残されていた大切なもの
誰もいなくなったメルアの家は、メルアが相続できる年齢になるまでウェールス商会が預かるということになった。
メルアに見せられるような状態ではなかったので、サーガさんの指揮のもと清掃されて、人に貸すことができる程度の清潔さを取り戻した。
私とゼフィラス様は、メルアを連れてメルアの家に来ていた。
メルアにはサーガさんから「メルアが心配で、お父さんとお母さんの幽霊が出てきて、悪い叔父夫婦を追い出した」と説明してある。
メルアは「幽霊でもいいから会いたかった」と。そして「一度家に戻りたい。お姉さんと騎士様に一緒に来て欲しい」と言っていたそうだ。
頼られると嬉しい。お兄様の言葉を思い出す。
メルアとは短いつきあいだけれど――私とゼフィラス様を信頼して、頼ってくれるのだと思うと、嬉しかった。
「お母さんとお父さんの幽霊が出たんだって」
「幽霊とは、女神様の元にのぼるまえに、未練を感じて地上に留まる魂のことだな」
「そうなの? よくわからないけど、幽霊は、幽霊。お化けのこと」
メルアはにこにこしながら、ゼス様の姿をしたゼフィラス様に説明をした。
金目のものは売ってしまったのだろう。多額のお金を手に入れたのに、それでもメルアの叔父夫婦はお金が足りなかったみたいだ。
働かずにお酒ばかり飲んでいたら、お金なんてなくなる一方だから、メルアのお金はほとんど使い果たしてしまっていたようだった。
掃除をしたときにみつけた残りのお金は、本の少しだったらしい。
勤勉に働いていたご夫婦の残したお金と、サーガさんからの慰謝料。その全てがお酒や、恐らくは賭け事などに消えてしまったようだ。
「私に家に帰りたいか、お姉さんが聞きに来たすぐあとに、お父さんとお母さんの幽霊が、おじさんたちを追い出したんだって。お姉さんは、女神様なの?」
「あぁ。リーシャは俺の女神だ」
「騎士様。お姉さんが好きなの?」
「それはもう」
「あはは……お父さんもお母さんに、よく、好きだよって言ってた。好きなときは好きって伝えないと、こうかい? するんだって。お父さんもお母さんも、お仕事に行くときはいつも私に、好きだよって言ってくれた」
好きだと伝えて出かけて行ったご両親が、帰ってこなかった。
どれほど悲しかっただろう。メルアの苦しみを思うと、胸が痛む。
せめて――メルアの大切なものが、この家に残っているといいのだけれど。
メルアはリビングルームを見渡したあと、二階に向かう。
二階の角の部屋は、メルアの子供部屋だったようだ。
ピンク色と白が多く使われていて、子供用のベッドや勉強机、本棚などがおかれている。
「ミミちゃん!」
子供部屋に入ると、メルアはベッドに駆け寄った。
メルアの叔父夫婦は、子供部屋には用がなかったらしい。
もしくは――メルアを捨てた罪悪感を、少しは感じていたのだろうか。
ここには入らなかったか、入ることができなかったようだ。
他の部屋とは違い、綺麗なまま、手つかずの状態だった。
メルアが手にしたのは、ベッドの枕元に置いてある白いウサギのぬいぐるみだった。
メルアの両手にすっぽり入るほどに小さいぬいぐるみだ。
「ミミちゃん、いたよ! よかった!」
「それがあなたの宝物なのね、メルア。よかったわね」
「うん。この子は、お母さんがつくってくれたの。お母さん、おさいほう苦手なんだって。でも、頑張ってつくってくれて……お母さんの匂い、まだするみたい」
メルアは両手に抱いた小さなぬいぐるみを、口元にもってくる。
それから、小さなぬいぐるみを大切そうにポケットにしまって、枕を持ち上げて枕の下を確認する。
「本も、あった……」
枕の下には、分厚い本が一冊埋もれていた。
「……これ、お父さんとお母さんの書いた本。お父さんとお母さん、魔物研究者だったから、本を書いていて……これは、お姉さんにあげる」
「私に……?」
「うん。いっぱい助けてもらったから、お礼がしたいの。でも、何ももっていないから……」
「でも、メルア」
