疑惑
ゼフィラス様に手を引かれて辿り着いたのは、見慣れた大通りである。
ちょうど劇場から、貴族街にあるタウンハウスに戻るために必ず通る馬車道だ。
夕暮れの道を劇場に向かい、馬車がゆっくりと通りを進んでいく。
これから、観劇に向かう方々なのだろう。
家やお店の並ぶ通りの反対側には川が流れている。
川の横は遊歩道になっていて、真っ直ぐ歩いていると港に辿り着く。
夕暮れの光が川面に差し込んで、揺れる水面を輝かせている。
帰路につくために歩く人々の姿がちらほらとある。ゼフィラス様は私と手を繋いだまま、川にかかる橋の上で足を止めた。
「ファルケン夫妻が命を落としたのは、この大通り。時刻は夕暮れ、仕事を終えてメルアの待つ家に帰ろうとしていた時のことだ」
「はい」
足を止めたゼフィラス様が、事実を確認するように口にするので、私は頷いた。
「……リーシャ、正直、君に伝えることを迷っている。だが、黙っているのは違うような気がして」
「ゼフィラス様。……私、思い出したのです。先程の、金属でできた輪のこと」
「気づいたか」
「はい」
口にするのは、少し怖い。
それが真実かどうかもわからない。ただ、あの輪。金属で作られた精巧な紋章のようなものは――。
「月と、梟。……それはベルガモルト家の家紋です」
声が僅かに震えた。
見覚えがあるはずだ。クリストファーの家に両親に連れられて行ったときに、その紋章が壁に飾られていた。
これは何かと尋ねる私に、クリストファーは「月と梟。ベルガモルト家が三大公爵家である証だ。古の国王陛下より賜った、知性を表す紋章だよ」と得意気に教えてくれた。
「あぁ。……これはおそらく、馬車馬の綱を調節するために取り付ける金具。馬車馬が暴れて夫婦ははねられているから、その時に綱が切れて落ちたのだろうな」
「ゼフィラス様、それは、つまり……」
「劇場の名簿を確認した。同日、ベルガモルト家の名で貴賓室が借りられている。……君には、残酷な事実かもしれないが」
「どうして……」
クリストファーはシルキーさんと浮気をした。
それだけだと、思っていた。
私のことは好きではなくて、学園で知り合ったシルキーさんに心を奪われた。
それぐらい、よくあることなのかもしれないと今は思うことができる。
婚約が解消されてからの態度も――私はずっとクリストファーのことを誰にでも優しい人だと考えていたから、驚いてしまって、どう受け止めていいのか分からずに、感情も言葉も心の中にしまいこんでいた。
今思えばあれは、私を貶めるのを楽しんでいたのだろう。
それぐらい私が嫌いだったのだ。
クリストファーも、たぶん、シルキーさんも。
それだけなら理解できる。でも、どうして。馬車でご夫婦をひいたことに、気づかなかったはずがない。
その場で馬車をとめて助けるぐらい、できたはずだ。
そうしたら命が助かっていたかもしれない。助からなかったとしても――きちんとした手順で、メルアに謝罪をしていれば。
助ける努力を、していれば。
あぁでも――去年の秋からクリストファーやシルキーさんの態度に変わったところはなにもなかった。
罪を、罪とも思っていないのかもしれない。
「もうすぐ学園の卒業式があるだろう。私も、参加するつもりだ。リーシャの婚約者として。……式典のあとで、二人に事実を確かめる」
「……もし、彼らが罪人であれば、どうなりますか?」
「王国の法では、裁くことは難しい。貴族の罪は軽い。ベルガモルト公爵の判断になるだろうが……」
「そうなのですね」
サーガさんの言っていたとおり、馬車の事故は罪に問われないことのほうがほとんどだ。
貴族は特権階級で、多少のことには目をつぶられる。
よほどの罪を犯さない限りは。
「少しずつ、変えていきたいと思っている。……だが、今はまだ」
「ゼフィラス様……」
悔しい思いをしているのだろう。
私は、ゼフィラス様の手を握った。
私がかつて恋をしていた人は――人を、殺めても何とも思わない人だったのだろうか。
