帰路の遭遇
舞台役者たちが礼をしてさがっていき、拍手もまばらになると、お客さんたちはちらほらと帰っていった。
ミランダ様は感じ入ったようにゆったり椅子に座って、用意されていた一口大のオレンジチョコレートをフォークに刺して口に運んだ。
私もせっかくだからと一粒口に入れる。
酸味のきいたオレンジの味とチョコレートのほろ苦さが混じり合って、とても美味しい。
「そういえばミランダ様、いつ見てもとおっしゃっていましたけれど、何回か見に来ているのですか?」
「当然です! 私が劇に出ているのですよ? リーシャを演じている女優も私を演じている女優も、王都劇場ではとても人気の役者で、特に私を演じてくれているデリネットさんは男装も生えるととても評判なのですわ。それは見に来ますわよ、何回も」
「ミランダ様、演劇がお好きだったのですね」
「ま、まぁ、その人並みには」
人並み――以上ではないのかしら。
いつも落ち着きがあり泰然と構えているミランダ様にしては、今日はとても興奮気味だ。
ややあって、私たちの元に支配人と役者さんたちが挨拶に来てくれた。
「リーシャ様、ミランダ様。ようこそお越しくださいました。リーシャ様のおかげで、連日大盛況ですよ! いやはや、やはりアールグレイス家は商売上手といいますか」
支配人は、老齢だけれどとても上品な紳士だった。
ゆったりとした話し方には嫌味がない。
「リーシャ様のドレスを貸してくれたこともあるのですが、ルーベルト様がドレスの貸し出し業をはじめてくれたでしょう? 劇の演目は貴族や姫を題材にしたものが多いのですが、衣装の管理が大変で。古めかしいものや傷んだ衣装では目の肥えた客たちは興冷めしてしまいます。ルーベルト様に頼めば安価で衣装が手に入るのですから、とても助かります」
「そうなのですね。それはよかったです」
「ルーベルト様の話では、リーシャ様の発案だとか! 救国の聖女は商売まで上手なのですね。お陰で役者たちの給金もあげることができますよ。ミランダ様も、いつもご支援ありがとうございます」
「い、いえ、わたくしは、その……」
深々と礼をされて、ミランダ様が珍しく狼狽えている。
ミランダ様がおそらく贔屓にしている女優のデリネットさんが、ミランダ様の手を取ってその甲に軽く口づけた。
一気にミランダ様の顔が赤くなる。ゲイル様の前でも見せたことのない表情なのではないだろうか。
少なくとも私は見たことがない。
「私たちを支援してくださるミランダ様を演じられることを、光栄に思っています」
「わ、わわ、私も嬉しいですわ! デリネットさんに私を演じていただけるなんて……!」
本当にデリネットさんのことが好きなのね。今日のミランダ様は、なんだか可愛らしい。
私の前に、私を演じてくれていた女優さんがやってきて礼をしてくれる。
私はミランダ様と違って役者さんたちの名前まで知らないけれど、私よりもずっと美しいのではないかという方だった。
「ケイトと申します。リーシャ様、私もリーシャ様を演じさせていただけて光栄です。お会いできてとても嬉しく思います」
「ケイトさん、はじめまして。リーシャと申します。こちらこそありがとうございます。私よりもずっとお綺麗な方で、なんだか申し訳ないぐらいで」
「そんな! リーシャ様は私などよりずっとお綺麗です。美しくて、優しくて強い。理想の女性ですよ」
「そ、それは、演劇だから、誇張していただいているだけで……でも、ありがとうございます。舞台の上にいる私もゼフィラス様もとても魅力的で、素晴らしい劇でした」
いつまででも謙遜してしまいそうになる自分を叱咤して、私は微笑んだ。
今度はゼフィラス様とゲイル様と一緒に皆で見に来ると約束して、私たちは劇場を出る。
夕暮れの王都は美しく、劇場の前には迎えの馬車が並んでいた。
この場所でクリストファーの頬を叩いたのが、遠い昔のことのように思える。
辺境の遠い空の下で、クリストファーとシルキーさんは元気にしているのだろうか。
メルアのことを考えると、とても複雑な気持ちだけれど、不幸を望むのは難しい。
やりきれない感傷が、橙色の空に溶けて消えていく。夕焼けは美しいけれど、少し悲しい。
「では、帰りましょうかリーシャ。お送りしますわね」
「ありがとうございます、ミランダ様」
「本当は夕食でも一緒に……と思ったのですが、殿下に知られたら拗ねてしまいそうですから、やめておきますわね」
「ゼフィラス様は大人ですから、拗ねたりしませんよ」
「あなたは男心を分かっていませんわね。重たい男ですわよ、あれは」
「ゲイル様も拗ねますか?」
「ええ。それはもう。ああ見えて可愛いところがあるのです」
いつもの余裕を取り戻して、ミランダ様がころころ笑う。
私たちが馬車に乗ろうとすると、ぼろ布のような服を纏った女性が私たちの前に駆け寄ってきて倒れ込んだ。