ベルガモルト家からの謝罪
クリストファーの浮気が発覚して、ゼス様に助けていただいた翌日。
今日も学園はお休みなので、私は朝遅くまで眠っていた。
正直に言えば、昨日の夜はあんまり眠れなかった。
怖いこともあったし。嫌なこともあった。
やっと眠りにつけたのは明け方で、浅い眠りの中で何度もクリストファーの夢を見た。
「私、クリスと結婚したい」
「うん、いいよ」
お父様たちがベルガモルト家に行くと、私とクリストファーはよく遊んだ。
クリストファーはあまり家から出ないような、大人しい子だった。
体が弱いというわけでもないようだけれど、大切に育てられていたのだ。
幼い頃は、私が守ってあげなくてはと思っていた。
けれど頼りなかったクリストファーの背がどんどん伸びて、格好よく、男らしくなっていって。
態度にも口にも、恥ずかしくてあんまり出せなかったけれど。
その顔を見るたびに、いつも心臓がうるさく高鳴った。
誰にでも優しいところとか。
身分を気にせずに誰にでも話しかける気さくなところとか。笑顔が可愛らしいところとか。
私、クリストファーが好きだった。
胸にぽっかり穴があいて、そこを冷たい風が通り抜けていくみたいだ。
シルキーのことだって、私は好きだった。
シルキーとは聖フランチェスカ学園で出会った。
たまたま隣の席に座って、いろいろ話すようになって。
まだ婚約者がいないというシルキーは、引っ込み思案で、男性が苦手なのだと言っていた。
「クリス様とは、緊張せずにお話しすることができます。リーシャの婚約者だから、身構えなくていいのですね、きっと」
「クリスは優しいから、困ったことがあったら頼るといいわ」
「嬉しい。ありがとうございます、リーシャ」
「いいわよね、クリス」
「もちろん、構わないよ」
浮かんでは消えていく記憶は、まるで愚かな女の備忘録のようだ。
昼食だって一緒に食べていたし、シルキーとクリストファーが二人きりで過ごすことも結構あった。
時々は、他の友人に「シルキーとクリストファー様は親し過ぎではありませんこと?」「リーシャ、大丈夫なの?」「注意したほうがいいわよ」なんて言われていたけれど。
私は気にしていなかった。クリストファーが誰にでも優しいのは以前からで、それはクリストファーの美徳だって思っていたし。
クリストファーの人間関係に口を出したりはしたくなかった。
「……馬鹿だわ、私」
すっかり日が登った自室のベッドに転がりながら、私は呟いた。
男性たちに襲われる夢も見たけれど、夢の中でゼス様が男たちを退治して山積みにしてくれたから、それは怖くなかった。
だから多分、目覚めた時に涙がこぼれていたのは、失恋の痛手からまだ回復していないせい。
「……明日から、どうしよう」
本当にどうしよう。
明日から、まだ学園の卒業までは数週間ある。
授業はもう終わっていて、士官先がまだ決まっていない人たちが、先生と士官先とやりとりをしたりしている。
そのほかには、卒業の式典の準備やら、委員会の引き継ぎやら。
行かなくても、いいといえばいいのだけれど。
そうすると私──婚約者を奪われて家に引きこもった、可哀想な女みたいになってしまう。
「リーシャ、入っても?」
部屋の扉がノックされて、お兄様の声がする。
「ま、待ってください、私、まだベッドにいまして……」
「そのまま寝ていていい。話だけしたいのだけれど」
「はい……」
相手はお兄様だからまあいいかと、私は了承の返事をした。
その途端に、扉がバタンと開いて、お兄様を小さくしたような可愛らしい少年が部屋の中に放たれた矢のような勢いで突っ込んでくる。
「リーシャ!」
「アシュレイ君……」
「おはよう、リーシャ! 大丈夫? リーシャに悲しいことがあったって、みんなが朝から言ってる。僕、すごく心配で……!」
「ありがとう、アシュレイ君」
ベッドに寝ている私の上に飛び乗ってくるアシュレイ君を、私は抱き止めた。
「具合が悪いの? もうお昼なのに、まだ寝ている……」
「こら、アシュレイ。部屋にいなさいと言ったのに。どこに隠れていたのやら」
「だってお父様、リーシャの具合が悪いかもしれなくて」
「具合は悪くないわ、アシュレイ君。大丈夫よ。寝坊してしまっただけよ」
アシュレイ君は、お母様を亡くしてまだ一年。
お義姉様はベッドに寝付きがちな人だった。そして、そのまま寝込む時間が長くなり、眠るように亡くなっている。
そのせいか、昼過ぎまで寝ている姿を見るというのは、怖いことなのだろう。
アシュレイ君を抱きしめて髪を撫でる私から、お兄様はアシュレイ君をひっぺがすと、部屋の外へとポイっと追い出した。
「お父様、ひどい!」
「後できちんと話してあげるから、待っていなさい。リーシャだって女性なのだから、寝起きを見られるというのは恥ずかしいものだよ」
「リーシャ、ごめんなさい」
「大丈夫よ、あとで一緒にお散歩しましょうね」
「やった!」
素直に謝ってくれるアシュレイ君に微笑むと、お兄様は無情にもパタンと扉を閉めてしまった。
それから困ったように笑うと、ベッドサイドに腰掛けて足を組んだ。
「ベルガモルド家に行ってきたよ、リーシャ」
「……もう?」
「何事も、早い方がいいからね。いくら我が家が格下といえども、泣き寝入りするわけにはいかない」
「それで……」
「王都のタウンハウスにちょうど、公爵夫妻も滞在していてね。もうすぐクリストファーがリーシャを連れて領地に戻るから、そのついでに久しぶりに王都で過ごそうということになったらしい。……まぁ、つまりは、ご両親ともクリストファーの不義を知らなかったということだ」
「そうなのですね……」
公爵夫妻は、優しくてよい方々だ。
私のことも、実の娘のように可愛がっていてくれた。
なんだかとっても、申し訳ない気持ちになる。私のせいで、お二人にも悲しい思いをさせてしまった。
「二人とも、真っ青になって、それから真っ赤になって、クリストファーを叱りつけていたよ。いますぐリーシャに謝罪に行って、シルキーとは別れろってね」
「……謝罪ですか」
気持ちはありがたいのだけれど、クリストファーが謝ってきたとしても、浮気の事実が変わるわけじゃないもの。
とても、今まで通り、元通りになれるなんて思えない。
「その顔だと、謝罪はいらないという感じかな」
「……はい。嫌いだと言われました。あれはクリストファーの、本当の気持ちだと思います。私と結婚したところで……」
「リーシャならそう言うと思ったよ。でも、一応リーシャの気持ちを聞いてから、返事をしようと思って」
「ありがとうございます、お兄様。……婚約は、なかったことに。シルキーと幸せになってくださいと、伝えてください」
「それでいいの?」
「はい。……私は、これからどうやって生きていくのか、きちんと考えたいと思います」
そうよね。
ちゃんと考えなきゃいけない。
今まで私の頭の中は、クリストファーとの結婚でいっぱいだった。
結婚さえしてしまえば、幸せになれるって思っていた。
もう、恋なんてしない。これからは一人で生きていこう。
お兄様もいるし、アシュレイ君もいるし。
大切な家族に囲まれているのだから、それ以上の愛情なんて、いらないもの。