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ゼフィラス・エルランジア



 ◇


 エルランジア王家には、男児は十五歳の年まで女として扱われるという伝統がある。

 それは、性別を偽り名前を偽り、大人になるまで悪いものから身を隠し、病や怪我から守るという意味がある。


 そんなものは単なる迷信だと私は考えているが、過去から続いている伝統を私の代で終わらせることができるほど、幼い私に発言権があるわけでもない。


 それにどうやら私の容姿は、女性として扱っても差し支えがないほどに優れているものらしい。

 母や姉は私の着せ替えを楽しんでいる節があった。


 毎日のようにドレスを選び、髪を結い、化粧を施した。

 母は娘がもう一人できたようで嬉しいと言い、姉は妹が欲しかったのだと言った。


 自己認識は男であるのに、毎日のように顔に白粉をはたかれ、紅を差され、フリルのあるドレスやリボンで飾り付けられて、香水を振りかけられる。


 私は――物心つく頃にはすっかり女性が苦手になっていた。

 

 甘ったるい香水の匂いも、ミルクに似た白粉の匂いも、差された紅の気味の悪い味も。

 リボンもフリルも甘い声も。

 何もかもが――喉に小石でも詰められたように、息苦しく、辟易する。


 十五歳の時だった。

 公務の場には私は顔を見せることはない。十六の誕生日までは、女児として育てられて城の中に秘されるからだ。

 それでもパーティーだから華やかにしなければと、私は母や姉の指示でドレスを着せられて、着飾っていた。

 

 十五ではもう、体つきも十分男の物だ。

 まだ細身とはいえ、鏡の中にいるのは女装をした男でしかない。

 気味の悪いもののように感じられた。


 その不格好さに皆は気づいているのだろうか。

 気づいて黙って、可愛いだの美しいだの褒めそやす。

 そこに何の意味があるのだろう。

 

 でももう、これで終わりだ。

 息が詰まる生活も。自分が自分ではないなにかに無理矢理形を変えさせられる、窮屈さも。

 まるで、狭い棺桶の中に閉じ込められているようだった。


 骨格の形を変えられるようにして、締められているコルセットが苦しい。

 母や姉は「今年で最後なのね」「残念だわ」としきりに言っていた。


 もう十分だと思っていたが、私は意見をすることもなく、静かに従っていた。

 それが――しきたりなのだから。受け入れるしかない。


 城の広間では貴族たちが集まり、式典が行われていた。

 私は華やかな広間から逃げるようにして、裏庭へと向かった。

 外の空気を吸いたかったのだ。


(いつか私に子がうまれたら、このしきたりは終わりにしよう。しかし――)


 私に子が、うまれるのだろうか。

 女性はやはり好きになれない。母も姉も、侍女たちも――傍にいるだけで、うんざりする。


 誰かと結婚をするなんて、まるで現実味がない。

 しかし私は王太子である。国王になれば、結婚をし跡継ぎをうませるのも役割の一つだ。


 愛のない結婚をして――嫌いな女を、この手に抱くのだろうか。

 女が嫌いなのと同じように、男も嫌いだった。

 

