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慰め



 近づく顔に焦点を結ぶことができずに、視界がぼやける。

 

 私の体に覆いかぶさって、ゼフィラス様は私の腕をベッドに繋ぎ止めるように握りしめている。


 力は強いけれど、痛いわけじゃない。

 ただ、逃げることはできそうもない。


 逃げたいわけじゃ、ないのだけれど。


 噛みつくように重なった唇は柔らかくて、重なる胸に心音が混じり合う。


 どくどくと体に響く鼓動と熱が、ゼフィラス様が私と同じ、生きている人間であることを教えてくれる。


 そんなことは分かっているのに、お城の舞踏会などで遠くから拝見していたゼフィラス様は、作りもののように美しかった。


 私にとっては、雲の上のような方だ。

 だから、現実味がなくて。

 男性なのだと意識するたび、とまどってしまう。

  

 硬い腕や体は私のものとはまるでちがう。優しすぎるほど優しいゼフィラス様の強引な口づけに、私は戸惑いつづけていた。


 混じり合う鼓動は早く、私だけじゃなくてゼフィラス様も同じように緊張しているのだと、わかる。


 緊張か、激情か、あふれる感情は判然としないけれど。


 見慣れない部屋には茜色の光がさしこみ、光が当たらない場所は薄暗い。


 カーテンはひらかれて、外の景色が見える。ホテルの上階は値段のせいであいていることが多い。


 この部屋も最上階にあるから、外から中を見ることはできないだろうけれど。


 それでも、人に見られる可能性がある場所で唇を重ねるのは、禁忌と背徳感を同時に感じた。


「ん、ん……っ」


 触れては離れる唇に、呼吸もままならない。

 きつくとじた唇の間を舌で撫でられて、体がぞわりと震えた。


「ぁ……」


 何度かそれを繰り返されて、あまりの恥ずかしさにきつく瞳を閉じて身じろいだ。


「っ、ふ……」


 薄く唇を開くと、薄く長い舌が私の口をいっぱいにした。

 

 知識としては、もちろんある。

 何も知らないわけじゃない。

 

 ただ、そういった教育は知りすぎても初々しさをなくして、男性を幻滅させてしまうからと、詳しく教えてもらえるわけじゃない。


 こういうことははじめてだ。

 口の中を撫でる舌のあつさや、濡れた感触、体が痺れるような感覚は、全部、今まで知らなかったものだ。


 体の曲線を確かめるように、大きな手のひらが体を撫でる。


 先程まで感じていた、まるで暗い井戸の底に突き落とされたような衝撃が、苦しさが、ゼフィラス様の温もりで塗りつぶされるように消えていく。


「リーシャ……リーシャ……好きだ。私は、君が好きだ。浅ましいと思われてもいい。悲しむ君の心につけこむ、悪い男になってもかまわない。私を、見てほしい」


「ゼフィラス様……」


 唇が離れて、ゼフィラス様が私の唇を指先で拭う。

 緊張しているはずなのに、体からはくたりと力が抜けて、じくじくした奇妙な甘さが体にに残った。


 背骨を直接撫でられるような、今すぐ逃げ出したくなるような、それでももっと強く抱きしめてほしいような、わけのわからない気持ちでいっぱいになって、涙がこぼれた。


「すまない。……自分が、おさえられなかった。君を悲しませるあの男の記憶を、君の中から消してしまいたい」


 優しくひきよせられて、背中を撫でられる。


 私は力の入らない手で、ゼフィラス様の服を掴んだ。


「ゼフィラス様、あの……」


「怖かっただろうか」


「……怖くないです。……少し、驚きましたけれど」

 

 私は、大丈夫。

 本当に、大丈夫。


 だって、こんなにも……激しい感情が、愛しい。

 

「ゼフィラス様、お顔が、みたいです。……仮面、外してもいいですか?」


「あ、あぁ……すまない! 外すのを忘れるぐらいに、余裕がなかったのだな」


 ゼフィラス様は慌てて仮面を外した。

 

