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マルーテ様とフィオーラ様


 王妃様とのお茶会を終えて、私は再び図書室へと戻ってきていた。

 

 いつもは誰もいない図書室には先客がいた。

 本の山に埋もれるようにして調べものをしているのは、アリッサ先生だった。


「先生、もうお帰りになったのかと思っていました」


「いつも残って調べものをしていますよね、リーシャ様。私も手伝おうかと思いまして」


「でも」


「王妃様から言われたのです。リーシャ様を手伝うようにと。歴史を紐解くことは禁忌かと思い今まで触れずにいましたが、王妃様からの許しがあればお手伝いをすることができます」


「ありがとうございます、先生」


「リーシャ様も熱心でいらっしゃいますね。殿下のためですか?」


「ゼフィラス様のためというのもありますし……自分のためでもあります。もしかしたら同じことが起こるかもしれないと思うと、どうしても、じっとしていられなくて」


「アールグレイス伯爵に育てられたリーシャ様だからこそ、そう思うのでしょうね」


 他国とも取引をしているお父様は、この国では先進的な考え方をしているのだろう。

 だからこそ、私も古いしきたりについて疑問に思ったのだろうとアリッサ先生は言った。


「今、王家の家系図とそれに関連した逸話について記された本を探していたのですが、それらしい記述をみつけました。古い文字ですが、リーシャ様は読めますか?」


「古代語ですね。はい、ある程度は」


 アリッサ先生が広げてくれた本に目を通す。

 分厚く、端がぎざぎざしていて変色をしている紙の上に、ミミズが這うような文字が並んでいる。

 

 文字は時間とともに少しずつ変わっていって、今は古代語と呼ばれるこの文字は使用していない。

 

 お父様の蔵書にもあったし、授業でも習っているので読むぐらいならできるけれど、古い記録だからか、紙にインクが滲んでいて、ところどころ紙が破れて穴もあり、読みにくい。


「マルーテ様は……国王陛下の従兄妹にあたる方だったようですね。幼い頃から兄妹のように育ったと。婚約者となり結婚をした。とても仲睦まじかったと」


 文字を指でそっと辿りながら、私は口にした。


「ええ。けれど、中々子宝に恵まれずに、王はフィオーラ様を娶った。マルーテ様が二十五の時。フィオーラ様は十八。王は、三十。当時の寿命は四十歳から五十歳と言われていますから、側近たちも焦ったのでしょう。このままでは王家の血が途絶えてしまうと」


「マルーテ様はお辛かったですよね、きっと」


「そうですね。子を産めない王妃へのあたりは強いですから。そこにきて、若い側妃が王のそばに侍るようになり、立場を失ったのではないかと思われます。立場も、愛も」


「……お可哀想ですね」


 可哀想という言葉では足りないぐらいに、辛かっただろう。


「フィオーラ様は、隣国の姫だったようですね。娶ったのは政略結婚の意味合いもあるでしょう。もしかしたら、マルーテ様はこの時点で、格下げをされたかもしれません」


「正妃様なのにですか?」


「表向きは正妃と。けれど実際は側妃のような扱いをされるようになったのではないかと。自国の貴族と他国の姫では、他国の姫のほうが優遇されます。それに、子を産めなかったとあっては……不遇な方ですね」


「その後、一人子を成したとされていますが、これは身罷られた王子のことですね」


「おそらくはそうでしょう。マルーテ様は二十九歳。元々子ができづらい体だったようですが、ここでもう、子供をうめなくなったようです。今よりも、出産が命がけの時代ですから。もちろん今もそれは、そう変わりませんけれど」


「……その子が亡くなられたのですから、それは、お辛いことですね」


 もちろん、立て続けに子供を失ったフィオーラ様も辛いだろう。

 二人の女性は、憎しみあっていたのだろうか。

 

