地下の記録庫
階段の横に設置されている燭台の蝋燭に火を灯しながら、アルゼウス様は階段を降りていく。
階段を降り切った先には通路が続いている。
地下室には光源がないため、夜のように暗い。
アルゼウス様の持つカンテラと蝋燭の明かりだけが、道標のように輝いている。
「正直な話、僕もあまりここには来たことがなくて。ここにあるのは古い資料ばかりですし」
「歴代の王もここには来たことがないのか?」
「ええ。そう記憶しています。王家に残る資料が正史だとしたら、ここにあるのはきっと残り香のようなもの。表に出しても仕方ないものを、ここに収めているのだろうと考えています。神官家では、あまりここには入らないようにと。何せ暗くて、入り組んでいて広くて危険ですから」
「オスセイアの地下迷宮のようだな」
「アルマニュクスが閉じ込められているという伝説の場所ですね」
王国南にある遺跡の名前だ。
砂漠の中央にある大きな遺跡は、かつて王家の城があったと言われている場所である。
今は誰も近づかない、魔物たちの住処となっている。
アルマニュクスという不死の魔物を閉じ込めたという伝承が残っているけれど、誰もその魔物を見たことがない。
メルアのご両親の書いた魔物研究書にも、書かれていた。
過去の資料を紐解いて、その生態や弱点などを他の闇の魔物と照らし合わせて、あくまで予想であるとしながらも、書いてあった。
「ゼフィラス様……ゼス様は、任務で行ったことがあるのですか?」
「いや。砂漠に囲まれた不毛の地だ。誰も住んでいないし、よほどのもの好きでないと近づかない。あの場所の魔物はそのまま、放置されている。遺跡から出て街を襲うなら別だが、その様子もないしな」
「そうなのですね、よかったです。危険な場所なのでしょう? いくらゼフィラス様がお強いとはいえ、あまり危険なことは……」
「心配してくれているのか、リーシャ」
「はい……」
「嬉しい」
「は、はい」
「仲がよろしいことで、安心しました」
優しく微笑んで、アルゼウス様は通路の先の木製の扉に手をかける。
開いた先に広い部屋がある。
カンテラを手前のテーブルの上に置いて、カンテラの炎から火を取って蝋燭に炎を灯した。
照らされた部屋には書架が並んでいる。
どこからか空気が入り込んでいるらしく、息苦しさは感じなかった。
書架には雑然と資料が積まれている。それ以外にも、何かが入った箱や、宝剣や盾、鎧や首飾りなど、何かしらのいわくがありそうな品々が詰め込まれている。
「部屋の中に入り資料を調べることはしたことがなくて、何がどこにあるのか分からないのです。申し訳ないことですが。五代目の王についての記録が知りたいのですよね?」
「あぁ。手分けして探そう」
「はい、では私は右の棚を探しますね」
私は右側の書架へと向かった。
ひとつひとつ資料を手に取り、ペラペラと頁を捲る。
神官家の記録が主だが、過去の災害の記録や、お布施の帳簿など、あまり見てはいけないようなものも含まれている。
「……これは、神官家の奥様の日記……」
旦那様への愚痴が赤裸々に綴られる資料を、私は慌てて閉じた。
昔の方の書かれたものでも、秘密を覗くようで申し訳ない気がした。
書架の奥へと進んでいく。分厚い本を手にして開く。
それは古い紙だった。今の紙よりも厚みがある。変色していて、紙の端もギザギザしている。
文字も、今のものとは違う。
これは、古代文字だ。授業で習ったので覚えがある。
「あの、お二人とも。ここに、五代目の王の話が……」
分厚い本を手にしてゼフィラス様たちに声をかける。お二人は書架から入り口のテーブルまで戻ってくる。
テーブルの上に本を置いて、頁を捲った。カンテラの灯りに照らされて、紙の上の文字が蟻の列のように浮かびあがる。
「……これは、神官家の記録ですね。五代目の王についての話が書いてあります。……このことは、門外不出である」
アルゼウス様が、頁を指先で辿った。
「知られてはいけないという意味だな。このまま読んでもいいのか?」
「五代目というと、今から六百年程度過去の王です。そのころの神官家の秘密など、今更秘する必要は感じません」
「わかった。リーシャもアルゼウスも古代語が読めるのだな。私はどうにも苦手でな。読んでくれるか?」
「はい。……これは。……申し訳ありませんが、僕の口からは。リーシャ様、頼んでもいいですか」
文章に目を通したアルゼウス様は、口元を押さえて俯いた。
何が書かれていたのだろうと私も本に視線を落とし、指で辿りながら文章を口にする。
「王妃に頼まれ、男児を殺めた。第二妃の男児が王位を継ぐのが許せないと、泣きつかれたからだ……」
私は、息を飲んだ。
これは、告発文だろうか。
時の神官長の書いたものだと、その文面からは知ることができる。
マルーテ様は――フィオーラ様の子供を、殺していた。
神官長に頼んで、殺したのだ。
そう、はっきりと書いていある。
悪夢が思い出されて、私は怯える心を押し殺した。
――病でもなく、呪いでもなく、やはり暗殺だったのか。
「マルーテ様が、あまりにも不憫だった。私はマルーテ様をお救いしたかった。だから、呪いを使い男児を殺めた。王妃の子が生まれると、第二妃が許せないと言って私に、殺めるように命令をした。私はそれに従った。隣国から嫁いできた姫は気位が高く、残酷だ。私は、娘の命を、人質に取られていたのだ」
フィオーラ様は、子供をマルーテ様と神官長に殺されたことに気づいていたのだろう。
だから神官長の娘を人質にした。
けれど、呪いとは一体何だろう。人が呪いの力を使えるというのだろうか。
アルゼウス様が、力無く首を振った。
罪の告白だ。アルゼウス様にとっては、遠い祖先の罪である。
聞くのは辛いことだろう。一度言葉を区切ると「続けてください」とアルゼウス様に言われた。
「私は繰り返し、王子を殺めた。呪いを、疫病だと偽った。そして私は気づいたのだ。このままでは国が亡ぶ。マルーテ様は心を病んでいる。フィオーラ様も同様だ。私は国を救わなくてはいけない。私は、王妃たちを呪った。最後の呪いだ。娘を王に嫁がせた。これでこの国は安泰だ。もう誰も、呪いのことを知る者はいない。鏡に触れてはならない。そこには呪いが、封印されている」
鏡に、触れてはならない。
そこには、呪いが――。
「……なんてことを。人を殺すなど」
アルゼウス様が押し殺した声で言った。
「アルゼウス。六百年以上前の罪だ。もう終わったことだ。だが……病ではなかったのか。呪いとは一体」
私は、本の文字を追いかける。
まだ続きがある。
「呪いを病と偽るために、王に進言した。病から身を守るため、王子の名前と性別を偽る必要があると。疫病から身を守るためにはそうするべきだと。私の罪には誰も気づかない。鏡には触れてはならない。誰も触れてはならない」
ぞわりとした悪寒が、背筋に走る。
嫌な気配を感じて振り向くと、雑然と置かれた宝物の奥に、大きな姿鏡があるのを見つける。
鏡は私たちの姿を映しているが、まるで鏡に見られているような気さえした。