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クリストファー・ベルガモルト



 ◇



 ――アールグレイス家の者たちが来ると、父が頭をさげるのが嫌だった。


 それが不快だと気づいたのは、物心ついてからしばらく経ってのことだ。

 幼い頃は、何も考えていなかった。


 アールグレイス伯爵夫婦は両親の友人である。貴族学園で知り合い仲良くなり、友人付き合いをずっと続けている。


 リーシャとは同い年で、両親たちが話をしている間、時間潰しのためかよく遊んだ。


 兄弟のいない俺にとって、同い年の子供は珍しい。 

 

 母は俺を産んだ時に、次の子供は難しいと言われていた。

 出産が、命に関わるのだと。

 両親は話し合い、子供は俺だけにしようと決めた。


 ベルガモルド家は誉高き三代公爵家のうちの一つ。

 血を繋ぐのは重要なことだ。嫡子が一人きりというのは、問題がある。


 だが、両親は愛し合っていた。

 妾を作るつもりは端からなかった。俺に何かあれば親戚から養子をとるつもりではいたらしい。

 

 俺は二人に大切に育てられた。特に何かに不自由をした記憶はない。

 ただ、あまり外に連れ出すようなことはしてもらえなかった。


 病気になったり、誘拐をされたり、怪我をしたりすることを、両親は心配していたようだった。


 そんな俺にとって、リーシャは唯一の友人といっても過言ではなかった。


「クリスは、あまり走らないのね」


「貴族の子供とは走らないものだよ、リーシャ」


「お父様はたまに走っているわよ。仕事が忙しいと、移動の時間も惜しいのですって」


「君の父上は少し変わっているね」


「そうかしら。あ! クリス、あちらに小川があるわよ。行ってみましょう」


 リーシャは好奇心旺盛な子供だった。

 興味があればそちらに走って行ってしまう。


 俺はいつでもリーシャのあとをついていっていた。


 小さな頃は違和感がなかった。友人として過ごすのは――楽しかった。


 けれどある日――俺は父に呼び出しを受けた。


「クリストファー。話しておきたいことがある」


「なんでしょうか、父上」


「ベルガモルド公爵家には、負の遺産がある。先代の我が父も先々代も、浪費家でな。挙げ句、五十年前に公爵領では大規模な水不足が起きて、飢饉が起った。領地からの税収が途絶え、借財だけが増えていった」


