アールグレイス家での挨拶
お兄様とアシュレイ君は、ゼフィラス様を快く歓迎してくれた。
王太子殿下を歓迎しないなんて、あってはならないことだけれど。
それでも二人が心から私の幸せを願ってくれていることがわかって、嬉しかった。
お兄様はゼフィラス様がゼス様だということを知っていたらしい。
ゼフィラス様が過去、お兄様に私との婚約の打診をしたときに、お兄様には伝えたのだという。
お兄様は商売人らしく口が堅いから、ずっと心のうちに秘めていたようだけれど。
これでゼフィラス様のことをゼス様だと知っていたのは、私の周囲ではミランダ様とサーガさん、お兄様の三人。
そういえばミランダ様やお兄様にゼス様のことを話したとき、反応が妙だったことを思い出した。
知らないのは私だけ。でも、拗ねる気持ちにはならなかった。
「ゼフィラス様。妹のこと、どうぞよろしくお願いします。残念ながら私にもこの子にも人を見る目がなかったようですが、ゼフィラス様のことは信用していますので」
「あぁ、もちろんだ。不実なことはしない。約束する。ルーベルト、リーシャと結婚をしたら、君は私の兄になる。かしこまって話す必要はない」
「では、その暁には弟扱いさせていただきます。ところでゼフィラス様」
「なんだろうか」
「実は、息子が黒騎士ゼスのファンなんです。息子は……昨年母を亡くして。リーシャがいてくれたことも大きいですが、黒騎士ゼスの武勇伝を聞いて、自分も強くならなくてはと思ったようで……黒騎士ゼスは、息子の心の支えなのです。ですので、もしよければ……」
「私がリーシャと結婚をしたら、私たちは家族になる。家族に秘密を作ったりはしない。リーシャには私の恥も全て、聞いてもらったしな。私がゼスであることは、アシュレイに伝えて構わない。そうだな……今度、レプリカではない仮面を届けさせよう。体のサイズに合うローブも」
「ありがとうございます、ゼフィラス様。アシュレイもきっと喜びます」
アシュレイ君は先に眠ってしまって、お兄様とゼフィラス様は長い間お酒を飲んでいた。
私がまた海に飛び込んだ話や、孤児院でのこと。それから、サーガさんのこと。
サーガさんのホテルの内装などをお兄様は聞きたがって、ゼフィラス様は嫌がらずに答えていた。
「そろそろ眠いか、リーシャ。部屋まで送ろう」
「大丈夫です、ゼフィラス様。自分の家ですので、自分の部屋まで自分で……あっ」
少し疲れて、うとうとしている私にゼフィラス様が声をかけてくれる。
ソファに深く身を沈めて眠りそうになっていた私は、いつものように答えてしまって、慌てて口をつぐんだ。
「リーシャ?」
「……私、また一人で大丈夫って、言ってしまいました。こういうところが、嫌な女なのに」
「どうしてそう思うんだ?」
「それは、その……」
「あぁ。……リーシャ。私はそうは思わないよ。ただ、今日ぐらいは送らせてもらってもいいだろうか」
「リーシャ。男というのはね、好きな女性の部屋を見てみたいと思うものなんだ。察してあげなさい」
「いや、そういうわけでは……」
「私はそうだったけれど」
「それはお兄様が無類のインテリア好きだからなのではないかなと思います。ゼフィラス様、その……き、今日は疲れましたので、送っていただいてもいいでしょうか……」
甘えるのには慣れていなくて、声がうわずってしまう。
ゼフィラス様は微笑むと、私を抱き上げてくださった。
お兄様の前なのに、恥ずかしい。お兄様は気にした様子もなく、微笑ましそうにしているけれど。
「ゼフィラス様。妹を送ったらもう少し、酒に付き合ってくれますか? 誰かと飲むのは久々で。もしよければですが」
「もちろん。私も、もう少し話したいと思っていたところだ」
ゼフィラス様に私の部屋の場所を教えてさしあげると、ゼフィラス様はお酒が入っているとは思えないほどのしっかりとした足取りで私を部屋に送ってくださった。
グエスを筆頭に、侍女たちがすごくかしこまった顔で廊下に並んでいる。
ゼフィラス様の前なので、いつもよりもきちんとしているみたいだ。
ただ、皆の口元は隠しきれない喜びで笑みの形にひくついていたけれど。
「ここが私の部屋です、ゼフィラス様。何もないですけれど、少しだけ、入っていきますか」
「いや……入り口で。中に入って二人きりになったら、やましいことを考えてしまいそうだからな」
「やましいこと、ですか」
「あぁ。……少し、酒が入っているから。余計に」
ゼフィラス様は私を扉の前でおろしてくださった。
扉を開くと、私の特におもしろみのない部屋が現れる。
ベッドなどは、お兄様が手配したもの。インテリアは少ない。机の上には針箱。下手の横好きで、私は刺繍が嫌いじゃない。
あんまり上手くない自覚があるから、滅多に人にはあげないのだけれど。
「リーシャらしい部屋だな」
「あまり、女らしくなくて……」
「そんなことはない。十分、女性らしいよ。だがリーシャ、女性らしいかどうかなど、気にしなくてもいい。そのままのリーシャが、私は好きだ」
「はい……ありがとうございます、ゼフィラス様」
「おやすみ。よい夢を」
私の手の甲に唇をつけて、ゼフィラス様は挨拶をした。
扉を閉じたら、もうさようならだ。
一抹の寂しさを感じる。お別れをしてしまったら、この数日の出来事が全て、夢の中のことで、目覚めると何もかもが消えてしまうような不安が胸をよぎった。
「ゼフィラス様、あの……また、お会いできますか?」
「もちろんだ。……君も私に会いたいと思ってくれていると、期待しても?」
「は、はい。……お会いしたいです」
「リーシャ、昨日も今日も、夢のように楽しかった。だが、夢ではないのだな。私の、愛しい婚約者。これからも私は、君にもっと好かれるように努力しよう」
照れてしまって何も言葉を返せない私にゼフィラス様はもう一度おやすみを言って、それから私の頬を軽く撫でる。
私はそういえばと思い立って、顔をあげた。
サーガさんと話していたときから気になっていったことを、まだ言い出せていない。
「ゼフィラス様、もし、メルアのご両親の件を調べるのなら、私も一緒に。私も、メルアを騙した人たちや、ご両親を傷つけた誰かに、許せない気持ちを抱いています」
「……実は、明日調べようと思っていた。だが君は、大変な思いをしたばかりだ。だからしばらくはゆっくり」
「もう元気です。それに、海に落ちたのはゼフィラス様も同じです。だから」
「わかった。では、一緒に」
「はい。ありがとうございます、我が儘を言ってしまってごめんなさい」
「我が儘ではないよ。……リーシャ、ありがとう。君がいてくれたら、心強い」
ゼフィラス様は明日また迎えにくると言って、お兄様の元へと戻っていった。