やりたかったことを全部
色々なことがあったせいか、思ったよりも疲れていたみたいだ。
部屋に運ばれてきた食事を少し食べて、夜の海を見て。
私の顔色が悪いと心配するゼフィラス様が、私をベッドに押し込んだ。
食事の片付けも、明日の朝食や衣服の手配もなにもかもをゼフィラス様が行ってくださるのを、私は柔らかいベッドに体を沈めながら、聞くともなしに聞いていた。
「リーシャ、もう眠った?」
するりと私の隣に滑り込んできたゼフィラス様が、目を閉じている私の髪を優しく撫でながら小さな声で言う。
ふわふわとした柔らかいものに包まれているみたいな、あたたかさを感じる。
私の周りを取り囲んでいた、とげとげが消えていくみたいに。
「まだ、起きています」
「抱きしめてもいいだろうか」
「はい、どうぞ」
目を閉じたままこたえると、真綿でくるむようにそっと抱き寄せられる。
先程の激しさとは違う。
慎重に、優しく、壊さないように。
穏やかで、ほっとするような――でも、恥ずかしくて緊張するような、ぐちゃぐちゃした感情が胸に溢れる。
腕に、頭を預けていいのかしら。
重くないかしら。
呼吸の音、うるさくないかな。私、変なところは、ないかしら。
「ゼフィラス様……あの、私……もしなにか、不快にさせるようなことがあったら、おっしゃってくださいね」
「なにもないよ、そんなことは」
「男性と一緒に眠るのははじめてなので……緊張、しています」
「嬉しい、リーシャ。俺も女性と共に眠るのははじめてだ。緊張はしているが、それ以上に、幸せだよ」
髪を撫でられる感触が、気持ちいい。
顔にかかった髪を、耳にかけられる。無骨な指が触れる。
泳いだ後の倦怠感のように、重たい疲労が体にまとわりついている。
心地よい眠りの底に落ちていく前に、もう少し、話をしていたい。
「リーシャ。君のしたいことを、一緒にしよう。明日から、これから、この先。私たちにはたくさん、時間がある」
「カフェ、一緒に行きました」
「あぁ、行ったな。あのときは、……嬉しかった。だが、恥ずかしかったな、あの格好は目立つからな」
「ふふ……ゼフィラス様は、仮面をつけていなくても目立ちますよ。顔立ちが、お綺麗ですから」
「君が手に入らないのなら、美しい顔など無駄なだけだ。けれど、君が好きだと言ってくれるのなら、この顔にうまれてよかった」
「ゼフィラス様の容姿が、たとえば、熊のようでも……きっと私は、好きになっていました」
「……今まで言われた中で一番嬉しい、褒め言葉だ」
ゼフィラス様は自分の容姿が、たぶんあまり好きではないのだ。
ずっと昔。綺麗と言われるのは、嫌いだとおっしゃっていた。
私は仮面の騎士ゼス様にたぶん、惹かれていて。
それは、ゼフィラス様で。うまく言えないけれど、容姿はそんなに大きな問題じゃない。
「劇を、見に行きたいです。いつも一人でしたから」
「行こう、何回でも」
「お祭りに行きたいです。春も、冬も。恋人と一緒に、歩いてみたいって思っていました」
「もちろん」
「屋台の食べ歩きも。屋台のごはん、美味しいのですよ」
「私も好きだよ。堅苦しい食事よりも、楽でいい」
「旅行も……」
「行こう、リーシャ。好きな相手から、ホテルのチケットをプレゼントされた私の気持ちを察して欲しい」
「困りましたか?」
「あぁ。色んな意味で」
「プレゼント……私、刺繍が下手で。ゼス様だと思って渡すことができたのですが、ゼフィラス様にはとても見せられないものでした」
「そんなことはないよ。あれは可愛い。味があって」
「……ゼフィラス様、お願いが、あって」
「何でも言って欲しい」
こんなことを言うのは、間違っているかもしれない。
でも、ゼフィラス様になら頼むことができる。甘えているのは分かっている。
頼りたい。甘えたい。私は強くなくてはいけないのに――体の周りに張り巡らせていたとげとげが、消えてしまったみたいに。素直な言葉が口からこぼれる。
「……クリストファーたちの結婚式に、私は、行かなくてはいけなくて」
「そんなものは行かなければいい……とは、思うが、一緒に行こうか、リーシャ」
「え……」
「君の卒業式に婚約者として出席をして、その後は、クリストファーの結婚式だな。私は、君と一緒にいる。私が君の婚約者だと皆に知らせるいい機会だ」
「で、でも、ゼフィラス様……」
「大丈夫だよ、リーシャ。……私は君の傍にいる。君を守る。今までできなかった分も、君を」
子守歌のように響く声に、私の意識は甘い眠りの中に落ちていく。
夢も見ない、深い眠りの底へと。
目覚めた時には、すでに日が昇っていた。
気恥ずかしく思いながら、ゼフィラス様におはようの挨拶をした。
すっかり綺麗に乾いた服に着替えて朝食を摂っていると、扉を叩く音と共に朝から元気な声が響いた。
「おはよう、お二人さん! 俺の経営するホテルの居心地はどうだった? アールグレイスグループにも負けないぐらいによかっただろう!」
扉を開けて豪快に笑いながら中に入ってきたのは、サーガさんだった。




