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真夜中の襲撃



 夕方から吹き出した強い風が、ガタガタと窓を揺らしている。

 荒れ狂う波に貨物線が大きく揺れている。幼い時から時折お父様に連れられて船に乗せてもらうことがあった。


 嵐に見舞われると、砦のように立派に見えた貨物船も大きく揺れる。

 揺れるベッドが楽しくて、幼い私は怯えることもなく笑っていたらしい。


 お父様は懐かしそうに「この子は大物になるなぁと思ったものだよ」と話してくれる。

 私にはその時の記憶はないけれど、窓を揺らす風の音のせいか、嵐の船の夢を見た。


 ぎしり。


 風の音とは違う微かな音が、暗い部屋に響いた。

 揺れる貨物船の船室から自室に戻って来た私の、開いた瞳に映ったのは、開け放たれた窓から室内に吹き荒ぶ強い風。

 

 揺れるカーテンの向こう側に、部屋に入ってこようとしている黒い男の姿がある。

 

 恐怖に体が硬直した。頭の中で危険だと警鐘が鳴っている。

 逃げなくては。逃げるべきだ。今すぐ部屋から逃げて大声をあげて、助けを呼ばなくては。


 窓は閉まっていたはずなのに、どうやって鍵を開けたのだろう。

 割って入ったならもっと大きな音がしたはず。


「……あなたは」


「リーシャ」


 月の光に照らされて、曖昧だった輪郭がはっきりと形作られる。


 そこにいたのは、クリストファーだった。かつての貴公子のような面影はない。

 野盗のような姿だ。爛々と、その瞳は危険な輝きを帯びている。

 

 ベッドの上で後退る私に手を伸ばして、腕を掴んだ。


 痛いぐらいに、強い。ギリギリと、指が手首に食い込む。

 シルキーさんの手首に残っていたアザを思い出した。


「……っ、誰か、誰か来て! アルバさん!」


 騒ぎを聞きつければ、すぐにアルバさんが助けに来てくれるはずだ。


 アルバさんの他にも、アールグレイス家には護衛の兵が何人かいる。

 どうやって忍び込んだかはわからないけれど、すぐに捕まる。逃げることなどできないはずだ。


「無駄だ、リーシャ」


「何をしに来たの? 恨みを晴らしに?」


 辺境に流刑になったことを、逆恨みしているのだろうか。


 背中に冷たい汗が流れる。逃げなくてはいけないのに、足の力が抜けてしまう。怖い。

 怖い、けれど。


 抵抗もせずに殺されるのは嫌だ。

 私は枕元に置いてある護身用のナイフを掴んだ。アールグレイス家は裕福だから、いつ何があるかわからない。


「金があるところからは奪っていいと思っている人間がいるんだよ。全く何も持たないよりはいいかな」と、お父様がプレゼントしてくれたものだ。


「君には何もしない。怯えなくて大丈夫だ、リーシャ。俺は君を恨んでなどいない」


「……では、どうしてここに」


 明瞭な声音でクリストファーは話をしている。


 会話はできる。怒りのままに襲撃してきたわけではないらしい。

 部屋の扉の向こう側で、幾つもの靴音が聞こえる。騒がしい声。女性の叫び声。


 一体何が起こっているの?


「君を迎えに来たんだ、リーシャ。俺は怒っていないよ。君は被害者だ。ゼフィラスに無理やり、婚約者にさせられたのだろう? 相手は王太子だから断れずに、逃げることもできなかったんだな、リーシャ。かわいそうに」


「何を言っているの……?」


「本当は俺のことが好きなのに、可哀想なリーシャ。まるで籠の鳥だ。俺と逃げよう」


「どうしたの、クリストファー……あなたにはシルキーさんがいるじゃない。私のことは嫌いでしょう?」


「嫌いなわけがない。リーシャは大切な幼馴染で、昔から俺たちは仲がよかっただろう? リーシャは俺のお嫁さんになりたいと、ずっと言っていた。ずっと一緒にいたから、君が大切だったことを忘れてしまったんだ、俺は。シルキーなど、あんな女。俺は騙されていたんだ。だから、やり直そう、リーシャ」


 甘い声で、優しい声でクリストファーはおかしなことを言った。

 まるで、現実と夢の区別がついていないような表情で。


 その間にも私の手首は締め上げられるように、ぎりぎりと強く掴まれている。指先に感覚がなくなるぐらいに、折れてしまうのではないかというぐらいに、強く。


「クリストファー、私は無理やり婚約者になんてされていない。私はゼフィラス様が……」


「その名を呼ぶな」


「痛……っ」


「さぁ、行こうかリーシャ。俺が君を助けてあげる。約束通り、結婚しよう。君は俺のことが好きなんだ。ずっと好きだと言っていた。今も好きでいてくれる。そうだよね、リーシャ」


 幼い頃のクリストファーの話し方が、口調に混じっている。


「こんな危ないもの、持ってはいけないよ」


 震える手で掴んでいたナイフを、手から外されて投げられる。ナイフはサクリとベッドに落ちて突き刺さった。


 抵抗しようとする私の口を、大きな手が塞ぐ。

 くぐもった声が漏れて、息をすることができずに私は手足をばたつかせた。

 ようやく手が離れて、私はゼエゼエと促迫した呼吸を繰り返す。空気が足りない。頭が、手足がピリピリする。


 動けないでいる間に、ひとまとめにされた両手を縄できつく縛りつけられる。


 これは、夢なのだろうか。

 私はまた、悪夢を見ている――?


 けれど、痛みがある。嫌悪感と恐怖で、喉がはりつく。上手く声がでない。

 それでもなんとか、声をはりあげる。


「誰、か……っ」

 

「無駄だよ、リーシャ。さぁ、行こうか」


 クリストファーは悠々と私を抱き上げて、窓からではなく部屋の扉から外に出る。

 屋敷の中を、口を黒い布で隠した男たちが我が物顔で支配している。


 階段下の一階のホールでは、青ざめた表情のお兄様と、泣き出しそうなグエス、それから、床に倒れて男の一人に足で踏みつけられているアルバさんの姿がある。


 その前には、男にナイフを突きつけられているアシュレイ君の姿。

 クリストファーは満足気に笑いながら、お兄様たちの元へと私を連れて降りた。


「アシュレイ君……!」


 思わず悲鳴のような声をあげる私を、アシュレイ君は泣き出しそうな顔で見た。


 ハクロウがグルグルと唸り声をあげている。今にも男たちに襲い掛かろうとしている様子だけれど、お兄様に動くなと、首輪を掴まれていた。



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