「金がないということですか」


「あぁ。今は、我が友のアールグレイス伯爵が手助けしてくれている」


「アールグレイス家は資産家なのですよね。母上が言っていました」


「あぁ。伯爵は、私を不憫に思い多額の金を援助してくれているのだ。クリストファー、伯爵に感謝を忘れてはいけない。お前が不自由なく生活できるのは、伯爵のお陰だ」


 父の言葉を理解した俺の心に沸き起こったのは、誰に対するものか分からない怒りと情けなさだった。


 他人の金で生かされている。


 ベルガモルド公爵家に生まれた俺が、アールグレイス伯爵に、自分よりも身分の低い者の援助で生きている。


 途端、アールグレイス伯爵に頭をさげる父の姿が、卑しいものに思えてならなかった。

 父にそのような態度を取らせるアールグレイス伯爵は、なんて傲慢で嫌な男なのだろう。

 友人などというのは嘘だ。格上の我が家を支配して、喜んでいるのだ。


 時を同じくして、リーシャが俺と結婚したいと言い出した。

 それは――もっと幼い頃から、リーシャが度々口にしていた言葉だった。


「クリスのお嫁さんになりたい」

「クリスのことが好き」

「優しいところが好き。いつも遊んでくれるから好き。ずっと一緒にいたい」


 嬉しいと、思ったときもあったような気がする。


 無邪気に、けれど気恥ずかしく、その好意の言葉を聞いていたときもあったような気がするが、それはもう過去だ。


 アールグレイス伯爵の娘であるリーシャの言葉は、脅しのように感じられた。


 我が家や俺は立場が弱い。それを利用して――ベルガモルド公爵家を乗っ取るつもりなのだ。

 リーシャの全てが嫌いになっていった。


 何も知らないのか、それとも知っているのか、無邪気さを装った愛の言葉は嘘くさく、リーシャのことは金貨袋のようにしか見えなくなった。


 そんなものはいらない。いらないと突っぱねたいが、我が家には金がない。

 最低な脅しだ。


 そしてそう思うと、リーシャの言動も、行動も、許せないものになった。


 俺はあまり家から出られなかったせいかどちらかといえば大人しく、人見知りをしていた。


 いつもリーシャの影に隠れていて、リーシャのことを母のように思ったこともある。


 誰とでも気兼ねなく話し、友人も多い。何かあればすぐに飛んで行き、喧嘩を仲裁したり、転んだ友人を助けたりもする。


 リーシャが誰かから感謝されるほどに苛立った。


 正義の味方を気取っている。


 実際は――俺という婚約者を金で手に入れた最低な女なのに。


 アールグレイス伯爵家の援助を打ち切られるわけにはいかない。

 憎しみを隠し仮面をかぶり、リーシャには優しい男として振る舞っていた。


 リーシャが俺の前で笑う度、俺が好きだと口にする度に、愚かな女だと心の中で嘲った。

 そうして、学園に入学した俺は、リーシャの友人だったシルキーと出会った。


 シルキーはリーシャとはまるで違う。

 一人では何もできない。


 いつも不安そうにしているシルキーは、何でも俺に頼りたがった。

 

 何でも一人でできるとでもいうような、小賢しいリーシャとは違う。


 見た目だけは悪くないのだから、もう少し可愛げがあれば――嫌悪以外の感情を抱くことができたかもしれない。


 けれどリーシャはいつも多くの友人に囲まれていて、大抵のことはなんでも一人でできた。

 友人が傍にいないときでも、寂しい顔も一つしないで、凜と立っているような女だ。

 俺がシルキーに惹かれるのにはそう長い時間はかからなかった。


 俺の感情が決定的になったのは、リーシャが遊覧船で子供を助けるために溺れて、その後高熱を出したと彼女の兄から聞いたときだ。

 

 リーシャは俺にそれを隠していた。

 海で溺れるなど、どうかしている。どうせまた正義の味方ぶったのだろう。


 そんなに褒められるのが好きか。そんなに目立ちたいのか。

 死んでもいいとさえ思っているのか。俺という婚約者がありながら――。


 俺のことは、どうでもいいのか。

 好きだというのなら縋れ。冷たくしているのだから泣きわめけ。


 情けない姿を晒せば少しは――溜飲が下がるかもしれないのに。


 リーシャに何があったのか尋ねると、たいしたことではないのだと誤魔化した。

 頭が燃えるぐらいに腹が立った。

 

 馬鹿にされていると思ったのだ。どうせ金のない公爵家の嫡男だと。侮られている。


 俺は――リーシャが嫌いだ。


 リーシャとは結婚をするつもりだった。

 アールグレイス家の金を手に入れてしまえば、あとは自由にできる。


 優しくして、金を貢がせて貢がせて――俺はシルキーと子供を作ろう。


 時期を見計らってシルキーを家に入れて、リーシャはいないものとして扱えばいい。


 だが、浮気はリーシャに知られてしまった。

 そんなつもりはなかったのに、婚約は解消となった。


 リーシャは愚かな女だ。ここでも正義の味方ぶって、俺たちを認めるような言葉が書かれた手紙を寄越した。


 まだ俺に未練があるのだろう。

 やはりアールグレイス家の金は必要だ。


 それに――リーシャは俺のものだ。

 

 侍女として雇い入れて、手つきにしてやってもいい。


 今まで偉そうにしていたリーシャを貶めることを考えるだけで、胸が躍った。


 それなのに――それなのに。それなのに。

 全部、壊れてしまった。

 何もかもを、失ってしまった。


 どうして殿下が現れるんだ。婚約解消されたばかりだというのに、何故リーシャは殿下の婚約者になっている。

 

 浮気をしていたのか。俺が好きだと言いながら、殿下と浮気を?


 俺はリーシャに嵌められたのか。殿下と結婚をするために、俺との婚約を破棄したかったのか。

 

 腹立たしい。悔しい。何か、意趣返しをしてやりたい。


 痛い思いをさせたい。リーシャの罪を皆の前で暴いて、どれほど最低な女なのかを知らしめなくてはいけない。


 あんな女が殿下と結婚をするなどあり得ないことだ。


 上手くいくと思っていた。リーシャの行動を調べ上げて、皆の集まる卒業式でその罪を声高に叫んで。

 

 結局、俺は――父上に捨てられた。

 シルキーと二人、何もない田舎の町のおんぼろの小屋に置き去りにされた。


「……家に帰りたい。家に帰りたい……お父様、お母様……!」


 朝から夜まで何もせずに泣き続けているシルキーが鬱陶しい。


 水も汲めない。料理もできない。一人では、なにもできない。

 リーシャなら――すぐに泣き止んでいただろう。


 弱音は吐かず、大丈夫だと俺の手を引いて――。


「リーシャ……」


 家の中は気が滅入る。

 夜風に吹かれながら、星空を見上げた。


 幼い頃から俺が好きだと言っていた。仲のよい、幼馴染みだった。

 リーシャは、俺のものだったはずだ。

 今でも――彼女の心は俺のものだ。そのはずだ。




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