レールメンの楽隊
◇
男の兄は優秀だった。
幼い頃に父が魔物に殺されたことをきっかけに、魔物の研究に没頭して、そのまま魔物研究者になった。
それに比べて男は、貧しい食事にぼろぼろの服を母の稼ぎが少ないせいだと、母を罵倒した。
母の稼いだ金を奪って酒場に繰り出し、酒場で出会った女の家に転がり込む形で結婚をした。
仕事についても一週間を待たずにやめてしまい、自分がこんなに不幸なのは、父が魔物に殺されたせいだと、大人になった今でも思い続けていた。
世の中に勝ち負けがあるとしたら、自分は父を亡くした時点で負けている。
そして、自分が持つべき優秀さを、兄が全部奪っていった。
自分はできそこないの両親の、なけなしの優秀さを兄に全て奪われた、でがらしのようなものだ。
できる仕事といえば、船の積み荷のあげおろしやら、街道の修復やらと、力仕事ばかり。
一日終わればくたくたで、どうして自分ばかりがこんなに大変な思いをしなくてはいけないのだと文句ばかり言っていた。
態度が悪いと叱られ、もっと頑張れと叱咤される。
十分頑張っている。
これ以上何を頑張れというのか。
金がないのは国が悪い。金がないのは、他人が悪い。誰かが俺から幸福を搾取しているのだ。
仕事をやめると飲み屋に行って、そんなことを言いながら、ろくでもない連中とくだをまいた。
人から金を奪うのが一番手っ取り早いことに気づいてからは、ろくでなしどもとつるんでは、金を持ってそうな人間に金をせびって、時には脅して、金を手に入れた。
兄は大きな商会で働き、立派な家に住んでいることも知っている。
時折金を無心に行くと、理由も聞かずにまとまった金額を渡してくれることも、男の劣等感を煽り続けていた。
けれど、呆気のないもので、兄は去年死んだ。
妻と共に、馬車にひかれたらしい。
凶報を受けて、男は笑いが止まらなかった。
はじめて運が向いてきたのだ。産まれたときから兄に奪われていたものが、自分の手に戻ってきたのだ。
ウェールス商会からの多額の慰謝料を受け取った男は、兄の家に一人残っていた幼い姪を、孤児院へと押し込んだ。
どこの孤児院でもよかった。たまたま目についた場所に「両親が死んだから引き取ってくれ」と言って、姪を置いてきた。
兄の家と、残されていた財産と、多額の慰謝料が自分の物になった。
酒場で知り合いそのまま連れ添っている女と共に兄の家に移りすんで、朝も夜も酒を飲むような生活を続けていた。
働かなくても暮らせるような金が手元にあるのだ。
時折、孤児院のシスターが尋ねてきて、姪の服や靴をよこせとうるさく言ってきた。
あまりうるさく言うなら、ろくでなしども頼んで子供を攫い、売ってやると言って脅した。
シスターも可愛い顔をしていた。無理矢理自分のものにしてもいい。
家があり、金がある。
それだけで、男の自尊心は満たされて、なんでもできるような万能感に支配されていた。
元々は掃除が行き届いていて綺麗だったリビングルームのテーブルには、酒の空き瓶が転がっている。
瓶はテーブルだけではなく床にも転がり、男の妻がそれを文句を言いながら一つ所に集めている。
掃除をすることはない。そのうち人を雇って掃除をさせればいいと思っている。
だがそれはまだしない。他人に渡す金が勿体ないのだ。
それに、酒を買いに行く時ぐらいしか外に出ない。
男の妻もまた、昼間から酒を飲み、いつが朝か、夜かも分からないような暮らしをしている。
玄関の扉が叩かれる音がする。妻に見に行けと言ったが「嫌だよ、あんたが行って」と拒否されたので、男はしぶしぶ起き上がると玄関に向かった。
扉を開くと、そこには見慣れない男が二人立っていた。
一人は見るからにあやしい、仮面をつけた大男である。
その姿は噂に聞いたことがある。黒騎士ゼスと呼ばれている、この国の英雄である。
もう一人は、まるで海賊のような厳つい見た目をしている青年である。
だがその服は高級品で、品があるものだ。
「まぁ! まぁ、まぁ、ゼス様……! どうしてこんなところへ!?」
髪と服を整えながら、妻が媚びた声をあげながらいそいそと男の隣にやってくる。
男を押しのけるようにして、もういい年だろうに、酒場で働いていた時のようにしなを作って笑いかけた。