 悲しいけれど、苦しいけれど、その仕草はなんだか可愛らしくて──私は、くすくす笑いながら手を伸ばして、ゼフィラス様の髪を撫でた。


 両目を覆う仮面を外すと、美しい深紅の瞳が現れる。

 恥ずかしそうに頬が染まっている様子が可愛らしくて、さらりとした銀の髪に指を絡めた。


 私を心配してくれている。同時に、嫉妬もしてくれている。


 奪うように、けれど分け合うように差し出された熱が心地よくて――本当に、ありがたいものだと思う。


 向けていただける感情を、与えられるあたたかさを、大切にしないといけない。

 後ろを振り返るのではなく、前を見ないと。


 まだ罪が、罪だと決まったわけではない。

 けれど――それが本当だった時、取り乱してしまわないように。心を強く、もっていなくては。


 メルアのご両親は、もう帰ってこない。

 本当に罪を犯していたとしたら、まだ残っているほんの少しの情は、捨てなくてはいけない。


 頭を殴られたようなショックからは、ゼフィラス様のおかげで回復している。


 黒くてどろどろしたものに覆われていたようだったけれど、そんなものはなかった。気のせいだった。

 私の心がつくりだした、幻想でしかなかった。

 

 夕焼けの空は美しくて、ゼフィラス様の瞳は綺麗で、洗い立てのシーツはパリッとしていて気持ちいい。 


 ゼフィラス様が一緒にいてくれてよかった。

 このまま一人になっていたら、きっとずっと、何も気づけなかった自分を責め続けてしまっただろう。


「私が君を慰めなくてはいけないのに、これでは、なんだか逆のようだな」


 髪を撫でていると、ゼフィラス様が困ったように言った。


「ごめんなさい。さらさらで、気持ち良くて、つい」


「いや、いいんだ。好きなだけ触ってくれて構わない。そのかわり、私も君に触れたい」


 私の隣に横たわり、ゼフィラス様は私の髪に触れて、頬に触れる。

 こぼれた涙を指先で払い、髪に触れていた私の手を取って指を絡めた。


「ゼフィラス様、ありがとうございます。……ごめんなさい」


「リーシャ、いいんだ。かつては恋心を抱いていた、幼馴染なのだろう。傷つくのは当たり前だ。……私以外の男のことで、君の心がいっぱいになるのがどうしても、許せなくて。……子供染みた嫉妬をしてしまった」


「……嬉しいです。……私をそんな風に想ってくださることが、とても」


「迷惑では?」


「迷惑なんて思いません。……私、強くなりたいって思っているのに、揺らいでばかりで」


「困らせている自覚はある。好きな男に裏切られてからまだ二週間に満たない。この短期間で、立ち直って私と、新しい恋をして欲しいなんて思っていない。私は、私の感情を君に伝えられることが嬉しい。ただ、少し……感情が抑えられなくなってしまって」


 ごつごつした太い指が、剣を持つため皮膚の硬くなった手のひらが、私の手を包み込んでいる。


 それだけで、安心することができる。

 

 信じていたものがひび割れて壊れてしまい、足場が崩れて真っ逆さまに落ちていくばかりだった私を、ゼフィラス様が救ってくれた。


 あなたが好きだから、一緒にいたい。

 あなたに相応しくなるために――頑張りたい。


「裏切られたのだと知った時はショックで、どうしていいのか分かりませんでした。虚勢と言い訳ばかりしていたと思います。……それ以上に怖いことを知ってしまった今は、ただ戸惑うばかりで。……でも、もしそれが本当なら、許してはいけないと思います。今までの関係がどうであれ、罪は、罪ですから」


「君はもう関わる必要はない。あとは私が処理する」


「……でも、もしものときは、私も。もしも何かが起こったときは、私へのお気づかいは無用です。私はもう、大丈夫です。本当に」


「しかし」


「もしかしたら……あの方たちは、罪を罪とも思わない残酷な方々なのかもしれません。そんな素振りも、まるでありませんでした。私は……人を信じられなくなりそうなことが、怖いのです。でも、ゼフィラス様がいてくださるから。だから、大丈夫だと思えるのです」


 何を大切にするべきかを、間違えないようにしなくては。

 

 残酷な事実がこの先に待ち受けていたとしても、私にはゼフィラス様がいて、優しい家族がいる。


 顔をあげて、見届けよう。きっと、もう大丈夫だ。


「ゼフィラス様。二度目の、二人きりでのお泊りというものですね。一度目は大変でしたから……せっかくなので、星空を見ながらお食事をしませんか? お風呂もとても大きいですよ。ゼフィラス様、お酒も頼みましょうか」


「あぁ、リーシャ。……無理に、連れてきてしまった気がするのだが」


「婚約者ですから、問題ありません」


 照れたように、けれど嬉しそうに微笑むゼフィラス様が好きだ。

 好きという気持ちが心にあるだけで、こんなにも――世界は輝いて見える。


 真実が明らかになったとしても、卒業式を終えればもうあの二人と会うこともない。

 私が出しゃばる必要はない。あとは、ゼフィラス様にお任せしよう。




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