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お兄様とリーシャと


 メルアの叔父夫婦のいなくなった家の中。

 サーガ商会の商品であるパーティ用のびっくりメイクでゴーストに変装していた私とお兄様は、顔を見合わせると、どちらからともなく笑いはじめた。


 緊張の糸が切れてしまった。


 まさか、こんなにうまくいくとは思っていなかった。


 昼間、ゼフィラス様――ゼス様とサーガさんに、ゴーストについての脅しを、過剰にならない程度にかけてもらって。


 ファルケン夫妻に背格好が似ている私とお兄様が、ウェールス商会で変装用の鬘と化粧と衣装を着て、屋敷に忍び込む。

 家の中からは酷い酒の匂いがしたとサーガさんとゼフィラス様が言っていたとおり、夕方近くになると叔父夫婦は驚くほどの量のお酒を飲み始めたから、忍び込むのは割と簡単だった。


 メルアに何かあったときのためにと、ご夫婦は魔物研究所に家の裏口の鍵を預けていた。

 それをサーガさんの部下の方が思いだして、持ってきてくれたのである。

 

 それから――ファルケン夫妻のふりをして、メルアの叔父夫婦を脅した。


 夜にゴーストが現れることで、怯えて家を手放してくれたら大成功。

 もし、偽物だとばれそうになったら、ゼス様がゴーストの気配がしたと――押し入ってくれる手はずになっていた。


 そのうち心が折れて、家を売りに出すかもしれない。

 サーガさんに家を引き取って欲しいと言いにくるかもしれない。


 いくつかの予想をしていたけれど、酷く怯えて二人は逃げ出した。

 

「ふふ、あはは……っ、うまくいったね、リーシャ。ゴーストの演技なんてはじめてしたけれど、なかなかどうして、演技の才能があるのではないかな」


「ええ、お兄様。私も隣で見ていて、怖いぐらいでした」


「リーシャもなかなかすごかったよ。ウェールス商会特性の、血糊のおかげだね。こんなものも作っているんだね、こういった遊び心は私には思いつかないから、商才があるのだろうね、サーガ殿には」


 事情を説明してお願いすると、お兄様は二つ返事で了承してくれた。

 笑いを堪えながらお兄様は言って、涙の滲んだ瞳を擦る。


「ふふ、ああ、笑ってはいけないけれど……相手が相手だ。これはいい気味だと、思っていいのかな」


「こんなにうまくいくなんて……」


 私は床に転がる酒瓶をハンカチで包むようにしながら、拾い集めて木箱にしまった。

 もともとは綺麗な家だっただろうに、今は荒れ放題で、無残な状態だ。


 こんなにお酒を飲めるのものか、散らかせるものなのかと、少し呆れる。

 それと同時に、いつも家を綺麗にしてくれる使用人の方々のありがたさを、あらためて思い知った。


 落ちている酒瓶を手で掴みたくなかった。あとで、このハンカチは捨ててしまおう。


「リーシャ、声をかけてくれてありがとう。……エリーゼを失ってから、こんなに笑ったのは久々だよ」


「お兄様……」


 お兄様は汚れたリビングルームで座る場所をきょろきょろと探して、ダイニングチェアを引っ張ってきて座った。

 気が抜けたようにだらりと座って、鬘を外す。

 真っ白にお化粧の塗られたお兄様は別人のようだ。

 

 お兄様はいつも笑顔を浮かべているけれど、そのほとんどが仕事用の作り笑顔だ。

 今のお兄様は――それをやめているみたいに見えた。

 

 エリーゼお義姉様――奥様を失ってから、お兄様は私やアシュレイ君の前では泣き言を言わずに、悲しい顔もみせなかったけれど、きっととても寂しかったし悲しかっただろう。

 お義姉様はまだ若く、優しくて本当に素敵な人だった。


 お兄様からエリーゼお義姉様の話がでることは滅多になかった。

 それだけに、今その名前を聞くと、鼻の奥がつんと痛む。


「リーシャも……真面目なリーシャがこんなことをするなんて。でも、いい顔だ。……アシュレイのこと、リーシャにはずっと負担をかけていただろう。だから、ずっと心配をしていたんだ」