「突然、すまない。俺は冒険者ギルドからやってきた、ゼスという。そしてこちらが」
「サーガといいます。こちらにすんでいた、ファルケン夫妻の雇い主です」
男は酒のせいで働かない頭でぼんやりと、どうして今更ウェールス商会の男が現れたのだと不審に思う。
確かに男はウェール商会から金を受け取った。それは姪を育てるための金だ。
だが、実際には姪は孤児院に入れて、金は自分の懐へ。
貰ったものなのだから、どうしようが自由だろうと思う。
「最近王都で、ゴーストプランツ……死者の無念を形にして、人を襲う魔物が現れている。被害届が数件、冒険者ギルドに届き、調査中なんだが……この家に、何か異変はないだろうか?」
「異変ですか?」
「あぁ。夜な夜な人の声がしたり、白くてぼんやりした人のようなものを見たり……ゴーストプランツのつくったゴーストは、まずはじめに無念の元凶を襲うのだ」
ゼスは一体何を言っているのかと、男は訝しく思い、同時に面倒になる。
魔物など、王都では一度も見たことがない。
男の父は魔物に襲われて死んだが、それは男の父が魔物を討伐する傭兵をしていたせいだ。大して強くもなかった癖に、金のために命を危険にさらしたのだ。
魔物退治など、目の前の――たいそう強いらしい仮面の男に、任せておけばいいものを。
「知りませんね。何故、わざわざ我が家にそれを?」
「まぁ、怖いですわ! ゼス様が助けてくださいますの?」
妻はすっかり、ゼスに夢中になっている。
こんな素顔の見えない男のどこがいいのかと、舌打ちをしたくなる。
「……それがですね、お二方。申し訳ないことに、ゴーストプランツという魔物を王都に持ち込んだのがウェールス商会なのです。魔物研究所を所有していまして、ゴーストプランツもそこで研究をしていました。もしかしたら、ファルケン夫妻がそれを持ち出したのではないかと思い、確認をしに来たのです」
「兄は犯罪者ということですか?」
「そんなことはありません。立派な研究者でしたから、生前ならば家に持ち帰ってもきちんと管理ができていたでしょう。しかし、もう亡くなっている」
「ゴーストプランツのつくりだしたゴーストは、恨みを晴らすと消えると言われている。あなた方が……亡くなられたファルケン夫妻に恨まれているということはないだろうが」
「ええ。お二人は、メルアを引き取って育ててくれていますね。そのために、俺は部下に頼んで、メルアを育てるために十分な金額をあなたがたに渡しました。だから、恨まれるということはないと思いますが」
男は内心、背筋を震わせていた。
恨まれて――いるだろう。男は、金を奪い家を奪い、姪を追い出したのだ。
妻も、状況を理解したのだろう。媚びるような笑みが、引きつったものに変わっていた。
内心の動揺を悟られないように、男は口を開く。
「仮にもし、その魔物が家に保管されていたとして、兄が死んだのは去年です。今まで何もなかったのに……」
「もしかしたら、保管容器が破損したなどしたのかもしれません。ゴーストプランツなどの植物系の魔物は、分裂して繁殖しますから、家の外に漏れ出して、王都に被害が出始めている可能性もあります」
「サーガの魔物研究所で働いている職員の家を訪ねてまわっている。あなた方だけを疑っているわけではないのだ。なにもなければそれでいい。ただし、何かあるのなら、すぐに家をでた方がいい」
「ゼス様は、その、魔物を、倒してくださるのですか?」
「残念だが、ゴーストは剣で切ることができない。無念を晴らせば消えてしまうのだから、それを待つか……どこか遠くに逃げるしかない。俺はゴーストプランツを回収しているが、すでにゴーストを作ってしまった場合は、対処のしようがないのだ。もしこの家にそれがいるとしたら、ゴーストは……あなた方に恨みを持っている場合、だが、あなた方を襲い続けるだろう。死ぬまでな」
「あの夫妻の無念が形をなしたのだとしたら、メルアを襲うことはないと思いますが。そうだ、メルアは元気ですか? 会えますか?」
「い、いや、今は昼寝をしているから」
「そうですか、残念です。家の中にゴーストプランツがあるか、調べさせてもらってもいいですか?」
男は妻と顔を見合わせた。
どちらともなく、首を振る。
