信じるか疑うか
私たちの前に倒れ込んだ女性は、顔をあげると縋るような瞳で私を見つめた。
汚れていて窶れているけれど――。
「シルキーさん……!?」
「まぁ……」
ミランダ様は扇で口元を隠して、私はしゃがみこむと倒れたシルキーさんに手を差し伸べた。
「誰かと思えば、人殺しの罪人ではありませんか」
「助けてください……っ、私、追われていて……!」
「追われている?」
「リーシャ。放っておきなさい」
「ですが」
「……あなた、何故こんなところに現れましたの? 辺境にいるはずのあなたが……」
ミランダ様は疑惑の目をシルキーさんに向けていた。今までのことを思えば、確かに疑いたくなる。何かの罠ではないのかしらと。でも――。
シルキーさんは震えながら泣いている。
ミランダ様は放っておけと言ったけれど、このまま見ないふりはできない。
この場を立ち去ってシルキーさんに何かあったら、きっと後悔する。
「私、クリストファー様に……君には罪がないから、家に帰るようにと言われました。けれど、お父様もお母様も私のことを許してくださらなくて、どうしたらいいのか分からずに街を彷徨っていると、怖い男性たちに売られそうになってしまって……」
「ここまで、逃げてきたの?」
「王都まで、逃げてきたというのですか?」
「は、はい……! どこに行けば分からず、王都に行けば知り合いに会えると、助けて貰えるかもしれないと思いました。お金も住む場所もなくて、どうしていいかわからず……クリストファー様の元には、とても恥ずかしくて戻れません」
「……本当かしら」
「おい! その女を渡せ! その女は俺たちのものだ!」
疑うミランダ様の声に被さるように、男の怒声が響く。
ばたばたと数人の男たちが私たちに近づいてくる足音が聞こえる。
劇場から帰る客たちが悲鳴をあげながら逃げていく。
あきらかに人相の悪い男たちがナイフを手にして、私たちとシルキーさんを値踏みするようにじろじろと見ている。肌を這うような粘つく視線に、私は眉を寄せた。
「さがりなさい。女性を複数で追い回すなど、最低な行いです」
「私を誰だと思っておりますの? 馬車の家紋が目に入らないとは節穴ですわね。トットリア家の優秀な護衛に半殺しにされて川に投げ捨てられたくなければ、消えなさい」
ミランダ様の言葉と共に、馬車の護衛の方々がミランダ様の背後に現れる。
男たちは顔を見合わせると、舌打ちをしながらあっさり逃げていった。
トットリア家の武名は有名だから、流石に勝てないと判断したのだろう。
「ありがとうございます……本当に、ありがとうございます……」
地面に額を押しつけるようにして礼を言うシルキーさんの手をひいて、私は立たせた。
「とりあえず、私の家に行きましょうか、シルキーさん」
「リーシャ様、でも、私は……」
「このままあなたをここに置いていくなんてできません。……どうしたらいいのか、安全な場所で考えましょう」
「は、はい……」
「……リーシャ。あなたがこの女を連れて行く義理はありませんわ。といっても、ここでこの女を見捨てられるような人だったら、私はあなたと友人になってなどいませんもの」
ミランダ様は溜息をついたけれど、それ以上否定はしなかった。
「リーシャに任せず我が家に……といいたいところですけれど、お兄様はとても厳しい人ですの。罪人など家にあげるな、家が穢れると言われかねません。リーシャ、行き場のない女性を働かせてくれる孤児院などに、すぐに送りなさい。わかりましたわね?」
「はい。でも、やはりこのままというわけにはいきません。とりあえず我が家で、身ぎれいにして食事をしましょう、シルキーさん」
シルキーさんはぼろぼろ泣きながら頷いた。
そこには悪意はないような気がした。本当に、怯えて、困窮している様子だった。
ミランダ様の馬車にシルキーさんを乗せて、アールグレイス家へと向かった。
何があったのかと色々尋ねるミランダ様に、シルキーさんはぽつぽつと言葉を返していた。
何も持たずに辺境に送られたけれど、お金もなく食べ物もなく、水で餓えをしのいでいたこと。
クリストファーはシルキーを哀れんで、家に戻るようにと言ってくれたこと。
なんとか乗合馬車に乗せて貰って子爵家に戻ったけれど、家には入れて貰えずに門前払いされたこと。
行き場がなく街を彷徨っていると、何度も怖い人たちに襲われそうになったこと。
実際、シルキーさんの手首には、男に強く掴まれたような痣が残っている。
声も体も震えている。とても怖い思いをしてやっとのことでここまで来たのだと分かる。
「リーシャ様とミランダ様の姿を見かけて思わず、駆け寄っていました。私は酷いことをしたというのに。ごめんなさい……!」
「……あなたが罪人だとしても、手を差し伸べるのがリーシャです。リーシャがいなければ私は、あなたなど助けませんでしたわ。感謝なさい」
「ありがとうございます、ミランダ様。シルキーさん、もう話さなくていいから、少し休んで」
胸が痛くなるようなことを話してくれたシルキーさんを労うように、私はその背中にそっと触れた。
肉のない骨張った背中は、シルキーさんの今までの苦労を如実に物語っているような気がした。