 フィオーラ様に子供が産まれたときに、マルーテ様は彼女を憎んだのだろうか。

 無機質な文字からは、感情までは伝わってこない。


 もし私が同じ立場だったらと思うと。

 ゼフィラス様の隣に立つ顔も名前もない女性の姿を想像すると、呼吸が止まるようだ。


 その気持ちは――クリストファーとシルキーさんの浮気を知った時に、一度味わっている。

 けれどもっと、強く、苦しい。


 私は――ゼフィラス様に恋をしている。自分で思っていたよりもずっと、深く、強く。


 ◇


 赤子の鳴き声がする。

 祝福されてうまれた子だ。王国にとっては待望の男児。王になる子だ。


 人々が集まり持て囃し、子を産んだ女性は赤子を慈しむように抱きしめて、男性がその隣に寄り添っている。


「よくやった。ありがとう! 私の子だ……!」


 感極まったように喜ぶ男性と、嬉しそうに微笑む女性を――私は、遠くから見ていた。


 愛しているといってくれた。

 あんなに愛しあったのに。


 今や私は蚊帳の外で、その幸せな空間に足を踏み入れることができない。

 

 空虚な心が悲しみに、憎しみに満たされていく。


 私だって、子供を産める

 あなたとの子どもを産める……!


 消えてしまえ。消えてしまえ、消えてしまえ。


 呪詛の言葉が感情が、呪いとなって女性と赤子を黒々とした靄で覆いつくした。


 女性の慟哭が、憎しみに満ちた瞳が、私に突き刺さる。

 お前が殺した。お前が殺したんだ。許さない。許さない……!


 私は――愛する人との赤子を手に抱えている。私の赤ちゃん。大切な、可愛い赤ちゃん。

 愛するあなたとの子供。


 けれど、その子にも、黒い靄が――。


『たすけて』


 私が――違う、マルーテ様が、黒い靄につつまれて私を見ている。


『たすけて。私に気づいて。私たちを、助けて』


 か細い声が、助けを求める。

 助けられない。だって、マルーテ様も王子たちもずっと昔に亡くなった。

 どうして、どうやって、助けられるというの?


『ここから、助けて……!』


 黒い靄に包まれて、無数の人の顔が浮かんだ。それは一様に、苦悶の表情を浮かべている。


「……っ」


 体が、ベッドに貼り付けにされたように動かなかった。

 部屋はまだ暗く、自分の呼吸の音ばかりが響いている。


 髪が濡れている。泣いていたのだろう。

 冷や汗で体は湿っていて、頭が鈍器で殴られたように、痛んだ。


「夢……」


 マルーテ様とフィオーラ様のことをずっと考えていたせいで、妙な夢を見てしまったみたいだ。

 妙な、夢だった。

 怖い夢。


 私は助けを求めるようにベッドサイドに置いてある小箱を掴んだ。

 その中には、ゼフィラス様から頂いた髪飾りが入っている。


 小箱ごとぎゅっと抱きしめると、ようやく落ち着いた。


 ただの悪夢だ。気にしなくていい。


「……私たちに、気づいて……?」


 それは一体どういう意味なのだろう。

 私がつくりだした悪夢だというのに、他人が無理矢理私にみせた、夢のようだ。


 考え過ぎだろうか。


 私は深く息をついた。

 ゼフィラス様に会いたい。酷い夢を見たのだと、お話をしたい。

 きっと、大丈夫かと心配して、抱きしめてくださるはずだ。


 そこまで考えて、首を振った。


 怖い夢を見たなんて。

 話して、縋るようなことは、私ももう大人なのだから、恥ずかしい。


 けれどあまりにも、夢の中で感じた感情が生々しくて。

 私もマルーテ様の立場になれば、同じように見知らぬ女性を憎んでしまうかもしれないと思うほどに、激しい憎悪だった。


「私も、同じ……?」


 違うと、信じたい。そうではないと、思いたい。

 激しく暗い嫉妬を夢の中で抱いてしまったなんて、ゼフィラス様には知られたくない。


 古の王妃たちと、私とゼフィラス様は違うのだから。混同してはいけない。


 未だ夢の中にいるのか現実なのかが分からずに、しばらくぼんやりしていた。

 徐々に夜が明けてくる。

 白み始める部屋の中で、私はベッドからのそりと起き上がった。

 もう、眠れそうにない。


「病は、魔物に似ている。ある種の魔物は、呪いや病のような状態にして、人を殺す……」


 メルアから貰った魔物研究書を手にして、ソファに座った。

 ぺらぺらとページをめくって、読んでいく。


「闇の魔物……人の魂を、喰らう」


 肉体だけを残して、魂だけを喰らうという希少な魔物の記述で、私は手を止める。

 

 肉体には傷がつかず、魂は奪われて、死んでしまう。

 それは呪いや、病気に似ているのではないか。


 悪夢を思い出し、私はぶるりと震えた。

 


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