「負担、ですか?」


 負担なんて思ったことは、一度もない。


「アシュレイを励ますために、リーシャはいつも明るく振る舞ってくれただろう。誰にでも手を差し伸べて、危険を顧みずに先に体が動くのは、きっと……あの子の手本となるように、生きていてくれたからだと、私は思っている」


「い、いえ、そんなことは」


「でも、私は安心したよ。リーシャは私に助力を求めてくれた。ゼフィラス様とサーガ殿にも。今までのリーシャなら、一人でどうにかしようとしていただろう。……頼られるというのはね、嬉しいものだよ」


「ありがとうございます、お兄様。……ゼフィラス様は、とても頼りになる方です。サーガさんも。私一人ができることは、本当に少ないのだなって、最近よく思います」


「ゼフィラス様は、リーシャに頼られたら、私以上に嬉しいだろうね」


 お兄様はそう言うと、もう一度明るく笑った。

 私は瓶を拾い終えて、多少は足の踏み場ができたリビングルームを見渡した。


「瓶を片付けるゴーストなら、是非家にいてほしいものだ」


「あ! あまりにも散らかっているものですから、つい。メルアの大切なものが、汚されてしまった気がして」


「気持ちはわかるよ」


「でも、お兄様……大丈夫でしょうか。逃げたのではなく、誰かに助けを求めに行ったのだとしたら」


「どうかな。サーガ殿が調べたところによれば、あの夫婦は急に羽振りがよくなってから、人付き合いをやめている。金のあるところには、ろくでもない連中が集まるからね。掃除人を雇わない程度には吝嗇だったようだから、人に酒をおごることも嫌がったのかもね」


「助けてくれる人は、いませんか」


「いないだろう。ゼスには、ゴーストは倒せないと昼間言われたばかりだ。だからきっと」


「あぁ。心配ないと思うぜ。今、見張りをさせていた部下たちから報告があった。夫婦は、王都の門から逃げたそうだ。ファルケン夫妻は慕われていたからな、皆、溜飲がさがったようだ。あの様子では、もう王都には戻ってこないだろうが」


 お兄様と話していると、サーガさんとゼス様が部屋に入ってくる。

 サーガさんは部屋の様子を見て「こりゃ、ひでぇな」と呟いた。

 酒瓶は片付けたけれど、ごみは散らかっているし、匂いも酷い。


「しばらくは、戻ってこないか見張る必要があるな」


 ゼフィラス様が落ち着いた声音で言う。


「あぁ。それは任せてくれ。こうなったのは、迂闊だった俺のせいだ。……リーシャ、ゼフィラス様、ルーベルト殿。助力を、感謝する」


 サーガさんが改まった様子で、頭をさげた。


 大きな商会で、一人一人の部下やその家族にまで気を配ることは難しい。

 サーガさんは十分立派だ。


「それにしても、リーシャ。凄い顔だな。美人がゴーストの化粧をすると、迫力が違うな」


「リーシャ。その姿の君も、愛らしいと思うぞ、私は」


 げらげら笑うサーガさんの言葉に被せて、ゼフィラス様が身を乗り出すようにして言う。

 それから、私の頬に流れる血糊を、服の袖でごしごし擦ってくれる。


「ゼフィラス様、お洋服が汚れてしまいます」


「大丈夫だ、服ぐらい」


「でも。あっ、私がさしあげたハンカチがありますか? 私、自分のハンカチを酒瓶を拾うために使ってしまって」


「あれは、私の宝物だから、使えない」


「ハンカチなのに?」


「あぁ。大鷲の刺繍がしてある。いつも、持ち歩いている」


 ゼフィラス様はハンカチを大切そうに私に見せた。サーガさんとお兄様が「大鷲?」「大鷲……」と言いながら、ハンカチを覗き込む。

 それから、二人一斉に笑い出した。


「あまり上手じゃないんです。笑わないでください……」


「いや、なかなか味があっていいな。リーシャ、このデザインで商品をつくらないか? 売れるぞ」


「商品といえば、ここまで化粧で迫力が出るものなのだね。この様子なら、幽霊屋敷――なんて、廃墟を改装してはじめてみると、儲かるのではないかな。幽霊屋敷。いや、幽霊ホテルがいいかな。従業員にゴーストの格好を」


「おぉ、それはいいな、ルーベルト殿」


 二人の商人たちが商売の話をしはじめて、私とゼフィラス様はそっと目配せをすると、困ったように笑い合った。


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