終章:救出と終幕
クリストファーの胸を、背後から剣が貫いている。
貫いた剣が引き抜かれて更に激しく血が噴き出す前に、背後にいる誰かがその体を蹴って床に転がした。
「エルランジア王家の名の元に、罪人に裁きを。救われない魂が、女神の許しにより神の庭に昇れるよう」
「ぜふぃ、らす……」
「クリストファー、言い残すことはあるか。懺悔があるのなら、聞こう」
教会の扉は開け放たれている。外からは動物の唸り声と、男たちの叫び声が聞こえる。
血に塗れた剣を床に転がるクリストファーの喉にぴたりとあてて、ゼフィラス様が終わりを告げる使者のように厳かに言った。
「俺は、悪くない……っ、たすけて、り……」
振り上げた剣が、最後の言葉を待たずにクリストファーの喉を貫いた。
声を上げることもできずに絶命するクリストファーを一瞥して、ゼフィラス様は剣を振って血を落とすと鞘にそれをしまった。
私は呆然とそれを見ていた。夢を見ているのかと思った。
来てくれた、本当に。信じていてよかった。会えて、嬉しい。
私ははっとして、体にへばりついた婚礼着をかき集めるようにして体を隠す。
婚礼着は血で汚れている。ゼフィラス様は私からそれを強引に剥ぎ取ると、自分の上着を私にかけて、抱きあげてくれた。
「リーシャ、無事でよかった……!」
「ゼフィラス様……私は、だ……」
大丈夫――じゃない。
「ゼフィラス様、ゼフィラス様……っ」
怖かった。嫌だった。もう会えないかと思った。
私は穢されて、二度とゼフィラス様に顔向けできなくなるのだと。
怪我ならまだ受け入れられる。けれど――。
「ごめんなさい、ゼフィラス様。ごめんなさい、私……私、汚い、です」
でも確かに私は穢されたのだ。裸体を見られ、この体を手が這い回った。
腹には傷が。血が流れている。こんな姿、見られたくない。
「君は汚くなんかない。いつでも美しい、私のリーシャだ。リーシャ、大丈夫。私はここにいる。君を離したりしない。大丈夫、大丈夫だ」
「ゼフィラス様……助けに来てくださるって、ずっと信じていました。本当に、来てくれた……」
「君がどこにいても、私は必ず見つけ出す。リーシャ、遅くなってすまなかった」
遅くなんてない。私は首を振った。もうあと少し遅ければ、私の心も体も、壊れていたかもしれない。
「女神様が、私を、助けてくださいました……」
あれは、幻だったのか。
もう、輝く三人の女性の姿はない。
母に抱かれるようなあたたかさを感じる。
マルーテ様も、フィオーラ様も、王子たちも。
きっと、エデンズトーアにのぼることができたのだろう。
涙が流れ落ちる。震える体を腕に閉じ込めるようにして、ゼフィラス様は私を痛いぐらいにきつく抱きしめ続けていた。
クリストファーの連れていた野盗たちは、アルバさんやルーグやハクロウによって、アールグレイス家の兵たちが到着したころには壊滅状態にあった。
ゲイル様たち騎士団の方々も王都周辺の廃村をしらみつぶしに回ったことで、大規模な野盗の一斉捕縛となり、そのほとんどが抵抗のうちに兵士や騎士たちの剣によって命を落としたのだという。
クリストファーの遺体はベルガモルト家の公爵夫婦が引き取って、埋葬したそうだ。
公爵夫婦からは謝罪の手紙を貰った。本当に申し訳なかったと書かれていたけれど、辛いのはこんな形でご子息を失ってしまった二人だろう。
せめてメルアが――お二人の支えになるといい。
メルアの手紙も同封されていた。『新しいお父様とお母様のおかげで、文字が書けるようになりました、リーシャ様。とてもよくしていただいています』と、辿々しい文字で書かれていて、メルアが幸せそうなことに安堵した。
アールグレイス家に戻った私の傍を、ハクロウとアシュレイ君、それからグエスはしばらく離れてくれなかった。
夜も見張りをするのだと言って、私のベッドの横に椅子を持ってきて座って、うとうとするアシュレイ君と、床で眠るハクロウに、嫌な記憶を思い出す度に恐怖に怯えそうになる心が癒されていく。
私よりも先に眠りはじめるアシュレイ君をベッドに寝かせて、その隣で眠ると、子供特有の体温のあたたかさに、恐怖が薄らいでいった。
ゼフィラス様がアールグレイス家を訪れたのは、数日後のことだった。
クリストファーのせいで何人もの人が犠牲になっていた。ゼフィラス様はその後処理などに追われていたようだった。
お兄様も何度かお城に呼ばれていた。アールグレイス家で起ったことの証言のためだ。
クリストファーの罪は流刑地送りになった者が起こした犯罪としてはかなり大きなものだったようで、刑罰の見直しも行われているらしい。
らしい――としか言えないのは、私が部屋に籠っていたからだ。傷は浅くすぐに塞がったけれど、外に出るなと皆からきつく言われていた。
「リーシャ、会いたかった。傍にいることができずに、すまない。だがもうそれも、終わりだ」
「ゼフィラス様! 終わりって……?」
応接間に入ってくるなり待っていた私を抱き上げたゼフィラス様は、私をきつく抱きしめながら続ける。
「城に、私たちの部屋を用意した。君の荷物も運んだ。アールグレイス伯爵ご夫妻にも挨拶をすませて、ルーベルトの許可も得た。今日から君は、ずっと私と一緒だ」
「え……っ」
唐突な話だった。
それは――婚姻の儀式が終わってからだとばかり思っていた。
それに、クリストファーに犯されそうになったのだ。
王妃としての資質も、再確認されると思っていたのに。
「父と母の了承も得ている。早くリーシャを連れてこいと急かされたぐらいだ。あとは君を連れて行くだけだ」
「で、でも、ゼフィラス様」
「本当は私の傍に。ずっと、閉じ込めておきたいぐらいだった。だが、先に全ての準備を整えるべきだと考えた。嫌か?」
「嫌なんて……!」
会いたかった。寂しかった。ずっと、抱きしめられたかった。
こんなに弱く、甘えた感情を抱いてしまうようになるなんて――でも。
きっとこれでいいのだろう。
私一人でできることはほんの僅かだ。
「寂しかった、リーシャ。君のいない夜は寂しくて、不安で、君が心配でたまらなかった。リーシャ、もう二度と離したりしない。私が君を守れるように、私の側にいてくれ。この手の届く場所に。どうか」
「はい……!」
進む道の先にどんな暗闇があるとしても、繋いだ手を離さない。
私ができるのは、あなたの寂しさを埋めることぐらい。
そして私も――あなたの傍では、笑っていられる。
悲しさや苦しさに瞳を曇らせたとしても、一緒なら、雨上がりの空のように静かで美しい心を取り戻すことができる。
ささやかな幸せを喜びあいながら、あなたとなら、歩いていける。
どこまでも、ずっと。
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