奪われたものを取り戻すために
翌日、ゼフィラス様と共にサーガさんの元へと向かった。
ウェールス商会の応接間。
ミルクティーとアップルパイでもてなしてくれたサーガさんは、持ってきた紙束を私たちの前に開いた。
「昨日の話を聞いて、もう一度確認してみたんだ。夫婦が事故にあったのは去年の秋。確か、王立劇場で人気の劇がやっていて、夕方は人通りが多かった。部下たちも見に行ったとよく話していて、だから覚えてる」
「妖精姫エスメラルダの恋ですね」
「リーシャも見に行ったのか?」
「はい。一人で」
「……そうか」
長い足を組んで話を聞いているゼフィラス様は、どこか安堵したように頷いた。
それは妖精の姫エスメラルダが人間の王子と恋に落ちるという内容の話で、一人で見に行くような内容ではない。
少し恥ずかしくなってしまって「どうしても見たかったのです……」と、言い訳のように小さく呟いた。
「日時は、ここに書いてある。去年のことだからな。もう調べても、何もでてこないかもしれないが」
「貴族の乗った馬車はどこに向かっていたのだろうな。時刻は夕方。領地に帰るために、夕方から馬車を走らせるものはいない。王都に来たものか、それとも……食事か何かをするために、街に向かったか」
「……妖精姫エスメラルダの恋は、昼過ぎから開演で、夕方には終わります。ちょうど、帰りの時刻と重なりますね」
記憶を辿って、私は言った。
演劇は夕方からはじまることが多いのだけれど、その演目は昼過ぎにはじまる。
明るい日差しが似合う、可愛くて楽しい恋愛の話だからだ。
恋人同士で見に来ている方が多かったように思う。
「リーシャ、私は劇場に行ったことがないのだが、劇場とは客の名前などは把握するのだろうか」
「劇場に入るときにチケットの確認はしますけれど、名前までは確認されません。ただ……」
「ただ?」
「貴賓室を使用する貴族だとしたら、名簿に残ります」
「そうか。……調べる価値はあるかもしれないな」
ゼフィラス様が言うと、サーガさんが訝しげに眉を寄せた。
「調べるのか、ゼス。調べてどうするんだ、その貴族を捕まえるのか?」
「このままにはしておけない。もしその貴族が私の近くにいるとしたら、私は腐敗を放置しているということになる。人を殺めて平気な顔で暮らしている者は、同じことを繰り返す可能性がある」
「そうか。……頼もしいな。俺は部下に命じて金を渡しただけだ。その金も、メルアの為に使われているって信じてた。少し調べりゃ分かることだったのにな。情けねぇ」
サーガさんが落ち込んだように肩を落とした。
それからゼフィラス様と私の顔を交互に見ると、口を開く。
「せめて、メルアの財産を取り戻してやりたい。二人とも、手伝ってはくれねぇか」
「あぁ、もちろんだ」
「私にできることがあるのなら、なんでもします」
「……なんとなくだが、似てるな、二人は。この国の王太子殿下と、伯爵家のご令嬢だってのに、庶民のことを気にかけてくれる。この国には、いけすかない貴族ばかりじゃねぇって、あんたたちを見てると思うことができる」
サーガさんは笑みを浮かべた。
それから「柄にもねぇ感傷的なことを言っちまったな」と、照れ隠しのように自分の分のアップルパイを口に放りこんだ。
「サーガさん、まずはメルアに話をききにいきませんか? メルアの気持ちを聞かずに勝手に動くのは、よくない気がして……」
以前私は、孤児たちをまともに扱っていない孤児院のシスターたちに腹を立てたことがある。
その時にお兄様に諭されたのだ。
全ての不幸な子供を養うことなどできないだろうと。
実際、私がメルアを引き取って育てられるわけじゃない。
家を取り返したからといって、メルアが喜んでくれるかもわからない。
そこに一人きりでメルアが住めるわけではない。
孤児院にいるほうが、メルアにとっては幸せかもしれない。
叔父夫婦とメルアの関係も分からないのだ。
私たちは、知り合ったばかりの他人なのだから。
「あぁ、そうだな。リーシャ、頼みたいがいいか。俺はこの顔だ、怖がられちまってな」
「私も同じだ。リーシャならば、きっと話をしてくれるだろう」
私は頷く。
ゼフィラス様が劇場の名簿を確認しに行く間、私は、サーガさんと共に孤児院へと向かいメルアと話すことにした。
