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シルキーは捨てられる


 ◇


 辺境の小さな村の汚くて見窄らしい家から放り出されて、私は近くを流れている小川に向かった。

 クリストファーがあんなに役立たずな男だと思わなかった。

 

 クワイエス子爵家は貴族といっても末端の、落ち目の家である。

 縁談の話が出ても、貴族籍のない騎士や文官。よくて同じ子爵家や、成り上がりの男爵家など。


 私はそのどれもが気に入らなかった。

 私にはもっと上を目指す価値がある。顔立ちも可愛いしスタイルもいい。女の価値は見た目だ。

 この美貌であれば、もっと権力のある男を手に入れることができる。


 そんなことを口にしたら馬鹿だと言われて叱られるだけだから、私は黙っていた。

 貴族学園に通えばもっとたくさんの男性たちと知り合える。私はそこで、私に相応しい男を手に入れるのだと決めていた。


 リーシャからクリストファー様を奪うのは簡単だった。

 金持ちの伯爵家の娘で、愚かなお人よし。誰にでもいい顔をする八方美人。

 目立ちたがり屋で人の世話ばかり焼いていて、成績もよくて癪に障る。


 全てを持っているリーシャの婚約者が三大公爵家のクリストファーなんて。リーシャの顔を見ているだけで苛々した。


 爵位が低い私にも他の者たちにも優しいなんて、恵まれたものが恵まれていないものを憐んでいるだけだ。

 この女からクリストファーを奪ってやる。私は公爵家の花嫁になるのだ。


 全てはうまくいっていた。クリストファーはリーシャにまだ婚約破棄は言い出せないと言っていたけれど、必ず私と結婚をするから待っていてくれと言い続けていた。


 あの男は嘘つきだ。

 公爵家の借財のことも言わなかった。アールグレイス家から金を借りていることも言わなかった。

 嘘つきの、できそこない。

 こんなところに押し込められたのに、私に対する気遣いもできない。


「……ひどい顔」


 川面に映った自分の顔を見て、私は愕然とした。

 薄汚れていて、やつれていて。

 こんな汚れた服で、汚れた顔で、私は。


 こんなのは私じゃない。

 川に手を突っ込んで、じゃばじゃばと顔を洗った。

 家に帰ろう。私は何も悪いことをしていないもの。馬車で庶民を轢き殺したのだって、私は馬車に乗っていただけ。

 動揺するクリストファーに「たまたま歩いていた庶民が悪いのです」と伝えただけだ。


 だって、公爵家の嫡男のクリストファーの方が、庶民なんかよりもずっと偉いもの。

 罪になど、問われない。走り去ってしまえば、どうせばれない。

 そう思っていたのに──。


 顔を洗って髪を整えて、服も整えた。

 以前ほどではなくなったけれど多少は見栄えが良くなった。


 泣きながら頼み込んで、村の荷馬車に乗せてもらう。

 クワイエス子爵家のある街の途中まで乗せてもらい、馬車を乗り継ぎながら子爵家へと向かった。

 お金がなく、何も持たない可哀想な私に、皆優しかった。

 

 子爵家に戻って門戸を叩く。両親とお兄様は私の帰りを待っている。

 きっと泣きながら、出迎えてくれるはずだ。


「私です、シルキーです! ごめんなさい、許してくださいお父様、お母様! 私、クリストファー様に無理やり……! すごく怖かったんです、怖くて、逃げてきました……!」


 ややあって、お父様が出てきた。

 お父様の後ろでは、泣いているお母様の姿と、お母様を支えて私に冷たい視線を向けているお兄様の姿がある。


「お母様……っ」


「シルキー、何をしにきたんだ」


「お父様、私、帰ってきました。ごめんなさい。本当にごめんなさい、こんなことになるなんて思っていなくて……」


「クリストファーと共に、辺境送りになったはずだ。お前に我が家の敷地を跨がせるわけにはいかない」


 どうして? どうしてそんなことを言うの?

 おかしいじゃない。私は大して悪いことはしていないのに……!


「私、騙されたんです、クリストファー様に騙されて……」


「騙されて、人を見殺しにしたのか? 騙されて、皆も見ている場で恥晒しなことをしたのか? もし騙されていたのなら、私たちに相談をすればよいだけのことだったのに」


「でも……怖くて」


「シルキー。どちらにしろ、お前を我が家に戻すわけにはいかん。お前のことは貴族の方々皆が見ている。お前を家に戻したとあっては、クワイエス子爵家は白い目で見られる。お前の兄には妻がいて、子供もいるんだ。お前を守るために、孫の立場を悪くするわけにはいかない。ただでさえ、肩身の狭い思いをしているというのに」


 せめてもの温情だと、お父様は私を馬車で辺境へと送り返した。

 馬車の中で私は騒いだけれど、誰も相手をしてくれなかった。古くからいる使用人も、誰も。


 食べるものも金も住む場所もない私は、数日ぶりにクリストファーの元に戻った。

 扉を叩くと、すぐに扉が開いた。クリストファーは私の手首を掴んで、なかに強引に引き入れる。


「……なんだ、お前か。リーシャかと思ったのに」


「何を言ってるの、あなた。リーシャがここに来るわけがないじゃない。知ってる? 立ち寄った街で聞いたけれど、リーシャは今や聖女よ。英雄ゼフィラス様と王都を化け物から守った聖女。馬鹿馬鹿しいったらないわ」


「かわいそうに、リーシャ。あんな男に脅されて……そうだ。いいことを思いついたんだ」


「いいこと?」


「……俺を騙した償いをしろ、詐欺師め。俺の言うことをきけ。聞かなければ、お前を売り飛ばして金を稼ぐ」


 この男は、誰なのだろう。

 暗い笑みを浮かべる、この男は。


 瞳からは光が消えて、現実ではない別の世界が見えているようだった。


 手首を掴む力の強さに怯えて、私は何度も頷いていた。




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