体が竦みそうになる。
けれど、ゼフィラス様の手に触れていると、安心することができる。
一人ではとても、受け止めきれない。耐えられなかった。
ゼフィラス様が一緒だから、取り乱さずにすんだ。
ゼフィラス様も同じだといい。やりきれない思いを、少しでも、私に分けて欲しい。
ゼフィラス様は私を引き寄せると、包み込むように抱きしめてくれる。
背の高くて逞しい体の背中に腕を回した。ローブ越しに触れる背中は硬くて、筋肉の隆起が感じられるものだ。
「……優しい人だと、思ってました。昔は大人しくて、私の後ろに隠れているような子で、守ってあげなきゃって思っていました。誰にでも親切で……私、何も見えてなかったんですね」
「リーシャ。……人の本質を見抜くことなど、できる人間は少ない。私も、メルアに金具を渡されるまでは、まさかと思っていたんだ。ただ名前が名簿に載っていただけで、偶然だろうと」
「……どう、受け止めていいのか分かりません」
「あぁ、そうだろうな。今は、何も考えなくていい」
悲しいとか、許せないとか、そんなはずはないとか、信じたいとか。
色んな感情が同時にわきあがってきて、頭も心もぐちゃぐちゃで、頭の奥がじんじんと痺れるみたいに痛む。
助けを求めるようにゼフィラス様の体に縋りつく。
胸に頬を押し付けると、腰と背中に回っていた手に強い力がこもった。
少し、痛いぐらいに。
「リーシャ。……君が好きだ。人のために、一生懸命になることができる君を、私は愛している」
「……ゼフィラス様」
「だが、自分自身のことも大切にして欲しい。苦しかったら泣いていい。辛かったら、辛いと言っていい。……私は君の傍にいる」
「……っ」
情けなく、泣きじゃくってしまいそうになる。
信じていたものが粉々に砕け散っていくみたいに。
「私……知らないことばかりでした。何も気づかなかった。本当に、気づかなかったんです。……私が嫌われていたことも、シルキーさんとの浮気も……もしかしたら、メルアのご両親を……それなのに、何も気づかずに、毎日を過ごしていました」
「人の心の中など、誰にも分らない」
「でも、きっと……とても鈍感なんです。鈍感で、臆病で」
「それは違う。君は、勇敢で、優しい」
「……裏切られたのに、人を殺めたかもしれないのに、それでも好きだった過去は、変わりません。近くにいたのに気づけなかった私も、同罪ではないかと」
「違うよ、リーシャ。……君はなにも悪くない。何も」
目を伏せると、涙がこぼれる。
自分の感情をうまく制御することができない。
「まだ、事実を確認したわけではないんだ。……妙な気を、起こさなければいいが。せめて、このまま穏便にすますことができれば」
「……はい」
追いつめられると、人は何をするか分からない。
サーガさんの言葉が思い出される。
メルアの叔父夫婦を追い出した時とは違う。ご夫婦は亡くなっていて、クリストファーが加害者だとしたら――その罪を認めて反省をしてくれるだろうか。
好きだった人なのに、今はもう何を考えているのか分からない。
「今日は、一緒にいようか、リーシャ。今の君を一人にしたくない」
「……ありがとうございます、でも、私は大丈夫です」
「私が大丈夫ではない。心配で、手放せない」
ゼス様として街で生活しているゼフィラス様は、宿にとまるのも慣れているのだろう。
劇場近くには、遠方から劇場に来る客のために宿泊施設が多い。
その中の一つの空いている部屋をとってくれた。
お兄様たちには出かけてくるとしか言っていないから、帰らないと心配されるのではないかと不安になる。
けれど私ももう大人で、ゼフィラス様と出かけることは伝えてあるから、帰らなくてもさほど気にされないかもしれない。
「リーシャ」
部屋に入って鍵をかけたゼフィラス様に、名前を呼ばれる。
所在なく部屋の真ん中に立っていた私を抱き上げると、ゼフィラス様は私をベッドに横たえて、やや強引に唇を合わせた。




