お人好しリーシャ
クリストファーとシルキーは人目も憚らずに隣同士の席に座り、事情を知らない同級生の皆様方をざわめかせている。
どうしたのかとおそるおそる尋ねる勇気ある方々に「リーシャとの婚約はなくなったんだ。円満に白紙に戻り、真実の愛に気づいた俺はシルキーと婚約者になった」「まぁ、恥ずかしいです……」などと、非常に胸が痛い惚気を大きな声で、それはもう大きな声で説明をしていた。
そういうわけで、二人のことと私のことは、同級生たちに一気に広まり、皆が知るところになったのである。
もう授業なんてあってないようなものなので、午前中は自主学習などをして過ごして、昼食を食べたり食べなかったりして、午後になるとやることがない生徒たちは皆学園寮に帰っていく。
昼食を食堂で食べる生徒もいれば、寮に帰る生徒もいる。
私はクリストファーとシルキーからの昼食の誘いを断って、午後には先生とお話しをしようと思い、とりあえず裏庭などで時間を潰そうとした。
堂々としていればいいわねって思ったけれど、この状況はやっぱりいたたまれなさすぎる。
皆の哀れみの視線やら、呆れた視線やらが突き刺さる。
クリストファーは身分が高いから、非難するような度胸のある人はもちろんいないし。
私の味方をしたっていいことないって、皆分かっている。
そのうち慣れるでしょうけど、さすがに婚約破棄お披露目一日目としては、肩身が狭い。
裏庭でぼんやり自分の人生でも振り返ろうかなって思っていた私の腕を掴む人がいる。
「ちょっとそこいくお馬鹿さん。私にお付き合いなさいな」
「……ミランダ様」
「そうよ。あなたのミランダ様よ」
それは私のお友達の一人で、クリストファーとやたらと仲のいいシルキーを危惧して、何度も忠告してくれた、ミランダ・トットリア様だった。
ミランダ様は我が国にある三大公爵家のうちのトットリア公爵家のご令嬢。
この三大公爵家には、クリストファーのベルガモルト家も含まれる。
いずれも、王家の血をひいていて、王家の姫や第二王子などの嫁ぎ先や婿入り先の第一候補となる家である。
トットリア公爵家は武名に優れていて、王家に継ぐ軍事力を有していると言われている。
私はミランダ様にぐいぐい腕をひかれて、食堂のテラス席に連れて行かれた。
同じく食堂の特別席で優雅に食事をしているクリストファーとシルキーと取り巻きの皆様とすれ違ったけれど、ミランダ様は声をかけられても挨拶もしなかった。
私だけが声をかけられて、「ごきげん、ふぎゃ……っ」という、猫の潰れたみたいな声をあげた。
ミランダ様に思い切り腕を抓られたからだ。
ミランダ様は黒髪で切れ長の青い瞳の美人だ。その清楚な見た目とは相反して、武門の出なので暴力に容赦がない。
「セルヴァス、二人分のお食事と紅茶を用意なさい」
ミランダ様はいつも影のように従っている執事の青年に、命令をした。
そして「ここにお座りなさい、リーシャ」と、私を光の差し込むテラス席に座らせた。
春も近いこの時期はまだ少し肌寒い。
だから皆、室内で食事をしている。
ミランダ様は寒くないのかしらと思っていると、私たちの分の食事をてきぱきとテーブルに準備をしてくれたセルヴァスさんが、もの凄い早さで屋外用薪ストーブに火をともし、私とミランダ様の膝に膝掛けをかけてくれる。
セルヴァスさんは何も言わずに再び影のように後ろにさがった。
私が「ありがとうございます」とお礼を言うと、口元だけ微笑んでくれる。
「ミランダ様も、ありがとうございます。あの、心配してくれたのですか?」
「心配ですって!? そんなわけがないじゃない。私は愚かな女の愚かさを嘲笑いにきたのですわ!」
ミランダ様は口元を扇で隠して、ころころ笑った。本気だ。目が本気だわ。
「ま、食べなさい。食欲がないとは言わせませんわよ。私が用意した食事ですものね」
「ありがとうございます……」
ミランダ様が美しい所作で、肉の塊を口にするのを眺めて、私も牛肉のヒレステーキを小さく切って口に入れた。
ミランダ様はお肉が好きだ。
だいたいいつもお肉を食べてる。
もそもそお肉を食べる私を、ミランダ様は半眼で睨んだ。
「不景気な顔をするのはおやめなさい。私は言ったのですわ、何度もあなたに。あなたの婚約者の不義を疑えと」
「うぅ……そうですね、猛省しています」
「あの愚か者は、あなたからの手紙を皆に見せびらかしておりましてよ。私も読みましたわ。なんですのあの文面は」
「何時間も考えました」
「何時間も考えてあれですの? 前から思っておりましたけれど、あなた、天下無双のお人好しですわ」
「て、天下無双……」
「ええ。王国お人好し大会が開かれたら、あなたは無双できること間違いなし。お人好しの覇者になれますわよ」
ちっとも嬉しくない。
私はもう一口、もそもそお肉を食べた。
もそもそ食べてはいるものの、牛肉のヒレステーキはいつ食べても美味しい。
「ともかく。あなたの直筆のあの文面があるからこそ、あの愚か者たちは臆面もなく堂々としていられるのですわ。まったく、私に先に相談をしてくれたらよかったのに」
「ミランダ様に?」
「私をなんだと思っておりますの? あなたのお友達ですのよ!」
「ミランダ様……」
私は少しだけ泣きそうになった。
なんだか、人の悪意よりも今は、優しさの方が胸にくるものがある。
「くよくよするのはおやめなさい。目が覚めたと思って、お人好しは卒業することですわね。あんな二人に、挨拶をする必要も、にこにこ媚びへつらう必要もありませんのよ」
「……でも、クリストファー様は公爵家のご子息ですし」
「私も公爵家の長女ですことよ」
「それはそうですけれど」
「卒業までは私があなたの傍にいます。私があれよりもずっとずっといい男を探してさしあげますわ」
「傍にいてくれるのは嬉しいです。でも、男性は遠慮します」
ミランダ様の申し出を私は断った。
「あら? どうしてですの。失恋の痛手を癒すのは、いつだって新しい恋。もしくは友情。もしくは暴食と決まっておりますのよ」
「友情は嬉しいです。暴食については気をつけます」
「では、恋は?」
「私……結婚はしなくてもいいかなって思っているのです。もう懲りました。仕官先をみつけて、働きます」
「働く? アールグレイス伯爵家の事業は順風満帆だと記憶しておりましてよ。私のお父様も、あなたのお兄様の商才には一目置いているぐらいですわ」
「そうですけれど、いつまでも家の世話になるわけにもいきませんし。ちゃんと働いて、自分で稼いで、暮らしていこうかなって思っています」
「まぁ……」
ミランダ様はやれやれというように首を振った。
けれど否定をしたり、馬鹿にしたりはしなかった。
人の気持ちを踏みにじらないところが、ミランダ様のいいところなのよね。