできない。ただ父親も忙しい身であるからそんなにいつもいつも食事が一緒になることはないだろう。今日はたまたま父親がいる日に重なっただけだ。
‥そうだろう。え、まさか親父サイーシャがいるから今日一日家にいるわけでは、ないよな?‥幾らなんでも考え過ぎだ、と自分を戒める声と、いや親父だってまだ36、18歳差なんて貴族の結婚であれば別段珍しくはない、ちょっとはサイーシャに興味を持っているんじゃ‥という邪推する声に挟まれて、アレスティードは胃がキリキリと痛むのを感じた。
それにしても何と朗らかに話し、笑うのだろう。自分には向けられていないそれを、眩しく思いながらアレスティードは見つめていた。その視線に気づいたサイーシャがこちらを向いた。
「あら、アレスティード様。お加減はもうよろしいんですか?」
サイーシャは純粋に心配する気持ちから出た言葉だったが、アレスティードには「お前邪魔なんだけど」と言われているように感じられた。
「‥俺がいると邪魔でしたでしょうか」
思わずそんな嫌味が口を突いて出る。サイーシャは何を言われているのかわからない、という顔をしたが、特に何も答えず黙っていた。フォンティールはそんな二人の様子を見て怪訝な顔をした。
「どうした?まだ具合が悪いのかい?アレス。医師を呼ぼうか?」
「‥いえ、大丈夫です」
そのまま昼食が始まった。アレスティードは終始うつむき気味で淡々と食事をした。そのアレスティードの微妙な不機嫌さを感じ取ったのか、サイーシャとフォンティールもあまり話さない。
素直で明るいアルフィレオは学園に行っているからいないし、アレスティードにとっては地獄のような食事の時間だった。
ほとんど味も感じないまま食事を終え、席を立つ。フォンティールが再度「医師を呼ばなくて、本当に大丈夫か?」と尋ねてきた。アレスティードは素っ気なく「大丈夫です」と答え、ダイニングルームを後にした。
するとすぐサイーシャが追いかけてきた。後ろから「アレスティード様」と声をかけてくる。仕方なくアレスティードは止まってサイーシャの方に向き直った。
「何か用か」
こんなことをこんな言い方で言いたいわけではないのに。だが他にどんな態度を取ればいいのか、気持ちを自覚したばかりのアレスティードにはわからない。サイーシャは固い顔で言った。
「ごめんなさい。私のせいで、きっともう嫌になってしまわれたのね。‥一年でいいんです。一年経ったら離縁していただいても構いませんから、その間だけ我慢してくださいませ。‥‥私も、できるだけアレスティード様のお目に触れないよう、気をつけますわ」
サイーシャはそう言うと一礼をして足早にその場から立ち去っていった。
違~~~~~う!!
と、アレスティードは心の中で叫んだ。しかも今さらっと恐ろしいことを言っていなかっただろうか。‥一年経ったら、離縁とか何とか。
‥‥‥一年経ったら、離縁!!
これから時間をかけて攻略法を練っていこうと思っていた矢先に、いきなり期限を切られてアレスティードはどうすればいいのかわからず、途方に暮れた。
べッドでごろごろ転がりまわっているアレスティードを見て、カイザはわざとらしいため息をついた。
「もう、『本当は俺お前のこと好きになっちゃった♡』って言っちゃえばいいんじゃないですか?」
「お前、面倒くさいと思ってるだろ!思ってるよな!」
「え~全然思ってません」
アレスティードはぼすんと枕に顔を埋めた。‥なぜ、七日も休みを取ってしまったのか。七日のうち四日は侯爵家の仕事だが父が休めと無理やりスケジュールをやりくりしてくれ、三日の聖騎士団の仕事も「新婚はまず妻に尽くしてからだ」とかいう騎士団長の謎の温情で休みにさせられたのだった。
決して自分から積極的に取りにいった休みではなかったのだ。今日を入れてまだ丸々七日もある。どうやって過ごせばいいのだろう。
先ほど、サイーシャにあんな暗い顔をさせてしまった自分をアレスティードは許せなかった。サイーシャの遠慮のない物言いや底抜けに明るい笑顔が好きなのに。
‥俺、やっぱり好きなんだ‥‥
そこまで考えて、アレスティードは急に恥ずかしくなって枕に顔を埋めたままバタバタと足を動かした。またまたカイザがわざとらしいため息をつく。
「もう、初恋は遅くなると拗らせるっていうのがアレス様を見てよ〜くわかりましたよ。面倒くさい、さっさと告白しちゃえばいいじゃないですか」
「うわお前今はっきり面倒くさいって言ったな!」
がばりと枕から顔を上げて恨めしそうにカイザを睨む。カイザは素知らぬ顔でお茶を淹れて自分が飲んだ。
「アレス様が自分から色々事態を面倒くさくしちゃってるんですよ。言っちゃえばいいじゃないですか、なんか失うものあります?」
そうずけずけと言い募る侍従に向かって、ぼそりとアレスティードは言った。
「‥‥‥ない」
「え?」
「‥自分から、女性にどう話しかけていいかわからない‥‥」
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