今、家の中に入られるわけにはいかない。酒瓶が転がり、金目のものは売り払った。
とても、子供が住んでいるようには見えないだろう。姪がいないことが知られたら、サーガに金を返せと言われるかもしれない。
「そんなもの、我が家にはありませんよ。メルアが起きてしまうから、そろそろお引き取りを」
男が愛想笑いを浮かべながら言うと、意外なことにゼスとサーガはあっさりと「では」「失礼します」と帰って行った。
扉を閉める前に、ゼスが思いだしたように口を開く。
「もしあなた方が恨まれているとしたら、本当に危険だ。どこか遠くに逃げたほうがいい。ゴーストは執念深い。この家に、いや、王都にいれば、あなたがたは必ず殺される。俺は、忠告はした。あとは、あなた方次第だ」
「……しつこいですね、なんだか。兄が俺を恨むわけがないじゃないですか」
ばたんと扉を閉める。
強がってはみたものの、男の頭の中にはゼスの言葉がいつまでもこびり付いていた。
ゼスとサーガの訪問があった夜、男と妻は浴びるほどに酒を飲んでいた。
恐怖を紛らわすためである。
好き勝手暮らしてきた、今は自分のものになった兄の家が、今日はなんだかやけによそよそしく感じられた。
いつもよりも多くのランプで部屋を照らしてはいるが、部屋の四隅にたまる闇がいまにも襲いかかってくるような気がして恐ろしい。
兄はお人好しだった。金をくれと言えば、すぐにくれるような男だ。
だから恨んで出てきたりはしないだろう。
いや、本当にそうだろうか。
兄は言っていなかったか。
『お前に金を渡すのは、もし私たちになにかがおこったときに、メルアを頼めるのはお前しかいないからだよ』
と。男はそれにへらへら笑いながら「可愛い姪っ子のことは、俺に任せておけ」と言っていた。
心の中では、面倒なんて見るわけがないだろうが、馬鹿がと、悪態をつきながら。
「ねぇ、あんた。……気のせいからしら。人の声が、聞こえた気がするのだけど」
「妙なことを言うな。そんなわけがねぇだろ。飲み過ぎなんだよ」
「そうね……でも、あんたは、メルアを捨てたじゃない」
「お前も、子供の面倒なんて見れないって言っただろ」
「他人の子だもの。面倒なんて見れないわよ」
「……今さら、恨んで出てくるわけがねぇだろ。そんなわけが……」
強い風に、ギシギシと窓が軋む。それとは違う足音が、ギイギイとどこから聞こえてくるような気がする。
ただの風の音だ。気のせいだ。
気のせいだろう――。
ぬるりと、部屋に影がのびる。
男のものでも、妻のものでもない。人の影だ。
視線を向けると、部屋の入り口に二人の人が立っている。
馬車にひかれたように、その服はぼろぼろに破けていた。
長い髪が、顔を隠している。それは確かに、兄と義姉の髪と同じ色をしている。
破れた服の隙間から、青白い肌がのぞいている。
生者のものではない。肌には、青い血管が肌を覆い尽くすように浮かび、髪に隠されてはいるが、その顔は真っ青だった。
『よくも、メルアから、奪ったな……』
低くしゃがれた声が、部屋に響く。言葉と共に、真っ青な男の口から赤いものがぼたぼたとこぼれて、床を汚した。
『返して、返して……』
女の泣き声のようなか細い声と共に、髪の狭間からのぞく瞳から血の涙が流れる。
「うわぁ……っ」
「嫌ぁああっ」
一歩、一歩。奇妙に体を揺らしながら、二人が――兄と義姉のゴーストが、二人に近づいてくる。
先に逃げ出したのは男だった。
這いずるようにして走り、ゴーストの横をすり抜けて、玄関まで一目散に走る。
そのあとを、男の妻が泣き叫び、置いていくなと怒りながら、必死についてくる。
玄関から出て、無我夢中で走った。
金もない。何もない。
ただ、命だけはあった。死にたくない。死にたくない。
父のように、魔物に殺されるなど絶対に嫌だ。
ぼろぼろ涙がこぼれた。
男ははじめて、謝った。悪かった、ごめんなさい。ごめんなさい。
謝りながら王都の端まで走る。息が切れて、足が縺れて、幾度か転んだ。
男の妻も同じような、悲惨な姿だった。
それでも、生きている。ここから逃げなければ。そうしないと、どこまでも兄は追ってくる。
男と妻は王都の門から命からがら逃げ出した。
そしてもう二度と、王都に足を踏み入れることはなかった。