お父様は現実主義者
学園に通っているときだったら、アルゼウス様に簡単に会うことができたのだけれど、卒業した今となっては突然大神殿に押しかけるわけにもいかない。
アルゼウス様がいらっしゃるのは王都にある、王城の次に大きな建物フォラス大神殿。
神官家が祀っているのは三女神だ。
生、死、豊穣をそれぞれが司っている。
王国は、三女神が降り立ち出来た地である。
女神様たちが土地を豊かにし、魂を循環させて、新しく命を授けてくれる。
そして、エルランジア王家は三女神から祝福を与えられた家と言われている。
どちらも、王国民の信仰の対象となっている。
大神官様は全ての神官の頂点に立つ方で、次期大神官であるアルゼウス様は気楽に会えるような方ではない。
ゼフィラス様がアルゼウス様に連絡をしてくださるというので、私はゼフィラス様からの連絡を待つことになった。
「お父様、聞きたいことがあるのですけれど」
自宅に戻った私は夕食を済ませた後に、まだ王都に滞在しているヒュースお父様に尋ねた。
お父様はゆったりと大きなソファに座っていて、王都で購入した葡萄酒を飲んでいる。
テーブルにはオリーブと、チーズ。それからイカのフリット。
お父様がクラーケンをからっと揚げて食べてしまいたいといっていたことを思い出しながら、私はソファの対面に座った。
「なんだい、リーシャ」
お父様の足元にはハクロウがいる。ハクロウはお父様によく懐いている。
お兄様はアシュレイ君を寝かしつけに行っていて、お母様ももう眠ってしまっている。
お父様は睡眠時間が短いので、夜遅くまで起きていることが多い。
睡眠時間が三時間でも大丈夫な、特殊体質らしい。
眠っているよりも働いている方が好きなのだと、お母様はよく呆れたように言っている。
「女の子は早く眠らないといけないよ。美容のためにも」
「はい。気をつけます」
「君は私の娘だ。いつも可愛い」
「ありがとうございます、お父様」
お父様は昔から穏やかな方だった。私やお兄様を注意することはあっても、感情的になって怒ったり、怒鳴ったりする姿を見たことがない。
にこやかに褒めてくださるお父様に、私は恐縮した。
「聞きたいこととはなんだろうか。ゼフィラス殿下の射止め方、などかい」
「い、いえ、そういったことでは……」
ゼフィラス様についてお父様と話すのは、少し恥ずかしい。
「リーシャ、無理はしていないか? 殿下の気持ちはありがたいことだが、突然王妃になれとは、荷が重いだろう」
「それは、大丈夫ですお父様。ゼフィラス様のためにも自分のためにも、頑張りたいと思っています」
「リーシャは殿下が好きなのだね」
「……はい。お父様、クリストファーのことでは迷惑をおかけしてしまって」
「それは君が謝ることではないよ、リーシャ。あの子の抱えている鬱屈を、私たちは理解できていなかった。それは、ジェスとも話したよ。私とジェスの関係が、あの子を歪めてしまったのではないかとね」
私は頷いた。何も言えなかった。
ジェス――ベルガモルト公爵は、とても傷ついているだろう。
大切にしていたご子息を、あんな形で失ってしまったのだから。
もっと何かいい結末があったのではないかしら。
もっと何か、できることがあったのではないかしら。
振り返ると後悔ばかりだ。クリストファーとシルキーさんは、無事に新しい生活をはじめているのだろうか。
「まぁでも、罪は罪だ。罪には罰が必要だろう。……浮気や、君に対する見当違いの糾弾だけなら問題はなかった。だが、人を――間接的にではあるが、殺めたとあってはね」
「どうして、あんなことを」
「あの子は馬車に乗っていただけだ。だから、あまり実感がなかったのだろう。なんて言葉では済まされない罪だが。罰を受けて少しでも、反省してくれたらと思うよ。私たちは魔物ではないのだ。だから、人を殺めない。転んだ人に手を差し伸べるのが、人というものだろう」
「はい、お父様」
お父様のことが、好きだ。
昔から正しい人だった。
お父様がよく言う「私の優しさや正しさは偽善だよ」という言葉が本当だとしても。
それでも、どんな理由であれ正しい行いをするお父様を私は尊敬している。
「すまない。久々に娘と話せるのが嬉しくて、つい饒舌になってしまうね。君の質問だったね、リーシャ」
「あ……はい。そうでした。あの、お父様」
「なんだい」
「王家のしきたりをご存じですか?」
「あぁ。男児は十六まで存在を隠されるというあれかい」
「はい。どう思われますか?」
「まぁ、現実的ではないね。名前と存在を隠したからといって、防げる病などない。病とは、目には見えない菌が引き起こすものだと、最近ステルダム研究所の論文で発表されたばかりだ」
「そうなのですね。お父様はとてもお詳しいです。目には見えない菌、ですか」
「ステルダム研究所は出資しているからね。論文は目を通している。私は目新しいものが好きだしね。今のところ、目には見えない菌など存在しないという派閥と、病気を引き起こすのが目には見えない生物だとしたら理にかなっているという派閥に別れているよ」
「目には見えない生物とは、魔物のようなものなのでしょうか?」
「ある種の魔物は、病気のような症状を引き起こすものもいるがね。そう思うと、病気の原因も、魔物だとは言えなくない。まぁでも、どちらにせよ、名前と性別を隠したところで防げるものでもないだろう」
お父様は王家のしきたりに懐疑的だ。
私もお父様と同じように思うのだけれど、それでも記録書に残されていた状況は、呪いかなにかのように感じられてしまう。
「でも、お父様。しきたりのはじまりは、王子たちの病死にあったようなのです」
病気ではないとしたら、呪いなのだろうか。呪いなのだとしたら、しきたりは続けなくてはいけない。
「王子が四人亡くなり、王妃様が二人亡くなりました。疫病を防ぐために、しきたりがはじまったのですよ」
「それは興味深い話だね、リーシャ」
「その病とはなんのことなのかしらと思って」
「リーシャも殿下も、しきたりを終わらせたいと思っているのだね」
「はい」
「まぁ、十六までの貴重な青春を奪われるというのは、辛いことだ。私が十六の頃にはもう既に海運業をはじめていた」
「お父様は特別な気がしますけれど……。原因不明の病はまるで呪いです。呪いを防ぐためには、しきたりに従うべきなのかもしれないとも思います」
「リーシャ。呪いなんてものは存在しないよ。まぁ、ある種の魔物には呪いに似た力を持つ者がいるけれどね」
「病気に似た症状、呪いに似た力。魔物とは……不思議なものですね。魔物が、王子に取りついたのでしょうか」
「どうかな。可能性としては、いくつかあるね。人為的なものだとしたら、毒か、魔物の使役か。ただの病か」
「毒、ですか」
「君はそれを調べているのだろう? 真実の追究とはわくわくするね。結果をまた報告してくれるかい?」
「はい、お父様」
お父様が呪いではないと否定してくれた。
これほど心強いことはない。
アルゼウス様にお会いするまでにはまだ時間がある。もう少し、調べてみよう。