以前孤児院を訪れたときには、荒れ放題の庭や汚れた子供たちの服や、どこか元気のない子供たちの姿が気になった。
けれど、その次にベルガモルト家からの慰謝料を渡しに行った時は、子供たちの顔にはいきいきとした生気に満ちていた。
そして、あれからしばらく。
庭は綺麗に整備されて、破れていた服は新しいものへと取り替えられている。
体はまだ細いけれど、血色はよくなっているようだった。
「お姉さん! 今日は、騎士様は……サーガさん?」
シスターたちに頼んでメルアを呼んで貰うと、庭で他の子供たちと遊んでいたメルアが孤児院の入り口にいる私たちの元へ駆け寄ってくる。
サーガさんにお辞儀をしたメルアの頭を、サーガさんは撫でた。
「今まで、顔も見に来なくて悪かったな、メルア。お前の両親にはよく働いてもらったってのに、俺は金を渡したきりで、お前に会いに来ようともしなかった。ごめんな」
「大丈夫です。……お父さんとお母さんが、お世話になりました。お父さんとお母さん、サーガさんにはよくして貰っているって、話していました」
「メルア、お前の叔父夫婦のことなんだが」
「おじさんと、おばさん……?」
サーガさんが口にすると、メルアは青ざめてシスターの後ろに隠れるようにする。
シスターは困ったように微笑んだ。
「申し訳ありません。リーシャ様もご存じの通り、この孤児院はまともな運営状況ではありませんでした。メルアは何度か逃げ出して……無理もないことなのですが、そのたびに私たちが探して、連れ戻していました。この子の叔父夫婦がこの子の面倒を見る気がないことを、私たちは知っていましたから」
「……おじさんとおばさんの所に行けば、ご飯がもらえるかもしれないって思ったの。でも、もう帰りたくない。ごめんなさい、サーガさん。帰りたくない、ここにいたい。連れ戻さないで」
私はしゃがむと、メルアと視線を合わせる。
「大丈夫よ、メルア。連れ戻したりしないわ。……少しだけ、聞かせて欲しいのだけれど」
「うん」
「あなたのおじさんとおばさんは、今、あなたの家に住んでいるのよね?」
「うん。……今日からここは、自分たちの家になったって。私は、ここに連れてこられて……」
「あなたのご両親の家は、あなたのものよ。おじさんとおばさんは、間違っている」
「……でも、そうなんだって。私の、大好きなうさぎさんも、持って来れなかった。お母さんから貰った本も。何も、持ってこれなくて……」
悲しい記憶を思いだしてしまったのだろう、メルアの瞳に涙がにじんだ。
「お父さんもお母さんもいないから、お家はいらない。でも……うさぎさんや、本、捨てられちゃったのかな。……お母さんに買ってもらったのに」
「私たちも、せめてメルアの服や靴を届けて欲しいと何度かお願いしたのですけれど。……あのご夫婦は、聞く耳を持っていなくて。あまりしつこいと、人を雇って痛い目をみせると。孤児院の子供たちに何かあったら困るだろうと脅されて、何もできませんでした」
「……そうなのですね」
「そりゃ、穏やかじゃねぇな。メルアの両親は、真面目で働き者だったと記憶してるが、血が繋がってても性格ってのは全く違うもんだな」
サーガさんが腕を組んで、不愉快そうに言った。
「お姉さん、皆に何かあったら嫌なの。だから……私は何もいらない。皆優しくしてくれるから、もういいの。大丈夫」
「メルア……でももし、家からあなたのものを奪った人たちを追い出せるとしたら、そうしたい?」
「レーンメンの楽隊みたいに?」
「ええ、そうよ」
「なんだそりゃ」
「童話の一つですね。ロバやにわとりや、猫なんかが、盗人に支配されていた家から盗人を追い出す話なんです」
「へぇ。どうやって?」
「夜に、太鼓をならして、鳴声をあげて、大騒ぎして……化け物がきたと思わせるのです」
お話しを思い出しながら私が説明すると、サーガさんが「人を追い出してくれる化け物か。そんなものが本当にいたら話が早いんだがな」と、苦笑交じりに言った。
「仮面のヒーローなら……おじさんたちを追い出してくれるかな。怖いことが、もう起らないかな……」
「ゼス様ね。……ええ。そうね。きっと、そう」
「私、本当は……もう一度家に、帰りたい。大切なものが、たくさんあったから」
私はメルアの手を握ると、「教えてくれてありがとう」と微笑んだ。