 このような格好をしているからだろう。時折、色目を使われることがある。

 そういった趣向を持つ者たちに偏見はないつもりだが、私にとっては吐き気がするほどに迷惑なことだった。


 結局私は、誰も彼もが好きではないのだ。

 歪んでいる自覚はある。表面上はにこやかに取り繕って。


 城の奥に隠されるような生活の中で、誰も私の本当の名前を呼ばずに――女としての名前『フィーナ』と呼んだ。

 呼ばれる度に苛立ったが、感情を表に出すことはなかった。


 この呪いがとけたとき――私は、どんな人間としてうまれ落ちるのだろうか。

 自分自身が分からない。


 何が好きか。何を楽しいと感じるのか。自分とは、何なのか。

 それはずっと曖昧で、暗い苛立ちだけが私の全てだった。


 裏庭に続く回廊を歩いている最中、きょろきょろと周りを見渡しながら歩いている少女の姿を見つけた。

 回廊の窓からは、明るい日差しが入り込んでいる。

 四角く切り取られた光がいくつも並ぶ白い回廊を歩く少女は、空色の髪をしていて、飾り気の少ないシンプルな水色のドレスを着ている。


 どうやら、迷子らしい。

 海のような青い瞳が、忙しなく動いている。不安そうに、ここがどこかを確かめるように、景色を見ていた。


「迷子?」


 声変わりもすでにはじまっている私は、最近では滅多に言葉を話すことはなくなっていた。

 声を出すと男だと思ってがっかりすると姉に言われていたこともあるし、自分自身も嫌だったのだ。


 女の格好をして、男の声を出す自分が嫌だった。

 あと少しの辛抱だと、静かに耐えていた。

 久々に出した声は掠れた中低音で、自分はこんな声だったのだなと、自分自身で驚くぐらいだった。


「はい。迷ってしまいました」

「君は、どこから?」


「リーシャ・アールグレイスと申します。はじめまして。お城の中が綺麗で、美術品や絵画などを見て回っていたら、すっかり両親とはぐれてしまったのです。大広間に戻りたいのですが、道が分からなくなってしまいました」


 まだ幼い少女ながら、リーシャははきはきとものを言った。

 物怖じしない瞳が真っ直ぐに私を見上げる。


 子供の正直な瞳には、私はどう映っているのだろうか。


「では、私が案内してあげる」

「ありがとうございます、親切な方!」


「いいえ、気にしないで」

「あなたは、どなたですか?」


「……フィーナ」

「とても美しいですね。あなたのような綺麗な人、私、はじめて見ました」


「……そう」

「綺麗と言われるのは、好きではないのですか?」


「そうだね。好きではない」

「おそろいですね。私も、綺麗とか、可愛いとかは、くすぐったくて苦手です。私は強くなりたいのです。伯爵家というのは皆を守る立場にあるのですから、誰かを守れるような強い女になりたいのです」


 リーシャの海のような瞳に、すっかり拗ねて自分を失った、矮小な男が映っていた。

 私はまるで横面を殴られたような心持ちだった。


 こんな幼い少女がきちんと考えているのに、私は――何をしているのかと。


「そうだな。……私も、そういう人間に、なりたい」

「では、一緒に頑張りましょう!」


 リーシャは私の手を握って、にっこり微笑んだ。

 私の中の暗闇に、無意識のうちに気づいていたのかもしれない。


 リーシャは私の暗闇を、一瞬のうちに明るく照らしてくれた。

 

 恋に落ちた――というわけではない。

 さすがに、恋に落ちる相手としてはリーシャは幼すぎた。


 けれど私の中の何かはそれですっかり変わってしまった。

 街に降り、ゼスとして街に溶け込んだ。


 仮面とローブで身分を隠し、冒険者として人々を守るために魔物を討伐し続けた。

 困っている者がいたら手を差し伸べ、悪辣な者がいたら秘密裏に処理をすることもあった。


 ゼスとして生きる私は、自分の怒りを自由に外に出すことができた。

 人助けとして行う暴力も、暴言も――全て自由で、楽しかった。

 

 これは、リーシャが与えてくれたものだ。

 あのときあの回廊でリーシャが迷子になっていなかったら、きっと私は未だ世を拗ねたまま、ろくでもない王になっていただろう。


 公務で、パーティーで、祝賀会で――時折城に訪れるリーシャを、遠くから見ていた。

 あのときの女の格好をしていた男だとは、とても言い出せなかった。


 リーシャは徐々に美しくなっていった。

 美しいが、それは他の女性とは違う。透き通った海のような、力強く精悍な美しさだった。

 

 もっと近くで見たい。話しかけたい。君が、どんな人なのかを知りたい。

 心の中に押し込めていた欲求はどんどん膨れ上がり、それがはっきり恋だと自覚したときにはすでに手遅れだった。

 

 以前から交流のあったリーシャの兄を呼び出して、婚約の打診をそれとなく切り出してみたが――リーシャには大切な幼馴染みがいるのだと、困ったように言われた。


 年齢が離れすぎている。リーシャは幼く、私は大人だ。

 リーシャが大人になるまで待っていた私が、愚かだったのだ。





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