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流れ星のような奇跡



 痛み止めが切れると、ずきずきと体に痛みが響くようだった。

 けれど毎日傷を洗って薬を塗ってくれるゼフィラス様のおかげで、ただれた皮膚にあたらしいものがはりはじめた。


 包帯が外れるころには、固まってしまった指を、入浴中にほぐしてくださる。

 慣れというのはおそろしいものだ。私がそうして欲しいと言ったから、ゼフィラス様とは毎日一緒に湯あみをしている。


 一緒に。

 そのせいか、羞恥心はまだ感じるけれど、同時にそれが日常になってしまったような奇妙な安心感も感じていた。


 今日も私は、広い浴槽の中で、ゼフィラス様に後ろから抱きかかえられるようにしながら、体をその弾力があるけれど硬い体にあずけている。


 ゼフィラス様は大きいけれど、浴槽も大きい。二人で入ってもまだ余裕がある。

 

 大きな手に包み込まれるようにして、あまり動かない指をお湯の中で揉んでもらう。


 手のひらを親指の腹で押されて、それが、指の付け根へ。

 関節を一本一本、丁寧に指で揉まれる。

 

 指先を、爪の形を確かめるようにしながら、柔らかく押される。


 傷が修復されたばかりで皮膚が敏感になっているのだろうか。


 ゼフィラス様の硬い指先の感触が、体の奥底を直接撫でられているように響く。


 肩甲骨のあたりがぞわりとして、僅かな痛みとともに気持ちのよさに、吐息を逃がした。


「だいぶ、動くようになってきた。痛みは、リーシャ」


「もう、大丈夫です」


「私は君の大丈夫を信用していない」


「本当に、もう痛くないのですよ。それに、毎日触ってくださるから、指も、動きます。もう、動かないかと思っていました」


 火傷は手の平全体に及んでいて、しばらくは指を曲げることさえできなかった。

 皮膚が修復してからも、長く動かさなかったせいか指が固まってしまったように、動かすのが難しかった。


「そうか、よかった」


「ゼフィラス様のおかげです」


「私は、本当はどちらでもよかったんだ。痛みがあるのは、嫌だ。だが、指は動いても動かなくても、どちらでも」


 ゼフィラス様の甘く低い声が、耳元で響く。

 ちゃぷりとお湯が動く音がする。

 大きな手が私の腹部に触れる。そっと抱きしめられて、首筋に吐息が触れた。


「……っ」


 妙な声が、漏れそうになってしまう。

 くすぐったい。けれどそれ以上に――体の芯がざわつくような、熱がある。


「動かないと、ご迷惑を……」


「迷惑などとは思わない。指が動かなければ、君の世話は私がする。ずっと」


「……ありがとうございます。でも、私は、また動かすことができて嬉しいです。ゼフィラス様と、手を繋ぐことができますから」


 私の腹部の上におかれた手に、自分の手を重ねる。

 まだ少しぎこちないけれど、指を曲げて力を入れた。


「ゼフィラス様が怪我をなさったとき、ご病気のとき、それから……落ち込んでいる時も。私が、お手伝いをしてさしあげられます」


「手伝い? どのように、してくれるんだ?」


 甘えたような声に尋ねられる。


「あなたを抱きしめて、撫でてさしあげることができます。お怪我やご病気のときは、看病を。今度は、私が」


「……今、撫でてくれるか」


「ええ、もちろんです」


 太くて硬い腕を撫でる。抱きしめる手に、僅かに力が籠った。


「君を、離したくないな」


「私はお傍にいます。ずっと、あなたの傍に」


「あぁ。……まるで、夢のようだな。私は君に焦がれていた。その君が、今、腕の中にいてくれる」


 まるで――夢。


 夢のようなできごとだった。

 でも、夢ではない。私の手には傷が残った。本当は、死んでいた。

 

 王妃様たちが私を、助けてくれなければ。


「ゼフィラス様。……私、マルーテ様とフィオーラ様にお会いしたような、気がして」


「どういうことだ?」


「あの地下室で。私を、守ってくださいました。二人の女性。白い姿の……」


「私は、そのようなものは見ていない。アルゼウスも、ゲイルもだ。何も言っていなかった」


「……沢山の魂が、空にのぼって……王妃様たちが、ありがとうとおっしゃっていました。ずっと、閉じ込められていたのです。長い間ずっと、暗い牢獄の中に」


「そうか。真実を知りたいという君の願いが、王妃たちを救ったのだろうな。王妃と、王子たちか」


「私が救ったわけではありません。ゼフィラス様やゲイル様たちが、アルマニュクスを討伐してくださいました」


「君がいたから、私は神官家の地下室まで足を運んだ。君が調べなければ、誰も動かなかった。……ありがとう、リーシャ。君は傷を負ってしまったが……多くの人が救われた」


「ゼフィラス様がご無事であれば、私の傷など大したことではありません」


「何度も言うが、大したことなんだ。愛しい女性も守れない男になりたくない」


 そんなことはない。ゼフィラス様はいつも私を、守ってくださる。


「君がどこにいても、必ず助けに行く。何があっても、君を守る」


「……はい」


 腹の上におかれていた手が、体の曲線を辿る。

 覆いかぶさるように口づけられて、私は目を伏せた。


 お湯の音とは違う水音が響く。触れ合う舌は熱を帯びている。


 熱くて、切なくて、愛しい。


 愛しい人に愛していただけるのは奇跡だ。それは、流れ星をみつけるよりもずっと可能性の低い、奇跡。

 

 いつかメルアに聞いた言葉が、脳裏を過る。


 今ここに二人でいることができるのも、きっと奇跡なのだろう。



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