「私が持っているより、お姉さんが持っていたほうがいいと思うの。騎士様は魔物と戦うんでしょう? だから、お姉さんが魔物研究者になって、お父さんやお母さんみたいに、騎士様を助けてあげて」
私はメルアから、魔物研究書を受け取った。
これはご両親の形見だろうから貰うのは申し訳ないと恐縮する私に、メルアは「その本は、あと五冊ぐらいあるの。本棚にあるから、大丈夫」と言って微笑んだ。
私に本をくれたメルアは、肩からさげている鞄の中身をごそごそとあさった。
「鞄、シスターがくれたの。大切なものはいれて帰ってきなさいって。本とか、靴とかお洋服とかは、サーガさんが持ってきてくれるって言ってたから、入るものだけ」
「シスターに優しくしてもらっているのね」
「うん。あそこは、怖い場所だったけど、今はお姉さんと騎士様と、王子様のおかげで、皆優しくなったよ」
ゼフィラス様は「よかった」と呟いた。
騎士様も王子様もどちらもゼフィラス様なのだけれど、不思議な感じがする。
鞄からは、飴の包み紙や、綺麗な小石がでてくる。どれも、孤児院でみつけたメルアの宝物らしい。
それから、大き目の金属製の輪のようなものを、メルアは取り出した。
「騎士様には、これをあげる。これ、なんだかわからないんだけど、お父さんとお母さんが死んだ場所に、落ちてたんだって。親切な人が、孤児院に届けてくれたの。優しいシスターが、怖いシスターにみつからないように、隠していなさいって言って、ずっと、隠していて」
「……これは」
ゼフィラス様は金属製の輪を手にすると、仮面をしている顔の前に掲げて観察をした。
不思議な形をしている。どこかで見たことがあるような気もする。
――どこだったかしら。
「ありがとう、メルア。貰っていいのか」
「うん。私には、ミミちゃんがいるもの。それに、本棚の本も、無事だったから。それは、いらない。みたことがないものだし……何に使うかわからないけど、高価そうだから、騎士様にあげる」
ゼフィラス様はそれ以上その金属については触れずに「ありがとう」と言って、ローブの内側にそれをしまった。
もう少し見たい気がしたけれど、今はやめておこう。
見たことがない形なのに、見覚えがある気がするのは何故だろう。
その金属は、何かをかたどっている気がする。金属の輪の中にあるのは――何かの、紋章のように見えた。
「今日は、一緒に来てくれてありがとうございました。大切なもの、残っていてよかった。ありがとう、お姉さん、騎士様!」
メルアは礼儀正しくお礼をしてくれた。
私は遠慮がちにメルアの前に膝をついて、その体を抱きしめる。
「……あなたにとって孤児院が、優しい場所になってよかった」
「うん。もう逃げたりしないよ。ありがとう、お姉さん」
「孤児院まで送ろう。メルア、大切なものが戻ってきて、よかったな」
「ありがとう、騎士様。騎士様もお姉さんと結婚できるといいね」
「あ、あぁ……そうだな。頑張る」
「うん、頑張ってね」
メルアの中では、ゼフィラス様が私に片思いをしていることになっているみたいだ。
私はメルアの体をそっと離すと、秘密を打ち明けるようにその耳元で囁いた。
「私も、騎士様のことが好きなのよ、メルア」
「ふふ……そうなの? よかった。騎士様、聞こえた?」
「あぁ。聞こえた。……嬉しい」
「よかったね、騎士様。お姉さんも。好きな人が好きになってくれる確率は、流れ星をみつけるよりも少ないんだって。お父さんが言ってた。だから、お母さんと結婚できたのは、奇跡みたいにすごいことなんだって」
メルアは、まるで自分のことのようによろこんでくれる。
流れ星をみつけるよりも少ない、奇跡。
ゼフィラス様と出会えたことは――私にとって、本当に奇跡なのかもしれない。
私も、頑張らないと。
過去のことは忘れて、ゼフィラス様とのことをきちんと考えて、前を向いていかなくては。
メルアを孤児院に送り届けると、もう夕方になっていた。
「リーシャ、君に話がある」
アールグレイス家の方向とは別の方向に歩きながら、ゼフィラス様が低い声で言った。